外伝 ギルド連合の暗躍
王都の華やかな中央通りから遠く離れた、旧市街の地下水路。
石造りの天井からは絶えず湿った水滴が垂れ落ち、暗雲のようなカビと、どぶ泥の匂いが立ち込めるその場所は、陽の光を浴びぬ王都の『底』であった。
シャク、シャク。
泥を踏みしめる足音が一つ。
深緑の高級な布地に銀糸の刺繍が施された王宮魔導師団長の法衣を纏いながらも、シリルはその足元を一切汚すことなく、暗闇の奥へと静かに歩みを進めていた。
指先に灯された小さな青銀色の魔導光が、彼女の知性溢れる顔立ちと、眼鏡の奥で冷たく冴え渡る瞳を浮かび上がらせている。
「——またこんな泥臭い場所までお越しですか、代表」
水路の影から、ぬっと巨躯が姿を現した。
背に身の丈ほどもある大剣を背負い、無数の修羅場を潜り抜けてきた獣のような気配を纏う男。
冒険者ギルド連合のベテランであり、ギルド「銀の翼亭」の現場を取り仕切る実力者、ガルドである。
ガルドは太い腕を組み、壁に背を預けながら、目の前の華奢に見える女性へとなじみ深い苦笑を向けた。
シリルは『王国魔導学院』という国家の最難関学校の講師として潜入調査中。
しかし、その真の顔は——王国全土の冒険者、情報屋、裏稼業の者たちを束ねる巨大組織『ギルド連合』の最高頂点に立つ『代表』その人であった。
「口を慎みなさい、ガルド。私は業務の合間を縫って、わざわざ足を運んでいるのです」
シリルは指先で眼鏡のフチをすっと押し上げ、冷ややかな声で応じた。
「それで? 薬学院の動向についての『報告』は」
シリルのその言葉を受け、ガルドの表情から軽薄さが消え、一人の優秀な部下としての鋭い顔つきへと変わった。
「……ああ。代表の狙い通り、薬学院のマルクス院長と、その娘のユリア……あの親子、裏街の禁忌ルートを使って手広く動いてる。ここ数ヶ月で、危険等級Sに指定されてる禁忌植物『死蝕の黒蓮』の種子と精製液を、ギルドのダミー口座経由で大量に買い込んでやがる。今までにないくらい慌ててやがるな」
「……やはりですか」
シリルは小さく息を吐き出し、静かに思考の海へと没入した。
王立薬学院。
一見すれば国家の医学と薬学を支える権威ある機関。
しかしその実態は、古くからの名誉に固執し、成果に焦る老残どもが巣食う腐敗の温床となり果てていた。
数年前、静かに森で暮らしていた薬草収集家——エルネに対し、冤罪を着せて追放したのも彼らだ。
エルネの実力は昔から飛び出ていた。
彼女を守るため、ガルドは王都から少し離れた地に「銀の翼亭」を作り動かしていた。
シリルこそ、彼女の力にほれ込み、一番依頼を多く寄越していたのだった。
(自らの無能を隠すために一人の少女の人生を踏みにじり、今度は国家の式典を危険に晒す毒薬を作っている……到底、看過できるものではありませんね)
「ガルド。ギルド連合の総力を挙げ、薬学院が利用している流通網の『裏取り』を完全に完了させなさい。購入履歴、偽造口座、連絡を取り合っている裏ルートの仲介人……全ての証拠を文字通り『逃げ場のない檻』として組み上げるのです」
「了解、代表。……しかし、いいのかい? この件、まだアルディスには一切通してねえんだろ?」
ガルドの問いかけに、シリルは薄く唇の端を上げた。
「アルディス様は、エルネのことになると視野が極端に狭くなり、すべてを氷で力任せに破砕してしまわれますからね。……それでは『根』が残る。敵を炙り出し、完璧に社会的に処刑するためには、私たちが水面下で完璧な盤面を作り上げておかなければならないの」
「ハッ、相変わらず冷徹で恐ろしいな。……了解しましたよ、代表。とりあえずはうちの者どもを総動員して、ネズミ一匹逃さねえ網を張っておく」
暗闇の中、上司と部下としての強い信頼で結ばれた二人は、静かに不敵な笑みを交わし合ったのだった。
数日後。
陽の光が燦々と降り注ぐ、アルディスの公爵執務室。
重厚なマホガニーのデスクに向かい、眉間に深いシワを寄せて書類と格闘していたアルディスは、ノックの音とともに顔を上げた。
「入れ」
扉が開かれ、入ってきたのはシリルの姿であった。
その手には整然と束ねられた王宮魔導師団の業務報告書がある。
「アルディス、先日の王都周辺における魔力汚染の調査報告です。……おや、先客ですか」
シリルが室内へ視線を向けると、そこにはソファーにどかりと深腰掛け、気まずそうに無精髭を撫でているガルドの姿があった。
「ああ、シリルか。ちょうどいい」
アルディスはペンを置くと、ガルドを指し示した。
「こちらは冒険者ギルドでも屈指の腕利き、ガルドだ。今回の婚約発表パーティーにおける裏街からの不穏な動きを警戒し、俺が直接、外部の協力者として召喚した」
「私の予定通りですね」
ガルドは立ち上がり、頭をかきながら実に白々しい笑みを浮かべた。
その視線を受けたシリルもまた、完璧な無表情を崩さぬまま、眼鏡を指先で滑らせた。
