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01 - NEW GAME

 ランキングボードには、見慣れた名前が静かに並んでいた。


 1位 Lune


 2位 Rhea


 3位 Ark


 稲上人生は、マウスホイールをゆっくりと転がす。


「……」


 画面が下へ流れていく。


 やがて、ある場所で指が止まった。


 7位 InoueJ


 配信を終えてから、もう何分経っただろうか。


 人生は無言のまま、更新ボタンを押す。


 ランキングが一瞬だけ読み込まれ――すぐに表示される。


 順位は変わらない。


 もう一度。


 更新。


 変わらない。


 もう一度。


 やはり同じだった。


「……チッ」


 小さく舌打ちが漏れる。


 ブラウザを閉じると、視線は自然と隣のモニターへ流れた。


 右手は、何かを探すようにマウスを滑らせる。


 目的地が決まっているわけではない。


 ただ、カーソルだけが無意識に画面の上を漂う。


 そして。


 あるフォルダの上で、ぴたりと止まった。


 Routes_New


 人生は、その名前を黙って見つめる。


 中には、新しいルートのメモ。


 フレーム単位で積み上げた検証結果。


 誰にも公開していない実験データ。


 ランキング一位を奪い返すためだけに積み重ねてきた記録が、そこには眠っていた。


 カーソルがゆっくりと動く。


 開く。


 その文字の上で止まる。


 あと一歩。


 本当に、あと一歩。


 クリックさえすればいい。


 それだけで。


 また、始められる。


 世界一を目指していた、あの日々を。


「……」


 人差し指に、わずかに力が入った。


 クリックするだけ。


 それだけなのに。


 指先は、最後まで動かなかった。


 静寂だけが部屋を満たす。


 数秒。


 いや、それより長かったかもしれない。


 やがて――


 カチッ。


 閉じたのはフォルダだった。


 カーソルは静かに離れていく。


 もう二度と戻らないと決めたように。


 人生は何も言わなかった。


 ただ、そのまま視線をメインモニターへ戻す。


 しかし、それも束の間。


 壁に掛かった時計が目に入る。


 秒針だけが、規則正しく時を刻んでいた。


 時計の針は午前三時を指していた。


 同年代の人間なら、とっくに布団へ潜り込んでいる時間だ。


 だが、人生にとっては違う。


 この時間になると、ランキングの動きはようやく落ち着きを見せる。


 新しい挑戦者も減る。


 記録が更新されることも少なくなる。


 少なくとも――夜が明けるまでは。


 机の端へ置かれたペットボトルを手に取り、そのまま口をつける。


「……あ」


 喉を潤すはずだった水は、一滴も落ちてこなかった。


 人生はボトルを目の前まで持ち上げる。


 底には何も残っていない。


「空か」


 小さく呟き、手の中でくるりと回す。


 透明なボトルが部屋の明かりを鈍く反射した。


 やがて椅子から腰を上げる。


 ギシッ――


 長時間体重を預けられていたゲーミングチェアが、小さく軋んだ。


 一歩。


 踏み出した、その瞬間。


 ガッ。


 つま先が何かへぶつかる。


 軽く潰れた段ボール箱が、床を擦りながら数センチほど滑っていった。


 人生は足元へ目を落とす。


「……」


 机の下には、カップ麺の空き箱が無造作に積み重なっていた。


 まだ形を保っているもの。


 何度も踏まれ、角が潰れてしまったもの。


 その上には食べ終えたカップ麺の容器がいくつも置かれ、使い捨てのフォークまで刺さったままになっている。


 部屋の隅では黒いゴミ袋がいっぱいに膨らみ、口を縛ることさえできなくなっていた。


 人生はゆっくりと瞬きをする。


「……ひどいな」


 片付けようと思ったことはあった。


 数日前だったか。


 それとも、一週間前だったか。


 思い出せない。


 そんな気持ちは、モニターの前へ座り直した瞬間に、いつもどこかへ消えてしまうのだから。


 足先で段ボールを押しのける。


 ガサッ。


 ギギッ……


 わずかに通り道ができる。


 人生は何ひとつ拾うことなく、その隙間を抜けてキッチンへ向かった。


 数分後。


 冷たい水を注いだグラスが、机の上へ静かに置かれた。


 コトッ。


 人生は椅子を引き、元の位置へ腰を下ろす。


 キャスターが床を転がる音が、小さく部屋に響いた。


「ふぅ……」


 身体を預けると、背もたれがわずかにしなり、そのまま静かに止まる。


 部屋は再び静寂に包まれた。


 聞こえるのは、PCの冷却ファンが回り続ける低い駆動音。


 そして、電源を入れたままのゲーム機が発する微かな動作音だけ。


 人生はグラスを両手で包み込む。


 冷たい。


 表面に浮かんだ細かな水滴が、指先へひんやりとした感触を伝えてくる。


 一口だけ口をつける。


 ゆっくりと喉を潤し、静かにグラスを机へ戻した。


 自然と視線がメインモニターへ向く。


