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 謁見の間は隠しきれない興奮に満ちていた。嫌みな貴族も頭のかたい大臣も、威厳溢れる王ですら、興奮を隠せず今か今かと到着を待っていた。


 長く続いた邪神の時代が終わりを告げたのである。


 災厄で満ちた世界の中で人々はただ救いを求め、ひたすらに神に邪神の滅びを祈っていた。


 そして願いは叶えられた。


 十年前、異界より遣わされたひとりの少女の手によって、ついに邪神は封印されたのだ!


 邪神の封印は世界中の人々へ伝わった。邪神の振りまく災厄が少女を中心とした渦となり消えてゆき、封印されたのが、空を見上げた誰の目にも視認出来たのだ。

 ひとりの少女による救済の日、長く長く大地を覆っていた災厄の黒い雲が晴れた。その時代を生きていた人々は初めて晴れ渡る空を見たのである。


 その日の事を、少女の旅を、吟遊詩人は競って歌い、作家は本に残し、画家は少女の聖なる姿を描いた。


 邪神が座していた世界の果てより、少女が遣わされたこの始まりの王国アバロンへと、長い旅をしていた少女が凱旋すると先触れがあったのがつい先日。


 王都を囲む防御壁の門番より先程少女が着いたと連絡があった。

 静かな興奮に包まれる謁見の間では、誰もがいまかいまかと少女の到着を待つ。


 長く、過酷な旅であっただろう。幾度もくじけそうになっただろう。それでも異界より遣わされた聖なる少女はこの世界を救うべく邪神を封印してくれたのだ。


 どれだけ言葉を尽くしても感謝しきれない。謁見の間では、少女の到着前から目に涙をためている者もいる。


 そうしてしばらく、謁見の間に配置されている護衛から声高らかに少女の到着が知らされた。


 謁見の間へと進む少女は土埃で汚れた女性へと成長していた。実用性を追求された旅装束は華やかさの欠片もなく茶が主体色で所々が擦り切れていた。赤茶けた外套が少女が進むたびに揺れ、ボロボロのブーツが高い音を立てるたび、謁見の間の磨きぬかれた床に土が落ちた。しかしそれに文句を言うものは誰もいない。みな、少女から女性へと成長した彼女の、土で汚れていようとも静謐な凛とした美しさに言い知れぬ感動を覚えていた。


 この始まりの王国アバロンを経った時は綺麗で可憐だった少女……過酷な旅が、彼女を他の女性にはないしなやかな強さを兼ね備えた美しい女性へと成長させたのだ。土埃で汚れていようと、邪神の生み出した穢れた獣の血で汚れていようと、彼女の聖なる美しさは損なわれない。


 アバロンの王の前に立った彼女は、正しく聖騎士の礼を取った。彼女と共に邪神封印の旅に出たこの国の騎士に教わったのだろう。本来女性がとることは許されない聖騎士の礼だが、誰も否は唱えなかった。彼女にはそれが許される。



「このような出で立ちをお許しくださいませ、始まりの国アバロンの王よ。此度の吉報をいち早くお届けしようと急ぎ馳せ参じました故」


「構わぬ。面を上げよ、聖なる御子殿。頭を下げねばならぬのは我等の方なのだ」



 彼女はゆっくりと立ち上がり王を真っ直ぐに見据えた。王を前に怯まぬ威風堂々とした様は謁見の間に並ぶ貴族に感嘆の溜め息を吐かせる。

 謁見の間にいる誰もが、汚れた出で立ちの彼女を尊敬と憧憬の眼差しで見つめていた。王を見据える彼女の頬には旅の途中でついたのだろう傷が一筋、それでも彼女の美しさは、傷付かない。



「御子よ、此度の長旅誠に大儀であった。いくら感謝しようとも尽きぬ」


「いいえ」



 彼女は王の言葉に柔らかく微笑んだ。そうすると強い光を持つ目が緩み優しげな女性となった。


 王は家臣がいるにも構わず深く深く頭を垂れた。この国の、世界の救世主へ。



「気高きアバロンの王よ、どうか頭など下げないでください」


「しかし、我等は貴殿に礼を示さねばならぬ。異界より遣わさし御子殿」



 彼女は首をなおもふり、王に頭をあげるよう懇願した。その姿に誰もが感心する。邪神の封印という誰もがなし得なかった事をやり遂げたというのに、彼女に傲る様子はなかったのだ。



