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無貌無名 《side mythology》

「┝┯……」


褐色銀髪の少女は、一切感情を感じさせない視線をミソロジー達へ向ける。彼女の手首から指先にかけては真っ赤に染まっており、先程までクロゥフの立っていた場所には血溜まりが出来ている。その血溜まりから背後へ点々と血痕が続いているのを見るに、おそらくクロゥフは背後へ弾き飛ばされたのだろう。


「┌┷┐┬┌┷┐」


金切り声のような大声なのに、少女の口は囁くようにしか動いていない。肌を伝わるその異質さに、ヴィットは思わず身震いした。


「何て言ったんだ……? 『うぃ、う』?」

「はてさて、何者でしょうねえ」


ミソロジーが苦労したほどのスピードを持つクロゥフ。そのクロゥフが回避行動を取るまもなく吹き飛ばされてしまった。この事実が、目の前の存在の脅威を裏付けている。

回避のプロセス、近づいてくる物体を反射した光が目に飛び込み、脳が認識し、信号を筋肉へ伝達し、回避する。クロゥフは神経が強化されており反応速度は人間とは比べ物にならない。そのクロゥフが弾き飛ばされたということは……


「光より速く……? そんな生物がいるとは考えにくいですね」


野球のボールを光の速さで投げればどうなるかという物理演算では、野球ボールの分子と空気の分子が衝突しプラズマ大爆発が起こるという結論だった。光より速く動けば、その身体が無事では済まない。


「マイ。構えているぞ!」


ザイネロの声にハッとしたその瞬間には、褐色の拳はミソロジーの鳩尾を貫いていた。ヴィットやザイネロは息を呑んだが、よく見てみれば拳が貫通している部分のみくり抜かれたように変形しており、ダメージは無いようだ。


「……┷」

「申し訳ありませんが、排除します」


ミソロジーがノーモーションで拳を少女の鼻頭へと叩き込む。ゼロ距離で最大幸福を発揮し分子をバラバラにする分子分解パンチである。少女の顔は輪郭だけが残り、棒人間の頭部のようになった。


「┌──┘」


少女はうめくような声を上げながら、一歩ずつ後退していく。ミソロジーはなおも警戒を緩めない。というのも、少女の肌の色や髪の色が所々変色しているのだ。その変色の具合によって、少女は周囲の背景に溶け込んでいるようにも見える。


「ああ、なるほど。私と同じことを……彼にちゃんとネタばらしをしておけばよかったですね」


見えないほど速いのではなく、単純に見えない。高速と不可視化を織り交ぜた攻撃だったのだ。ゆえにクロゥフは攻撃を食らったのである。それは理解できた。

だが、問題は目の前の敵性存在が不定形ということである。顔のない状態であっても少女は、真っ直ぐミソロジーの方を向いている。


「あなたは、何者ですか」

「┠┥┿┰┝」

「きちんと、私に分かる言葉で答えてくださいな」


ヴィットは怪物相手に何を言っているのかと思ったが、少女の喉がもごもごと蠢き、顔に空いた穴から空気の漏れるような音がし始めている。言葉を、話そうとしているのだ。


「……┰ァ」

「?」

「あなたは、なにものですか」


その声は、ミソロジーに酷似していた。しかし質の悪い録音機器のように、どこか音調の狂っており、不気味に感じてしまう声だ。

ミソロジーは落ち着いて答える。


「私はミソロジー。今、戦神ショウジョウを調伏し平和に暮らそうとしている者です」


するとしばらく考えた後に、少女が答える。


「わたしは、なまえがありません。かおもありません。すべてがだれかのまねをしています。なにもないです。でもわたしはいままでふたりのかたとたたかい、かちました。だからわたしは、そのかたよりつよいものです」

「なるほど、では無名無貌のあなたは、今何をしようとしているのですか?」


質問をしつつもミソロジーは、この存在が自分と戦おうとしているのに気がついている。底知れない敵意、しかし悪意ではない純真な闘争心。人間のようであり、獣のようである。


「たたかうと、そのひととわたしのちがいがわかります。つよい、よわい、とてもわかりやすい。だれかがいるからわたしはわたしがわかります。あなたとたたかって、もっとわたしは、わたしをしりたい」


戦徒の特徴、それは戦う理由が明確に決まっている事だ。あのクロゥフは勝つためにあらゆる努力をすることの快感の為に戦うと決めていた。そして目の前の存在も、同様に自分を知るために戦おうとしている。


