フレドリカ先生の課外授業
028
昼休みに禁書庫を当たってみたものの収穫らしい収穫がなかったので、放課後にフレドリカ先生の研究室に押しかける。
魔法と歴史、どちらを担当する教師がいいのか迷ったけど、伝説の魔法士についてだし、長く生きているエルフ族らしいので、どっちについても詳しそうだ。
手紙の写しを見せて、焦土の魔女と呼ばれたコンル・サカーチのことを調べていることを伝える。
「先生はこういう手紙には詳しいですか?」
僕はフレドリカ先生に尋ねる。
この学園の教師は同時に担当教科の研究者でもあるので、フレドリカ先生の研究室は本や資料でいっぱいだったけど、ちゃんと本棚におさまっているので乱雑な印象はまったくない。
フレドリカ先生は整理できるタイプの研究者なのだ。
「まず、殿下は手紙とおっしゃいましたが、これは手紙ではありません。この用紙はウルドゥグ大帝国の公用箋ですね。どちらかというと公文書というほうが正しいように思います」
「メモをとったとか、誰かに知らせる個人的な文章ではなく、公式な指示書とか命令書のようなものだと?」
「そうですね。内容からしてもわかると思いますが、これが書かれた時点でコンル・サカーチは死亡しています。これは日付でもわかります。この年の4月に彼女は亡くなったというのが通説で、なにしろ伝説の大魔法士と呼ばれていますから真偽の定かではない噂話も多いのですが、ウルドゥグ大帝国の近衛魔法士団の団長ですから公文書にも名前が残っていますし、貴族などが書き残した日記にも記述が散見されますから、おそらく間違いないでしょう」
「杖を渡すというのは、形見とかそういうことですか? 魔法士としての後継者とか」
「愛杖をセープ・ロストーツィ殿に渡すこと――間違っているわけではないですが、ここの『渡す』というのは文脈からすると『返す』とか『返却する』というニュアンスが強くなりますね。現代でも王族の所有物の場合、それを下げ渡すときには下賜とか下げ渡すというような表現を使うでしょう?」
「先生はセープ・ロストーツィという人物をご存じですか? 僕が習った範囲ではロストーツィという貴族家は聞いたことないですけど」
「現在ではロストーツィといえば王都のすぐ北にある街を指しますが、600年前は未開発で、大きな森が広がっていたのです。それこそ、この王都も森の一部になるほどの。当時の地図だと、このあたりも含めてロストーツィ大森林と表記されています。すでに途絶えた人族の貴族名ではなく、このあたりの森に住んでいた氏族のことになりますね」
「ああ……人名だと勝手に思い込んでいたからわからなかったけど、大森林は習いました。その氏族ということはエルフ?」
ハッと気づいたフェヘールが先生に問い返すと、先生はにっこりと頷いた。
「エルフは魔法に優れます。また、魔法士の杖は高性能のものですと命中精度や威力増幅、精度向上など、いろいろ効果がありますからね。これだけでは判断できませんが、焦土の魔女はエルフ謹製の高性能な杖を愛用していたのかもしれませんね。ただし、譲られたのではなく、貸し与えられたもので、死亡時に返却という約束だったのでしょう」
推測に推測を重ねても正解に近づく保証はありませんけど、とフレドリカ先生は続けた。
600年前にロストーツィ大森林の保護などを条件にエルフから杖を借りてウルドゥグ大帝国は大陸統一に乗り出す。
一部でゲリラ的な活動をする氏族や、小規模な反乱が何度も起こっているが、だいたいウルドゥグ大帝国が大陸を統一し、そしてコンル・サカーチが死亡すると杖はエルフたちに返却される。
そののちウルドゥグ大帝国が衰退してきて、有力貴族が独立を宣言して争いになるうちにロストーツィ大森林は焼かれ、あるいは平時には開拓され、いまでは各所に面影が残るのみ。
「エルフもすっかり見なくなりましたね」
「長寿な種族ですから、あるいは当時のことを直接知っているかも」
「昔のロストーツィ大森林の一部であった王都より、むしろ辺境のほうが多いでしょうね。このあたりには小さな森はいくつもありますけど、大規模な未開拓地はありませんから。むしろ、あなたのご領地、メレデクヘーギ侯爵領のほうが多いくらいのでは?」
「います、エルフ。領内にある森林の一部がエルフの自治地区として協定が結ばれていますし、そこから出て街で働いている者も。冒険者をやっているエルフも結構いますね。もちろん、うちで雇うことも」
「当時、ウルドゥグ大帝国とエルフの間にどんな協定が結ばれていたか詳細はわかっていませんが、なんらかの約束事はあったのでしょう。それはウルドゥグ大帝国だけでなく、併合される前の国々にもエルフと共存していたところもあったのかもしれません。それから600年もたってみると、この大陸は人間にとって住みやすいものになりましたが、逆にエルフにとってみるとテリトリーがどんどん縮小していく年月だったのかもしれません」
そういえばフレドリカ先生は長く生きる純血エルフだった。
ひょっとしたら人間の国だけがどんどん発達し、エルフは国らしい国を持ってないところになにか感じるものがあるのかもしれない。
エルフは氏族ごとで集団を作ることはあっても、それを束ねて1つの国にするという発想はないみたいなんだよな、確か。
村くらいの規模しかないエルフと、国という単位になった人間が争えば勝負にならない――歴史上エルフと人間が直接戦争になったことはないから、そもそも争う以前の段階でエルフは森を追われ、そこに開拓団が入植してるんだろうね。
