#020
最初は自らの記憶の声かと思った――違う。
今、たった今現れたんだ――彼の妹の、真昼が。
え、どうして。
「兄さん! 兄さん! ここに、居たんですね……わたし、わたしっ」
「ちょっ、真昼さん! 何してるんですか!」
重なるもう1人の姿。あれ、シヤラ? 真昼となんで2人でここに居るのか、すぐには理解が追いつかず、立ち尽くすしか出来ない。
『おーおー、やっぱり隠れてやがったのか、伊知寺真昼。お兄様のピンチに思わず出ちまったてか? 兄妹愛泣かせるねえ』
相変わらず煽るような口調が構内スピーカーから鳴った。犯人も彼女、真昼を知っているんだ。そりゃそうか――あの時も真昼も現場に居たんだし。
「もう、お兄さんの顔を見るだけだと言ってたのに……これじゃ犯人の思う壺じゃないですか」
「シヤラ、あなたまさか」
私たちが登ってきた階段の影からシヤラが頭を抱えて出て来る。雨具を着てなかったせいで、体中ずぶ濡れになっている。
「すみません、ありすさん。実は、えすかさんとルビーさんが居住区からここに来るまで、ずっと尾行しておりまして……」
「そういう事、ね……あなたは彼女の護衛かしら」
真昼のお兄さん、伊知寺深夜さんが"スイッチ"、つまりゾンビとしてここに現れた事を知って、居ても立ってもいられず来てしまったのだろう。シヤラはアンディーの一件もあったし、一般人の真昼を危険な目に遭わせる訳にはいかない。それで影から様子を伺ってたんだ。
けど、全部今の真昼の行動で、崩れてしまった。
「はい、と答えたいんですが、実はそれだけじゃないと言っておきます。今は犯人との戦いを」
少し切なさそうな顔で垂れる雨粒を手で拭うシヤラ。シヤラにもシヤラなりの思いがあってここへ来たのかも知れない。それ程までに、あの事件の被害が大きかった。
『警察、ねえ。こりゃまた、ご立派になられた事で。あんたは確か――』
瞬間、銃声が鳴った。
「きゃあ!」
「……っ、ライフル奪い返されたか!」
真昼たちに気を取られてる間に、マイちゃんが奪っていたライフルが暴発し、悲鳴が響く。まだ"スイッチ"として戦おうとしてるんだ。えらく皮の寄った腕を振り上げ、「彼」は血を吐きながら通路の奥に逃げる。それを合図に複数のゾンビが通路沿いの空間から現れてきた。
「ま、真昼さん! 大丈夫ですか!?」
慌ててシヤラが崩れ落ちた真昼を逃そうと肩に手を掛ける。が、中々動こうとしない。
「兄、さん……」
「もー真昼さんしっかりしてください! お顔が見られたのならもう良いじゃないですか! お兄さんはゾンビなのは変わらないんですよ!」
放心状態の真昼に、私は痺れを切らして歩み寄り、思いっきり引っ叩いてやった。
「え!? ちょっ、ありすさん何を!」
「……私だって、辛いの。あなたと同じくらい」
私の言葉に真昼は頭を垂れながらも、鼻水を啜りながら立ち上がる。昔過ぎて旧友、なんて呼んで良い関係か分からないけど、今の真昼は昔の真昼と違う。だからきっと、これだけで伝わる筈だ。ずっと同じ思いで何年間も生きて、今に至る事を。
「…………そう」
「ええ。だから逃げて。終わらせるのは私の役目だから」
シヤラに手を引かれながら後方に身を潜める真昼。接近してくるゾンビたちの唸り声が、大きくなっていく。息も絶え絶えながらマイちゃんが敵に突っ込み蹴散らしていく。が、もう彼女も限界が来てるのが明白だった。
「…………わたしには無理だったのね。 あなたみたいに、自分の声を届かせるのは」
小さく、真昼が呟いた気がした。
「はあ、はあ、これで、全部、です」
血肉を一杯に浴びながらマイちゃんが倒れるように座り込む。さっきライフルで撃ち抜かれたせいで大分痛みがあるようだ。肩口と足からの出血を止めようにも、その力が残ってない。
「マイちゃん、ごめんなさい。痛かったのに無理させて……」
「平気、です。ふふ、また、直して下されば、いいです、から」
