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中谷春香


 母の昔の事を何も知らない私は母の方を向いて話を聞き、母が昔すごい選手だった事、ドーピングの検査で陽性反応が出て引退した事、そして私と出会った事の話を聞いた。


 私が3歳の頃にバス乗り場で一人でいているのを母に見つけて貰い、育ててもらった。

 母は中学校の教師をしていて、私が幼い頃は牧場を経営している母の母方の叔父に預けられ、雪の降らない季節には馬や牛、犬や猫と牧場の中を走り回りよく遊んだ。


 母と大叔父は、そんな私を見ながら「まるで動物達と友達のようだね。動物達が、片腕のない歩を労わる様に遊んでいるよ」と、言っていた。


 冬には母と大叔父にスキーやスケートを教えてもらい。転んでも泣かず、笑いながら立ち上がり、すぐに遊び出して、母と大叔父に「強い子になるわね」と言われていた。


 幼稚園の頃には「左手がない」と、からかわれて男の子とも喧嘩をする位、活発な子だった。


 小学校に入学した時、別の幼稚園から入学して来た男子に「お前の母親は、本当の母親ではない」と言われ、泣きながら家に帰った。


 台所にいた母が泣いている私にきづき、私に近づいて来て「何かあったの」と聞いてきて、私は泣きながら「お母さんが『本当のお母さんじゃ無い』って言われた。本当なの」と聞いた。


 母は小さかった私の体を優しく抱きしめ、声を震わせながら「私は生みの親では無いけど、私が、あなたの本当の母親、お母さんだよ」と言ってくれ、私は「腕が無いって、からかわれるのは嫌じゃないけど『本当のお母さんじゃ無い』って、言われるのは嫌だ。」と言い、泣き疲れるまで泣いた。


 それを聞いていていた母は涙をぬぐいながら、やさしい表情で私を見つめてくれていた。


 翌日、学校から家に帰り、母が時々ジャージに着替えて走っているのを知っていた私は、母に「手が無いから両手を使う事は出来なきけど、走る事なら私にも出来るよね。お母さんと一緒に走りたい」と言い、私は走りはじめた。


 以前から活発で負けん気の強かった私は他の子に比べ周りの人達が驚くほど走るのが早くなっていったが、中学校に入学した頃、左手がないため腕が振れず走るホームが悪くスピードが乗らなくなっていた。


 母が大叔父に義手の事を相談してくれて、大叔父の知り合いの人に札幌にある大道病院の整形外科の先生を紹介してもらい、見てもらう事になった。


 病院に行き、先生に見てもらうと「成長期なので今義手を作っても、何度も作り直さないといけないから、もう少し待った方が良い」と言われ、母と大叔父と大叔父の牧場に来ている獣医師が私の右手の重さを量り、右手と同じ重さの義手を木で作てくれて、包帯で腕と義手を巻き付け、私が成長する度に何度もそれを作ってくれた。


 私は大会には1度も出場せずに、釧路の高校に通う事にした。


 高校に入学する頃には母が驚くほど私は速くなっていて。母の進めで病院に行き義手を作ってもらい、その義手を付け、本格的にマラソンの指導を母から受けはじめた。


 

 母の話が終わると、頷きながら聞いていた陽子さんが「私とマリアは今でもドーピングはしてないって信じているよ、すごく心配していたのだから」と、母の手を握りしめながら言った。


 母は笑顔になり「ごめんね」と言って、涙を流し、陽子さんも泣いていた。


 優が涙を堪えながら、震えた声で、鉄パンに指差し「さっき持って来てくれたお好み焼き、こげちゃうよ。」と言ったので、みんなが、そっちを見て笑いだした。


 母と陽子さんは学生時代の話で盛り上がり、陽子さんが日本マラソン会の副会長になった事を母に話していた。


 私は、優のアメリカでの話を聞きながらモダン焼きを食べ、盛り上がり。帰りに母と陽子さんは、お互いの携帯番号を交換し、陽子さんが「本当に困った事があったら必ず連絡して、私に出来る事なら何でもするかね」と、母に言ってくれていた。


 