最後にフレドリカ先生はエルフやその森について興味があるのなら、そのあたりを専門にしている研究者を紹介してくれた。
「ズルドといいますが、おそらくこのころの歴史やロストーツィ大森林については王国トップの研究者です。発掘調査でしばらく留守にすると聞いていますが、そろそろ戻ってきてるはずですよ」
このアルフォルド王国でもトップクラスの魔法士として名高いフレドリカ先生をして王国一と言わせる研究者ならきっと興味深い人物だろうね。
フェヘールと相談すると、そのズルドという名前の研究者のところにいくだけいって挨拶だけでもしておいたらどうだろうという話になった。
あまり遅い時間まで連れまわしていると、マッスル神みたいなお父さんが僕の身長よりデカい剣を振りまわしてお説教になるからね。
肉体言語でのお説教は正直勘弁してもらいたいです。
本当は迎えにきたはずのメレデクヘーギ侯爵家の馬車で目的地まで送ってもらう。
「ズルドさん……家名はないのかな? フェヘールは知ってる?」
「知らない。少なくとも、わたくし、その名前を聞いた記憶はないかな? 歴史が専門だけど、学園とかで教えてるわけではなさそうね」
「いや、家名がないということは平民だよね。お金にならない研究をしている平民がいるなら噂になってそうだと思って」
「冒険者かも」
「冒険者が引退して学者になるの?」
「フレドリカ先生は遺跡の調査でしばらく留守にしてるとおっしゃってたわ。引退しているのか、まだ現役なのかは知らないけど、古い遺跡が専門の冒険者っているのよ。お金を持ってる骨董品の収集家は多いから、珍しい遺物を見つけて大金を稼いでいる冒険者もいるし、直接稼ぎにつながるから知識も豊富」
「もし冒険者なら商売のタネを無料で教えてくれるわけないよね? 僕、財布ないよ」
「報酬が必要なら本人から金額を聞いて用意したらいいわ」
「場合によっては木札の冒険者証を再び使うときがくるかもしれないね。さすがに王子と侯爵令嬢がそのあたりの店でアルバイトするわけにもいかないし、僕たちが稼ぐには偽名で冒険者しか方法がないよ。大金をよこせという、がめつい冒険者だといいな」
「なんだか目的がおかしくなってない?」
「でも、たまには狩りにいきたいよ」
「王都周辺だとそうそう魔獣はいないでしょう? うちの領に遊びにくるときまで我慢しなさい」
「はいはい」
御者がすぐに目的地だと声をかけてきた。
王都の郊外、建て込んでいた家がまばらになり、かわりにあちらこちらに雑木林などが点在している。
ロストーツィ大森林だったころの面影だろうか?
訪ねる先の家は小さな林の中にあり、傍らには周囲を圧倒する太くて、高い木が生えていた。
「見張られてないか、あの家?」
「ん? ああ……隣にある大木に5人もへばりついてるわ」
ごく微量の魔力を周囲に展開する探知魔法だ。
レーダーに例えればいいのか、ソナーに似ているのか、完全に原理を理解しているわけではない僕のあやふやな説明を元にフェヘールがなんとか再現したもの。
身体強化を筋肉だけでなく、五感も強化することによって、僕もある程度は気配や殺気を感知することができるようになったが、精度では探知魔法にまったくかなわない。
なんとなく木の枝や幹に人が隠れていることは僕にも感じられたのだが、それ以上はわからないから助かった。
しかし、面倒なことになった。
王城や、それに隣接する学園、さらには貴族の邸宅があるエリアは衛兵の詰め所があちらこちらにあって、巡回もしているから、アルフォルド王国でもっとも治安がいい。
王子である僕にしても、侯爵令嬢であるフェヘールにしても、護衛をつけなくても安全なのだ。
そして、そのままここにきてしまったので僕にもフェヘールにも護衛がついてない。
頼れる戦力は自分たちだけ。
「ズルドさんはいた?」
建物の中に人の気配はなかったが、フェヘールにも確認しておく。
「いない、と思う。フレドリカ先生はそろそろ発掘調査から戻ってくるころとおっしゃっていたけど、まだ帰ってないのかもね」
「その5人は帰りを待ってるわけだ。泥棒ならさっさと金目のものをあさって逃げ出すだろうし、わざわざ見張っているということは本人に用事があるんだろうなぁ……」
「身を隠して待ち伏せしているのだから、ズルドさんを殺すつもり?」
「殺害に5人は多いような気がする。それともズルドさんは手練れなのかな? まあ、魔獣の巣になっているような遺跡に平気で突っ込んでいく冒険者崩れの研究者だったら、かなり強いと思うけど」
「誘拐?」
「どっちにしてもフレドリカ先生の友人が危ないことになりそうなのに放置はできないよ。まあ、そうはいっても現段階でその5人が犯罪を目論んでいると、僕たちが勝手に断定してしまうのもどうかと思うので、とりあえず話を聞いてみようか?」
「やりすぎ注意ね、わかった」
「それで……どうする?」
「とても怪しい雰囲気だけど、いまのところ犯罪ではないというのなら、別に小細工はいらないと思うけど」
聖女などと呼ばれることもあるフェヘールだけど、荒事になりそうでも平然としているところはメレデクヘーギ侯爵家の人間だ。
僕のほうも朝からずっと大剣を担いでいるのだから、少しくらいは使いたい気分。
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