魔法の在り処 《side anecdote》
「魔法、そんなものはないわ」
メイガは静かにそう言った。唐突なその宣言にミャージッカは困惑する。何故なら目の前にいるメイガこそ、偉大な魔法使いであり、その才能によって今この法界にいることを認められているのだ。
「あなた達が魔力と呼ぶ未定の物質を、パフが創造した。彼女の悪夢みたいな性質によってね。全能性と分化性のある物質という発想は間違いじゃないけど、あなたの暮らす星の元素とはまた違うものが出来ているのよ」
アネクドートはメイガの説明を聞き流しつつ、周囲の灰色の物質をよく観察していた。通常、アネクドートに触れたものが魔法による生成物でありさえすれば、それを破壊するも停止させるも自在である。
しかしこの目の前の灰色の物質群は、どういうわけか触ったところで傷をつけられる始末。メイガの目的が足止めだとするなら、それは今のところ完全に成功しているのだ。
「……それで、何が言いたい?」
「魔法は法則であり構造なの。発する脳の信号如何で変容する……小魚が隊列を組んで大きな魚に化けるように、遺伝子に組み込まれた集団的なプログラム。今、あなたを追い詰めているこの魔法は、そういうもの」
「ふむ……」
アネクドートは学者である。ロシアのみならず、各地の大学の研究者と顔を突き合わせては激論を交わしたり、自論を聞かせたり、意見を聞いたりしていた。その中で様々な研究者を見てきていたが、目の前のこの魔法使い、この学者は、アネクドートによく噛み付くタイプの学者だ。
すなわち、自分が正しいと疑わない類の、野望と意志に満ちた学者である。
「これは……なるほど、知恵の輪みたいなもんか。どういう仕組みかは知らんが、我の力を利用して外れなくしている」
「流石に、冴えているわね」
メイガは自分の身体を、灰色の物質を盛り上げることによって上昇させていく。アネクドートは自身の身体を魔法によって強化させていく。アネクドートの考える脱出方法は二つ、魔法の仕組みを解析し、解除する。もう一つは、本体であるメイガ自身を何とかすることだ。
「……殴るぜ」
「かかってきなさい」
ワイヤーに引っ張られたようにアネクドートは飛び上がり、メイガの周囲に漂っている灰色の物質を小手調べに殴りつけた。感触は液体のような固体のような不気味なものだ。かなりの力を込めて殴ったが、手応えなく力を受け流されてしまった。
「ふむ……」
アネクドートは頭を巡らせる。これはどのような構造の魔法なのか。力を受け流し、形を変えるのは『力』の魔法の要素もあるだろう。だが、ややこしいのは魔法がどのような機序で発動、解除されるのか、そこが今分からなくなってしまっている事なのだ。
というのも、メイガの説明では魔力から作られる素粒子は地球にあるものとは異なるという。
そうなった場合、アネクドートの知識にある物理的化学的知識が活かせないということになるのだ。
「今から解析したんじゃ、時間が掛かりすぎるしな……うおっ」
メイガはアネクドートがあまり思考を巡らさないように、絶え間なく攻撃を開始する。回避できるギリギリの量の灰色の玉を部屋中にばらまいていく。
このギリギリというのが肝である。メイガはアネクドートを追い込む恐ろしさを知っている。本気にさせるよりも、死ぬ気にさせるのが恐ろしい。
アネクドートもそれは、分かっているのだ。メイガの巧妙さが、如実に伝わってくる。
「ひゃっ!」
ミャージッカの声が聞こえた。アネクドートの背後で、同じようにミャージッカも灰色の物質による攻撃を受け流している最中である。
「ふむ……案外、凌げてるな。あいつ」
アネクドートに行われている攻撃量と、ミャージッカへの攻撃量はさほど差はない。むしろ、ミャージッカへの攻撃量の方が多いほどである。魔法を使いこなしているかどうかというよりかは、動体視力という点で、アネクドートはミャージッカより対応力がある、はずである。
「こりゃあ、何かタネがあるかもな……」
ぼそりと呟きしたり顔になるアネクドートを見たメイガは焦る。そう、タネがあるのだ。彼女の話術で、論理的な罠で、彼女はアネクドートをだまくらかしている。
気づかれるのはまずい。より、アネクドートの脳の容量を削りつつ、『近距離を保たなくては』ならない。
彼女は灰色の物質を棍に変え、アネクドートに襲いかかった。
「ねえ、何でそんなにパフ達を止めたいわけ!?」
会話も仕掛ける。アネクドートの性格上、無視はできないだろうと踏んでいるのだ。
「ああ?」
「パフのやり方に異論はあるだろうけど、でも合理的なことだわ。何がそこまで、あなた達を突き動かすっていうの?」
アネクドートは案の定その問いかけに返答する。
「愚問の極みだ。我らが求めたのは幸福。四人の幸福だ。『私たちの言うこと聞いていれば幸せになれますよ』なんつーのに、噛みつかねーわけねーだろうが。幸福は掴み取るものであり、そして何より、掴み取る過程だ」
