第二話 彼女の名前(コードネーム)はFEF5619!?
平成28年11月26日、全面改稿を実施しました。
石田医院の石田啓医師は、どこか影のある細身の神経質そうな中年男性だった。
石田医師に彼女を預けると、無言で診察を始め、レントゲンなども撮って検査してくれた。
石田医師の看立てとしては、胸部や腹部の打撲は大したことが無く、内臓への深刻なダメージも、今のところは見られないという。
意識が戻らないのは、昏倒したときに後頭部を地面に打ち付けたからではないかと推定したが、脳にも異常が見られないので、一両日中には意識を取り戻すだろうと説明してくれた。
「身体のあちこちに異物が埋め込まれているがどうするか?」
「摘出手術をお願いできますか?」
「良かろう……、だが、その前に手術代は前払いだ」
「はい、ネットで調べて知っております。これが僕の全財産です」
怪我が大した事なくホッとしたところ、体内に埋め込まれた異物について尋ねられた。
彼女の身体には、自爆用の超小型高性能爆弾や、その受信器などが埋め込まれていることは、想像できる内容であったため、僕のほぼ全財産を渡して摘出手術を依頼した。
「手術するにはちょっと金額が足りないが、この美しい少女に免じて引き受けよう」
石田医師は、勿体ぶってはいたのだが、なんとか摘出手術をして貰えることになったのである。
「通常の摘出手術では、大きな傷跡が残ってしまう。この美しい少女の全身がフランケンシュタインのようになってしまい、摘出手術が成功しても可哀想なことになるが、俺の術式ならほとんど傷跡も残らず完治するよ」
「石田先生、よろしくお願いします」
「うむ、全力を尽くそう。摘出手術の術式は、――」
石田医師は、摘出手術の概要を説明してくれた。
摘出手術では、メスで皮膚を切り裂き、筋肉などの生体組織を鉗子などで広げて異物を摘出するのかと思っていたのだが、実際には皮膚に小さな傷口を作り、マイクロマニュピレーターを挿入して異物を摘出するのだという。
そして摘出した後は、傷口に医療用のナノスキンを貼りつけて終了という、お手軽なものだった。
そして、摘出された危険な異物は、石田医師の伝手で処分して貰うこととなったのである。
こうなっては、彼女の素性は、石田医師にはバレバレではあったが、気付かぬ振りをしてくれている様子だった。
「明日になれば意識も戻るだろう。摘出手術の身体への負担は、大した事がないので、そのまま退院できるだろうよ」
石田医師から術後の経過予測が説明されたため、僕は一度自宅に戻り、明日出直すことにした。
なお、術後の痛みで暴れるといけないので、ベッドに拘束しておくと説明されていたが、彼女が逃亡する可能性を懸念しての処置のような気がした。
翌日は、都合の良いことに日曜日で、母に事情を説明するまでもなく石田医院を訪れることが出来た。
ちなみに父は、海外赴任中のため、ずっと家を留守にしている。
「おはようございます、石田先生。彼女の容態は如何ですか?」
「少女は既に覚醒しているよ」
医院に入ると、石田医師から少女の状況説明を受け、彼女が拘束されているベッドに向かった。
彼女のベッドは個室にあり、僕は他人を交えず、彼女と初めの相対をする事が出来た。
「わたくしは、ネクロ所属の下級戦闘員『FEF5619』であります」
FEF5619は、僕の姿を認めると、可哀想なぐらい緊張した面持ちと、震える声音で語り出した。
その声は、可愛らしい少女のものであったが、形式張った軍隊言葉で報告をしているような感じである。
まあ、正直言って「キィー」とでも言われたら如何しようかと思い悩んでいたのだが、流石に杞憂に終わってホッとしたものであった。
「貴官は組織の命により、自爆装置が作動不良で生き恥を晒していたわたくしの自爆装置を回収されたのでありますか?」
どうやら、摘出手術の痕を確認したのだろう。
「そして尋問後に、わたくしを処分するために訪われたのでありましょうか?」
下級戦闘員のFEF5619は、観念したような、諦観の表情で問い掛けてきた。
「お手数をお掛けして申し訳ございません。無理なお願いであることは承知しておりますが……、処刑されるときには反抗は致しませんので、一息でお願いします……」
僕が無言でいると、肯定と勘違いしたのか、僕の事を組織の処刑人と思い込んでいるらしく、淡々と話してきた。
美少女の何もかも諦めたかのような表情は、見ていて辛いものである。
FEF5619の見た目はとても可愛いが、やはり悪の秘密結社の『下級戦闘員』なのだなと思われるのと同時に、FEF5619には名前が無く、認識番号で管理される最下級の駒であるという現実は、僕にとっては逆に都合の良いものであった。
つまり、悪の秘密結社としては、この可憐な少女の生死に興味が無く、作戦後の機密漏えいのみに注力しているだけだと思われたからである。
「僕は高木慎一、普通の高校生だよ。昨日、偶然に倒れている君を見つけたので、この医院に連れて来たんだ。君の名前は『FEF5619』というの? 可笑しな名前だね」
僕が自己紹介と昨日の簡単な説明をしてあげた。
「一般人!? な、何ということ!!」
FEF5619は、そう言って絶句している。
「わたくしは未帰還戦闘員扱いであり、偶然の悪戯か自爆も出来ずに生き残っただけでも処分されるのに十分な理由なのに……。一般人に素顔を晒したばかりか、会話するなんて……」
FEF5619は、間も無く泣き出してしまった。
「これでは……、見せしめのために酷い拷問を受けた後に処刑されるわ……」
