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女神の寵愛を受けた男爵令嬢と受難の日々  作者: ひなゆき


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98 奪われたくないもの 

まさかのアンナのお話しが2話続きます!


『―――それ以上はやめたほうがいい。……嫌な予感がする』


 

 この時はまだダンがここまで重度の口下手だと知らなかったから、いきなり強面の男に声を掛けられたアンナは飛び上がるほど驚いたものだ。



 この日を境にアンナの運命は大きく変わった。









 アンナ・アボットはわりと裕福な子爵家の長女だった。

 母を幼い頃に亡くしその悲しみが癒える間もなく義母と義妹が出来たが、これはきっとどこにでもあるありふれた話しなのだろう。


 六歳のアンナと一歳しか変わらない義妹が父の子だと言われても、これも普通によくある話しだったので別に驚かなかった。


 そして義母からご飯を抜かれる、服に隠れて見えない部分を打たれるなどの虐待を受けるのも想定内。心を無にしてやり過ごす。


 アンナは幼い頃から神童と呼ばれるほどの優れた頭脳を持つ子どもだった。

 母が亡くなってからは家庭教師などつけてもらえなくなったが、六歳にしてすでに王都の学園に通えるほどの教養は身につけていたから問題はない。


 記憶していた薬科辞典を頼りに庭に生えている草でオリジナルの傷薬を自作したり、夜中のキッチンに忍び込み手際よく料理を作ったりしながら逞しく生きていたアンナが七歳になった頃。

 知能が低すぎてまったく話しが噛み合わないと常々思っていた義妹が、輪を掛けて意味の分からないことを言い出した。



「お友だちに『お姉さんのことイジメてるの?』って聞かれて困っちゃったんだけど〜!もうどうしてくれるのぉ〜?」


「……」



 困っちゃったと言われても紛れも無い事実だろうという感想しか出てこず、アンナにはどうすることも出来ない。


 アンナの洋服から使っていた部屋から母の形見から父親の愛情まで(これは元からなかった)、なんでもかんでも根こそぎ奪っていき、義母に追随するかのようにアンナをいびり倒しておきながら何を言ってるんだか…やはり話しが通じないようだ。



「私思ったんだけど〜お姉さまがそんなにみすぼらしくてガリガリだから〜私がイジメてるって勘違いされるのよ〜!

 だから太りましょう!ねっ?いい考え〜」


「………」



 義妹は一人違う世界に生きているのだろうか。「ねっ?」と首を傾げられてもアンナは何も共感出来なかったが、しかしここにはまさかの異世界人がもう一人存在する。


「確かにそうね…!」



 義妹の言葉にすんなり納得した義母による新たな虐待がこの日から幕を上げた。



 毎日三食プラスおやつが食べられるようになったのは歓迎すべき事だったが、その内容がどうしても頂けない。

 ある日の昼食メニューは分厚いステーキ肉(脂身多め)のオリーブ油がけ、付け合わせの量を超えた大盛りマッシュポテト、バターたっぷりクロワッサン五個、糖質過多のホイップましましパンケーキ・蜂蜜を添えて。


 これらすべて食べ切るまで席を立つことは許されない。

 唯一血の繋がった父親がまったく役に立たない以上、アンナは出された食事を食べるしかなかった。気分はさながらフードファイターだ。



 こんな生活を毎日続けていれば、十歳になる頃には立派なおデブへと進化を遂げる。

 アンナに出来たことといえば病気にならないよう血糖値の上昇を抑える薬を開発したり狭い部屋の中を何百周もして動けないデブにならないようにすることだけ。


 迎えた祝福の儀の日だって誰もアンナの誕生日を覚えていないのだから一人で教会まで行くしかない。

 イジメてないアピールのためか、ドレスだって買って貰えたし外出するときは馬車を使うことも出来たので、ボロボロの服で歩いて教会まで行かずに済んで助かった。



 これまで何もかも奪われてきた。体形や容姿までアンナの思い通りにならなくなった今、さすがにあいつらに奪われるものはこれ以上ない。



 そう思っていた―――この祝福を授かるまでは。




『人にものを教える能力が上がる祝福』 



 一瞬で理解した身に宿る祝福の力は、アンナが教えたことはどんなに難解なことでも相手が理解する確率が上がるというもの。


 天職は家庭教師だろうか。

 受け持った生徒が絶対に優秀になると約束されたようなものなのだから、皆こぞってアンナに教えを請うようになるだろう。




 もう奪われるものは何もない?




