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 御子が鬱々と世界を呪っていた頃、アバロン王城の執務室では賢王と名高いアバロン王国の王がぐったりと頭を抱えソファーに沈んでいた。その周りには大臣、宮廷魔術師、近衛兵がやはりぐったりとした顔を隠さずにうなだれている。



「どうすればよいのだ」



 呟く王の言葉に返す者はいない。謁見の間はさながら襲撃でもあったような有り様で、今頃は侍女が悲痛な顔をしながら片付けているだろう。


 この場にいる誰の衣服にもまだ御子の流した血がべったりとついていた。誰もが着替えをする気力もなく、今後の対策にとりあえず集まったという体だ。


 御子の血より出た穢れた獣どもは近衛兵によって討伐されたが、絶命する際──おそらくは御子の血である──赤い液体を撒き散らした。それがあたり一面を染めその場にいた全員の衣服を濡らした訳だ。



「推察にすぎませんが」



 沈黙のなか、最初に口を開いたのは宮廷魔術師であった。濃い疲労のにじむ表情でぐるりと全員を見渡す。



「御子殿の血から出る穢れは、討伐すれば以後はなんの力もないようですな」



 謁見の間にて御子にリカバリーをかけた彼は己の全面に付着した赤い布を持ち上げてそう告げる。



「それがなんだと言うのだ……」


「なんだと言われれば困りますな。もし今後御子殿がなんらかの理由で出血してもその場で穢れを討伐すれば広がる事はないというだけで」


「出血させ続け、討伐をすれば御子の中の邪神は滅ぶのか?」


「さて。お答えしかねます。あえて推測を言うならば、おそらくは穢れをすべて討伐する前に御子殿の身体が持ちますまい」




 そもそも、世界を邪神より救いあげた彼女に永遠と出血させるという拷問まがいのことをするのは誰の気にも咎めた。


 人々は彼女を知っている。彼女は寄る国や村で邪神の災厄に苦しむ人々の話を聞き邪神の腕を退けながら旅をしたのだ。


 もし彼女をこの王城の地下深くに幽閉し血を流し続けたとして、それが人々に漏れたら最後人々は手に手をとりこの王城へ攻め込んでくるかもしれない。


 邪神の影響を癒すには時間が足りなすぎる。国としての機能を失えば肥沃とは言えないこの大地とて他国が攻めてくるかもしれない情勢なのだ。



「生かすにも殺すにも難しいとは……」


「殺せたら、殺すおつもりなのですか、王よ」



 穢れた獣を討伐し、衣服を真っ赤に染めた近衛兵が王の呟きに暗い目をして問いかけた。最前線で邪神の災厄と闘っていた軍部には彼女の様々な話が入ってくる。この近衛兵も彼女の為したつらく厳しい旅路をよく知っていた。


 彼女のいた世界とは隣り合うとはいえ無関係だったこの世界の事情に巻き込み救ってみせた彼女を、もし殺せたら殺すのかと近衛兵の目は問いかけてくる。


 軍部は表面上、王命には逆らわないだろう。しかしきっと多くの兵士は彼女の味方にまわる。



「そう怖い目をするな。余は王なのだ。世界中の人々の命とひとりの命ならば、余は迷わず多数を選ばねばならぬ」



 王とて、もし彼女を殺すとなれば相当の覚悟と罪をおわねばならないだろう。なんの罪もない聖人を斬頭台へ送るような施政者は彼の嫌悪する所でもある。



「ままならぬものよ……」


「どの道御子殿は邪神を封じ込めている限り殺せません。死んでもらっては困る。殺す殺さぬを論じるのは不毛です。彼女には生きてもらわねば」


「だがな」



 大臣の言葉に王は悩ましげな顔をし、近衛兵は大臣の言葉が気に入らなかったのか射殺さん勢いで大臣を睨んでいる。



「あのような御子殿を前に我等はどうすればよいのだ」


「お心をなんとしてもお慰めするしか」


「如何にして」



 王の問いに具体策のなかった大臣は口つぐむ。王は深く溜め息を吐いたが、具体策がないのは同じだったので大臣を責めるようなことはしない。


 近衛兵は大臣を睨み付けながら、そもそもと口を開いた。


「御子様があのようになったのは、邪神の影響ではありませんか?」


「……ほう?」



 近衛兵の言葉に王は目で続きを促す。近衛兵はずっと疑問に思っていた事をこの機を逃すまいと言わんばかりに王に訴えた。



「私は御子様の護衛を勤めた騎士団に友人がいるのですが、奴から聞いていた御子様と先程の御子様では、まるで人柄が違います。それこそ別人のように、です」


「続けて」


「道中の御子様はそれはそれは優しく健気なお方だったとか。旅立ち当初は剣を握った事もなく、働いていたご様子もなかった貴族の御令嬢のような御子様は、しかし道すがら騎士から懸命に剣の扱いを習い、穢れた獣どもの討伐に怯えながらも懸命に闘い、たとえ獣どもともいえ命を奪えば夜毎涙を流したとか。寄る村々で民の話をすべて聞き、困っている民がいれば身分に関係なく相談に乗り民のために奔走したそうです」