「でも……」
私が駆け寄ると、一点を見つめながら呼吸を繰り返すだけの状態となるマイちゃん。えすかは以前、別のゾンビに身動きを封じられている。もう戦わせるのは難しいだろう。
「後は、私がやる」
あんなに無茶苦茶暴れ回ってたマイちゃんの手は、酷く小さく、そして震えていた。こんな状態になるまで頑張ってくれてたんだ。それだけでもう、十分だ。
『ようやく"それ"が静かになったようだな。さあ、2回戦と行こうかぁ?』
…………。
犯人の声に、私は底知れぬ怒りを覚えた。
「あなた、さっきからコソコソこっち見て話してるようだけど、自分の立場分かってる?」
『ああ? なあにが言いたいんだ』
「私はもうあなたの正体に気付いてる。いえ、私だけでなく、そこのシヤラも、ね」
皆まで言わぬ。コイツがもう完全に我々の手中にある事、コアを使ってゾンビを動かし、ジャミング装置でアンディーを支配した事。
そして、マイちゃんを私の勢力に「用意」した事。
あの時点で、不審に思うべきだったんだ。
「あなたは厄介な人間を敵に回したわ。事情はともあれ、必ず潰す」
牽制でもなく挑発でもなく、本気の通告だ。コイツは確実に葬る。
『おうおう、いい意気込みだねえ。くはは、いいぜえ。殺してみろよ。お前が生きてるうちにな!』
スピーカーを歪ませる犯人の声に、残存していたゾンビたちが蠢き出す。人間VSゾンビ。そんな歴史もあったのは事実だが、あくまでまあまあ昔の話。
今は少し、時代が違う。
「ありすさん!」
シヤラが心配そうにするけど、向かってくるゾンビに、私は動かない。ただ残存したゾンビ――彼らの表情、視線、息遣いを観察する。
それだけでいい。それだけで、彼らと対話出来る。
「これくらいの数なら、私だって役に立つわよ」
グロテスクな見た目。腐敗した肉体。すっかり見慣れたけど怯えてた過去もある。
あの時は特にそうだ。
「ゔぃいいい!」
その咆哮だって、本当は違うんだ。
「――この場所は、好き?」
「ゔぃいいい!」
「やっぱり、外が良いわよね。狭いのは心も狭くするわ」
私の行動にシヤラも、きっと真昼もただ呆然としてるだろう。目の前のゾンビにただ話かけているだなんて、無駄な事だ。
「海でも見ましょう。江ノ島なんかは自然が沢山あって穏やかな気持ちになれるわ。ねえ、マイちゃんもそう思うでしょ」
いきなりの私の振りに戸惑うマイちゃん。けど、ゆっくりと笑って「はい」と答えた。
「疲れたら、遊びに来てもいいわ。ゾンビールとアテのつまみくらいならあげるから」
「ゔぃいいい……」
「死んじゃった皆と一緒に、ね」
「………ぃいい」
「平気よ、ゾンビだもの。ちゃんと生き返るわ」
「…………」
不思議な光景だと思うだろう。だって言葉の通じないゾンビが、私の話に反応するように、動きを止めたのだ。
その凶悪な外面を、どこか寂しそうに前屈みになって、私の言葉を聞いていた。
理解してるかは知らない。所詮一介のアポトシスだ。でも、私がちゃんと言えば「届く」んだ。
例え末端のゾンビだろうが、生きてる限りは。
『おい何しやがった! 殺せ! その金髪を今すぐ!』
犯人の喚きに反応も示さなくなった周辺のゾンビたちは、戦意喪失したように立ち止まって動かなくなる。種も仕掛けも必要ない。敵だろうがちゃんと伝わる。
だって私は、オーナーだから。
「ありす、君ってば、本当無茶なやつだよ」
えすかを捕らえていた背の高いゾンビも私が歩いて来るのを見て拘束を解いた。彼もまた、好きでこんな事やってた訳じゃないんだ。
「大人数だとキツいだろうけどね、このくらいの数なら、大丈夫よ」
「……さすがオーナー」
殆ど賭けに近かったが、向こうには明確にネクロシスも私のようなオーナーも居なかった。それが功を奏した。
シヤラが言ってた通りだ。犯人にはオーナーの力が無い。
だから、遠回りしてしまったんだ。
