後悔の少ない方を
勇者一行として魔王を倒す旅に参加していたマーサは、時が戻ったという事実に歓喜した。
思えば後悔ばかりの旅だったのだ。
治癒術師として旅に参加したマーサは、自分の存在はこの一行になくてはならないものだと自負していた。
相手は魔族とそれらを統べる魔王だ。無傷での旅などあり得ない。
だからこそ自分は役に立っていると思っていたし、なくてはならない存在だと思っていた。
だが結果として魔王に負けた勇者を見て。
多少の怪我ならどうにかできても一撃で命が消えれば治癒術なんてまるで無意味だ。
自分の存在はこの時点で役立たず。
勇者が倒れた以上、他の仲間と頑張ったところで勝ち目はない。
アリアが使える魔族たちに対して絶大な効果を誇る魔法が切り札になるかもしれなかったが、発動させるための詠唱が長すぎた。編み出した当初に比べれば短縮されてはきたけれど、魔王相手に詠唱し発動させるとなるとあまりにも長い時間だ。それだけの時間を稼ぐ事など、勇者が倒れた以上不可能。
あぁ、自分も死ぬのかと。
だったら途中で旅を抜けて、どこか別のところで治癒術を活かしていれば……
なんて。
そんな風に激しい後悔を抱いたからこそ、時を遡ったという奇跡にマーサは歓喜したのだ。
確かに勇者は魅力的な人物だった、と思う。
マーサが知るような粗野で乱暴な男性と比べれば紳士的で、優しくて。
今までマーサが見てきた男性という存在がロクでもない連中ばかりだったから余計にそう思えたのかもしれない。
そうしてまるで洗脳されたみたいに勇者の事で頭がいっぱいになってしまって、狂信者みたいに彼の言いなりになっていたようにも思う。
彼についていけば大丈夫だと。
確かにそう思ってはいた。
いたけれど、彼が魔王に敗れたのを見た瞬間その想いは壊れて消えたのだ。
だから時を遡って、勇者と出会う以前に戻ったと知って。
マーサは真っ先に旅の途中で立ち寄ったとある砦へと向かった。
そこは魔族たちとの戦いにおいて、防衛線と呼ばれる場所でもあった。
だからこそ平和かと言われればそんな事はない。
勇者が立ち寄って戦線に参加して、そこでようやく多少落ち着いたと言っても過言ではない場所だ。
今の時点ではまだ激戦区と呼ばれるまでにはなっていない。
いないけれど、しかしいずれそうなる所だ。
そうなれば怪我人は大勢出るし、治癒術師なんてどれだけいても足りないくらいである。
マーサは前回そこで、勇者たちの旅から離脱するかどうか悩んだ事があった。
勇者や仲間たちから自分は必要とされてはいた。だがそれは、治癒術を扱えるという部分だけであってマーサ本人を本当の意味で必要としているかマーサにはわからなかったのだ。
治癒術が使えるなら別にマーサ以外でも良いのではないか?
そんな疑問が勇者たちと旅を始めてから、徐々に浮かび上がっていたのである。
勇者に言えばそんな事はないと否定して、マーサを必要としているんだときっとマーサが望み願った言葉をかけてはくれるだろう。
だが他の仲間たちは?
彼女たちもマーサと同じく勇者に好意を持っていた。
だからこそ、彼の隣を狙っていたのは事実だ。
彼の一番になりたい。
そう思って、邪魔者を蹴落としたいという衝動に駆られた事もあった。
だが、そんな事をすれば勇者に失望され見限られるのではないかと思えば、そんな醜い感情を露わにもできない。戦いが終わったあと、彼の隣にいるのは自分で間違いない。そんな風に自分に言い聞かせながらも続けていた旅。
けれど途中で一度だけ、マーサは彼らから離れようかと悩んだ事があったのだ。
それが、件の砦である。
勇者たちとの旅は確かに困難に満ちていた。けれども勇者や他の仲間も頼もしく、苦戦はしても死ぬかもしれないだとか、もう駄目だと諦める程の苦戦まではしてこなかったのだ。
確かに苦戦はしたけれど、それでも乗り越えられなくはない……といったものばかりだったので。
だからだろうか。
それもあったからこそ、自分は本当に役に立っているのか、と思うようになっていったのかもしれない。
けれど砦にいた者たちは、そうではなかった。
一瞬の隙が死に直結しかねない程で。常にギリギリを生きていた。
多少の助けとして治癒にまわりはしたけれど、勇者は魔王を倒すために先を急がなければならない。いつまでも残っていられる余裕はなかった。
だから、マーサも治癒にまわるといっても本当にお手伝い程度の事しかできなかったのだ。
それでも感謝されて、あまつさえマーサに好意を寄せた者もいた。
砦に滞在していた期間は短く、マーサはその好意に気付いていたけれど結局応える事はできなかった。前のマーサは勇者を選んだからだ。
勇者を選んで、いずれ結ばれるのだと信じていた。
他の仲間たちも勇者に想いを寄せていたのを理解した上で、それでも選ばれるのは自分であると。
だが、本当にそうだろうか?
