幽囚(ゆうしゅう)
空き部屋に入った私は、促されるまま椅子に座った。
「では、御髪を直させていただきます」と言われたので、念のため結界魔法を一時解除する。
軽く触られるくらいであれば、結界は反応しないとは思うけれど。
侍女さんが私の後ろに立つと、ふわりと花のような甘い香りが漂ってきた。
何の匂いだろうと思っているうちに、瞼がだんだんと重くなってくる。
こんな時にこんな所で眠ってはダメだと、突然襲ってきた睡魔と必死で闘っていたが、抵抗むなしく私の瞼は閉じられた。
◇
目を覚ますと、私は見知らぬ部屋に寝かされていた。
綺麗に整えられた天蓋付きベッドとソファーセットだけを見れば、これまで私が与えられた部屋と同様に思えるが、別のところに視線を向けると、窓の外には頑丈な鉄格子が設置されており、ドアは外側から鍵がかけられ外へ出られないようになっている。
王城でも離宮でもシュバルツ公爵家でもない、全く別の場所のようだ。
不穏な空気を感じ取った私が再び結界魔法を最大限まで上げていると、ドアの鍵を開ける音がした。部屋に入ってきた見覚えのある男性を見て、自分の予感が当たったことを知る。
「お目覚めになられましたか、聖女様。ご気分はいかがでしょうか?」
「……私は離宮にいたはずですが、ここはどこです? なぜ、あなたがいらっしゃるのですか?…ラムザート様」
最悪な気分です……の本音はぐっと飲み込み、目の前の彼へ冷静に問い質す。
「なぜって、ここはドイル家の屋敷の離れだからですよ。本当は領地へご招待したかったのですが、あちらは常に父と兄がおりますので、やむなくこちらへお越しいただきました」
「私はあなたの招待を受けた覚えはございませんので、即刻帰らせていただきます」
「残念ながら、それはできません。あなたには、これからずっとここにいてもらいます……私の妻としてね」
ラムザート様は、至極当然のことのように言い切った。
他人の人権などお構いなしで、貴族として権力者としての傲慢な顔がそこにあった。
「無理やり誘拐して監禁……こんなことが許されると思っているのですか? 今度私へ不敬を働いたら、処罰されると聞いておりますが?」
「ハハハ、露見しなければいいのですよ。世間が聖女様の行方不明事件で大騒ぎをしている間に、私は別の正妻を娶ります。表向きのね。もちろん、ドイル家の跡取りは、美しく聡明で魔力も高いあなたとの子ですけどね。男子なら優秀・女子ならばさぞかし可愛らしいでしょうね……実に楽しみだ」
ニコニコしながら近寄って来るラムザート様から私は逃げる。
結界魔法があるとわかっていても、傍に来てほしくない。
「逃げても無駄ですよ。この離れには、私とあなたの他には魔法で操られている従僕と侍女しかおりませんから」
さすが王族を警護する近衛騎士だけあって、ラムザート様の動きは俊敏だ。
私はあっという間に追いつかれ腕を掴まれそうになったが、その時バチンと大きな音がした。
振り返ると、手から血を流して呆然と立ちすくむラムザート様がいた。
私の結界に阻まれ、指をケガしたようだ。
「これが聖女の結界魔法か……恐ろしいほどの威力だな。でも、果たして魔力がいつまで持つか」
そう、この結界は、私の魔力が尽きてしまうと消滅してしまう。
今は特に最大限の結界を張っているので魔力消費量が半端なく多いが、この状況下では通常のものは心許ないので、自然回復量が消費量を上回ってくれることを祈りたい。
日が暮れ暗くなってきた窓の外を眺めていたラムザート様が、私に視線を戻す。
「……そろそろ食事にしましょうか。特に今日はあなたと初めての晩餐ですから、ぜひお付き合いいただきますよ。ただし、逃げようと思っても無駄ですからね」
おそらく全ての窓という窓に鉄格子が設置され、ドアには鍵がかかっているのだろう。
とりあえず体力と魔力の温存のためにも、今は下手に動かない方がいい。
全く食欲はないが、おとなしく付き合うしかなさそうだ。
本当なら、今ごろはシュバルツ公爵家の皆さんと美味しい夕食を食べているはずだった。
(オーランドさん、心配しているだろうな……)
少々過保護な護衛騎士の顔を思い出した私は、心細くて涙が出そうになるのをグッと堪えドアへと向かう。
半分開いたドアを手で押さえ、こちらを向いて私が来るのを待っていたラムザート様が「ガツン」という鈍い音と共に突然崩れ落ちた。
あっという間の出来事に私が驚き固まっていると、ドアの先に長い棒のようなものを手にした男性が立っている。どうやら彼からの不意打ちで、後頭部を殴られ気絶したようだ。
「驚かせて申し訳ありません……おケガはありませんか?」
「あっ、はい」
男性は手に持っていた棒を遠くへ放り投げると、部屋の中へゆっくりと入ってきた。
「弟が大変無礼な真似を働き、申し訳ありませんでした」
「弟……ですか?」
私に深々と頭を下げた男性の顔をよく見ると、ラムザート様によく似ている……というか瓜二つだ。
ただし、瞳の色が違った。
右目はラムザート様やオーランドさんたち王家の男系血族の方々と同じ碧眼だが、左目は翡翠のような深い緑色だ。
(前世で近所の猫がオッドアイなのは見たことがあったけど、人は初めてかも……)
「私はリムバートと申します。ラムザートは私の双子の弟ですが、誰に似たのか昔から権力欲が強くて……」
