第一話
たぶん、始まりは一個の部品だった。
時計を組む内職をしていた時のこと。
王都ギアラッドから送られてくる精密な歯車を、鶴のくちばしみたいなピンセットで組み立てていく。時々油をさして動きを確かめ、組み立てる順番を確認しながら、ほこり一つ落ちないように慎重に、それを何時間も。
その日に送られてきた部品はとても精度がよかった。普通はかちりかちりと噛み合わせていくけど、精度が良いものは金属音がしない、ふすり、ふすりと隙間から空気が抜ける音がして、完璧なものが完璧なものと触れ合う小気味いい男がする。
歴史ある地方貴族とはいえ零落激しいラインヴァル家。この内職も慣れたものだった。歯車は骨であり血管、美しく連続して、力を減衰させずに届ける。それは極上の詩に似ている。詩の核心となるような美しい言葉だけが並ぶ感覚。
部分が完璧であり、全体もまた完璧。私は最後の部品を時計の中央に納める。生けるものの器に命の息を吹き込むような、感覚が。
目の奥に火花が散った。
私は椅子を後ろに飛ばして立ち上がり、背骨が弓ぞりになって骨がきしむほどの力がこもる。口は開いているが声もあげられない。爪がはじけ飛ぶような指の注力。数十秒もそれは続き、私はどさりと床に尻もちをつく。
「思い出した……」
私は以前、日本で会社づとめをしていた女性。趣味はパズル全般、特にジグソーパズル。
部屋の壁と言わず天井と言わず完成したパズルで埋まり、壁がパッチワークみたいになっていた。
私はジグソーパズルの破片が好きだった。どれ一つ欠けても完成しない。周囲のピースと美しくかみ合う形状。一枚ですらその中に山があり、海があり、都市があり、お姫様の瞳がある。そんなピースのことを、今、思い出して。
……それ以外が思い出せない。
「私」の名前も、前世の暮らしも、ジグソーパズル以外のことは何も。
目覚める前の私についてはよく覚えている。名前はキャルコット・ラインヴァル、地方貴族であるラインヴァル家の一人娘。両親の顔も友人知人も思い出せる。でも確かに私は「私」なのだ。そして不思議なことに、キャルコットという人物が生きてきた人生、出会ってきた人々、経験したことや世界に関する知識、何千時間という映画を一気に見たように頭の中にある。「私」という魂が、今の一瞬にキャルコット・ラインヴァルという人間の中に収まったような。
「……あ、大変。この世界にジグソーパズルない」
私はエプロンとピンセットを机に置き、小走りでお父様とお母様のいるリビングへ。
「お父様! ジグソーパズルです!」
お父様はといえば書類の山を脇に置いてタイプライターを叩いている。母はその横で機械編みをしていた。糸をセットして、ハンドルを回すと色鮮やかな布が出てくる機械だ。ときどき糸の色を変えることで幾何学模様を描く。
正確に言うと父は借金を待ってもらう手紙を書いていて、母は内職だ。ラインヴァル家は破産寸前なのだ。
「どうしたのだカルコ」
「ラインヴァル家の子女がそのように走り回るものではありませんよ」
家計は逼迫してるはずなんだけど、両親はあまり緊張感がない。生まれついての貴族なのだ。
この私、カルコことキャルコット・ラインヴァルは声を張り上げる。
「お父様! ジグソーパズルを作りましょう! それを売り出して事業を始めるのです!」
「ジグソーパズルとは何かね?」
私はなるべく丁寧に説明した。両親は黙ってじっと聞いてくれたけど、最後までぽかんとした顔のままだった。
「そんなもの聞いたことがないが」
「私が発明します」
…………
……
かなり長い空白。
「それで、作るのにいくらかかるのかね?」
「工場を建てて……本格的にやるなら一億ぐらいでしょうか」
単位はギアール。一億ギアールというと一億円ぐらいだ、わかりやすい。
「いえ、印刷工とか写真の技師も都市から呼ばないとだし、販路を作って宣伝もして、パズルを切り抜く機械についても最初からの開発だから……やっぱり三億ぐらいは」
父は何度かまばたきをして、天井を見上げてから言った。
「時期がよくないな。また今度にしなさい」
貴族らしい答えだと思う。
さて、そこから私は頑張った。
まず作ったのはキューブパズル。木を立方体に切って、六つの面それぞれに絵を描く。
このキューブは四個で一組、あるいは九個で一組になっており、正しい面を上にして、きちんと並べれば六種類の絵ができる。
これを朝の市場に持っていく。一ヶ月で10個売れた。家の借金は増える一方。
だけど諦めない、続いては絵合わせパズルだ。
これは九枚一組のタイルを使ったパズル。
それぞれのタイルには上下左右に動物の絵が描いてある。前半分、あるいは後ろ半分だけがタイルからはみ出すように描かれている。
正しく並べないと牛の頭にドラゴンのお尻、トラの頭にネズミのお尻という塩梅になってしまう。すべての動物が正しい姿になるように並べるのが目的。
これは結構売れた。一ヶ月で25個。家の借金は膨らんだ。
その後も私は知恵の輪とか、知恵の板とか、スゴロクとかドミノとかガラスで蓋がされた箱の中で棒に輪っかを入れるおもちゃとか作ってある日それを「焼け石に水ううっ!」と叫びながらベッドに放り投げた。
