北の果て
051
「山脈の向こう側までいったという話――伝説というべきかな? いろいろあるけど、ちゃんと確証のあるものはないの。とにかく魔獣は凶暴強力になるし、すごく寒いし、なにもしてなくても息が苦しいし、ただ生きていくのだけでも必死にならなければならない場所。だけど、わたくしもいつかはいってみたいと思うのよ。クリートはどう思う?」
「案外、何人もの人がいったことあるかもよ」
「一番有名なのはチヴァスィ王国の最期ね。あそこもウルドゥグ大帝国に滅ぼされた国の1つだけど、王家の血筋が山に入ったという説があるわね。上手く山脈を越えて向こうで王国を興し、とっても繁栄しているという伝説さえあるみたい。何十年か、100年たって戻ってきた人がいて、そんな話をしたとか」
「向こうにはなにがあるんだろうね? こっちに持ってたきたら儲かりそうなものがあるなら、意外と冒険者や行商人が行き来しているかもよ」
「それはうちの山を見くびってるわ。行商人はもちろん、腕に覚えの冒険者だって山頂はおろか、中腹に辿り着くだけでも大変なんだから。クリートも実際にいってみればわかると思うけど」
「それは楽しみだ」
「あまりに楽しすぎて、後で泣きたくなるかもよ? きつい山登りと、魔獣との連戦で、はじめて山に入った人はたいていバテて、吐きながら、泣くから」
いま僕とフェヘールは侯爵家の馬車で田舎道を進んでいた。
道はちゃんと整備されているけど、そこから外れると原野のような荒れ果てた土地が広がっている。
開拓できそうな土地なんだけどメレデクヘーギ侯爵領は年間を通して気温が低い上に、魔獣の密度が濃くて、なかなか難しいらしい。
いまも僕たちの乗る馬車のまわりは侯爵家の騎士が20騎ほど警備についている。
比較的安全が保たれるので、その後ろから乗合馬車や商人の荷馬車が続いていた。
ペースはゆっくりだから、馬車に乗れない旅人や行商人も最後尾を歩いて続く。
王都に近いところは速く走らせていたが、大きな街道がだんだん狭くなり、魔獣の脅威が増してきたあたりで、誰でも随伴できるようにスピードをわざわざ落としたのだ。
一種の領民サービスだったり、領民ではなくても領内にやってくる商人や旅人の保護なのだろう。
そう、僕とフェヘールはメレデクヘーギ侯爵領に遊びにきたのだ。
前から招待されていたしね。
往復で1月はかかるし、せっかくだから領内で魔獣狩りなど楽しみたいと思うので、最低でも2か月ほどの休暇がないと難しいところだけど、バレンシア帝国との友好関係を築くことができたり、コンル・サカーチの杖の件など、それなりに働いたので国王陛下から「しばらく遊んできていいぞ」と言われたんだ。
まあ、一種のご褒美だね。
王子が王国のために働くのは当然だから報酬がなくてもいいけど、せめてご褒美くらいはもらってもいいんじゃないかな?
レシプスト王立学園の学生でもあるけど、こっちも届け出さえ出しておけば問題ない。
なにか用事があって領地に戻る貴族の子弟は結構いるし、飛行機も新幹線もない世界だからね。
そもそも学園生活の主な目的は社交というか、他の貴族との関係を深めるためだし、勉強なら家庭教師に習えばいいのだ。
才能が認められて入学してきた平民身分の学生は領地もなければ、優秀な家庭教師を雇うのも難しいから、休むことなく通学して勉強しているけど。
将来につながるんだし、それなりの身分になれるかもしれないから必死だ。
逆に貴族階級だって出来が悪すぎれば身分がなくなる。
だから、僕なんか勉強も魔法も2人の兄にまったくかなわない出涸らし王子などと呼ばれていたから危なかったかもしれないけど、このところ功績といえるものができたから急に椅子が消えてなくなることはなさそう。
まあ、僕自身は王子でなくなるのなら冒険者になろう――いや、むしろ冒険者になりたいから王子の身分はいらん! と思っていたけど。
「あら? これは………………」
急にフェヘールが戸惑った声を上げる。
ほぼ同時に僕も気づいた。
馬車の周囲は安全――というか、侯爵家の騎士団が精鋭のおかげだろう。
あえて近寄ろうとする魔獣はいなかった。
逆に慌てて逃げ出す気配ばかり。
ところが、こっちに急速接近する魔獣がいる。
しかも、気配からして10頭以上。
僕たちの乗った馬車ではなく、その後ろに続く乗合馬車や荷馬車でもなく、さらに後ろの徒歩でついてくる人たちが狙いらしい。
「いこう」
馬車に乗れない人たちもついてこられるようにゆっくり進む馬車の扉を開けて、そのまま飛び降りた。
フェヘールも躊躇わず後に続く。
侯爵家の騎士たちもすでに状況がわかっているようで、5騎が後ろに走っていき、僕たちの姿を見て、さらに追加で5騎が追ってきた。
襲ってきた魔獣が見えてくる。
あれは……フォレストウルフの群れだ。
行商人や旅人が逃げ惑う中、立ち向かおうとしている人も何人かいた。
冒険者のパーティーだ。
12頭のフォレストウルフはものすごい勢いで、立ち向かおうとしている冒険者たちに突っ込んでいく。
この世界ではなかなか見ないスピード感で、あえていえば1000ccはありそうな大型バイクが暴走しているようなイメージ。