 翌日、お昼過ぎに釧路空港に着くと大叔父が迎えに来てくれていた。


 大叔父が私達を見つけ手を振りながら近づいてきて、私の目を見つめながら

「優勝おめでとう。凄かったよ、頑張ったね」と優しく言ってくれて、

 レース後いろいろあった私は、初めてレースに勝ったとゆう思いが湧きあがり、涙を堪えながら下唇を噛みしめて頷いた。


 大叔父が母の方を一度見てから

「町では歩の話題で、大騒ぎになっているよ」と言われて、「え」と驚いた。

 母が私の方を向きながら「小さな町だから、直に話題になって、直に忘れられるよ」と言ってくれ、少し安心した。


 空港を出て駐車場に向かい、車に乗った。

 大叔父の車は8人乗りの大きなワゴンタイプの車で、母は助手席に、私は後ろの席に乗り、大叔父が車を走らせると母が「お腹が空いたよね」と、後ろの席に座って居る私に言って来て、

 そういえばと思いながら腕時計を見ると2時をさいて、私が「うん」と答えると、母が大叔父の方を向いて「幸に行かない」と言い、大叔父が頷きながら「俺も昼飯食べて無いから、行こうか」と言って、3人で幸に向かった。


 幸とは家の近くの讃岐うどん店の名前で、私は幼い頃からよく行っていて、母に「いつからお店があるの」と聞くと、「私が、ここに来る前からだよ。」と、言っていた。


 国道に出てしばらく走っていると大きな看板が見えてきて、駐車場に入った。

 お店は木造作りで小さ目のお店、廻りには何もなく一軒だけでよく目立っていた。


 店の中に入るとお客さんは誰もいなく8席あるカウンターの奥で、おっちゃんがうどんを打っていて、私達に気づき「お、歩、ちょっと待ってな」と、言ってきた。


 母が、おっちゃんの方を見ながら「ちょっと、だけやで」と笑いながら言って、3つあるテーブル席の一番奥の席に座った。


 私は母と大叔父は一人で座り、テーブル席は4人掛けだったので大叔父の隣の席の椅子に荷物を置いているとおっちゃんが、注文を聞きに来て、私はエビが2つに人参、かぼちゃ、海苔、ししとうの天ぷらが付いているエビの天ざるうどん。母はイカが2つに人参、かぼちゃ、海苔、ししとうの天ぷらが付いているイカの釜天うどん。大叔父は、大きな穴子が1つに人参、かぼちゃ、海苔、ししとうの天ぷらが付いている穴子の釜天うどんを頼んだ。


 おっちゃんが注文を聞きながら「今日は、腹減ってるんか。」と聞いてきて、母が「めちゃくちゃ、減ってるわ」と答えると、「そうか」と言って、カウンター裏の厨房に戻っていった。


 しばらくして、おっちゃんが料理を持って来てくれ料理を見て驚いた。

 私達が頼んだ天ぷらでは無く、エビ、イカ、大きな穴子が1ずつに、人参、かぼちゃ、海苔、ししとうの天ぷらが付いている上天ぷらだったので、私がおっちゃんの方を見ると、おっちゃんは笑顔で「昨日のマラソン、感動したで」と言って厨房に戻って行き、私達は美味しく料理を頂いた。


 家に着く頃には夕方になっていて私と母が車を降りると、隣に住んでいる星花と星菜が積っていた雪で遊んでいて、おばさんがそれを見ていた。


 星菜が私に気付き「歩ねえちゃん」と、大きな声で言いながら駆け足で近づいて来て、元気よく「歩ねえちゃん、優勝おめでとう。星花が『歩ねえちゃん見たいに、走りたい』って言っていたよ」と言ってきた。


 私が星花を見ると、星花が私に近づき小さなお花を一輪くれて、私の手を握りしめ、無表情のまま「走る。走る」と言ってきた。


 おばさんがその姿を見ながら、ゆっくりと近づいてきて、ほほ笑みながら「歩ちゃん、優勝おめでとう。子供達も凄く喜んで」と、言ってくれた。


 星菜は活発で元気な女の子で、星花は知的障害を持っていたが、2人とも赤ん坊の頃から知っていて、妹達の様な存在だった。


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