「どのくらいその電波を使ってペテンしてたか知らないけど、あなたには一生、ゾンビだろうがアンディーだろうが、オーナーになるのは不可能でしょうね」
オーナーの力の付与はアトランダムなのかもしれない。でも、それを生かせられるかは、経験によるものが多い。
伊達に区外でしふどく生きてない、って事だ。
『……っ、いい気になりやがってよう。お前、どこまでこちらの目論見に気づいてやがった』
開かれた道を私は進む。まだ最後のゾンビが居る、その場所へ向かって。
「そのやたら回りくどいやり口から、大体察しがついてたわ。伊知寺さんを黄泉帰りさせてまで皆を集めようだなんて、本当性悪」
『抜かせよ。大体まだ誰もこっちの姿は見られてないんだ。犯人当てには早計なんじゃ――』
減らず口で対抗してくる犯人の様子が変わった。
『な、なんだ、周りが』
周囲のゾンビを沈黙させたお陰だろう、何となく予想してたのが犯人の周りを囲んだらしい。
『け、警察、だと、まさかお前』
「言ったじゃない、シヤラはあなたの正体に気付いてるって」
振り向くと、表情を引き締めてシヤラがこちらに歩いて来る。
懐には、無線。
ネットが切られても、アナログな彼らには関係なかった。
「喜田先輩から話を伺ってたんですよ。あの時と同じやり口で騒動を起こした人間がいる、って――」
シヤラが続けようとした時だった。スピーカー越しに怒鳴り声と乱闘の音が溢れ出す。見つけたんだ、犯人が――アイツがいる場所を。
『な、いつの間に、なんで"お前まで"ここに』
そして犯人が拘束される音。警察にしてはやたら物騒な言葉遣いで、犯人の元に潜入した集団が、マイクを奪った。
『随分と手間ァ取らしてくれたな、クソテロリスト。オイ江ノ島ァ、たった今犯人を拘束したぜ。たまにァ役に立つじゃねェか』
悪役さながらに言うと、潜入してた警察たちと、フロントのオマケが後方にある階段の上階から拘束した「それ」を突き落とした。
へえ、そっち側で私たちを見てたのか。
「くっ、そ、がああ!」
雑多に放り投げられた芋虫みたいになったそいつは、悪態を吐きながら必死に拘束から抜けようとする。だが、警察とフロントが協合してとっ捕まえたんだ。そう簡単に逃れる訳ない。
「ったくよォ、まさかコントロールルーム付近で待ち伏せたァ、てめェ、マジで趣味悪りぃな」
そして階段から降りて来るのは、背の低い影、葉巻――夏蝉だ。
「アンタの口調も大概趣味悪りぃわよ」
なんか犯人と似てたし、言い方とか。
「真昼のバカが予想通り無茶すっからイライラしてたんだよ。なァ、クソ妹、てめェ結局ここに来やがってよ」
「………っ」
叱責の代わりに葉巻煙が真昼の方へ向けられる。夏蝉も夏蝉でちゃんと犯人確保のために動いてたんだ。さすがフロントのオーナーだけある。
「クソ警官、てめェもだ。なァにノコノコ真昼と散歩してんだよ」
「えええ!? わたしもなんですか!」
何故か被弾を受けるシヤラ。不憫だ。彼女はただ付いてきただけなのに。
「ったりまえだ、あの根暗上司に減給申請すっからな」
「うう…」と泣きそうなシヤラを横目に、夏蝉が犯人の頭を踏んづける。それに続き、アサルトライフルを持った従者たちと警官が犯人を囲み銃口を突きつける。
「あんたはヘイトを買い過ぎたのよ。観念しなさい」
そして夏蝉の踏みつけに抗うように顔を上げるそいつに、一斉に視線が集まる。コイツがこの事件含め、最初の空港駅事件の首謀者で、黒幕。
「……ねえ、マイちゃん、これがあなたの本当の"主"よ」
長かった。巧妙に仕組まれた罠に尽くハマってしまった。
けど、これで、犯人探しは終わりだ。
「え、ありす様、それは」
「あなたは最初から、私のゾンビじゃない。コイツによって当時の記憶を"マスカレード"……いえ、デリートされた個体なのよ――そうでしょ」
吊り上がった目が、私を、私たちを憎悪と共に向いた。
「大宮ネッサンス」




