第1節 ルールエと兄妹
瞬く星が綺麗だった。
何もないこの場所は、一層輝きを放つこの銀河から
独り取り残されているようだった。
◇◇◆◇◇
兄はいつものように不機嫌だった。
「前にも言ったはずだ」
言いつけを守らない子どもを烈火の如く叱ったりはしない。その代わり、自分の正当性を一つずつ確かめさせるように、単調な言葉でゆっくりと足元を削っていく。
私は心を奮い立たせようと、垂れた金髪を耳に掛け直した。握った指の先は緩やかに冷たくなっていた。
青い三日月の形をしたバレッタが、耳の上で綺麗な弓を張る。
昔、母親が言った。
『月は特別。流れ星はずっと遠いから、願い事は一番近い月にしなさい』
瞬く間に通り過ぎてしまう儚い流れ星にだからこそ、願う価値があるのではないか。
頬杖をついたあの頃の私は、母の語りを聞きながらそんなことを考えていた。
ゴホン、と咳払いされ、私は現実に引き戻される。
「聞いているのか」
部屋の中、硬い表情をした兄は言った。
「いえ、あの……」
つまる私の言葉を待たず、大きくため息を吐く。
「同じことを言わせるなクィーラ」
勇気を振り絞って、私は声を上げる。
「な、納得、できません」
「なにがだ」
ひう、と喉が鳴ってしまいそうだった。つま先に力を込めて、なんとか踏みとどまる。
「どうして私は冒険者になれないのですか」
冒険者とは、冒険を生業にしている者。ただし、彼らが冒険者と呼ばれているのは、単に道楽を好んで世を放浪しているからではない。
「冒険者になってどうするつもりだ」
ギルドによる認定を受けた者だけが冒険者を名乗ることができる。そういう決まりがある。だから私は冒険者になれない。
「困っている人を助けて」
「自分の力を見せつけたいのか」
「ち、違います!」
ぶんぶん頭を振って否定する。兄は目を細めた。不動たる態度と恵まれた体格は、時に冷たささえ感じさせる。
「この街では誰がどんな職業に就こうと自由だ。身分など関係なく誰でも冒険者になることができる。だが、それはあくまで金のためであって人のためではない」
全員がそうとは限らないのでは、と私は思ったが、兄が言いたいのはそういうことではないらしい。
父親似の鋭い眼が私を見た。
「冒険者に甘い夢を見ているようでは実力が伴っているとは思えん。目的も定まっていないお前に、冒険者になる資格はない。話は終わりだ」
「お、お兄様、待ってください」
踵を返し、去っていく大きな背中に手を伸ばした。
しかし、訴えは無視され、扉は閉められる。
遠ざかっていく兄の足音に、自分の囁きを紛らせた。
「なんで……」
俯いた私は、赤黒い絨毯を睨みつける。誰にも打ち明けられない胸の内が、しだれた枯れ木のようにささくれ立っていた。
兄は冒険者になれて、私はなれない。
矛盾していると感じたのは数年前で、確か私は兄のようになりたいと言ったと記憶している。人々のために力を使う兄を尊敬していた。
でもその時、兄はどんな顔をしていたっけ。
思いのたけをぶつけようとしても、兄は取り合ってくれなかった。とりつく島もない態度に怯える自分も、情けなくて嫌いだった。
どうすれば私は自分の道を進めるのだろう。
そんな時だった。部屋の外で大声がした。
物々しい怒号。何事かと胸騒ぎを覚えた私は、おずおずと廊下に出る。そして、二階の手すりから階下を覗き込んだ。
「——魔物が出たぞ!」
吹き抜けのフロアに響く冒険者たちの声。その慌ただしさが、並の騒ぎではないことを物語っていた。
「近くの森から魔物が現れたらしい! 誰か手を貸してくれ!」
「川沿いのすぐそばまで来ている! 急げ!」
お腹の底がかっと熱くなった。手にしていた錫杖を握りしめる。
後先考えず走り出そうとした矢先に、私の顔が鉄の感触と思い切りぶつかった。
よろめいて見上げると、正面には槍を持った憲兵たちが立ち塞がっていた。
「お嬢様、行ってはなりません。ガノア様の言いつけをお守りください」
ふがふがと鼻を抑えながら、滲む涙を堪えた。
「で、ですが、怪我人が出たら」
「魔物は冒険者にお任せください。さあ、別邸までお送りします」
毅然とした憲兵は、直立したまま道を譲ろうとしない。
