第37話:もう一人の橘翼
「自分自身と出会っている」
その一言に、部室の空気が凍りついた。
「……は?」
翔が間の抜けた声を漏らす。
「どういう意味だよ、それ」
青年は机の上の写真を見つめたまま答える。
「言葉どおりだ」
「未来の橘翼と、現在の橘翼は一度だけ接触している」
「そんなこと……」
沙良が首を振る。
「あり得ないよ」
「本来ならな」
青年の声は淡々としていた。
「だから時間軸は崩れ始めた」
翼は写真を手に取る。
そこには確かに二人の自分が写っていた。
一人は今の自分。
もう一人は少し大人びた表情をした自分。
その間には、A-01が立っている。
三人とも笑っていた。
「……覚えてない」
翼が小さく呟く。
「当然だ」
青年は頷く。
「その記憶は君自身が封印した」
「俺が?」
「未来の君が、自ら望んで」
澪が目を見開く。
「記憶封鎖を……自分で?」
「そうしなければ世界が保てなかった」
青年はそう言って翼を見る。
「未来の君は、一つだけ約束を残した」
「約束……」
翼は無意識にペンダントを握る。
青い石が微かに温かい。
「A-01のことは、思い出すな」
その言葉に。
翼の表情が変わった。
「……ふざけるな」
静かな声だった。
しかし怒りが滲んでいる。
「俺はあいつと約束した」
青年は何も言わない。
「思い出すなって言われても」
「もう無理なんだよ」
胸の奥が痛い。
会ったこともないはずなのに。
助けなければならない。
そんな想いだけが膨らんでいく。
青年は小さく目を閉じた。
「……その答えも」
「未来の君と同じだ」
その瞬間だった。
カチッ。
止まっていた時計の秒針が、一秒だけ進んだ。
四時四十四分。
四十五分。
同時に、青年の表情が険しくなる。
「まずい」
「どうした?」
榊が立ち上がる。
青年は窓の外を見た。
止まっていた景色に、わずかなひび割れのようなものが走っている。
「この観測領域が破られる」
「誰に?」
青年は短く答えた。
「執行者だ」
その名前を聞いた瞬間。
澪の顔から血の気が引いた。
「まさか……!」
「観測者より危険なのか?」
智が尋ねる。
青年はゆっくり頷く。
「観測者は記録するだけだ」
「だが執行者は違う」
一拍置いて。
「時間軸を守るためなら、人を消すことをためらわない」
その直後。
部室の窓ガラスが。
バリンッ!!
激しい音とともに砕け散った。
吹き込む風。
舞い上がるガラス片。
窓の向こう。
夕焼けの空を背に、一人の人影が立っていた。
黒い外套。
白い仮面。
その右手には、見たことのない黒い長剣。
仮面の奥から、冷たい声が響く。
「対象確認」
「被験者番号0」
剣先が、翼へと向けられる。
「——時間軸保全のため、これより対象を排除する。」




