第五章(1)
舞台袖から、俺はこそっと体育館に集まった生徒たちを盗み見る。
出演者として歓迎会に参加する一部の人間を除いた全校生徒が一堂に会する様は、想像していたよりはるかに壮観だった。
去年はひとりの観客として気楽に見ていただけだったが、こちら側……ステージ側から見る光景は、圧巻というより他になかった。
舞台上には、既に機材がセッティングされている。
本番前の準備時間を少しでも短縮するため、昼休みを使ってあらかじめ搬入しておいたのだ。
カオルちゃんは吹奏楽部のドラマーと一緒にドラムセットを音楽室から運び込み、俺と黒峰とアンナは轟楽器店からレンタルした大型のアンプをサツキさんと一緒にステージに運び上げた。
俺はてっきり部室に置いてあるアンプを持ち込むものだと思っていたのだが、黒峰が前もってサツキさんにアンプの貸し出しを申し込んでいたのだ。
確かに部室のアンプじゃ小さすぎて、体育館で使うには音量不足が心配だったから、これはさすがの判断だと言えた。
費用の大半は余っていた前年度の部費から出したそうだが、足りない分は黒峰とカオルちゃんが半分ずつ持ち寄ったらしい。
前もって言ってくれれば俺だって少しは用意したのにとも思ったが、ここらへんは上級生のプライドのようなものがあるのかもしれない。
「……いよいよ、だね」
俺の横で、黒峰がポソリと呟いた。
横目で彼女を見やると、いつもより表情が硬い。
ストラップで肩から下げたベースはギターよりも一回り大きくて、彼女の華奢さを一層引き立てているようだ。
「そうだな……。さっきから俺、手汗がやばいわ。演奏中に手が滑りそうだ」
ハハッ、と笑いながら俺は言う。
半分は冗談だが、半分は本音だ。
俺の手のひらってこんなに汗腺があったのかと驚くレベルだ。
あんまり手がヌメるもんだから、まるで自分がカエルかウナギにでもなってしまったような気分だった。
「ちょっと、あんまり情けないこと言わないでよ。ここまで来たんだから、覚悟をキメなよ」
「大丈夫よ、ダイスケちゃん。アナタがミスってもアタシが華麗なフィルでフォローしてあげるから、大船に乗ったつもりでいてちょーだい」
呆れ顔のアンナと笑顔のカオルちゃんが声をかけてくれる。
ふたりは割といつも通りな感じだ。まぁ、ふたりが緊張でカチコチになってる姿なんて想像できないんだけど。
少しでいいからその肝っ玉を分けて欲しいもんだ。
「ありがとな、ふたりとも。クッソ緊張してるのはマジだけど、絶対に……絶対に、成功させるから」
そう言いながら、俺はメンバーの顔を順番に見やる。
アンナは相変わらず俺にはブスッたれたような表情を向けてくるが、それがいつもより心持ち柔らかく見える。
ここまでやってきた俺のことを、少しは認めてくれているのだろうか。
カオルちゃんはいつも通りの爽やかイケメンおネエって感じだ。
よく見ると普段より少しメイクが丁寧な気もする。
観客席からその微妙な違いを見分けるのは困難だと思うが、それでカオルちゃんの気合が入るならいいんだろう。
そして、黒峰。
俺が視線を向けると、彼女もまたまっすぐに俺を見つめ返してくる。
深く澄んだ黒い瞳の奥には、ガチガチに緊張している俺の顔が映り込んでいて、思わず俺は苦笑いを浮かべた。
「ダイダイ、改めて、ホントにありがとね。ダイダイのおかげで、こうして歓迎会のステージを迎えることができた。本当に、ホントーに、嬉しいよ、私」
そう言いながら黒峰は微笑んだ。
緊張と歓喜とをまぜこぜにしたその儚い笑みに、思わず心臓が跳ねた。
「……まだ、礼をもらうには早いぞ。ステージが終わるまで、その言葉はとっといてくれ」
「ん……そうだね」
俺の言葉に黒峰は視線を落とし、ベースのボディを見つめた。
彼女が抱えるフェンダー・ジャズベースは、彼女自信の手でいくつか手が加えられている。
まず目を引くのは、本来ならボディを広く覆っているピックガードが取り外されていることだ。
フロントピックアップ上にはピックアップフェンスと呼ばれる金属の板が橋をかけるように設置されていて、それがステージライトを反射して鈍い光を放っている。
ネックの根本、一弦側にはフィンガーレストも取り付けられていて、黒峰曰く「クラシカルなスタイルを演出」しているらしい。
さらに特殊なことに、リアボリュームノブとトーンノブの間には小型のトグルスイッチが増設され、スイッチひとつで電気的にベースの音をミュートできるように改造されていた。
ジャズベースは構造上、ボリュームを二つとも絞りきらないと音量をゼロにできないようになっているのが気に食わなかったらしく、スイッチ一発でミュートができるようにしようと思い立ち、取り付けたのだそうだ。
そういった細かな改造が施された彼女のジャズベースは、カタログで見るそれとはかなり違った印象を見る者に与えていた。
そこまではスタジオ練習の時に初めてそのベースを見た時と同じだが、変わっているところもあった。
今日見たそのベースの一弦側のツノの部分には、俺がプレゼントしたピックが一枚、両面テープで貼り付けられていたのだ。
これが黒峰が以前言ってた「お守り」ということなのだろうが、贈った俺としては少しばかりこそばゆいというか気恥ずかしく感じた。
彼女は今、視線を落として、そのピックを静かに撫でていた。
「ダイダイ、今日は、最高のステージにしようね」
静かに、黒峰はそう呟いた。
俺がそれにうなずこうとしたその時、聞き慣れない声が響いた。
「おぅ、お前達。元気そうだな」