強烈な蹴りがメイガの棍に炸裂した。通常であれば絶大な威力を誇るアネクドートの蹴りも、灰色の物質を前に受け流されてしまう。衝撃がじんわりと部屋全体に広がり、伝わり、少し離れた位置にある壁が大きく波打った。
「つまり先客が気に入らないと。子供らしい言い分ね。パフに会ったところで、先が思いやられるわ」
「ふん、お前のがよほど子供だぜ。伊達や酔狂で動けないほど切迫した奴が、幸福な世界の住人かよ」
言いつつ、アネクドートは蹴りの感触と周囲の様子を詳細に観察していた。衝撃が吸収されているというのは、恐らく事実であろう。だからこそ解決法は許容量の限界を超えた力で一点を攻撃するということに尽きる。
だが、それがどうやら難しい。アネクドートの考えうる限り最強の魔法現象の組み合わせのはずだが、どうも手応えがない。
「……強制解除が出来ないのが痛てぇな。我の支配下から逃れる魔法……だが、あいつが我より幸運というのは、無い話のはずだが」
長考は激戦の中で行われている。徐々にアネクドートの集中力が薄れていき、攻撃を回避するのがだんだんと甘くなってきていた。
そして遂に一つの灰色の弾丸が、アネクドートの眉間へと迫る。
まずい、と一瞬冷や汗をかいたアネクドートだったが、ミャージッカの放った光魔法の矢によって、灰色の弾丸は弾きとばされた。
「ん、ありがとよ」
「はいっ」
「そんで、大体分かった。もう終わりだ」
「え」
「我の近くに、居てくれ」
「はえっ!?」
乙女的勘違いを発動しつつミャージッカはアネクドートのそばに寄る。アネクドートとミャージッカが隣合ったのを見て、メイガは下唇を噛んだ。その行動は、されてしまうと一番まずい行動である。
こうなると、もはや手加減をしている場合ではない。彼女は灰色の物質を掻き集め、細い槍を尋常ではない量用意する。
「何故……分かる?」
「直感だ」
「ふざけないで、直感なんて……」
「五感で得た総合情報処理の瞬間的結果が直感だ。思考のスキップではなく超加速のことを言う。さて、種明かしだ」
アネクドートは周囲の灰色の物質を見た。
「我はあの灰色の物質に触れ、解除しようとした。魔法で作られたものなら、我は自在に扱えるからな。だが、それはできなかった。お前はそれを解析不能のプログラムと言った。しかし考えてみれば、我は正規の手段でハッキングをしているのではない。機械を物理的に分解しているようなものだ」
凄まじい勢いで放たれた灰色の物質の槍を、アネクドートはがっしりと掴んだ。そしてひゅんひゅんと回した後に、切っ先をメイガへと向ける。
「お前は魔法などないと言った。うむ、それはこの瞬間ではその通りだ。何故なら『これ』は、魔法ではない。ただの、機械だ」
「え、えっ!?」
「我は体内に魔力はなく、空気中の魔力を利用している。それを踏まえお前は、この空間から魔力を排除することにした。化学と物理を利用したただの小さな大量の機械を用いてな」
メイガの狙いは、アネクドートを押しとどめ、封殺することであった。そのために、魔力を遮断する大量の機械を製造したのだ。彼女の指示でくっつき離れる、魔法のような機械である。
「だから、弱体化した我は、この包囲網を突破できなかったわけだ。つまり、回答は一つだ 」
アネクドートは左手でミャージッカの肩を掴み、右手をメイガへと向けた。
「こいつの魔力を、使う」
体内に魔力のないアネクドートに許された唯一の方法、それは体内に魔力のあるミャージッカを利用することであった。迸る光が、メイガとその背後の壁を撃ち抜いた。
壁に開いた大穴からは、黒黒とした景色が覗いていた。しかしどこかから注ぐ光が、いやにはっきりと部屋を照らしていた。宇宙空間のようだ、とアネクドートは思う。
「おう、もう策はねぇかな?」
「ないわよ畜生が」
「口悪ぃな。本当に長いこと生きてんのか?」
メイガはぷいっとそっぽを向いた。
「老いるから賢くなるのよ。私なんて、ずっとただの勉強バカで、不器用な子供だわ」
その言葉は諦めのようにも感じ、哀愁とか弱さを秘めていた。少しその物憂げな様子に惹かれていると、唐突にメイガは怯えた表情をした。
「ひっ!」
「ん?」
アネクドートがそちらを向くと同時に、メイガは脱兎のごとく反対側の壁に大穴を開けて逃げだした。
「なんだ、お前」
アネクドートの開けた丸い穴。壁の厚さ1メートルほどのところを椅子のようにして、一人の少女が座っていた。髪、肌、瞳、全てが白い少女である。そして、侵しがたくか弱そうな美しさを持っている。
抱えているのは、アネクドートも見慣れているギターであった。見るからに安物の、普通のギターである。
「魔法、そんなものもあるぜ。こんなよく分からない世界にはな」
少女は驚く程に透き通る美しい声で、そう言った。そしてさらに、芸術作品のような笑顔で、もう一言。
「おい、何なんだ……お前は」
「まァ、そんなに急ぐなって。一曲、聴いていきな」