もし時を遡る事なく魔王を倒し、そうして凱旋したとして。
果たしてそこで勇者が自分を選んでくれただろうか?
あの頃は自分が選ばれると信じて疑わなかったけれど、こうして考える時間ができてしまった今、疑問が生じた。
いや、信じていたというよりは、そうならないとおかしいと思い込もうとしていただけかもしれない。
しかし今、冷静に、第三者のように客観的な目線でかつての自分と勇者との事を思い返してみると。
もしかして私は彼の特別な存在ではなかったのではないかと思うのだ。
自分はむしろそうやって自分が必要な存在であると信じ込もうとして、しがみついていただけではないのか。
治癒魔術師は確かに貴重ではあるけれど、しかし他にも勇者と共に歩もうとしていた者はいた。
だから、別に自分じゃなくたっていいのではないか。
むしろ自分じゃない治癒術師の方が勇者としても良いのではないか?
それなら自分は自分を必要としてくれるところにいる方が良いのではなかろうか?
そんな風に思えてしまったので、マーサは時間が戻ったと把握した瞬間から躊躇う事なくあの砦を目指したのである。
城砦都市。マーサはそこで治癒術師として働き始めた。
マーサがたどり着いた時点ではまだ魔族との戦いも苛烈なものではなかったが故に、働き始めて馴染むまでの時間はあった。勇者は今頃どうしているだろうか……なんて思ったりもしたが、今回のマーサは勇者と出会ってすらいないのだ。風の噂で勇者が旅立った、とは耳にしたけれど他にどんな仲間がいるかまではわからなかった。
いずれ、勇者たちがここに来る時にわかるだろうか。
もし出会った時に、どうして今回は仲間にならなかったのか――なんて言われたりするだろうか?
それとも前の事を憶えているのは自分だけかもしれない。
考えたところでわからない事にそれ以上思考を費やすのも不毛だと思い、マーサはいずれ戦いの地となるであろうこの砦で、少しでも犠牲が少なくなるようにと。
今のうちにできる準備はしておこうと、周囲にもそれとなく念のための準備を整えていったのである。
――ところが、今回勇者一行はこの城砦都市に立ち寄る事はなかった。
それと同時に、この砦を襲うはずだった魔族たちの襲来もなかった。
ただ、それでも魔物たちとの戦いはあったので怪我人が数名出はしたものの、前のような犠牲者多数という事にはならなかった。
その事実にほっと安堵し、マーサは勇者たちも前の記憶を持っているのだとそこで把握できた。
憶えているからこそ、今回の惨劇を事前に止める事ができたのだろう。
(良かった……今回の勇者様の仲間はきっと、上手くやれているのね)
リサやアリアもいるのだろうか?
それとも彼女たちも別の道を歩んでいるのかもしれない。
だとすると、今回勇者と共に旅をしている仲間たちはきっと自分たちより上手くやっているのだろう。
そう考えると、思わず自嘲めいた笑みが浮かんだ。
自分たちだって勇者たちとの絆を強めていたはずではいたけれど。
しかし仲間に対して平等に接する勇者に、リサやアリアと張り合うようにしていた事だってあったのだ。
表面上だけをなぞるように取り繕った関係と比べれば、時に喧嘩をするような事もあって互いの嫌な部分も多少は知る事になって。そういう意味では仲間として信頼もしていたけれど、しかし完全に信じていたか、と問われるとマーサにしてみればハッキリと答える事はできない。
相手の実力に対しては、信じていた。けれど、それ以外の部分では?
