風神
こんにちは! あまはる です!
この物語を手に取っていただきありがとうございます。
※本作は史実を元にしたフィクションです。
実在人物を題材にしていますが、人物描写・会話・逸話などに独自解釈と創作を多く含みます。
心にゆとりを持ってお読みください(^^)
更新は21:00になります♬.*゜
筑前の空は、重かった。
夏の湿気を含んだ風が、立花山城の木々をざわりと揺らしている。
城内では、人の流れが止まらない。
丸太を運ぶ者。
矢束を数える者。
兵糧俵を積み上げる者。
石をつめて防壁を強化している足軽までいる。
戦の準備は、もう日常みたいになっていた。
だが。
城を包む空気の奥には、別の緊張がある。
――島津は、止まっていない。
「秀吉様より、停戦命令が出ています」
小野鎮幸が静かに言った。
広間には、宗茂、誾千代、十時連貞、薦野増時。
立花家の主だった面々が揃っている。
「島津側へも正式に届けられたそうです」
「で?」
十時が腕を組む。
「島津は止まってるか?」
小野は一瞬だけ黙った。
「……止まってません」
「でしょうねぇ……」
薦野が遠い目になった。
もう胃が限界だった。
「なんなんですかあの人たち」
「勢いが怖いんですよ」
「わかっている」
宗茂が短く返す。
その視線は、地図へ落ちたままだった。
筑前。
筑後。
肥後。
崩れた線。
残っている城。
どこが抜かれれば、どこまで崩れるか。
もう頭の中で全部繋がっている。
「止まるなら、ここまで来ていない」
静かな声だった。
秀吉の名は大きい。
天下人。
今、日本で最も勢いのある男だ。
だが。
今の島津にも、勢いがある。
勝ち続けている軍は、簡単には止まらない。
「“秀吉が来る前に終わらせる”つもりでしょうね」
小野が言う。
「大友を潰す気です」
空気が重く沈む。
誾千代だけが、少し眉を寄せた。
「……そんなに急ぐの?」
「急ぐさ」
宗茂が答える。
「天下人が本気で動けば、島津も無事では済まん」
つまり。
島津にとっても、“今”が勝負ということだった。
風が吹く。
湿った、生ぬるい風だった。
その時。
「高橋紹運様、ご到着!」
広間の空気が変わった。
誾千代が、はっと顔を上げる。
入ってきた男を見た瞬間、その目が少し揺れた。
高橋紹運。
誾千代の義父。
そして、宗茂の父でもある。
穏やかな物腰の奥に、鋼のごとき強さを持った武将だった。
鎧姿ではない。
だが。
立っているだけで空気が変わる。
温厚篤実。
泰然自若。
まるで、“風”そのものみたいな男だった。
「息災であったか」
紹運が笑う。
「なんだ、暗い顔だな」
「父上」
宗茂が立ち上がった。
紹運は宗茂を見る。
その目は、どこか満足そうだった。
立花家へ入った頃より、ずっと顔つきが変わっている。
戦場の顔だった。
「島津はどう動くと思いますか」
宗茂が問う。
紹運は即答した。
「来る」
迷いがない。
「止まらいだろうな」
その一言だけで、全員が理解した。
この男もまた、同じ景色を見ている。
「岩屋へ入る」
一瞬。
誾千代の瞳が揺れる。
岩屋城。
立花山城へ至る道を塞ぐ、前線の城。
つまり。
一番危険な場所だった。
「父上」
宗茂の声が低くなる。
「兵が足りません」
「知ってる」
「城も小さい」
「知ってる」
「防御にも限界があります」
「知ってるわ」
紹運は笑った。
全部分かっている顔だった。
だからこそ。
誾千代は、少しだけ怖くなる。
「……なら」
宗茂が静かに言う。
「退けば、生き残れます」
広間が静まった。
十時も。
薦野も。
小野も。
誰も口を挟まない。
紹運は、宗茂を見た。
その目は厳しい。
だが、どこか嬉しそうでもあった。
「その先は?」
短い問いだった。
宗茂は答える。
「……立花山です」
「その先は?」
「博多」
「その先は?」
一瞬だけ沈黙。
「……大友が崩れます」
紹運は静かに頷いた。
「なら退けん」
それだけだった。
重い言葉だった。
誾千代の胸が、ぎゅっと痛くなる。
分かってしまった。
この人は、最初から戻る気がない。
でも。
紹運は、まるで気にしていないみたいに笑う。
「なんだその顔」
ぽん、と誾千代の頭を叩く。
「泣くな」
「……泣いてない」
「目、赤いぞ」
「赤くない!」
睨み返す。
紹運はおだやかに笑った。
「元気でよろしい」
その空気だけが、少しだけ救いだった。
宗茂は、ずっと紹運を見ていた。
止められない。
この人は、もう決めている。
ならば。
言うべきことは、一つしかなかった。
宗茂は静かに頭を下げる。
「……時間を稼いでください」
紹運が目を細めた。
「任せろ」
短い。
だが、力強かった。
その日の夕刻。
高橋紹運は、兵を率いて岩屋城へ向かった。
空は曇っている。
風が強い。
◇
誾千代は立花山城の城門から、紹運を見送った。
「旦那様」
「なんだ」
「義父上、戻るよね」
宗茂は、答えなかった。
風だけが吹く。
誾千代は唇を噛む。
分かっている。
でも。
まだ信じたかった。
立花山城を出て、岩屋へ向かう紹運の背中は大きかった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。