「私、お役に立ってみせます」
一縷の望みをかけた言葉だったが、彼らを動かす動機にはならなかった。
「クィーラ様。今度ガノア様の命を破れば、ルールエに立ち入れなくなります。お屋敷に閉じ込められるのは、お嬢様も不本意でしょう」
領主に仕える彼らにとって、それは果たすべき責務であり、当然の諫言だった。
口惜しいと言わんばかりに、憲兵は添えた。
「クィーラ様、しかるべき時がいつか来ます」
治安を守る彼らのおかげで私は街を自由に動き回れた。そんな人たちの邪魔をするのはなおさら気が引ける。
しかし、甘い菓子で興味を引こうとするような粗雑なやり口に、私は納得いかなかった。
「それは、いつですか」
「え?」
訊き返された私は答えなかった。
騒然となるギルドでは、冒険者たちの数を募り、分散してことにあたるよう呼びかけが始まっていた。
指揮を執るのは多分、兄なのだろう。
「……わかりました。ご迷惑をおかけしました」
肩を落とし、青い瞳を伏せる。
「今日はもう、一人で帰ります」
小さな背中を衆目に晒したくなくて、足早にギルドを後にした。
大通りで途方に暮れる。
魔物が出た騒ぎは、商人たちが走る馬のような速さで噂を広げていく。
交易都市として栄えたこの街は、名をルールエと呼ぶ。その領主の嫡男が兄のガノア。そしてその妹がクィーラ、私だ。
横切った街の娘が、弾むような声を上げた。
「今日はガノア様のご活躍が見られるかしら」
貴族の第一子らしく、勇猛な兄は街を守るためにギルドマスターとなった。
血は、恐ろしい。
戦役で武功を立てた曽祖父がこの一帯を治め、爵位を脈々と受け継いできたのだから、兄の武勇に異論を唱える者はいない。
ではその妹は。私には一体、何ができる。
音が途切れて、足元に暗い影が落ち、乾いた風が吹いた。気が付けば、大通りから外れた細い路地に迷い込んでいた。
——初めて来た、こんな道。
商業を優先させる父の意向で、他を凌駕するほどの経済発展を遂げたルールエは、今では王都を除いて最も栄える都市となった。
父の功績も私にとって誇らしく、そして惨めさを増長させる薪となっていた。知らず知らずの間に、ルールエはどこまでも成長を遂げていく。
何者にもなれない私を置いて、どこまでも。
戻ろうと来た道を振り返った。その時、
「そこの魔法使いのお嬢さん」
どきっとして、声がした方に視線を動かした。
分かれ道のところに、座ったままの男がこっちを見ていた。
男は茶色の長髪をだらしなく波打たせ、酒瓶をあおり赤い顔を傾ける。のばした足を少しも動かさず、ただこちらをじっと見つめていた。
「街の外に魔物がわんさか出たって聞いてないのかい? それとも、魔法使い様は高みの見物か?」
私は警戒心を強め、後ずさる。男は酒焼けした喉を鳴らした。
「おっと失礼。僕はヴァス。少し前まで冒険者だったんだ。だけど、今はこの体たらくさ」
ヴァスと名乗った男は酒瓶を振り笑いを漏らす。
「あなた、冒険者……?」
「ああ、そうだった。だけどこんな飲んだくれには魔物を追い払うこともできやしない。ほら、僕の代わりにそのご自慢の魔法でとっとと片付けてきてくれないか」
ヴァスは錫杖に目をつけて催促した。
「私、冒険者ではありません。だから、戦いません」
視線を逸らし、抗弁してみせたが、どうしてそんなことを言ったのか自分でも疑問だった。嘘でも「今から行きます」とでも言えばよかったのに。
兄に拒絶され憲兵に憐れまれ、その末に酔っぱらいの戯れに真摯に向き合っている自分が、とても滑稽に思えた。
ヴァスは酒瓶を置きながら「おいおい、それはおかしな話じゃないか」と大げさに声を上げる。
この男を見ていると奇妙な感覚を覚えた。
まるで凄腕の詐欺師と話しているかのような、ちぐはぐだと分かっていながら、抗うことのできない強烈な好奇心に身を絡めとられる。
気安く、けれど重厚な言葉だった。
「月の力を借りておきながら、人のために行動しないなんて変じゃないか?」
動悸が、耳の傍で血液を押し出す。一瞬、何を言われたのか分からなかった。
月の力を、借りた。
私の驚いた様子を見て、ヴァスは口角を上げた。
「来たるべき時が来たのさ。君は、星に選ばれた人間だ」