リムバート様は、はあ……とため息を吐く。
「まさか、聖女様を娶るためにここまでやるとは……我が弟ながら、呆れてものが言えません。とにかく、あなたがご無事で良かったです」
助かったのだとホッとし、行儀悪くもその場に座り込んでしまった私の傍までやってきたリムバート様が、そっと手を差し出してきた。
「聖女様、立ち上がれますか? よろしければ、お手をどうぞ」
「あ、いえ……自分で立てます」
別人とはわかっていても先ほどのことがあり、どうしても嫌悪感が先に立つ。
申し訳ないと思いながら、自分で立ち上がった。
顔を上げると、悲し気に目を伏せるリムバート様の姿が目に留まる。
「……ラムザートと顔が同じだから、私のことも嫌いになりましたか?」
「その…申し訳ございません、リムバート様。助けていただいたのに、お礼を申し上げることもせずに……」
無作法な私の態度に「そんなことは、別に気にしていない」とリムバート様は微笑んだが、青と緑の双眸が遠慮なく私を見据え、思わず視線を逸らした。
「……名前を聞いても、昔みたいに『リム』って呼んでくれないんだね」
「えっ?」
「やっぱり、本当に忘れちゃったか。でも、仕方ないよね。だって十年だもん……」
リムバート様の口調がガラリと変わり、まるで子供のような話し方になった。
私を見つめる瞳はとても穏やかで優しいのに、なぜか寒気を感じてしまう。
「あの、私はそろそろ失礼させていただきたいのですが……」
「君との約束を果たすためだけに、ずっと頑張ってきた。だから、約束のためになるならとちょっと手助けしてやったら、まさかいきなり君に手を出そうとするんだもんな。ホント……殺してやろうかと思ったよ。まあでも、コイツのおかげで計画が上手くいったんだから、今回はこれくらいで勘弁してやるか」
リムバート様は、気を失って倒れているラムザート様に近づくと思いっきり蹴った。
「止めてください! あと、私はもう帰らせていただきます!!」
次々と理解不能なことが起こりすぎて、頭がおかしくなりそうだった。
もう一秒でも早くここから出たい。徒歩でもいいからシュバルツ公爵家に帰りたい。
しかし、私の願いもむなしくドアは再び閉じられた。
「君の帰る場所は、ここ。約束通り君を迎えにきたんだよ、ミサ。ボクの愛しい人……」
「人違いです! 私は約束なんて知りません!!」
リムバート様が何のことを話しているのか、全く理解できない。
「誰かと勘違いしている」「私は今日、あなたと初めて会った」何度そう訴えても、彼は聞く耳を持たなかった。
「本当はね、何度も君を迎えにいったんだよ。父上にお願いして孤児院から引き取ってもらうとか、他国の間者に見せかけて君を連れ去るとか……全部失敗したけど」
彼が語り始めたのは、過去の出来事だった。
(この人が、数年前の誘拐犯だったなんて……)
「仕方ないから、ボクが直接出向いたこともあったのに。あの日魔物たちさえ襲来しなければ、舞踏会で君とダンスを踊る相手は、オーランド君じゃなくてボクだったはずなんだ……君が聖女と呼ばれる前から、ボクたちは友達だったのにね」
私たちは十年前に出会い友達だったと彼は言うが、私はまったく記憶にないのだ。
「でも……心配しないで、君がボクを忘れてしまっても大丈夫なように、おまじないをかけておいたから」
「お、おまじないって……何ですか?」
恐怖で体が震えてくる。
どこか歪んでいて、一人だけ夢の世界にいるようなリムバート様。
まともに意思の疎通ができない彼が、これから私に何かをするらしい。
誰か助けて!と思ったときに真っ先に思い浮かんだのは、やっぱりあの人の顔だった。
「これを発動させると、他の人みたいに感情の乏しいお人形さんみたいになっちゃうけど、一緒にいるためにはしょうがないね。ボクとしては、このままの君が一番好きなんだけどな……」
「わ、私には結界魔法がありますから、触れることはできませんし何も効きませんよ!」
「フフフ……問題ないよ。すでに掛けてある魔法を、再発動させるだけだからね」
リムバート様はにこりと笑うと、ゆっくりと詠唱した。
「再構築<リ・バース>」
残念ながら、彼の言っていたことは本当だったようだ。
目の前がだんだん暗くなってきて、何者かに自分の精神を乗っ取られていくのが感覚でわかる。
私は必死に抵抗するが、じわじわと浸食されていく。
(ああ、これが魅了魔法なんだ……)
こんな時なのに、馬車の中での出来事を思い出していた。
困惑しているオーランドさんに拝み倒して、検証実験をしてもらったこと。
そっと手を握られ、初めてドキドキしたこと。
それから、ダンスを踊ったり、街歩きをしたり、乗馬をしたり……
思い返せば、オーランドさんと一緒にいると楽しくて、心地よくて、そして……
私はいつもドキドキしていた。
ちょい腹黒で、
たまに子犬っぽくて、
キラキラ王子様オーラ全開の
私の大切な護衛騎士。
ようやく自分の気持ちに気づいたのに、私はこの気持ちを忘れてしまうのだろう。
これからは、生ける屍となって生涯を終えるのだ。
知らない間に、涙が頬を伝っていた。
あなたを忘れたくない。
もう一度会いたい。
これからも隣にいたい。
オーランドさん、私はあなたのことが好……
暗闇に囚われ、ここで私は意識を手放した。




