第2話 造られた美
【口裂け女】
口裂け女とは、日本の都市伝説として広く知られる怪異である。マスクをつけた女性が子供や通行人に「私、きれい?」と問いかけ、「はい」と答えるとさらに執拗に迫り、「いいえ」と答えると激昂して襲いかかるとされる。その口元は耳元まで裂けているとも語られ、刃物を持って追いかけてくるという話が各地で広まった。1970年代に噂が急速に拡散し、学校や地域社会に恐怖をもたらした存在であり、時代によって外見や行動は変化しながらも、人々の不安や美への執着を映し出す怪異として語り継がれている。
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その国では、“顔”がすべてだった。
彼女は、その基準から外れていた。
しかし両親は綺麗だった。
誰が見ても整った顔立ちで、街を歩けば振り返られるような存在だった。
――なのに、どうして私は。
鏡を見るたびに、その疑問が浮かぶ。
幼い頃からこう言われてきた。
「どうしてこんな顔なの?」
「本当にあの人たちの子?」
それでも両親は優しかった。
誰よりも彼女を大切にし、愛情を惜しまなかった。
それだけは、疑いようがない。
学校でも、最初は同じだった。
皆それぞれに顔立ちは違い、特別な差などなかった。
だが――ある日を境に、すべてが変わる。
翌朝、クラスに現れた友人は、別人のように綺麗になっていた。
目は大きく、鼻筋は通り、輪郭は整っている。
「……え?」
思わず声が漏れる。
「どうしたの?」
友人は、以前と変わらない調子で笑った。
だが、その笑顔すら違って見えた。
理由を聞こうとした。
だが、その前に彼女は別のグループへ向かった。
クラスで一番“可愛い”とされる子たちのところへ。
そして――それが始まりだった。
次の日。
また一人、綺麗になる。
その次の日も。
まるで順番が決まっているかのように。
気づけば、彼女の周りから人がいなくなっていた。
話しかけても、視線すら合わせてもらえない。
無視。
笑い声。
ひそひそとした会話。
「まだ、やってないんだ」
「かわいそう」
その言葉が、耳に残る。
気づけば、彼女は一人になっていた。
そして、決めた。
――やらなきゃ。
両親に話した。
最初は反対された。
「そのままでいいじゃないか」
「十分にかわいいわよ」
だが、彼女は首を振る。
「違うの。ここでは違うの」
何度も話し合い、最後には折れてくれた。
「どうしてもなら」
そう言って、費用を出してくれた。
病院は静かだった。
白い壁。無機質な匂い。
医師は慣れた様子で資料を広げる。
「理想の顔はありますか?」
彼女は雑誌を開く。
そこには、完璧なアイドルの顔。
「これに近づけたいです」
医師は頷く。
「可能です」
その一言に、すべてを委ねた。
だが、彼女にはひとつ強い希望があった。
「口を、小さくしたいです」
それが、ずっとコンプレックスだった。
大きすぎる口。
笑うと目立つ。
指摘され続けてきた。
「分かりました」
医師は淡々とメモを取る。
「調整しましょう」
手術は成功した。
鏡に映る自分は、別人だった。
整った顔。小さな口。
理想に近い。
「……やっと」
涙がこぼれた。
翌日、学校へ行く。
視線が集まる。
驚き。羨望。
そして、あのグループの一人が手を振った。
「こっち来なよ」
その一言で、すべてが報われた気がした。
昼休み。
初めて一緒に食事をとる。
だが――
食べにくい。
口が、うまく開かない。
笑顔を崩さないように、少しずつ口に運ぶ。
だが、うまくいかない。
焦る。
周りの視線が気になる。
そして――
無理に口を開いた瞬間だった。
ぱちん、と何かが弾ける感覚。
次の瞬間、痛み。
熱い。
血の味。
誰かが悲鳴を上げる。
鏡に映ったのは――
裂けた口だった。
元の大きさに戻るように、縫い目が引き裂かれていた。
救急車のサイレン。
再手術。
長い時間。
そして、残ったのは――
大きな傷跡。
以前よりも、目立つ口。
病室で、彼女は泣いた。
誰も来なかった。
友人も。
あのグループも。
誰も。
廊下から聞こえる声。
「見た?」
「やばいよね」
「気持ち悪い」
笑い声。
ここは、美の国だった。
退院後、彼女は学校に戻った。
だが、そこに居場所はなかった。
露骨な視線。嘲笑。
そして、無視。
数日で、通うのをやめた。
家に帰る。
静かな部屋。
怒りが込み上げる。
友人への怒り。
そして――
可愛く産んでくれなかった親への怒り。
「どうして……」
部屋に入り、物を投げる。
壊す。
叫ぶ。
その中で、一枚の写真が目に入る。
母親の昔の写真。
そこに写っていた顔は――
今の姿とは違っていた。
どこか、似ている。
彼女に、前の私に。
胸がざわつく。
父のアルバムを開く。
そこにも、別人の顔。
理解した。
――みんな、そうなんだ
この国では、誰もが“作られている”。
外見だけで選ばれ、
外見だけで結ばれ、
外見だけで価値が決まる。
だから、生まれてくる子供には何も残らない。
作り替えた顔は遺伝しない。
美しさは、受け継がれない。
バラバラでグチャグチャの遺伝子。
だから――
また繰り返す。
彼女は笑った。
涙は出なかった。
数年後。
雨の日。
人通りの少ない道に、赤いレインコートの女が立っている。
傘はさしていない。
顔はマスクで隠れている。
通りすがりの人に、声をかける。
「あの……、私って……、綺麗…ですか?」
答えは決まっている。
「え、ええ……」
その反応に、彼女は微かに頷く。
「ありがとうございます」
そして、もう一度聞く。
「あの……口は、どうでしょうか」
戸惑う相手。
「はい?」
ゆっくりと、マスクに手をかける。
外す。
そこには――
裂けた口。
以前よりも、さらに大きく。
傷は膿み、歪み、広がっている。
悲鳴。
逃げる足音。
彼女は、それを見つめる。
そして、微笑む。
その感情が何なのかは、誰にも分からない。
ただ一つだけ、確かなことがある。
彼女は今、誰よりも“目立つ”。
この国で、最も“個性的”な顔として。




