第三章(9)
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数分の後、黒峰の演奏を聴き終えた俺とアンナは、ふたり揃って唖然とした表情を浮かべていた。
それも仕方ない。
黒峰が用意してきた曲が、あまりにも予想外のものだったからだ。
先ほどまで音に満ちていた部室は今、沈黙に支配されていた。
「あっはははははは! サイコー、サイッコーよ、アカネちゃんっ!」
唐突に静寂を切り裂いて口を開いたのはカオルちゃんだった。
右手を額に当てて、天井を仰ぎ見るようにしながら笑い声を上げるカオルちゃんを見て、俺とアンナはまたしても呆気にとられた。
「ありがと、カオルちゃん! いやー、どういう反応をされるか心配だったけど、そう言ってもらえると嬉しいよ」
はにかみながら黒峰が応える。
肯定的な評価を貰えてひと安心といった様子だ。
「……あの、先輩。本気でこの曲をやるつもりですか?」
ためらいながら、アンナがそう問いかける。
ふたりのやり取りを聞いてなお、困惑から抜け出せないといった感じだ。
「あれ、アンナはあんまり気に入らなかった?」
「い、いえ! そういうわけでは! すごくカッコよくアレンジされてましたし! ……ただ、あまりに予想外の選曲だったもので」
残念そうに訊き返す黒峰に、慌ててアンナがフォローを入れる。
しかし確かに、俺としてもアンナと同意見だ。
黒峰と知り合ってまだほんの数日だが、彼女はいつも俺の想像を軽々と超越していく。
「なぁ黒峰、なんでこの曲にしようと考えたんだ?」
俺は率直に黒峰に疑問を投げかけた。
確かにインパクトのあるチョイスだとは思うが、まさかそれだけで選んだわけでもあるまい。
「んー、理由はいくつかあるんだけど。まず第一に、ひとりでもその曲を知らない人がいるような選曲はしたくなかったんだ。そして次に、曲の構成がシンプルで、アレンジしやすかったから。あとはこの曲、コーラスがかなり綺麗で気に入ってるんだよね。だから私もサブボーカルとして、ベース弾きながら歌いたいと思ってさ」
「つまりそれって、先輩とデュエットできるってことですか!?」
勢いよく椅子から立ち上がって、前のめりになりながらアンナが叫声を上げた。
目を大きく見開いて黒峰に詰め寄るアンナからは、先ほどまでの困惑が完全に吹き飛んでいた。
「ちょ、ちょっと落ち着いてってば、アンナ。そうだよ、アンナさえよければ、一緒に歌いたいんだけど……どうかな?」
「もちろんです、先輩! 最高ですよ、この曲!」
アンナの見事なまでの手の平返しを横目で見て、俺は引きつった笑いを浮かべる。
コイツはホント分かりやすいというか、現金な奴だな……。
「アタシもモチロン賛成よぉ。やっぱりアカネちゃん、いいセンスしてるわねぇ」
カオルちゃんもそう言って賛同の意を示す。
彼(彼女?)の方に目を向けると、ニコニコ顔で小刻みに両手足を動かしていた。
どうやら既に先ほどの曲にドラムを合わせるイメージを描き始めているようだ。
「さて、ふたりは納得してくれたけど……ダイダイは、どう?」
ひとしきりふたりの反応に満足した黒峰は、最後に改めて俺に確認をしてくる。
しかし、俺としては答えは決まっていた。
「そりゃもちろん、賛成だよ。俺じゃ他に対案も出せないしな。それに最初こそ驚いたけど、落ち着いて考えてみると、歓迎会にはうってつけな曲と言えるかもしれないしな」
そう言って、俺は黒峰に笑ってみせた。
そう、既に賽は投げられているんだ。
今更こんなことで戸惑っている場合じゃない。
俺にできるのは、黒峰を信じて、必死で彼女たちについていくことだけだ。
「ありがとう。ダイダイなら、そう言ってくれると思ってたよ」
そう口にする黒峰は、言葉とは裏腹にどこかホッとしたような様子だった。
もしかしたら、彼女としても奇抜な選曲であるという自覚はあったのかもしれない。
「それじゃあダイダイ、コレ譜面ね。手書きだからちょっと読みにくいかもしれないけど、我慢してね」
黒峰はそう言いながら、椅子の脇に置いた鞄からクリアファイルに挟んだ数枚のルーズリーフを手渡してきた。
それが譜面であることは一目で分かったが、俺が知っている譜面とは明らかに相違がある。
「……なぁ、黒峰。俺の目がおかしくなければ、この譜面、線が六本あるように見えるんだが。あとなんかオタマジャクシじゃなくて数字が書いてあるんだけど……」
そう、その譜面には、あらかじめ印刷された五線譜に、ボールペンで一本線が追加されていたのだ。
六線譜とでも呼ぶのだろうか。
しかも普通はそこに書かれているであろう《♪》みたいな音符の丸い部分の代わりに、3とか5とかいった数字が書き込まれている。
明らかに普通の譜面ではない。
「これは〈TAB譜〉って呼ばれる譜面だよ。一番上の線がギターの1弦、一番下が6弦に対応してて、数字はフレットを示してるの。つまりこれは、ギターのどこを押さえて演奏すればいいかが書かれた、ギターのための譜面なんだよ」
「へぇ……。便利なもんがあるんだな」
黒峰の説明に、俺は感心して相槌を打った。
確かにこれなら普通に五線譜を読むよりはるかに分かりやすい。
五線譜だとドレミを読みとった後に、それに対応するギターの押弦位置を考えなければいけないだろうしな。
それに比べるとこのTAB譜っていうのは、読んでそのまま押弦位置が分かるから、より直感的かつスムーズに演奏ができるだろうことが想像できた。
つーかそもそも俺はマトモに五線譜読めないから、これはマジで助かる。
「あ、でも黒峰、俺リズムも読めないんだけど……どうすればいい?」
「は? 音楽の授業で基本的な楽譜の読み方は教わるでしょ? アンタ馬鹿なの?」
俺の疑問にアンナがまた辛辣な言葉を浴びせてくる。
コイツはほんとにいちいち俺を煽らないと気が済まないのか……?
「高校では美術を取ってるから音楽の授業は受けてないんだよ……。中学以前のは忘れた」
俺はぶっきらぼうに答える。
そもそも俺は今まで、主要科目こそ気合を入れて勉強してきたものの、それ以外……音楽とか情報とかいった科目は適当に流してきたのだ。
場合によってはそれらの授業中に他の科目の内職をしていたことさえある。
内申点が下がるのは好ましくないが、それでも受験科目でないものにまでガチガチに気合を入れられるほどのやる気は俺にはなかった。
「んー、私が説明してもいいんだけど、そうするとちょっと時間かかるからなぁ。これはダイダイが自分でググって調べてよ。分からないことがあればラインで訊いてくれれば答えるから」
ワーオ、放任主義。
いやでもまぁ確かに何から何まで黒峰に頼りっぱなしってわけにもいかないだろうし、素直に従うしかないか。
俺は不安げな表情を浮かべつつうなずいた。
「ところでアンナちゃん、話は変わるんだけど、昨日の生徒会はどうだったの? 前に聞いた話だと、確か昨日までには歓迎会の出演順が決まるって言ってたでしょ?」