「邪神は封印され世界の暗雲は晴れたのです。陽の光があれば作物も育ちましょう。餓えが無くなれば人々は健やかに過ごせましょう。穢れた獣がいなくなれば狩人も安心して森を行けましょう。もう、よいではありませんか」


「御子殿……」



 朗らかに笑う女性に、中年に差し掛かるアバロンの王は涙ぐむ。なんと心清らかな女性なのだろうと。

 しかし、王は御子の顔が曇るのを見て何事があったのだと背筋を正した。邪神は封印されもう憂うものはないはず。



「アバロンの王よ、私は報告していなかった事があるのです。どうしても己の口から告げねばならないと、今まで誰にも言わずにおりました」


「申してみよ」


「邪神の封印に我が身体を用いました」



 ざわりと謁見の間の空気が動いた。誰もが驚愕の眼差しで彼女を見て、王は王座から立ち上がり御子に駆け寄る。



「そなたまさかっ」


「邪神の力は強大でございました」



 御子は己の身に触れようとした王をさり気なく無駄のない動作で避ける。



「穢れてしまいます」



 彼女の言葉に王は顔色を変えた。行き場を失った手が空をさ迷い、力をなくしたようにだらりと下がる。その顔には深い後悔と憐憫が浮かび、謁見の間にいた全員が今にも大声で泣き出しそうに顔を歪める。


 彼女は懐に手を入れると布で丁寧にくるまれた塊を取り出して王に捧げた。


 受け取った王はその包みをとく。すると旅立つ少女に渡した宝剣が変わり果てた姿で現れた。


 刀身は黒ずみボロボロに刃こぼれしている。魔石をあしらった柄は血で汚れ禍々しい有り様だった。



「封じに賜りました宝剣では力が及ばず、国宝たる剣をこのようにして」


「よいのだ! 所詮はただの剣……それよりもそなたの身体は」



 かつて可憐な少女であった女性は寂しげに微笑んだ。それだけで謁見の間にいたすべての人間が悟る。


 この異界の少女は、異なる世界の為に身を差し出したのだ。邪神を封じる人身御供として。



「我が身体に封じた邪神は深い眠りについております。しかしその力を削る事はわずかにしか出来ませんでした」


「なんと、申すればよいのか……」



 王はうなだれた。王たる身でありながらただの少女であった異界の御子に頼り挙げ句身を差し出させ、己といえば兵を出し支援しただけ。王として、男として、目の前にいる女性にすがるしかなかった身を深く恥じ、後悔した。



「私は後悔しておりません」


「我等はそなたに返しきれぬ恩が出来た。余が出来る事はすべてする。どうか礼をさせてくれぬか」


「わたしの、望み……」


「なんでもよい。申してみよ」



 彼女の目が強く光りアバロンの王を射抜く。

 彼女は化粧っ気のない、だが充分に美しい唇を開きただひとつ願ってやまない事を王に望んだ。



「わたしは、かえりたい」



 しん……と謁見の間には静寂が広がる。口を開く者はいなかった。誰もが気まずげに彼女から目をそらす。その術がないのをこの場にいる全員が知っていた。


 意を決し、王が応える。



「他にはないのか? なんでも叶えよう」


「いいえ、気高きアバロンの王よ。私の望みはひとつ。邪神を封印したこの身を異なる世界につれてゆく事」


「しかしそれではそなたが」



 なんという事だろう。彼女はこの世界のために邪神をつれていくと言うのだ。年老いた大臣は堪えきれずに嗚咽をもらす。彼女は健気で、どこまでも清らかだった。例えその身に邪神を宿そうとも、彼女は穢れないのだ。