 画面には、ゲームのクリア画面がそのまま残されていた。


 エンディングテーマが、部屋の空気を穏やかに満たしていく。


 もう何千回――いや、何万回聴いただろう。


 昔は、この曲が流れるたび胸が高鳴った。


 何時間も。


 何十時間も。


 同じルートを走り続け、その先でようやく辿り着けるご褒美だったからだ。


 けれど今は違う。


 ただ、懐かしい。


 それだけだった。


 人生は頭を背もたれへ預け、ぼんやりと天井を見上げる。


「……」


 静かな時間だけが流れていく。


 やがて。


 右手が無意識にゲームコントローラーへ伸びた。


 親指が、ボタンの上をゆっくりと滑る。


 A。


 B。


 十字キー。


 考えるより先に、指が動いていた。


「……変だな」


 人生は小さく笑う。


「まだ覚えてる」


 目を閉じていても。


 ラスボスを倒すための入力手順くらいなら、身体が勝手に思い出してくれる。


 それほどまでに、このゲームは自分の一部になっていた。


 それでも――


 ボタンを押すことはない。


 人生はコントローラーを静かに机へ戻した。


 まるで、その重さが見た目以上に増してしまったかのように。


 ――ピロン。


 不意に鳴り響いた通知音が、部屋の静寂を切り裂く。


 肩がぴくりと揺れた。


 ゆっくりとモニターへ目を向ける。


 画面の隅に、小さな通知ウィンドウが浮かんでいた。


 まだ内容は読んでいない。


 それでも。


 何が表示されているのかくらい、見なくても分かる。


 **Lune has achieved a new World Record.**


 人生の視線が、その一文を静かに追う。


「……早いな」


 掠れるような声で呟く。


 マウスへ手を伸ばし、通知の×印を押した。


 カチッ。


 次。


 カチッ。


 また次。


 画面を埋め尽くいていた通知が、一つずつ消えていく。


 やがて最後の一枚も閉じられ、モニターには元の画面だけが残った。


 何事もなかったかのように。


「……はぁ」


 人生はゆっくりと息を吐く。


 再び流れ始めるエンディングテーマ。


 その旋律だけが、静かな部屋に残り続けていた。


 最後の通知が消える。


 モニターには、いつものタイトル画面だけが残った。


 静かなBGMが、部屋の空気をゆっくりと満たしていく。


 人生はしばらく、その画面を眺めていた。


「……」


 やがて、机の上に置いていたコントローラーを手に取る。


 ケーブルをゲーム機へ差し込む。


 電子音が短く鳴った。


 接続完了。


 人生は小さく息をつく。


「今回はスピードランじゃない。」


 欠伸を噛み殺しながら、小さく呟く。


「記録を狙うわけでもない。」


 親指がスティックを倒す。


 カーソルはゆっくりと動き、


 **CONTINUE** を通り過ぎ、


 そのまま **NEW GAME** の前で止まった。


 以前の自分なら迷わなかった。


 最短ルート。


 最速クリア。


 世界記録。


 そのためなら、迷わず **CONTINUE** を選んでいただろう。


 だが今日は違う。


 ただ、もう一度。


 最初の村を歩いてみたかった。


 村人たちの何気ない会話。


 聞き飽きるほど耳にしたフィールドBGM。


 世界一を目指していた頃は、一度も立ち止まって眺めなかった景色。


 今日は、少しくらい寄り道してもいい。


 そんな気分だった。


 カーソルは動かない。


 人生は小さく笑う。


「最初から、か。」


 親指が決定ボタンへ触れた。


 カチッ。


 タイトル画面がゆっくりと暗転していく。


 人生は椅子へ深く身体を預けた。


「ふぅ……」


 長く息を吐く。


 自然と瞼が閉じていく。


「村長の娘にも、久しぶりに会うか。」


 誰に聞かせるでもない独り言だった。


 ほんの一度だけ。


 ゆっくりと瞬きをする。


 ――その瞬間。


 背中を支えていた椅子の感触が、ふっと消えた。


「……?」


 人生の眉がわずかに寄る。


 部屋中に響いていたPCの冷却ファンの音が消える。


 ゲーム機の駆動音も。


 時計の秒針も。


 何もかもが、音もなく消えていた。


 静寂。


 いや――違う。


 どこからともなく、風の音が聞こえる。


 さらり、と。


 頬を撫でる柔らかな風。


 鼻をくすぐる湿った土の匂い。


 草の青い香り。


 どれも、この部屋にはあるはずのないものだった。


 人生はまだ目を開けない。


 それでも、閉じた瞼の向こうから温かな光を感じる。


 モニターの光じゃない。


 もっと柔らかくて。


 もっと自然な光。


 まるで――


 太陽のような。


 鼓動が、一度だけ速く鳴る。


 ゆっくりと。


 本当にゆっくりと。


 人生は瞼を開いた。


文法がまだ完璧じゃなかったらごめん。まだ初心者だから、温かい目で見てもらえると嬉しい。

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