「……よろしい。かかってきなさい」


その一声で、少女は獣のようにミソロジーに襲いかかった。振りかぶった爪は剣のように伸びており、しかも風景に溶け込んでいる。

ミソロジーはすんでのところで爪を避けつつ、真剣に拳を構えて少女の胸の中心辺りを殴り飛ばした。少女にできた二つ目の穴から、分子の超振動による衝撃波が放出される。


「不定形であるのに、修復をしないのですか?」

「あなたがなぐってできたかたちは、いまこのときわたしだけのかたちです」

「なるほど、あなた、愛おしいですね」


屈曲したやり取りの中、少女はミソロジーの拳から学んだのか、背中から二本の巨大な腕を生やし始める。それは褐色というよりは青みがかった黒であり、穴から見える彼女の内部と同様の色をしていた。


「わたしはつちのうえにたち、そらのしたでたたかう」


振り回した腕は空を切るが、拳は地面に叩きつけられ大量の礫をミソロジーへと飛ばした。ミソロジーはこれを難なく転移させ、少女の肩を目がけてかかと落としを回転を加えつつお見舞いする。

少女は衝撃で地面にめり込むが、しかししっかりと少女の肩からは手が生えており、ミソロジーの足首を掴んでいた。


「む」


同時に拳が振り下ろされ、ミソロジーへと直撃する。戦界へ入ってから初めてまともに攻撃を受けたミソロジーは、空中へと飛んでいく最中、直進してくる少女に向かって指を鳴らした。


「お返し、です」


空気中の分子を停止させることによる超低温によって、一瞬少女の動きが鈍った。ミソロジーはさらに指を鳴らし、続いて燃え盛るような業火を少女に向かって叩きつける。その連撃によって、少女に強烈なダメージを与えられたようで、失速した彼女は地面に落下した。


「ふう……」


ミソロジーが一度力を抜いたその時、少女は黒焦げのままで起き上がった。黒い液体が溢れ、それが形を求めて蠢いている。どんな密度で入っていたのか、溢れ出た液体は積み重なり身長よりも高くなっていく。


「あなたに一つ、アドバイスです」


その様を眺めながら、ミソロジーは呼びかける。


「あなたが自分を知りたいのなら、自分のルーツを理解することです。あなたは過去と地続きの存在なのですよ」

「┥┥━┿、わたし、かこ……」


どんどん巨大化していくその存在は、地響きのような声で呟く。しばらく首をひねり、思い出そうとしているようだ。


「わたしは、一人の女の小さな無邪気な可愛そうな箱の一部であった。それがぽろりと地面に落ちて、芽を出して、私は今、あなたの目の前に立っている」


いつの間にか舌足らずな声は消え、はっきりとした声でミソロジーへと少女は語りかけていた。黒い液体に包まれた少女は巨人のようであり、顔と胸に開いた穴は虚空を映している。


「ああ、あなたは……クロアの話にありましたね」


納得がいった、というように微笑んだミソロジーは、手のひらを天に掲げる。複雑な空気の対流とエネルギーの渦が形成されていき、少女と彼女を中心に凄まじい暴風が吹き荒れ始める。


「き、きゅ、ききいい」


巨人と化した少女が拳を構える。その動作だけで、空気の流れや風の形を変えるほどだ。ミソロジーの美しい髪は、乱気流の中に置いても穏やかに舞っている。


「無貌の女帝、あなたの戦う意志に敬意を表します」


二人の最後の一撃が正面から激突した。爆音と衝撃が空気を震わし、地を削った。この戦界を滅ぼしかねないほどの衝撃波はおよそ数十秒の間発生し続け、収束する頃には辺りの地面は傷だらけだった。

残ったのは、黒い皮が剥がれた褐色の少女の身体だった。顔と身体の穴は、徐々に埋まりつつある。どうやら限界値を超えると自動で修復を始めるようだ。


「……」

「ふう、なんとか終わりましたか」


収束した顔は、先程までの少女の顔とはまた異なるものだった。ミソロジーの顔の要素が組み込まれているようにも見える。


「生まれたばかりあなたは自分が何者か分からないのでしょう。それは当たり前です。他者との比較で自分を確立する。その手段が闘争であることは、自然なことでしょう。自己は他者の平均です」

「……うぃ」

「今度はあなたに、名前でも差し上げましょうかね」


ミソロジーは静かに歩みを進め、城塞の中へと入っていく。ヴィットとザイネロもそれについて行く。絢爛豪華な城塞の一区画の奥には小さな扉がぽつんとあり、そこが次の扉のようだ。ミソロジーは特に迷うことなく扉をがちゃりと開いた。

その瞬間、三人に妙な感覚が走った。


「やあ!」


目の前に立っていたのは、穏やかそうな笑顔を浮かべる女性だった。金色の髪がちらちらと輝いており、目に痛い。彫りの深い、鋭い青い目をしている。特徴的なのは、腰に携えられた剣である。両刃にしては、かなり細い剣だ。

ヴィットは警戒しつつ、ミソロジーの方を見る。


「……ん?」


しかしそこに、ミソロジーの姿はなかった。どころか、ザイネロの姿すらない。ヴィットは一人で、目の前の存在に対峙していたのだった。




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