地獄への覚悟 《side folklore》
フォークロアはえらく上機嫌でベールゼヴヴの元へ帰った。ベールゼヴヴ達は誰が魔界に向かうかという話し合いの最中だった。
「たっだいまー!」
「お、おう……おかえり」
「んふふふ〜んふふふ〜」
大きな窓が壁一面にあり、円卓のあるその部屋は主に会議で使われている。ベールゼヴヴを含め、全員がその席に座っている。
「今、よく話したんだが。魔界に行くのは、俺だけにしようと思う」
「あら……」
アナトとアスタルトが、若干フォークロアが恐れをなすほどの表情で悔しそうにしている。
確かに、魔界という詳細不明の危険地帯を行けるのは、フォークロアと魔王くらいのものだろう。
しかし、彼女たちの内心を考えれば、辛い選択だ。彼に死んで欲しくないと、心から思っている。心配なのだ。
「……そう」
「あと、少しで出発するからよ。準備しといてくれ」
「うん、分かったわ」
しかしフォークロアは、自分が口を出すことではないと自制し、踵を返して自分の部屋へと戻った。
フォークロアもフォークロアで、準備をしなければならないのだ。
「……」
天蓋付きのベッドのある部屋で、フォークロアは呼吸を整える。そして、自分の指にはまっている指輪に呼びかけた。
「クリス」
すると、指輪が溶け、膨らみ、人の形になっていく。遂には、煌めく髪を持った少女の姿になった。
クリスである。
フォークロアはクリスとドロソフィアの顔を重ねた。
「……その、ごめんね」
クリスは不思議そうな顔をする。不思議そうな顔をするだろうと、フォークロアは分かっていたが、謝らずには居られなかった。
「私、ドロソフィアに圧されて、あなたを使えなかった。頭が、処理しきれなくて……」
クリスは事実は認識したようだが、しかしまだよく分かっていないようだ。
「私はフォークロアを守る。フォークロアが危険なら助ける。でも、そういう時じゃなかった」
「うん、そうね、そうよね……」
気が回らないとか、そういうことではないのだろう。クリスは極めて合理的な生物だ。フォークロアを守るために動き、それ以外には動かない。
必要があるなら、フォークロアが命令するからだ。
だからこそ、やはり落ち度はフォークロアにあった。
「私、慣れてなかったんだわ。私に完全に敵対する、私より幸運な存在と、会ったことが無かったから……」
「ん。私、フォークロアの言うこと聞く。だから、フォークロアに考えてほしい」
「うん、分かったわ」
反省した。次はもう繰り返さないとフォークロアは誓う。
そして、もう一つ気になることを、クリスに聞く。
「ところで、やっぱり、あのドロソフィアがあなたの親なの?」
「そう。あの一つが、分かれて私になった」
「なるほどねえ……」
ドロソフィアの姿を思い返す。あれは、変幻自在の怪奇と形容するのが正しい。その一部が分かれ、このような存在になるのは、不思議ではない。
「一応、聞いておくけど。ドロソフィアと戦うことになっても、大丈夫よね」
「私に感傷はない。心配ない」
案の定、クリスは断言した。フォークロアは満足し、ベールゼヴヴの元へと向かった。彼は今、死竜の蘇る黒い泉へと来ている。
「ハーイ、お待たせ」
「おう、準備はいいか」
ベールゼヴヴは特に変化はなく、いつも通りのようである。フォークロアはこの場に来ると、あの黒い竜のことを思い出す。
「ここ、あれよね。前にカオティコルが出てきたとこ」
「ああ、そうだ」
「あの子、本当に行かせて良かったの?」
「仕方ねえだろ、本人が行きたそうにしてんだから」
確かに、全力で申し訳なさを醸し出しつつも、カオティコルはフェイブルの元へと行きたそうだった。
その理由に、フォークロアは心当たりがある。
「……フェイの不幸を食らうとね、あの子に惹かれるようになるのよ。ちょっとした破滅願望を刺激されるんだと思うわ」
「なるほどな。厄介なのに会っちまったもんだな、カオティコルも……」
「うふふ、愛は難儀なものよ。道理を超えて、貫かれるものだからね。分かっちゃいるけど止められないの」
「ふむ……そういうもんか」
そんな話をしていると、四死竜を含めたベールゼヴヴの配下達がぞろぞろとそこへ集まり始めた。
「今から魔界への扉を開く。少し、その穴から離れてろ」
フォークロアは言われた通り、以前カオティコルが出てきた穴から離れる。すると彼女と入れ替わりで、フリジコル、バルニコル、ドラウニコルの三名がその穴の前に立った。
「よし、では始めようかのう」
「りょーかいっ」
「しかし、始めてやるぜこんなの……」
三名は片腕を穴に向かって伸ばし、もう一方の手で傷をつけた。赤、白、青の液体が彼らの傷口から噴出し、黒い液の溜まった穴に注がれていく。
「わ……」
驚くフォークロアの耳元で、アスタルトが説明する。
「魔界とこの世界の間に、クワシオリコルという死竜の祖がいる」
「ああ、それはドラウニコルから聞いたわ」
「うん。今、カオティコルが蘇ったばかりで世界がまだ繋がっている。そこに残り三体の死を注ぐことで、道を開けるように穴を緩くしている」
そうであるならば、カオティコルは一応役割を果たしてはいたのか、とフォークロアは思った。
黒い穴から紫色に光が漏れ、女性の歌声のような音が響く。
「準備は、できました。後は、魔王様」
「ああ」
魔王がそこへ手をかざし、呪文を唱えた。
