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春よ、来い  作者: 澪亜
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後編

ひらり、ひらり。

真っ白な雪が、宙を舞う。

見おろせば、真っ白な雪景色。

道も畑も何もかも等しく覆い隠している。

私の心の中に燻る怒りや、悲しみも覆い隠してくれれば良いのに。


「はい、コレ。終わった分」


冬は外でのノルマがない代わりに、裁縫だとか家の中でのノルマが課せられている。

正直細かい作業は苦手だけど、そうも言っていられないので黙々と作業を進めていた。


「お疲れさま、沙羅」


「結衣こそ、お疲れ。体、大丈夫?」


結衣は春の終わりに運命の人を見つけ結ばれて、妊娠している。

まだお腹の膨らみはないけれども、刻一刻と終わりの時が迫っているような気がして素直に喜べなかった。


「大丈夫だって。病気じゃないんだから。私より、沙羅の顔色の方が悪いと思うけど……大丈夫?」


……大切な友だちの幸せを素直に祝福できないなんて、何とも情けない。

けれども大切な友だちだからこそ、やがて来る別れの時を想像すると胸が苦しかった。


「うん、大丈夫。針仕事、苦手だからさ。早く春が来ないかな、って」


「なんだ。アレ、気になっているんじゃないかって」


結衣の視線の先には、樹がいた。

そして彼の横には、可愛らしい女の子。

確か、名前は舞。


どうやら最近、彼女は樹が運命の人だと積極的に詰め寄っているそうだ。

……二人が仲良さそうに一緒にいるのを見ていると、胸がモヤモヤするといのが正直なところ。


けれども村の外に出たいと願う自分が、二人の邪魔をする訳にはいかない。

何より樹とは「村の外に出たい」という話をしてから気まずくなって、あまり話さなくなっていた。


「ううん、別に。お似合いだと思うよ。さっさとくっつけば良いのに」


そうしたら、心置きなく外に出られる。


次、桜が咲く頃に……私は、外に出るつもり。

何もかも置いて。

結衣や樹と離れるのは嫌だし、この村に残る二人のことは心配だ。

けれども、私はもう……自分の気持ちを誤魔化せない。


ここに残れば私は緩やかに死んでいき……そうして、廃棄の日を迎えるだろう。

願いを諦めるということは、そういうことだと思う。

それだけは、嫌だった。


今は、唯ひたすらに旅の始まりを待っている。

早く……春よ、来い。

雪が溶け、桜が舞い落ちる季節よ。

瞼の裏に浮かぶその景色の訪れを、今か今かと待っていた。




仕事が終わり、風呂を楽しむ。

冬の風呂は、気持ち良い。

寒さで縮こまった体が伸び、体の隅々まで血液が運び込まれるのを感じる。

疲れをお湯で流し、出た。


窓から外を眺めれば、相変わらず白の世界。

足跡一つ付かないその景色は、ただただ恐怖を感じる。

……まるで、この村から逃げることは許さないと、言われているようで。


その白をめちゃくちゃにしたいと、衝動的に外に出る。

一つ一つ足跡が付くたびに、何故だか達成感と安堵を感じた。


「何をしているんだよ」


背中越しに、声が聞こえた。

それは、よく知った声。

けれども、最近とんと聞かなかったそれ。


「何してるんだろうね」


振り返れば、思った通り樹がいた。


「風邪ひくぞ。もう一回、風呂に入って体を温めておけ」


久しぶりの会話だというのに、樹はいつも通りだった。

まるで、私と彼の関係性は何も変わりがないとでも言うかのように。


「うん、そうだね。……でも、もう少しだけ、こうして遊ばせて」


「ダメだ」


「えー……でも、楽しくない?最近、こうして雪で遊ぶこともないじゃん」


「病気になって、能率が落ちたらどうするんだよ。……俺たちは、もう子どもじゃない。病気になってノルマがこなせないなんてなったら、それだけで廃棄が決定する。自分の体調管理もノルマの内だ」