「ではアルディス、約束は守ってもらうわ。ガルドにエルネの護衛は頼んで、あなたにはおとりになってもらうわよ」
「もちろんだ。全てはエルネのためだ。ガルド、警戒は一時的に貴様に任せる。シリルは式典会場の防衛結界の再構築も進めてくれ」
二人は寸分の狂いもなく同時に深々と礼を執り、公爵執務室をあとにした。
廊下へ出た瞬間、ガルドが小声で囁く。
「……代表殿。アルディスの『エルネ様脳』、日に日に悪化してんか?」
「……余計な口を滑らせると、貴方もまとめて凍らされますよ、ガルド。急ぎの仕事よ。ユリア・マロンシュが動き出しました」
シリルの瞳から甘さが消え、氷のような鋭利な光が宿った。
そして——事件は一気に加速した。
ユリア・マロンシュがアルディスのもとへ『万能霊薬』を持ち込み、さらにはエルネとアルディスが二人の愛の誓いとして採集した『星紡ぎの月見草』を盗み出したあの日。
激怒したアルディスが地上で猛烈な殺気を撒き散らし、エルネと共に地下倉庫へと向かったその裏で、シリルとガルドは暗躍していた。
「シリル! ばっちりだ !」
薬学院の地下、厳重に施錠されていた密室の扉を、ガルドが大剣の柄で力任せに叩き破った。
室内には、慌てふためいて書類を破き捨てようとしていた下級調合師たちが数人、腰を抜かして震えていた。
「な、なんだお前たちは! ここは薬学院の許可なき者は立ち入り禁止……」
「黙りなさい」
シリルが冷ややかに手をかざすと、広範囲の拘束魔法陣が室内全体に展開され、調合師たちの動きが一瞬で封じ込められた。
シリルは室内の作業台へ歩み寄ると、そこに置かれていた紫黒色の試薬瓶と、隠し金庫から溢れ出していた裏帳簿の束を手にとった。
「……なるほど。『万能霊薬』と偽り、服用者に一時的な劇的効果をもたらしたあと、全身の魔導回路を可逆不能なまでに破壊する『死蝕の黒蓮』。それを完成させるために、エルネ殿の『星紡ぎの月見草』の純粋な魔力を触媒として搾取しようとしていたわけですか」
「胸糞悪い企みだぜ」
ガルドが唾を吐き捨てるように言った。
「自分たちの無能を隠すために、またエルネを罪人に仕立て上げようとしてやがった。……代表殿、全データ、押収完了。ギルド連合の裏口座の証拠も含めて、逃げ道は完全に塞いだんじゃねえか?」
「よくやりました、ガルド」
シリルは書類を胸に抱え、静かに眼鏡を直した。
「アルディスとエルネが地下で正面から敵の注意を引きつけてくれているおかげで、こちらは完璧な『王手』を指すことができました。……さあ、地上のグランドホールへ向かいましょう。セシリア殿下と合流し、あの愚か者どもに白日の審判を下す時間です」
◇◇◇
地上、グランドホール。
ユリアが「エルネが悪い」とヒステリックに叫び、冤罪を再現しようとしたその最高潮の場面。
「——お言づて通り、すべての裏付けが取れましたよ、アルディス」
シリルの冷徹な声が響き渡り、提示された圧倒的な裏帳簿と成分解析データ。
さらには、セシリア王女がガルド率いる冒険者たちと共に押収した試飲用の毒薬の現物。
完璧なまでの論理と証拠の網の前に、ユリアは逃げ場を完全に失い、その場で絶望に打ちひしがれることとなった。
その後の狂気——ユリアが原液を飲み干し、古代の魔物『サキュバス・ロータス』を暴走させた大混乱も、エルネの『超絶鑑定眼』による即座の構造解析と、アルディスによって、鮮やかに鎮圧された。
会場に万雷の祝福と歓声が戻り、アルディスがエルネを力強く抱きしめているその陰で。
シリルは、険しい表情で走ってきたガルドと柱の影で合流していた。
「……シリル」
ガルドの低い声に、シリルは眉をひそめた。
「何か? ガルド」
「地下牢へ護送する手はずだったマルクス・マロンシュ院長が……消えた。院長室の隠し部屋にあった、秘密の転移陣が起動された痕跡があるそうだ」
「転移陣……!?」
シリルの瞳に、激しい警戒の光が走った。
「王立薬学院の技術レベルでは、長距離の設置型の転移陣など到底作れるはずがありません。……つまり、マルクスとユリアの背後には、彼らを『駒』として操り、都合が悪くなれば回収する巨大な外部勢力が存在していたということですか」
「かもな。現場に残されていたのは、崩壊した転移魔導具のゴミ屑と、高級な魔導触媒の匂いだけ」
「貴族か……」
シリルは遠く、会場の中央で幸せそうに微笑むエルネとアルディスを見つめた。
ユリアという目立つ毒虫は排除された。しかし、その根底にある闇は、未だこの国の深土に根を張っている。
「ガルド。ギルド連合の全情報網を即座に再編しなさい。マルクスの潜伏先、そして彼に手を差し伸べた『背後の組織』を全力で追うのです」
「了解、代表殿。……せっかくの二人のめでたい宴だ、野暮な悪党どもにはきっちり落とし前をつけさせましょうぜ」
光輝く婚約発表の会場の隅で、密やかに新たな決意を固めていた。
どんな闇がこの国を襲おうとも、ギルドが機能する限り、決して好きにはさせないと。