いずれ魔王との戦いを終えた後、自分こそが勇者と結ばれるのだと思っていたが密かにでももし自分以外の誰かを選んだのであったなら? なんて不安もなかったわけじゃないのだ。
そしてそんな考えがよぎった後に、何かの拍子にいなくなってくれないかなぁ……なんて事を思った事だってないとは決して言えなかった。
魔王に立ち向かう際に一丸となって全力を出したつもりではいたけれど。
けれど本当にそうだったのかはもうわからない。
もしかしたら誰かが――自分も無意識下で密かに手を抜いて、仲間の誰かが犠牲にならないかとやらかしていたかもしれない。
結果として、その影響で勇者が負けた可能性だってあり得る。
勿論そんな事はなくて、純粋にこちらの力不足であった、なんて悲しいオチも。
(それとも。もしかしたら私だけが別の道を歩んで、勇者様たちは前と変わらないのかも。私以外の治癒術師を連れていって、それで魔王を倒した……なんて事もあるかもしれないわ)
「あらやだ」
でもそうなると、マーサだけが足手纏いであったというようなものではないか。
なので思わず声が出て、咄嗟にその考えは振り払った。
だって、勇者が負けたのが自分のせいだなんて考えたらあまりにもあんまりではないか。
たとえそうであったとしても、その現実を突きつけられるのは流石に堪える。
結局何を考えたところで正確な情報がわからない以上、全て想像でしかない。
だからこそマーサは魔王の元へ向かっているであろう勇者とその仲間たちの事はそれ以上考えなかった。
きっと今度は、今度こそは魔王を倒してくれるに違いない。
そう信じて。
そうして間もなく、魔王が敗れたという話が聞こえてきて。
世界が平和になった事を知った。
感じたのは安堵。
それから、小さくはあるがぽっかりと穴が開いてしまったかのような――虚しさとはまた少し違うが、それに近しい感情。
前のような結末にならなかったというのは、実に喜ばしい事だ。
けれども自分がいなくても魔王を倒せたという事実は、自分がいない方が良かったという事でもある。
それがなんだかとても悲しくて悔しい。
そんな風に思うくらいなら、今回も勇者の旅について行けばよかったのかもしれない。
けれども勇者と共に行動していれば、また同じような事になってしまうかもしれなかったから。
だから自分は早々に前とは違う行動に出たのだ。
悲しんだり悔しがる資格なんてないのだと頭の片隅で理解はしている。
けれどもマーサはすぐに割り切る事ができなかった。
「なぁマーサねえちゃん、世界が平和になったっていうけどさ、じゃあこの砦ってどうなるんだ?」
「どう、って魔王が倒れても危険が完全になくなったわけじゃないもの。普通にいつも通りよ」
「そうなのか? なんだ。じゃあねえちゃんもここにいるって事か?」
「そうね。世界が平和になったって言っても魔族や魔物に関してだけで、盗賊だの山賊だのといったわるーい人が出てこないとも限らないもの。
これからはそういった悪い人に注意していかないといけないし、すぐってわけじゃないけど平和になった事で今度は他の国が戦争を仕掛けてくる……なんて可能性も無いとは言えないのよね」
「戦争? 折角平和になったのに?」
「平和になったから、自分のじゃない身近なものが羨ましく見えたりするようになるのよ」
「うへぇ……大人の考える事ってわかんね」
「私もあまり理解できないけどね。でも、歴史を紐解けばそういう話は案外ゴロゴロしてるものよ」
「そういうものなのかぁ……」
表向きは普段通りを装っていたものの、内心悶々としていたマーサに、そんな事など知ったこっちゃないとばかりに声をかけてきたのはサンタムという少年だった。
彼はこの城砦都市の中にある小さな孤児院で暮らしている。
前の時には魔族にこの砦が襲われて、孤児院も被害に見舞われた。
前の時にもよくマーサに声をかけてきて、色々と話をしたものだ。
マーサを実の姉のように慕っていた少年。
しかし前の時にはこんな風に元気な姿でいられたのは極わずかな時間だった。
焼け落ちた孤児院から逃げ遅れ、サンタムは重傷を負ったのである。
マーサの治癒術で一命をとりとめはしたものの、それでも身体のあちこちに後遺症が残ってしまって、ほぼ寝たきり状態になって、恐らく長くは生きられないだろうと他の治癒術師にも言われてしまった。
