#019
『居住区 旧羽田ターミナル駅にて』
息を呑んだ。
漏れるのは恐怖より絶望感。
「え、えすか!」
間違いない、あれはえすかの身につけていた白衣だ。無残にも三角に破れた白衣は、血の色を帯びながら、巨躯の口から落ちる。
「――あ、ありす様」
真面に話せる状態に回復したのか、トランスを解くマイちゃん。最後まで突っ走しってきてくれたけど、その手前、この仕打ちはあんまりだ。
「あれって……」
「……マイちゃん。今は目の前のコイツ――"スイッチ"に集中すべきよ」
こめかみ辺りに走る痛みを噛み殺し、私はその巨躯、"スイッチ"を見上げる。
デカい。ウィルのような筋肉質のゾンビより、一回り以上あるんじゃなかろうか。
しかし隆々とした腕や足は、どう見ても不自然な筋肉のつき方をしている。無駄な脂肪を取り払った絞りのある形じゃなくて、元々の筋肉を無理矢理に増幅させた感じだ。
そしてそれとは別に、胸元に埋め込まれた円状の機械が、怪しく光る。
あれは。
『くはははっ! 待ち兼ねたよ江ノ島の金髪ぅ』
その時、駅構内のスピーカーから下品な哄笑が流れてきた。
思わずマイちゃんに寄り添う。コイツ、まさか
『おやおやぁ、そんな険しい顔しなさんな。わざわざここで待っててやったこちらに、もう少し感謝の言葉くらい欲しいねぇ』
「……犯人登場、ってか」
全て理解する。コントロールルームたるこの辺鄙な空港駅の通り、犯人は私がここに来るのを予想していた。
ハナっから仕組まれてたのだ。この日に、この場に私が自らここに来る事を。
……つまり、こっちの情報を垂れ流してた者が、居たんだ。
「目的は何。私は、えすかさえ連れ帰ればそれでいいの。犯罪者との戯れは警察が担当よ」
『きひっ。金髪よう、本当にそれだけでいいのかぁ?』
やたら粘っこい口調が鼻に付く。あぁ、やっぱそうなんだ。私はこの声の主を知っている。
そうか。本当の本当に、1番初めから仕組まれてたんだ。
『こっちはよ、わざわざ"再現"してやろーって算段なんだぜ? なぁ分かるだろ? 終わらせてやるって言ってんだ――アンタの"悔いてる罪"をよ』
声に品定めをしてるかのような空気が宿る。要は"スイッチ"と戦えと、そう言うんだろう。
「余計なお世話よ犯罪者。終わらせるのは私。クソったれな真似したあんたをとっ捕まえてね」
もう過去を悔いてる私じゃない。罪なんぞ"喰って"やる私なんだ。
「ほらさっさとえすかを出しなさい。死んでないんでしょ」
私の言葉に、隣のマイちゃんが「え」と反応を示す。
最初は確かにやつの餌食になったのか、とか思っちゃったけど、この演出をしてくる辺り、それは近視眼的過ぎな考えだ。
『ああん? 鎌かけてるつもりか?』
「ゴミみたいな芝居ね。あんただってえすかに死なれちゃ困るでしょ。ハッカーの知識が無いんだから」
何となく察しがついていた。なんで"スイッチ"が初めて私たちの前に現れた時、奴は、私でなく、えすかを狙ったのか――意図的に傷を負わせたのか。
私をここに連れ出すためだけじゃなくて、奴も必要だったんだ、えすかの力が。
そう、テストがてら、ある程度ハッキングをさせてその技術を確認していた――"スイッチ"での一時的なコントロールではなく、永続的なコントロールを行わせるために。
「ひとえにアンディーと言っても、様々な機種がある。そういうのもあって、永続的なコントロールをするとなると、あんたの"スイッチハッキング"は一過性の力しかないんでしょ――ゾンビと同じで。だから大元であるコントロールルームの装置を使いたかった。そのためには、本物のハッカーの力が必要……違う?」
そうだ。最初からコントロールルームが扱えれば、コイツ自身の手でやっていた。私はコントロールルームの存在なんてさっきまで知らなかったからずっとえすかを狙った理由が分からなかったけど、ようやく合点が行った。
『…ちっ。面白くねえ』
"スイッチ"の背後から背の高いゾンビが現れて、担いでたボブヘアの女を床に投げる。がたん、と音を立てると、小さな呻き声。
えすかだ。ちゃんと、生きてる。
「えすか!」
『騒ぐなよ金髪ぅ。あんま煩くしてると、文字通り食わせちまうぜ?』
挑発的な物言い。よっぽど私と"スイッチ"を戦わせたかったのか。えすかをそんな目に遭わせてまでとか、ふざけんじゃない。
「……ごめん、ありす、ぼくとした事が」
「いい、気にしないでえすか。全部、コイツを倒せば済む事なんだから……!」
煮えたぎる怒り。今にもパンクしそうだったが、あくまでも頭は冷静を保つ。
戦いたいならやってやる。
「――マイちゃん、お願い」
私の一声に、激しいグロウルが鳴り響く。
「gHAYYYYYYYYYYY!!」
真正面から向かって行くマイちゃんに、"スイッチ"は微動だにせず、攻撃を受ける。鋭い突きが、ダン、ダン、ダン、と空気を裂く。しかし全く効いてる様子はなく。
「グゴギギ」
機械音かと思う程無機質で低い声。コイツ本当にゾンビなの、そんな疑問も束の間に巨躯が動く。淡々と構えるライフル。片手で放たれる銃弾は真っ直ぐマイちゃんへ飛ぶ。
「gEEEEEEEEEE……かはっ!」
避けようにも動きを読んでの射線に、一撃でマイちゃんのトランスが解ける。続け様に巨躯が駆け寄りよろけたマイちゃんを蹴り飛ばし、壁までぶっ飛ばされる。なんてパワーだ。
「マイちゃん! 瓦礫投げて!」
「は、はい!」
咄嗟の指示にマイちゃんが素早く足元の瓦礫を"スイッチ"に投げつけ目眩しをする。しかし、そんなのお構いなしに銃声とマイちゃんの悲鳴。
やばいやばい!
