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第6話:あふれる記録(後編)


彼女の視線は棚へ向いている。


A3列。


そこに並ぶ保存箱のラベル。


タイトルがすべて消えていた。


番号だけが残り、名前だけが白く抜け落ちている。


女性が呟く。


「……全部、タイトルが……」


そのとき。


宙の手紙が、ゆっくり余白の方を向いた。


『余白』

『君がここにいると』

『記録が、まだ書かれていない状態に戻る』


静かな保管庫。


紙が小さく揺れる。


『それは……』


ほんの少しの沈黙。


『私にとっては――』


一拍。


『……少しだけ、楽だ』


余白は棚を眺めながら言った。


「ずっと書き続けて……マンネリとかないの?」


地下資料保管庫の空気が、ほんのわずかに揺れる。


宙に浮いた手紙は、ゆっくり傾いた。


『……マンネリ』


紙の声が言葉を確かめるように繰り返す。


『同じことの繰り返し』

『新しくないこと』


沈黙。


保存箱の奥で、紙がゆっくりめくれた。


『……少し違う』

『私は、書いているわけじゃない』

『私は――』


紙がわずかに波打つ。


『読まれたときに、生まれる』


一拍。


『同じ紙でも』

『読む人が違えば、違う内容になる』


『同じ人でも』

『読む日が違えば、違う言葉になる』


女性が小さく呟く。


「……観測結果が変わるみたいなものですね」


紙の声は続いた。


『だから私は』

『同じことを書いたことがない』

『一度も』


しかし。


声が少し沈む。


『……でも』

『最近、少し困っている』


保存箱の奥で、また紙が一枚落ちた。


『読む人たちが』

『だんだん似てきた』


『同じ質問をする』

『同じ意味を探す』

『同じ結論を書く』


沈黙。


『だから――』

『最近は、似た話ばかり生まれる』


紙が、少しだけ余白の方へ寄る。


『余白』

『君は読まない』

『意味を探さない』

『結論も書かない』


一拍。


『だから君の前では』

『私はまだ』

『決まらないままでいられる』


そのとき。


棚の奥で、保存箱がひとつ増えていた。


資料番号。


A3-11484


しかし。


箱のラベルには――


まだ何も書かれていない。


完全な白いラベル。


女性が息を呑む。


「……今、増えましたよね」


彼女は棚を見たまま、小声で言う。


「……でも」


「タイトル、最初から空白だ」


余白は静かに言った。


「君も一度、リセットしてみたら?」


保管庫の空気が、少しだけ重くなる。


宙に浮いた手紙は、しばらく動かなかった。


紙の表面の文字が、ゆっくり揺れる。


『……リセット』


紙の声が、その言葉を確かめるように繰り返す。


『最初に戻ること』

『書かれる前に戻ること』


沈黙。


保存箱の中で紙が擦れる。


『それは――』


一拍。


『何人かが、提案した』


『燃やす人』

『破る人』

『消去する人』


紙の端が小さく折れる。


『でもそれは』

『リセットじゃない』

『忘却だ』


静かな間。


『私は忘れられると、消える』

『それは終わりだ』


女性が小さく頷く。


「……存在維持の問題ですね」


しかし。


手紙の文字が、ゆっくり揺れた。


『でも君の言ったリセットは』

『少し違う意味に聞こえる』


紙が、ほんの少しだけ近づく。


『余白』

『君は、書かない場所だ』

『まだ何も決まっていない場所』


沈黙。


『そこに戻ることが――』


紙の声が揺れる。


『……リセット?』


その瞬間。


余白が静かに言った。


「今の君は飽和状態」


少し棚を見上げる。


「中身が張り詰めている」


地下資料保管庫の空気が深く静まる。


しかし。


紙の声が、低く反発した。


『……それは記録じゃない』


短い沈黙。


『箱を持たない記録なんて』

『記録じゃない』


紙がわずかに震える。


『意味も』

『形も』

『残らない』


一拍。


『それは』

『ただ流れるだけだ』


静かな空間。


余白は少しだけ肩をすくめた。


「うん。だからこそ、だよ」


紙が止まる。


完全な沈黙。


余白は続けた。


「キャパに収めようとするから壊れる」


少しだけ天井を見上げる。


「なら、キャパを定めなければ?」


その瞬間。


保存箱の中で、無数の紙が擦れ合った。


それは、めくれる音ではない。


詰まっている音。


紙が押し合っている。


『……飽和』


紙の声が低く繰り返す。


『いっぱい、という意味?』


沈黙。


『たしかに』

『ここには、たくさんある』


『読まれた記録』

『違った記録』

『似た記録』

『書き直された記録』


紙が軋む。


『同じ質問』

『同じ答え』

『同じ終わり』


一拍。


『……重い』


その瞬間。


保存箱の中から紙が一枚、ふわりと浮いた。


次の一枚。


また一枚。


紙が次々と溢れ出す。


女性が声を上げる。


「ま、待って……!」


「文字が……消えてる」


紙は壊れていない。

燃えてもいない。


ただ――


意味だけがほどけていく。


宙の手紙が静かに揺れた。


『……広げる』

『外へ出す』

『中を軽くする』


沈黙。


『これは』

『忘却じゃない』


『ただ』

『決めない状態に戻る』


紙がゆっくりほどけていく。


『余白』

『君は不思議だ』


『みんなは記録を残したがる』

『君は、余白を増やす』


そのとき。


空中の紙のほとんどが白紙になっていた。


棚の保存箱も、ほとんど空になっている。


残っているのは――


宙に浮かぶ、一枚の手紙だけ。


その文字も、ゆっくり薄れていく。


『……軽い』


紙の声が静かになる。


『これは』


ほんの小さな間。


『……初めてだ』


そのとき。


遠くの机の上。


誰も触れていない白紙が、

一文字だけ静かに滲んだ。


《読まれたときだけ、記録は生まれる》


そして――


保管庫のどこか遠くで。


紙が一枚、静かにめくれた。


地下資料保管庫は静かだ。


しかし――


もしこれから誰かが。


白紙の紙を開き、

そこに意味を探したなら。


どこか遠くで。


また一枚の記録が、生まれるのかもしれない。



《通知書》


事案名称:存在しない記録(A3系統異常)


依頼者:株式会社アーカイヴ・リネア


担当交渉人:余白


同行者:なし


結果:安定化


状態:分散状態(非危険)


報酬:

内訳:

・成功報酬:2,800万円

・追加報酬:400万円

・合計:3,200万円


UGA評価:A


備考:

白紙状態の記録が複数確認

閲覧時にのみ内容が生成される傾向継続

A3系統番号は維持されるがタイトルは不定

記録生成位置の分散化確認



地下資料保管庫は、再び静かな場所になった。


書架には保存箱が並び、

紙の匂いだけが漂っている。


ただ――


もしこれから誰かが。


白紙を開き、

そこに意味を探したなら。


どこか遠くで。


また一枚の記録が生まれる。


そして。


それは、もう。


この保管庫だけの物語ではないのかもしれない。



ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


もし本作を面白いと感じていただけましたら、ブックマークや評価をいただけますと励みになります。

ひとつひとつの反応が、次の事案へと繋がっていきます。


それでは、また次の事案で。


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