ポラーニはもうもたない
074
トロールの巨体がポラーニの街をぐるりと囲む塀に取りつき、引っぱったり、押したり、揺らして破壊しようとする。
「いまだ、かけろ!」
片手をあげて騎士が合図を出すと、桶を持った騎士が何人かトロールに突っ込んでいき、顔面に煮えたぎった油をかけた。
「うががががっっっっっっっっっっ!」
鼓膜が破裂しそうな叫び声をあげながら両手で顔を押さえてしゃがみ込む。
その後ろにいたトロールには陶器の瓶に入った油をぶつける。
魔法士が小さい火弾を撃って点火すると、トロールは燃え上がった。
その間に負傷者は後方に運ばれ、その穴埋めの人員が駆けつけてくる。
僕も穴埋めに入ろうとクロスボウを置いて、大剣に手をかけていたらコチシュ隊長に止められた。
「王子、そろそろ休憩に入ってください。いま交代で食事をとっているので」
「えっ……いや……わかりました」
一瞬、反論の言葉が口から出そうになったが、グッと飲み込んで素直に指示に従うことにした。
ここの指揮官はコチシュ隊長なのだ。
王子だからといって指揮官に従わなくていいわけないよね。
それに実際のところ、お腹は減っている――あまりに減りすぎて感覚がわからないほどに。
食堂用のテントに向かって歩いていくと、その足取りが妙に重いことに気づかされる。
空腹だけでなく、疲労もかなり蓄積しているのだ。
最前線になっている塀を少し離れたところにある大きめの家が臨時の野戦病院になっていて、血まみれの騎士や冒険者が担がれていき、しばらくすると元気に出てくる。
負傷者はいても、死者はほとんど出てないのが救いだ。
前世で僕が得た豆知識の1つに銃で撃たれた人で死ぬのは2割くらいというものがある。
アメリカで集めた統計らしいけど、ちょっとイメージと違うよね。
だって、逆にいうと銃で撃たれても8割の人が助かっている――死ぬ人より生き残る人のほうがずっと多いんだから。
結局、脳とか心臓を直撃したとか、救急搬送されることなく長時間放置されたとか、そんな運の悪い人が死に、すぐに救急車を呼んでもらって病院で適切な措置を受けることができればそうそう死ぬものではないらしい。
それを僕はこの世界にきて納得した。
剣で斬られたり、槍で突かれたり、弓で射られても、なかなか即死クラスのダメージは出ないのだ。
魔法でも同じで、強いものの直撃でも食らわないとそうそう死なない。
これは魔獣の攻撃にも言えることなんだけど、そのかわりこの世界には救急車はないし、医療もそれほど発達してないから、即死しなくても結局は死んでしまう人も多いのだ。
だけど、このポラーニにはフェヘールがいるから軽い負傷なら即座に戦線復帰だ。
とぼしい戦力が減らないというのは大きなメリット。
ちょっと覗いてみるとフェヘールが騎士の肩を治していた。
さっきトロールに吹き飛ばされた騎士じゃないかな?
ひどくて骨折、そこまでいってなければ打ち身だろうか――どっちにしても治癒魔法なら一発でよくなるんだけど。
「クリート!」
僕を見つけたフェヘールが声をかけて、そして急に顔を曇らせ、こっちに駆けてきた。
「どこか怪我したの?」
「いや、だいじょうぶ。いま休憩がもらえたから、昼食の途中でどんな様子か見にきただけだから」
「なんだ……驚かせないでよ」
僕たちの様子を見ていた白樺救護団の人が聖女様も休憩にされたらどうでしょうと提案してくれた。
「朝からずっと働きづめですし、昼食もとらないと倒れます。しばらくは我々だけでも問題ありません」
「そうね……わかりました。すみませんが先に休憩をいただきます。ただし、そのあとは貴方たちも交代で休憩をとっていただきます、いいですね?」
「もちろんです、わたしだってお腹はすきますから」
フェヘールや僕の父親くらいの年齢だろうか、やさしそうな中年男性だった。
そして、僕にも声をかけてくる。
「クリート王子、聖女様をレストランまでエスコートお願いいたします」
「了解しました」
レストランといっても、いまのポラーニで食事ができるのは食堂として使っている大テントしかないだけどね。
メニューも戦場糧秣のフルコースのみ。
硬いパンと、塩味の強くて具の少ないスープ、牛乳――以上という内容のフルコースだ。
味はともかく、栄養と腹持ちには自信があります、というタイプ。
「どんな様子?」
フェヘールは最前線がどうなっているか知りたがった。
あまりいい状況でないことを伝える。
「とにかく魔獣の数が多すぎる。しかも、どんどん強くなっていくんだ。たとえ一騎当千の強者がいたとしても、結局は数の暴力に飲み込まれてしまうからね」
「死者は出てないと思うけど。精神的な疲労や恐怖は別として、怪我は完治させてるから」
「後方に連れてくることができた怪我人は、ね。僕は直接冒険者がやられるところを見たよ。魔獣の群れに飲み込まれたから遺体の回収すら難しいだろうね」
魔獣の腹を割いてパーツを集めたところで、さすがのフェヘールも復活させることはできない――怪我なら治せても、死んでしまった者を蘇らせることはできないのだ。
「死者は出てるのね……日が暮れるまで耐えられるのなら今日は問題ないと思うけど」
「日が暮れたら? 太陽の位置とスタンピードには関係があるの?」
「夜行性の魔獣は意外と少ないから。明日どうするか作戦を立てる時間くらいはできるんじゃないかな?」
「あと何時間か持ちこたえることができれば今日をしのげるわけだ」
交代になるだろうけど、夜には休む時間がとれそうなのは朗報だった。
今日の日の入りから明日の日の出まで、魔獣の圧が減って、見張りをしなければならないとしても、あとは寝ていられるのなら明日も僕は戦えるだろう。
だが、フェヘールのその見通しは甘かった。
夜になるとスケルトン、ゾンビ、グール、リビングアーマー、デュラハン、ヴァンパイアといったアンデッド系の魔獣にかわっただけ。
結局、僕は2時間だけ仮眠することができたけど、これは13歳という年齢と、王子という立場のせいだろうね、たぶん。
騎士や冒険者なんて、その半分も休む時間がなかったはず。
もっとも、撤退戦のときに助けたドワーフのキナに訊くと、それでも贅沢すぎるらしい。
「本当に忙しいときは戦いながら寝るんぢゃ。片目ずつ寝られるようぢゃないと金板冒険者はやってられないぞ、王子。精進することぢゃ」
だけど、そんな無理矢理なことで誤魔化すのも限度があるわけで、朝日が昇ることには10人近く減っているようだ。
そして、僕たちはポラーニを放棄することになった。
「魔法士、デカいのを撃て!」
コチシュ隊長の命令一下、火力の高い魔法が魔獣を蹂躙した。
ポラーニの前面に隙間ができる。
「撤退だ! 全速で後退!」
その間に僕たちは撤退した。
「門を開けろ、火をかけろ!」
僕たちは南門から脱出したタイミングで、バックアップするために残っていた殿が門を開放して魔獣をポラーニに引き入れるのと同時に建物に火を放った。
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