 王は一度は避けられた彼女の手を取り強く握った。彼女は驚いたのかびくりと身体を揺らし、戸惑うように王を見る。王が握り込んだ手は細く柔らかで、王よりもずっと小さい。


 このような華奢な身体で、過酷な旅をし邪神を身に宿し。


 それなのに何も報いることができない。


「すまない、そなたにばかり辛い思いを」


「王様、わたしは、かえりたい」


「せめて何かさせてもらいたい」


「かえりたいの」



 頑なに帰還を望む彼女に、王は酷だと思いながら真実を告げる。



「それはできないのだ、御子殿」


「なぜ……邪神は滅んでいません。私が死ぬと目覚めてしまう。ならば私がこの世界より連れ去ります。異界では邪神も力を持てますまい」


「御子よ、世界を越える術は人にはないのだ。そなたをこの世界に導きし天空の神は世界の理に触れてはるか異界の牢獄へと封じ込められたと、神殿より報告があった。もはやそなたを帰せるものはいない」


「では、私は」


「そなたさえ許せば丁重にもてなそう。そなたはこの世界を救いし聖なる御方、苦を感じなくてよいように我が国にて」


「いらない」



 誠心誠意、御子の意に添おうとする王の言葉は御子により遮られた。

 彼女の顔からは先程の儚くもしなやかで優しく、それでいて強い意思を持った表情がどこかへ抜け落ちたように消えていた。人形のように無表情で王に握られた手には力がない。



「わたしは、かえれない」


「……すまない」



 王は彼女の有り様に背筋が凍るような思いをしながら、なんとか彼女を慰めようと言葉を紡ぐ。



「しかし、我等に出来る事はなんでもするしそなたの身をこれからは何者からも守ろう」


「わたしがしねば、また邪神が復活するものね」


「そうではないっ、我等は」


「失敗かぁ。最後の賭けに負けちゃった。でも、監禁されるのも、封印されるのも生き埋めになるのもごめんだわ」


「そのようなことは……!」



 御子が乱雑に王の手を振り払い、腰に装備していた真新しいナイフを取り出した。刀身に蔦の模様が彫られたそのナイフは美しく、それを構える御子の姿は一枚の絵画のようだったが、御子はぴたりと己の首にナイフを押し当てる。


 謁見の間が緊張に包まれた。王と御子以外は誰も何も口を挟めず、対峙する二人を見つめる。御子を取り押さえようとした近衛兵も手を出しあぐねて不自然な形のまま固まった。



「私に触れるな。触れた瞬間首をかっ斬って邪神を解き放つ」


「落ち着くのだ、御子よ!」


「私が死なねば良いと、油断なきように王様。私の内は邪神で満たされ皮膚ひとつ傷付けば災厄は漏れ出ましょう。血の一滴すら魔を呼びますよ」


「なっ」



 ぐっと御子の腕に力が入り、謁見の間は恐怖に満たされた。貴族の一部が滑稽な姿で逃げ出し、残った貴族と近衛兵と王は固唾を飲んで彼女をみる。



「この場で果てても私は後悔しないわ。かえれないなら一緒だし、私を呼び出した神様は異界の牢獄とやらに消えたようだし? もう疲れたし私はここまで」


「よせ、ナイフをこちらへ渡すんだ」


「拘束されるのはいやよ。とじこめられるのもいや。殺されるのもいや。利用されるのもいや。誰かのお願いをきくのももういや。こんな世界」



 御子の腕が、下へと動いた。



「だいっきらい」



 御子の首から血が流れた。その血を中心に不吉な唸り声が響き、禍々しいもやが立ち上る。固まったそれは黒い獣の形をなして御子を取り囲む王や近衛兵に向かって激しく吠えた。



「御子の出血をとめるのだ!」



 王の命にその場にいた宮廷魔術師がリカバリーを唱えながら御子へ駆け出し、近衛兵は襲い来る獣と応戦する。豪奢な謁見の間は混乱と怒号に包まれた。その中心で、騒ぎを引き起こした御子の膝が力を失ったように崩れる。



「御子殿ッ」



 彼女は自分の血溜まりに沈みながら、焦った王の声を聞いて「もっと困れ偽善者がチクショウ」と悪態をついて意識を放り出した。




2012/5/17 本文訂正

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