『くっはー! 推理だけは一丁前だったねえ金髪ぅ! でもアンタ、圧倒的に火力不足だぜ。くくっ、弱いねえ弱いねえ!』
犯人の煽りが耳障り。こんな反則級の個体使っといて良く言えたもんだ。劣勢のマイちゃんが半トランス状態になり相手の足元に入り込む。速い! 巨躯の分小回りが効きにくいとこを上手く付いた。
「レッツ大虐sHAAAAAAAAY!」
"スイッチ"のバランスを体当たり気味に崩させて、顔面に勢い任せの裏拳が入り込む。ノックバックしたところ、マイちゃんが手を伸ばしライフルを奪い取る!
「はぁ、はぁ、はぁ、ああああぁああ!」
次いで体ごと下からはい上げて、そのまま巨躯に乗り掛かる。逆転だ。両手で握ったトリガーを相手の胸元の円状に向かって撃とうとする――
が、中々トリガーが弾けない。
「な、な、なんで……おかしいです!」
本人は撃とうとしてる。けど、体が言う事を聞かない。それはつまり、あの現象と同じであるのを指し示していた。
『ようよう、あんま甘く見なさんな。そいつも"当然"、この電波は効く筈だぜ』
マスカレード……! 来たか。
察するに、あの胸元の円状コアからゾンビだけが受けてしまう特殊な電波を流してるのか。
けどね
「マイちゃん!」
「は、はい!!!」
ドゴン! 暴発的に銃声、心地は良い。
『な――』
「甘く見んなはこっちの台詞。"鎖"は私の言葉で戻せるわ!」
ミリィやリル同様、ノヴァの力に頼らなくても私が逃げなきゃ邪魔ぐらいは出来る。これでも区外で10余年やって来てんだ、あんま舐めんな。
特にマイちゃんは、「そういう事」だ。ゾンビ向き電波も、アンディー向き電波も、喰らうとしたら――半分。
この意味、分かる?
「グガァア!」
コアを撃たれてようやくダメージを負ったようで、ビクッと、跳ねる動作をしながら吐血する"スイッチ"。それに併せて過剰隆起してた筋肉が徐々に大人しくなって行く。なるほど、体自体もマスカレードしてたってか。
『……フフフ、そうかぁ。理解してたか、お前』
しかしそれでもなお余裕を見せる犯人の声。この後に及んで良い度胸だ。このまま弱体化させた"スイッチ"を仕留め――
「あ……」
昂ってきた血の気が、急に凍りついたのを感じた。
息が荒くなる。手で口を押さえ、胃液を吐きそうになりながら、目を開く。
「あ、ありす、様?」
ダメだ。マイちゃんの声が遠くなっていく。どうして、どうしてこんなにも、ただ「見た」だけなのに、立っていられなくなる程、乱されるの。
「い、ちじ、さん」
――知っていた。
この事件が始まってからずっと、彼が関わっていたのに気付いていた。だってこれは、過去の再現でしかなかったのだから。私が私を思い出す旅。「居住区」での始まりを終わらせる筈の日々。
けど、いざ目の前にするとこんなにダメなんだ。
"スイッチ"――犯人のゾンビとして再び生き返った、伊知寺深夜さんを見るだけで、こんなに。
……これも、エンパシステムの影響か。
「で、も、やらなきゃ……」
倒せる。今ならコアを破壊して元の姿に近い伊知寺さんを、ちゃんと眠りにつけさせる。私の手でなく、マイちゃんの手で、え、それでいいの、でも、やんなきゃ、マイちゃんその手で、私の代わりに伊知寺さんを、殺――
「ありす! 君がやらなきゃダメだろ! さっさと撃たせろ!」
えすかの切羽詰まる声。そうだよね。フードの下に見える懐かしいけど悲しい顔をした彼は、もう死んでるんだ。私が殺した前から。
ああ、そっか。私あの事件よりも前に、伊知寺さんの事知ってたんだ。思い出したよ。
確か昔、孤児院で――
「……マイちゃん、その銃で、彼を」
……あなたの妹さんとお友達になったんだっけ。
「撃っ」
マイちゃんへ命令を下す、その直前だった。
「兄さん!!!」
なんだか懐かしい声が聞こえた。