「樹は心配性だなあ……」


「俺は……っ!お前の廃棄の日なんて、見たくない」


軽口に対して、樹は真剣な眼差しで叫んだ。

それだけで、何故か私の心は満たされてしまった。

さっきまで不快に思っていた雪景色も、もう、何も感じない。


「そうだね。私も、樹の廃棄の日なんて見たくないよ……」


そう呟きつつ、中に戻ろうとする。


「……なあ、俺はどうすれば良い?」


けれども、樹の問いに足を止めた。


「……何?急に」


「お前に、死んで欲しくない。お前が廃棄される日を想像するだけで……壊れそうになる」


背中越しのその言葉に、つい、振り返った。

止めるためだと、思った。

幼馴染の私が、外に出ようとすることを。

けれども、違う。……そう、彼の表情を見てすぐに理解した。

何かを堪えるような彼の辛そうな表情に、思わず声が詰まる。 


「それでも、俺は……お前が、欲しい」


そっと、彼の頬に手を当てた。

……冷たい。

それなのに、その冷たさがより胸を熱くする。


「私も、同じだよ。……貴方が大切。大切なんて陳腐な言葉で、語り尽くせないほど。……でもここにいる限り、叶わない。思いも、願いも、何もかも」


ツウ……と、彼の瞳から、涙が溢れた。

なんて、綺麗。

外聞を憚らず涙を流す彼を、殊更に愛しく感じた。


春を待てば、置いていく人。

けれども、誰よりも、愛しい人。


そっと、彼の手が頬に寄せられた。

私は、黙ってその手を受け入れる。


彼の顔が近づいて来た。

誰も許さない距離に樹がいることに、幸せを感じる。


「……私は、貴方のモノになれないよ。この村に、いる限り。貴方を置いていくとも、置いていかれることもしたくないから」


唇が離れた瞬間、そっと告げた。

小さなその囁きに、樹は笑う。


「一つだけ確かなことは……どんな道を選ぼうとも、お前が消えたら俺は生きていけないな」


そして樹の呟きに、私も思わず笑った。





そうして季節は、巡る。

徐々に寒さが和らぎ、風が優しく通り過ぎるようになってきた。

桜の木には蕾がつき始め、蒼い空に彩を与え始めている。


結衣は、日に日にお腹が膨れていく。

その事実に、私は涙を流した。

我慢できなくなって、結衣の前ですら。

けれども、結衣は……ただ、笑っていた。

それでも、幸せだと。

一緒にいられなくなるのは、寂しいけれども。

それでも、友だちに恵まれただけではなく、運命の人に出会えて。


もうすぐ子が生まれると、結衣は入院した。


やるせなさを抱えながら、私はただただ日々ノルマをこなす。

心の痛みを無視して、外の世界への夢をただ思い描いていた。


季節が一つ過ぎ去ろうとしているのに、あの冬から私と樹の関係性には変わりがない。

どうしても私が、外に出る願いが捨てきれなかったから。

そして彼は、外に出る願いを信じきれなかったから。


だから、私たちは行き詰まっている。

ただただ、今を失くしたくないと表面上楽しんでいるだけ。


その日、私はいつも通りノルマをこなして食事を摂り、そして風呂をあがって自室に向かっていた。

これからいつも本を読む場所で樹と会う。

そのことに、心が浮かれていた。


ふと階段を登ろとしたその時、コロコロとひとりの女性が階段から落ちていたのが目に入る。


「……大丈夫?!」


すぐに駆け寄り、彼女の怪我を見ようとした。

……けれども。


「キャアァァ!」


その悲鳴と共に叫ばれた舞の言葉で、事態は大きく変化した。


「沙羅が、舞を突き飛ばしたわ!!」


騒ぎは大きくなって、ついに張譲人の使者が現れた。


「私は、舞を突き飛ばしてなんかない!ただ、介抱しただけけ!」


騒ぎを収めるため、裁定のために現れた張譲人の使者に釈明するも、暖簾に腕押し。

……誰も、信じてくれなかった。


それどころか、私の悪評はどんどん広がっていった。


……素行が悪い。

態度が悪い。生意気。

村の調和を乱す、悪女。

だから、沙羅が舞を突き落としたとしても何ら不思議じゃない。



日を追うごとに、その呟きもどんどん拡大して行く。  


今じゃ、誰も彼もが私のことを避けていく事実。

それに伴い、噂の中身もどんどんエスカレートしていく。


沙羅は、張譲人たちの寵愛を受けてたのではないか。

だからノルマをこなしていないのに、今まで廃棄されていないのではいか。

卑怯だ。

沙羅は、いらない。村にいても、秩序を乱すだけ。

早く、沙羅を廃棄しろ。

村に、平穏を。秩序を。


……そんな声が、囁かれ始めた。



「……沙羅。次の春における貴様の廃棄が、決まった。同行して貰おう」


使者が無情にも告げた言葉に、固まる。

廃棄されるのは、二十歳の年を迎えてから。

ただし、子どもが生まれた時と……素行が悪い人に対してはその限りではない。


「……っ!私は、毎日ちゃんとノルマをこなしてきました。いきなり廃棄なんて言われても、納得できません」


「言い訳は、審議の場で聞く。……だが、これ程の悪評だ。万が一にでも、覆ると思うな」


とりつく島もない。

その使者は、私の言葉を釈明のためだけだと冷たい言葉を返すのみ。


まるで、死神のようだと思った。


「……ねえ、貴方ほ私と話したことがある!?」


私と使者の間で流言を口にしていた一人に、問いかける。


「私は、貴方と話したことがない。見かけたことすら、数えるほど。なのに、なんで貴方は私が素行が悪いなんて、断じられるの?」


その人は、答えない。ただ、俯くだけ。

その反応に、心の底から侮蔑した。


「ねえ……なんで皆、平気なの!?誰も彼も、私を殺そうとしているのに!例え、直接的に私の廃棄を決めなくとも、貴方たちはその不確かな情報と印象で、今、私を殺そうとしているんだよ」