 いや、まだ残っている―――これまでにアンナが手に入れた知識だ。



 ティア神様は、この祝福であいつらに知識を差し出し己の有用性を示して虐待から逃れなさい、というお気持ちで祝福を授けて下さったのかもしれない。


 でも、そんなのは嫌だ。


 ―――私の知識だけは絶対に誰にも奪わせない。


 


 祝福の儀を境にアンナはこれまで避けていたお茶会や子ども同士の集まりに積極的に参加するようになる。

 この頃のアンナは醜く太った容姿と体型のせいで「実は私がお姉さまに虐められてたの…くすん」とあちらこちらで吹聴しまくる義妹の言葉に信憑性を持たせてしまい、会ったこともない人達にまで嫌われていた。


 だがそんなことは気にしていられない。

 後ろ指をさされてデブだと罵られようが、扇で隠し切れない嫌悪の表情で見下されようが、図書館などに何年も行かせてもらえないアンナが勉強出来る時間はこの時だけ。  

 

 そのためお茶会を開催している貴族家に積極的に赴いては、本を読ませてもらったり、大人達の会話を盗み聞きしたりして新しい知識をどんどん蓄えた。



 十五歳になったアンナは親に黙ってイルドラン学園の入学試験を受け、その結果はなんと首席での合格。

 これには王都の貴族達がいっとき騒いだようだが、もっと騒がしかったのはうちの異世界人達だ。



「なぜお前が名門イルドランに合格してるのよ!!」 


「ずるい〜私も来年そこに行く〜!」


「っ、まさか祝福の力……!?そういえばお前の祝福は何なの!?言いなさい!!」


「なになに??お姉様祝福でズルしたの??」


  

 アンナが祝福の儀を受けたのは五年も前の話しなのに、祝福は何だと聞かれても今更感が強い。

 アンナは自分の祝福についてしつこく訊ねられても、食事量を増やされても、折檻されても絶対に口を割らなかった。

 幸いにも義妹がすぐに飽きてどこかに行ってくれたおかげで、義母の興味も薄れ命拾いした。



 学園に入学すれば異世界人達の相手をしなくて済むから落ち着いた環境で勉強出来るかと思えば、高位貴族の連中が絡んでくるのでまったくそんなことはなかった。



「子爵令嬢の分際で首席を飾るなんて生意気よ!」


「なんて醜いんだ。器量が良ければお前の知識目当てで側に置いてやったというのに」


「俺達の代わりに課題をやっておけ。筆跡は全部変えろよ」


「制服が弾けそう…。ふふ、ご自分でみっともないと思わないの?」


「お前今新しい論文を書いてるそうだな?出来たら俺に寄越せ!」

 


 さすがに高位貴族相手に義母や義妹のように適当にあしらうことも出来ず、「申し訳ございません」「恐れ多いことでこざいます」「感謝致します」の言葉を使い回してなんとか乗り切る。


 でもさすがのアンナも色々と疲弊していた。


 二年生になっても自身を取り巻く環境はなにも変わっていない。

 義母がアンナの婚約者を探し始めていると、義妹が楽しそうに教えてくれたので状況は悪化していると言ってもいいかもしれない。


 どこにこんな脂の滲み出た女を貰ってくれる物好きがいるというのか。本来ならばアンナが婿を取り子爵家を継ぐはずだがそんな未来が来るはずもなく、義母は必死にアンナが一生苦しめる嫁ぎ先を探していた。




「はぁ……」


 アンナは学園内にある見事な庭園のガゼボで一人昼食を取っていた。


 イルドランに入学しても体重チェックのため週末には帰って来いと厳命されているので食事量を減らすことも出来ない。

 明日は週末で家に帰らねばならず、日々のストレスで少し落としてしまった体重を戻そうと高カロリーな食べ物をひたすら口へと運んでいた。この頃には何を食べても美味しいとは感じなくなっていたので食事ではなくただの摂取だった。



「っ、……」


 何か苦しい。吐き気もしてきたがアンナは気の所為だと思うことにして口の中の物を無心で飲み込む。

 チーズと蜂蜜たっぷりのピザをなんとか一枚食べきり、震える手をローストビーフサンドイッチへ伸ばそうとすると―――




「―――それ以上はやめたほうがいい。……嫌な予感がする」


「!?」


 

 アンナがバッと振り向くと恐ろしく人相の悪い男が花壇を整える手を止めこちらをじっと見ていた。



「ヒッ!!?あ、ごめんなさいっ」


 アンナはいきなり声を掛けられたこと以上にその顔が恐くて悲鳴を上げてしまう。

 失礼なことをしてしまったと慌てて謝罪するも、相手は眉間にシワを寄せて今にも殴りかかってきそうな表情をしているので手遅れだったかもしれない。



「…………もう、それ以上は食べない方がいい」


「え……?」


 殴るでもなく怒鳴るでもなく、「もう食べるな」という男の言葉にアンナは困惑する。

 それにしても声だけ聞くと意外と優しい印象を受けるな、とアンナは失礼なことを思った。


 言うだけ言うと、男は花壇に向き直り土いじりを再開する。あまりにも短い時間のやり取りで「今のは本当にあった出来事なのかしら」とアンナはポカンとしてしまう。



 今はもう違う花壇の方へと歩いて行ってしまったが、先ほどの男は学園に雇われた庭師か見習いだろうか。


 端的でぶっきらぼうな言い方だったが、その言葉にはアンナを気遣う気持ちが込められているような気がして…その気遣いを無駄にはしたくなくて、アンナはサンドイッチに伸ばした手を素直に引っ込めた。



 まさかこの出会いが自分の運命をこれほど変えてしまうことになるなんて、この時のアンナは思いもしていなかった。


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