「こんなんで借金返せるわけない! 何やってんのよ私!」
そんなに売れるものでもないし、だいいち手が足りない。一人で作るのは時間がかかるし、木工職人さんを雇うとお給金だけで赤字だ。うちの領地は人も少ないし、市場の規模も小さいのだ。というか実のところ、お庭に咲いてるバラとか売った方がもうかる。
やっぱりジグソーパズルしかない、と私は思う。パズルと名のつくおもちゃは数あれど、私の知る世界ではジグソーパズルより成功したパズルはない。
そしてジグソーパズルを作るには都市に行くしかない。私は両親に相談する。
「ギアラッドに行きたいのか。うむ、せっかくだから芝居を見てきなさい。デルベルトホールの回転舞台は素晴らしいぞ」
「替えのドレスはたくさん持っていくのですよ。サロンではガスワインは控えるように。泡立っていて口当たりが軽いけれど、強いお酒だったりしますからね」
そして汽車代をぽんと出してくれた。困窮してるはずだけど、まとまったお金はすぐ出てくる。貴族というのは不思議である。
私はジグソーパズルの共同事業者を探しに行くと説明したけど、あまり伝わらなかった気がする。
馬車から汽車へ、この世界はそれなりに技術が進んでるけど、どうも断片的に残る前世の記憶とは違ってる。汽車は鉄のレールではなく、地面にぎっしりと並んだ歯車の上を走るのだ。
気分は丸太の上を進むピラミッドの巨石。見た目に反して揺れないし、カーブも滑らかな乗り心地。
そして国内どころか大陸でも指折りの工業都市、歯車と炎の街、ギアラッドへ到着。
聞いていた通り霧が濃い。工場から出る微細な粒子が霧を呼ぶのだとか。それは雲の怪物のように、大通りをのっそりと歩くかに思える。
馬ではなく蒸気じかけの駆動馬に引かせた馬車。かちゃかちゃと旗あげゲームのように動く信号機。そして硬貨を入れると盛大に蒸気を噴き上げ、冷えた飲み物が出てくる自動販売機。どれもラインヴァルの領地にはなかった機械だ。
街のあちこちから響く歯車のきしみ、煙突から上がる黄色い炎、青い航跡の雲を残しながら飛ぶ飛行船。その発展の速度は競争を思わせる。近隣の国とは緊張状態が続いているらしく、より工業を発達させた側が優位を握る、そういう状況だと聞いている。
行き交う人の数と、反響しながら届く工作機械の音。ラインヴァルから出てきた私はさぞや田舎娘だろうか。いちおう一張羅のドレスは着てるけど。
とりあえずホテルに荷物を置いてから、街で一番大きな工場に向かった。
「たのもう!」
この呼びかけは絶対に間違ってたけど、まあ注目は浴びた。鎧の小手みたいにゴツい工作手袋をつけた工員が、のっそりと振り向く。
「……何だい、お嬢さん」
「ジグソーパズルを作りたいの! 私と共同で事業をやってくれない?」
ドレスを着た女に怒鳴られて、マッチョな工員たちは顔を見合わせる。
「いま忙しいから、また今度……」
「いや待て、事業の申し込みはすべて社長に回すようにと……」
「バカお前、こんな子供を紹介……」
何やらモメている。ちなみに私は16だ、この国の成人年齢は15なので、子供呼ばわりした工員を睨みつけてやる。
そのとき、男たちの向こうでざわめきが起こる。
「俺に用なのか」
樽のように頑健な男たちを押しのけて、奥からぬっと出てくるのは長身の男性。
燃えるような真紅の髪。
鋼のように黒く艶のある眼。
頬についたススを指で拭う、その一瞬の仕草に獣のような野性味がある。
そのとき、背後の巨大な機械がぼうっと炎を吐き出し、ピストンが大きく動く。なんだか現れた男性と、その機械とが一体化するような幻視がある。彼の髪は炎のタテガミのようで、太くたくましい腕は機械を動かすシャフトのよう。
その人物は工員が着るような木肌色のツナギを着ていた。十字形のスパナを腰のホルスターに収納する。
「カム坊ちゃん」
工員の一人がつぶやく直後、その背中をばしんと叩く。
「坊ちゃんじゃない、社長と呼べ。あと俺のコートを持ってこい」
「す、すんません」
坊ちゃん……ではなく社長はかなり背が高い、185を超えてるだろうか。手の指は節くれだってごつごつしており、故郷で雇っていた木工職人さんより無骨に見える。
ふわりと香る機械油と石炭の匂い、好奇心旺盛そうな大きな目玉と高い鼻、分厚い革手袋を外しながら私に近づく。
「何の用だ」
「ええと、あなたがここの社長?」
私はこの都市で最大の工場に来た。それはもちろん、この人物に会いに来たのだ。
カム男爵。
貴族としては下位の家柄ながら、三代続く商才により確固たる存在感を示す家名。その商才は三代目のこの人物において最高潮に達し、七つの工場と七つの鉱山、そして数えきれない関連企業を取り仕切る豪腕の人。公爵家令嬢と婚姻を結んでさらに事業を拡大しているとか。
その二つ名は歯車男爵。
カム・ギア男爵、その人だった。
というわけで新しく連載を始めました、以前書いた短編の連載版です、どうぞしばらくお付き合いください。