私の周りを囲む一人一人に、視線を向ける。

誰もが、自分は関係ないと言わんばかりに視線をずらした。


「少しは、考えてよ!貴方たちの憶測が、人一人の命を殺そうとしているのに!……どうして?ねえ、どうして自分の目で確かめないの?私は、目の前にいるのに。どうして私のことなんて何も知らないのに、非難することができるの!?」


……悔しかった。

こんな顔見知りの言葉で、私の命が消えようとしていることが。


ふと、視界の端に樹が映った。

助けを求めるように視線を向けたけれども、彼は視線を逸らす。


……その反応に、心が壊れた。


もう、ダメだ。

誰も、私を信じてくれない。

誰も、私を見てくれない。

だから、救いなんて……ない。


こんなことで、終わりは来るのか。


「沙羅。大人しく、捕縛されろ」


残酷な使者の言葉に、けれども抵抗する気力が湧かない。

私はそのまま、留置所に連れて行かれた。




……もうすぐ、春が来る。

外に出る前に、命の灯火が消えようとしている。


私は、廃棄のその日まで格子に囲まれた独房の中で暮らしていた。


もう、疲れた。

外の世界に出る願いは未だに燻っているけれども、それ以前に……この鉄格子から出ることすら叶わなそうだ。


もう、桜の木に蕾がついただろうか。

春よ、早く来い。

そう願っていたのが、つい、昨日のことのよう。


ふと、外が騒がしくなった。

何だろう……そう思ったけれども、格子の中から何が起こっているのか確認する術はない。


「……元気か?」


聴き慣れた言葉に、顔を上げる。


「……なんで?」


「ごめんな。村を、村の価値観を捨てきれなくて……お前を傷つけた」


「……私が聞きたいのは、何で樹がここにいるのかっていうこと」


「言っただろう?お前に、死んで欲しくない。お前が廃棄される日を想像するだけで……壊れそうになるって。……お前がいない世界で、生きていても仕方ない。お前と共に在れるのなら、安穏とした村の生活なんて捨てた方がマシだ」


「……私と一緒に、外の世界に行ってくれるってこと?」


「どこへでも」


そして、彼は私に手を差し伸べた。

その手を取り、立ち上がる。


そして私たちは、留置所の外に出た。

振り向けば、留置所が火に包まれているのが目に映る。


「……どうりで、見張りも追っ手もいないと思った。樹でしょう?アレ」


「何のことだか」


樹の言葉に、小さく笑った。


「さ、行くぞ」


「うん、行こうか」


そして、私たちは外の世界に向かって走り出す。


「……沙羅!」


途中、何故か結衣に出会した。

既に子どもは生まれたのか、背格好は私の思い出にある通りだった。


「結衣、何でここに!?」


「沙羅が来るかなって。……はい、これ」


渡された紙袋を覗けば、食料と幾つかの生活用品。


「外の世界に行くんでしょう?」


「……どうして?」


「長い間、一緒にいたからね。沙羅が考えていることなんて、お見通し」


そう言いながら、結衣は笑った。


「……結衣も、一緒に行く?」


「私は、ダメ。……子どもがいるし、不満はないもの」


「そっか……」


「……沙羅と会えなくなるのは、残念だけど。でも、貴女の願いが叶うなら私は嬉しい」


「沙羅……」


「幸せにね、沙羅。貴女の運命の人と」


「……沙羅、そろそろ行かないと」


樹の言葉に、ハッと我に帰る。

本当は、一緒に行きたい。ここにいても、結衣はその命を散らすだけだから。


でも、できなかった。

そう言い出せないほどの圧が、彼女から感じられたから。


「結衣!本当にありがとう!」


私は、走り出した。樹と共に。

山に向かって。村の外の世界へと。



ひらり、ひらり。

薄桃色の花弁が、宙を舞う。


まるで私たちを送るように、桜の花が咲いていた。


その桜に背を向け、私たちは山の敷地へと入っていく。


「……ねえ、樹。後悔はない?引き返すのなら、今ならまだ間に合う」


「ないよ、引き返す道なんて。お前と一緒にいれないのであれば、どんな道を選んだって無意味だから」


「……馬鹿」


樹の手が、私のそれを握った。

……温かい。


「ほら、行くか。死の世界に」


「死の世界じゃないかもしれないじゃない。私たちは、生きるために外に出るの」


「そうだったな。まあ、どこでも良いよ。お前と一緒なら」


そして、私たちは外の世界に向かった。

……生きるために。

互いに、共に在るために。



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