「亜極土魔法……『地獄への穿口』」
その瞬間、一瞬穴がぎゅうっと縮まったかと思うと、膨張し、そして突如盛大に陥没した。
穴から、生暖かい風が吹く。
出発の時間だ。
「じゃあ……行ってくる。必ず、戻る。待っててくれ」
魔王の配下達は、静かに頷いた。
魔王は、穴の前に立つ。
フォークロアもそれに続いて、穴へと近づいていく。不気味な感覚だ。ホラーハウスに入る感覚というよりは、路地裏の、ゴミ溜りに湧いた生き物の中に飛び込むような感覚である。
「……行くぞ」
「ええ」
ひゅ、と二人は穴に飛び込んだ。その瞬間、後ろから大きな声が上がった。
「……う」
フォークロアのぼやけた意識が徐々に戻り始めている。辺りを見渡すと、黒い空間だ。その中で一つ、黒い幹に紫色の液が流れる大木があった。
よく見ると、様々な形の竜が集まって形成されている。
(これが、クワシオリコル……)
そんな風にぼんやり思いながら、フォークロアは後ろを振り向いた。何か大きな会話のような声が聞こえたからだ。
「だからァ! なんっっで付いてきちゃってんだお前ら!!」
「しょうがない、もう付いてきちゃったものはしょうがない」
「そうよそうよ」
「俺はお前らの気持ちもふまえたうえでなおなぁ! 苦渋の決断で!」
正座しているアナトとアスタルト、そしてそれに向かって吠えているベールゼヴヴ。フォークロアは瞬時に状況と心情を理解した。
「うふふ、面白いことになっちゃったわね」
「いや、あのなぁ……」
フォークロアは三人の元へ駆け寄り、ベールゼヴヴの肩……を叩くほどの身長はないので腰を叩いた。
「愛は道理を超えるのよ。さっきもそう言ったでしょう?」
「……愛って、誰の何への愛だよ」
にやにやと笑いながら二人を指さす。アナトは少し頬を赤らめつつも頷き、アスタルトは顔を真っ赤にして否定する。
「ち、違う! 私はただ、アナトが行くから……」
その反応に、フォークロアはさらににやにやする。ベールゼヴヴは、しばらく唸り続け、悩み続ける。簡単には戻れないのだ。
「……私達も、弱いわけじゃない。あなたの補助も、できるはず」
「ああ、そりゃあそうだ。いた方がいいに決まってる……」
ベールゼヴヴの脳裏には、サーターンのことがあった。できることならば、もう仲間を失いたくない。いや、絶対に失いたくない。
世界を正すため、ドロソフィアを誅殺しようとはしていたが、本当は、それはただ、仲間の無念を晴らすため。世界など二の次なのだ。
今はただ、仲間がいる世界を守るために。そのためにここにいる。
その大切な仲間を、この戦いの最中失うことがあっては、それこそ本末転倒なのだ。ゆえに、悩んでいる。
「だが、お前らを失ったら、俺には何も残らねえ……たとえ、あの神を滅せたとしても、だ」
苦し紛れに、本当に説得するために、ベールゼヴヴはその言葉を絞り出した。
その瞬間、彼の股間をフォークロアが頭突きする。鈍い音がした。
「う"ン!?」
鈍痛に声をくぐもらせる魔王と、それを目を丸くして見る二人。フォークロアは、高々と言い放った。
「ちょっと、そこまで言っておいて何で分かんないの? バカ!あんたを失っても、この子達には何も残らないでしょうが!」
言いつつ、フォークロアは、まさか非人間的人格の自分にこんなことを言う機会がくるとは、と驚いていた。
ベールゼヴヴも驚いていた。守るばかりで、相手のことを考えていなかった、そんなことは踏まえているつもりでいたのに。
言葉にして言われなければ、伝わらないこともあるのだ、と。当たり前のことを気づけないほど、彼は若かった。
「…………すまん」
がし、とアナトとアスタルトを、ベールゼヴヴは抱きしめた。
「!」
「り、理解できたなら、いい」
二人の顔は、フォークロアしか見えない。フォークロアは、嬉しい気持ちになった。二人の顔が、幸せそうであったから。
「じゃあ、行くか」
「ええ、ええ!」
「ん」
「ふふ、まとまって何よりだわ」
満足げに微笑むフォークロアを、ベールゼヴヴは見た。
「……分かってるもんだと、分かってて言うけどよ。お前も仲間だからな。俺が守るまでもなく、お前は強いけどよ。死ぬなよ」
「……うん」
フォークロアは内心どきっとしていた。意趣返しをされた気分だ。確かに、自分が仲間になれたという自覚は、無かったかもしれない。
ベールゼヴヴは、クワシオリコルの根本にある、魔界への穴に歩き始めた。
「……」
暗く深い道である。地面には何か、ぶにぶにした黒い脂肪組織のようなものがある。体内に飲まれていっているような、生理的嫌悪を覚える感覚だ。
他の三人は大丈夫だろうか、そう思って後ろを振り向いた。
「……あ」
三人は何かを話していたようだが、ベールゼヴヴが振り向いたのに気づき、ベールゼヴヴと目が合う。
その感覚に、ベールゼヴヴは懐かしい感覚を覚えた。
あの頃は、フォークロアの位置には、サーターンが立っていた。
「……」
彼の目頭が熱くなった。たぶん、悲しみではない感情で。
「どうしたの?」
「……何でもねえ、行こうぜ」
生死の奔流を足元に、各々が感じていた。呑まれそうになる。しかし、それを支えているのは、強い決意だった。
本能が嫌悪している。その嫌悪を、彼らは感情で押さえ込み、一歩を踏み出した。
フォークロアは、感情を司る。だが、その感情の真価は、まだ、気づき始めたばかりであった。