FEF5619、呟きながら嗚咽している。当初とは打って変わり、泣き出したFEF5619は、普通の女の子らしい護ってあげたくなるような可憐さだった。
「たぶん、悪の秘密結社は、君のことをロストしていると思うよ。それに、君の身体に仕込まれていた異物は全て摘出したから……、君は自由になったと思うんだけど……」
しばらく待って、落ち着いて来たので、状況説明をしてあげた。
「自由……!? どうして、そこまでして頂けるのですか? わたくしはただの消耗品です……」
FEF5619は、泣き腫らした瞳で訴え掛けてきた。
「君がとても可愛いから!! では理由にならないかな?」
「本当ですか?」
僕はFEF5619の可愛さと、その裏に隠された独占欲で答えたところ、疑わしそうに訊いてきた。
「僕も君を見つけた当初は、警察に通報する心算だったんだけど……。仮面が外れ掛けていて、偶然にも綺麗な黒髪と顔の一部が見えたから、気になって仮面を外したんだ。もし、僕があの時に通報していたら、今頃君は『殺処分』されて骨灰になっていると思うけど……」
僕の醜い独占欲を糊塗するために、FEF5619に畳み掛けた。
FEF5619自身も改めて状況確認してみたが、少年のいう通り結社は、自分のことをロストしている可能性が高そうだ。
しかも、体内に仕込まれていた自爆装置なども取り外されている……。
「……わたくしは……、生きていても良いのでしょうか……」
FEF5619は、呆然としながらも、誰かに許しを請うように呟いた。
「少なくとも、僕は君に生きていて欲しいな」
一時は、絶望していたFEF5619であったが、だんだんと昨日からの経緯が理解されるのに伴い、今まで感じたことのなかった安心感が心の中に広がっていき、強張っていた身体が徐々に弛緩していった。
「拘束具を外したいんだけど、良いかな?」
僕は、FEF5619の瞳を見詰めながら尋ねた。
「はい……」
それに対して、FEF5619も素直に、答える事が出来たのである。
程無くして、ベッドに拘束されていたFEF5619は、解放された。
「起き上がる事は出来る?」
僕は、殊更に優しく声を掛けた。
だがそれは、FEF5619にとって初めて掛けられた優しい言葉で、今度は嬉涙が頬を ― ツウゥゥ ― と伝っていった。
嬉しくても涙が出るという事は、FEF5619にとって初めての経験だった。
戦闘による打撲と、摘出手術によるダメージは確かに辛かったが、寝込んでしまう程では無かったらしい。
「命を救って下さり、ありがとうございました」
FEF5619は、ゆっくり起き上がると、僕に向かって頭を深く下げ、お礼を言う事が出来たのであった。
FEF5619は、下級戦闘員の中でも、華奢で体力が無かったことから、訓練ではいつも、罵倒されていた。
また、昨夜の作戦でも正面戦力として期待できなかった事から、斥候として戦場から離れた場所で索敵していたのだが、皮肉なもので、昨夜の戦闘で生き残ったのは、実はFEF5619のみだったのだ。
一方、僕は、FEF5619が起き上がれた事にホッとした。
実はもう、お金が殆ど無かったのだ。
「FEF5619は、これから何処か行くあてはある?」
「結社から外れてしまったわたくしには、何処にも行くところがありません」
僕がFEF5619の進退を訊いてみると、当然のことながら、そんなものは無いと寂しそうに答えてくれた。
「FEF5619が良ければ、僕の家に来ない?」
「わたくしのような下賤な『もの』がお邪魔してはご迷惑を掛けてしまいます」
FEF5619は、僕の申し出を断わった。
「是非来て欲しいんだ!!」
僕は、再び言い募った。
「本当に宜しいのでしょうか?」
「もちろん!!!」
僕の熱心な説得により折れたFEF5619は、僕の家に身を寄せる事となったのである。
「そう言えば、名前が無いと不便だね」
「そうでしょうか? 今までは認識番号だけで十分でしたが?」
「FEF5619では僕が呼び難い。好きな呼び名はある?」
「いえ、今までそんな事は考えたことも御座いません」
「じゃあ、僕が名付けても良い?」
「……はい」
「では……、キリカと言うのはどう?」
「綺麗な響きですね」
「じゃあ、キリカで決まりだ!」
こういった会話を経て、『FEF5619』は、『キリカ』と名乗る事になったのである。
その後も、キリカの人物設定として、暴漢に襲われて倒れていたところを僕が助けた。
気が付いたキリカは、一時的な記憶障害のためか、名前しか覚えていなかったというストーリーを僕は、でっちあげた。
ここまで決めたふたりは、石田医院を出て、古着屋でキリカの衣装を整えた。
また、僕は街を歩いていて暴漢に襲われたらしい路上で倒れていた少女を助けたのだけれども、少女はキリカという名前しか覚えていなかったこと、警察に連れて行ったのだけれども身元を引き受ける人がいなかったので、しばらくの間、家で預かる事になったことなどを自宅の母響子に連絡した。
母は僕からの突然の連絡に、完全には納得しなかったものの、少女を預かることは渋々了承してくれた。
ここまで準備した僕は、キリカを伴って帰宅の途に就いた。
キリカは稀有な美少女であったため、彼女を連れた僕は、母響子からの嫉妬まじりの視線に晒されるという、初めての体験をすることになる。
そして、やっとの事で自宅に辿り着き、玄関を開けると母が待っていた。
そして、母は、キリカをひと目見て気に入ってしまったのだった。
こんな訳で、ごく普通の高校生である『慎一』と、悪の秘密結社の下級戦闘員だった『FEF5619』こと『キリカ』が同居する事になったのである。