他にもいた治癒術師たちもサンタムの症状にこれはもうどうしようもないと匙を投げたのだ。
マーサも最後まで諦めたくはなかったけれど、それでも魔王を倒すために彼を残して先に進む事を選んだ。
たとえ治癒術でも手の施しようがなかったとしても、それでもマーサが残って彼に寄り添うべきだったのかもしれない。けれども、残ったところでマーサにできる事には限りがあって、そしてその限りの中でサンタムのためになるような事はほとんどないと言ってもよかった。
だったら、せめて。
先に進み魔王を倒すのだと。
その決意も確かにあったのだ。
けれども旅を続けていくうちに、サンタムの事は思い出として薄れつつあり、むしろ共にいる勇者に対しての想いが育っていくばかり。
サンタムのために、という理由が一番ではなかったのだ。
マーサには弟がいた。
けれどもその弟は幼い時に亡くなっている。
だから、姉のように慕ってくるサンタムに弟を重ねて見ていたのかもしれない。
勇者が魔王に負けた瞬間、胸の中に広がったのは絶望だった。
それから後悔も同じくらいにあった。
こうなると知っていたのなら、城砦都市に残るべきだったのだ……と。
サンタムの命が残りわずかであったとしても、最期まで寄り添ってあげるべきだった。
そんな風に思ってしまったのだ。
マーサの弟はもういない。だから、自分をねえちゃんなんて呼ぶ人はもういないはずだったのに。
サンタムは当たり前のように自分をそう呼ぶものだから。
弟を失った事は、もう過去の出来事として自分の中で昇華できているはずだった。
けれどもサンタムと関わる事で、そんな事はなかったと悟ったのだ。自分が思っている以上に弟を亡くした事を引きずっていたのだ。
それなのに、自分はサンタムを見捨てる選択を選んでしまった。
倒れた勇者を見た時に、マーサの心の中を占めていた後悔はそういったものでできていたのである。
「ま、戦争になるかもしれないとはいっても、すぐじゃないわ。今はまだ魔王や魔族たちの争いの傷痕が残っているもの。滅んだところもあるし、復興が優先されるのはどの国も共通でしょうね」
「なんだ今すぐじゃないのか。じゃあ大丈夫……なのか……?」
「貴方が大きくなるころにはわからないけど、今は大丈夫よ」
「大きくなるころって……おれが孤児院出る頃なのか、じいさんになってくたばる頃かで大分違うぞ」
「復興の度合いにもよるから何とも言えないわ。
まぁ、でも。
少なくとも孤児院を建て直すくらいの余裕はあるから安心なさい」
「直るかなぁ……元々古かった建物だからなぁ……まさか壊れるとは思ってなかったけど。全壊じゃないのが救いだよな。一応寝るところはあるわけだし」
「年代物だもの。今回壊れていなくたって、どのみち別の日に壊れてたに違いないわ」
「いやな断言の仕方やめろよマーサねえちゃん」
前回魔族が襲ってきてその戦いの余波で孤児院は焼け落ちたのだから、今回そういった事がなくても壊れたという時点でどのみち建物が寿命を迎えていたのは言うまでもない。
そういう意味ではサンタムの言ういやな断言は何も間違っていないのだが、その事実にサンタムが気付く事はない。
「まぁいいじゃない。壊れたのは仕方ないけど、砦が思ったよりも損傷がなかったからそれ以外のところの修繕に人手を割けるはずよ。だから孤児院もきちんと直るわ」
「どうかなぁ……後回しにされる気がするんだけどさぁ」
「大丈夫よ。私がいるもの。なんだかんだここで結構な功績出してるのよ私。
その私が孤児院を建て直すって言ってるんだから。
まぁ、皆にも手伝ってもらわないとなんだけどね?」
サンタムや孤児院の皆を守るためにやって来たのだ。
魔王の脅威が消えたからそこではいおしまい、というつもりはマーサの中にはこれっぽっちもない。
だからこそそう告げれば。
サンタムは何を言われたのかを理解できていないようにぽかんとした表情でマーサを見て。
それから数秒後に、
「お、おう。全員でねえちゃんの事手伝うぜ! 俺、今から皆に言ってくる!」
「あ、ちょっと」
ぱっと表情を輝かせてそう言うなり、野兎みたいに飛び出していってしまった。
マーサが呼び止めてもサンタムの耳には届かなかったのだろう。あっという間にその背中は小さくなって見えなくなる。
「気が早いんだから……」
仕方のない子。
そんな風に呟いて。
けれども声は確かに呆れていたが、その顔には笑みが浮かんでいた。