「なんと、お優しい方か」



 王城にいては書面で間接的にしか対処できない事も、御子は旅する傍ら民のために動いていたというのか。宮廷魔術師は豊かなひげを撫でながら、御子の人柄に感心とともに涙を浮かべる。大地の母なる神ガイナーデのような女性だと。



「我等の耳に入ってきた人柄通りの人物だという事か」


「相違なく。だからこそ、先程の御子様はあまりに不自然ではないかと」


「ふむ……」



 アバロンの王はソファーに深く身を沈め彫りの深い顔立ちを全体的に中心に寄せながら考える。眉間を人差し指でとんとんと叩きながら、硬い声を出す近衛兵を見た。



「つまりお前はこう言いたいのだな。あの御子殿は、内に封じた邪神に心を蝕まれているのではないか、と」


「はい。相違ありません」


「ふーむ……大臣よ、どう思う?」


「憶測に過ぎませんが、可能性を否定する材料はありませんな。なんにせよ、邪神を身の内に封じるなど前例がありません」



 執務室はしばらく沈黙に包まれた。本来ならば御子の処遇は国……いや、世界をあげて奉りいかなる願いも叶え感謝を捧げるのだが、御子の願いはただひとつだった上にそれは不可能で、御子はあの状態だ。


 すぐさまに良い考えなど浮かぶはずもない。帰せない、が御子に死んでもらう訳にはいかないというのだけがはっきりとわかっている事だった。



「ひとまずは、皆着替えるか……血生臭くてかなわん」


「ですな」



 王の言葉にその場にいた全員が頷き、ひとまずは執務室を出ようとした時、今にも泣き出しそうな年老いた御殿医が執務室へ飛び込んできた。



「王よ!」



 執務室の前にいた護衛に両脇を取り押さえられながら、常にない様子の御殿医に王はぎょっと仰け反る。



「無礼な。控えなさい御殿医殿」


「よい。して、常に落ち着いているそなたが如何した」



 王の許しを得た御殿医は両脇を押さえていた護衛を振り切ると、ソファーに座る王の前に駆け寄ると膝をつき、床に額を削る勢いで頭を垂れた。



「王よ! どうか、どうか御子様の拘束をといてくだされ。あれではあまりに……あまりに」


「……拘束?」



 途中で思いあまったのか泣き出して言葉にならない御殿医を前に、王は困惑気味に太い眉を下げる。控えていた大臣を見上げそう言えばと、今まで話題の中心だった人物の所在を尋ねた。



「大臣よ、つかぬことを聞くが今御子殿はどこにどのような状態でいるのだ」


「はい。清廉の間にて、手足を固定し舌を噛まぬように布を噛ませています」


「…………」



 しれっと答えた大臣に近衛兵は信じられないような顔をして、有能と名高い男を見た。深いシワが刻まれた顔からは罪悪感の欠片すら感じられず、近衛兵の固く握られた拳がぶるぶると震える。


 押し黙った王の脳裏に、御子が謁見の間で語りかけるように静かに漏らした言葉が浮かぶ。



 ──監禁されるのも、封印されるのも生き埋めになるのもごめんだわ。


 ──拘束されるのはいやよ。とじこめられるのもいや。殺されるのもいや。



 じわりと額に汗を浮かべた王を大臣は怪訝な顔で見た。



「時に大臣よ、謁見の間での御子殿の言葉は聞こえたか?」


「邪神を身に封じた話ですか?」


「御子殿が剣をおのが首筋に当てた後だ」



 大臣は器用に片方の眉を上げると「監禁やら封印やら生き埋めのくだりですかな? お聞きしましたよ」と答える。御子の近くにいた王と近衛兵はそのあとの言葉もしっかりと耳にしていたが、すぐに場が騒然としたため謁見の間、王座の奥にいた大臣にまでは届かなかったのかもしれない。


 王は慌てて立ち上がった。床に額を押し付ける老いた御殿医の手を取り、近衛兵に目配せをして近衛兵の背に御殿医を預けると迅速に、執務室を駆け出た。



「王!?」



 その後ろに御殿医を背負った近衛兵が何もかも心得たように続く。大臣は慌てて二人の背中を追ったが、すでにその背は廊下の奥に消えていた。



「な、なんなのだいったい」



 行き先は御子のいる清廉の間だろう。慣れない運動に息を切らせながら追う大臣の横で、こちらは息を切らせず走る宮廷魔術師が悩ましげな目で大臣をみた。



「あなたは悪くないですが、御子様にとっては悪魔だったのでしょう」


「何の話だ」


「御子様はただ、自由になりたかったのですよ」



 宮廷魔術師はそう誤魔化したが大臣には彼が何を言いたいのか正確に伝わった。



「では、どうすれば良かったのだ!」


「アナタは正しい。正しかった」



 大臣の叫びに、宮廷魔術師はやり切れない思いでそう返した。

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