冒険者たちがなにか叫んでいる。
何本か矢が飛んだが、かすりもしない。
冒険者たちは剣や槍を向けるが、速すぎるフォレストウルフに対応できなかった。
5人がフォレストウルフに噛みつかれる。
そのうち2人は剣を振りまわして、自力で魔獣の顎から逃れた。
侯爵家の騎士が追いつき、フォレストウルフに向かって大声で威嚇すると、さらに1人が逃げ出すことに成功する。
だが、残りの2人は咥えられたままフォレストウルフの群れとともに原野に消えた。
僕たちがやっと追いついたときにはすべてが終わっていたといっていい。
フェヘールが負傷者をすぐに治療したが、さらわれた2人を取り戻すことはできないだろう。
いちおうは整備されている街道でさえ2人が犠牲となり、それでいてフォレストウルフは損害なし。
原野ならなおさらフォレストウルフが有利で、救助隊を出したところで二次被害が出るだけで、下手をしたら全滅する――いや、確実に全滅だ。
「ほら、見えてきたでしょう?」
治療を終えたフェヘールが戻ってきて、進行方向を指した。
その声に振り替える。
巨大な土や岩の塊が天を目指して大きく、大きく盛り上がっていた。
こっちに圧をかけてくるような迫力だ。
ここは王都の常識が通用しない場所。
アルフォルド王国の北の果て。
魔獣は僕たち人族が一方的に狩るものではない。
むしろ人族は魔獣にとって足が遅く、攻撃力も防御力も低い割にボリュームのあるエサなのだ。
美味しいエサかどうかは知らないが、狩りの難易度はそう高いほうではないはず。
「うちの山、どう?」
「すごいね……すごい。あそこにいくんだね」
フェヘールは「うちの山」と気軽に呼んでいるが、家名の元となったメレデクヘーギ山脈はアルフォルド王国だけでなく、この大陸で最高峰の山が連なっているのだ。
ただ標高の高い山が肩を並べているというだけでなく、気温が低くて標高の高いところは雪が絶えず、凶暴な魔獣の巣窟でもあり、信用できる記録上では山頂まで到達した人はいない。
この山脈を迂回するルートはなく、両端とも海につながっているが、こちらはもっと危険で海中にいる巨大な魔獣に襲われて、船は沈没、乗組員は誰も帰ってこないことになる。
造船技術が発展して、大砲が開発され、戦艦とか駆逐艦みたいなものが建造でき、何十隻もの艦隊が編成できるようになったら、あるいは突破も可能かもしれないけど。
つまりメレデクヘーギ山脈の向こうがどうなっているかは未知の謎であり、この世界の疑問となっていた。
フェヘールの御先祖様たちも何度となく探検隊を出したみたいだけど、山頂に続くルートを少し開発できれば上等で、壊滅したとか、それこそ全滅して1人も戻らなかったときさえあるらしい。
「あの人たちも探検隊の噂を聞いてきたみたい」
フェヘールの視線を追うとフォレストウルフにやられた冒険者のパーティーだった。
自衛のため旅人や行商人でも短剣くらいは持っているが、本格的な武器だけでなく、しっかりとした防具まで装備している冒険者だから、何年も活動している中堅クラスのように見える。
「かなり盛大に募集をかけるんだね」
「逆に募集していることを伏せてるんだけどね。普段だって稼げる場所だと聞いて自分の腕を過信したあげくに帰ってこない冒険者は多いから」
「でも、噂として広がってしまう?」
「そう。麓でも他より稼げるのに、中腹までいければ一攫千金。その先だと価値は計り知れない。滅多にいない魔獣だけでなく、稀少な薬草とか鉱石とか、いろいろあるから」
「でも、フォレストウルフを相手にできない程度でだいじょうぶなの?」
「だいじょうぶではないわね。さっき少し話したけど、遠くの地方で活躍していた冒険者のパーティーで、そこでは腕利きとして名を売っていたみたい。だけど、うちの山では無理……毎回そういう冒険者が押しかけてくるの。こっちが断っても勝手に後ろをついてきて魔獣のエサになってしまってね」
フェヘールが溜息をついた。
第何回になるのか第何十回になのか僕は知らないけど、またしても探検隊が組織されることになって、僕たちはそれに参加するためメレデクヘーギ侯爵領へとやってきたのだ。
参加を断っても勝手についてくるほど、参加したがる冒険者が多いみたい。
ここより遙かにのどかな地元で冒険者としてそこそこやれたという事実が過剰な自信につながり、大金に目が眩み、わざわざ自分のほうから死地に飛び込んでいくのだろう。
パーティーの生き残りは諦めて地元に帰ってくれるといいのだが。
まあ、いまは他人の心配より自分の心配だな。
僕だって探検隊にくわわるからには魔獣のエサになる可能性だって結構あるのだ。
ご褒美なのか、罰ゲームなのか、なかなか判断に苦しむけど、僕にとってはご褒美になるのかな?
フェヘールの父親である当代の侯爵自身が陣頭指揮でやるらしいので、さすがに全滅覚悟のアタック隊ではないだろうし。
もうね、魔獣狩りが楽しみすぎるよ、本音で言うとね。
いろいろあってメンタルが死んでましたが、やっと復活!
連載再開します。
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