8. 第5章 足りないもの-5
数日後、ネイトのもとにクライヴが訪れ、報告書を手渡しして去っていった。
随分早い報告だが、恐らく重要人物の関連事項ということで、既にある程度は情報収集されていたのだろう。
その情報を発掘して分かりやすくまとめた、クライヴの手際が良かったというのもあるかもしれない。
ただ、当の本人は「この件はこれで終わりだ。もう私は関わらないぞ」と言って、逃げるように立ち去っていった。
嫌々やっていたことだけは間違いなさそうだ。
ネイトとラッセルは手分けして報告書に目を通した。
ベアトリスの誕生は、ティムの病気がちで外を歩けない孫のためだった。
『一日中連れ歩いても大丈夫なくらい頑丈で、かつ抱きしめたくなるくらい触り心地の良いぬいぐるみ』
それを目指した結果がベアトリスだった。
熊をモチーフにしたのは孫が熊好きだったから。
なぜ熊を選んだのかという問いに対し、商業的な理由で熊を選んだのではと説明する新聞記事もあったが、それは誤りだった。
商業的な観点からすれば、ベアトリスは熊である必要はなかった。
しかし、ティムにとって、ベアトリスは熊でなければならなかったのだ。
報告書には、ベアトリスの開発期間中、ティムが貴族としての仕事を投げ捨ててのめり込んでいたことも記されていた。
服もぬいぐるみもほんの少しの違いで、その出来栄えは大きく変わる。
ジャケットの袖は長さが2センチ変われば印象は全くの別物になり、肩が数センチ狭くなれば動きは大きく阻害される。
ぬいぐるみも同じだ。
むしろ、サイズが小さくなるほど調整は細かで難しくなる。
そこで妥協せず、ひたすら理想を追い求めた結果がベアトリスだった。
何も知らない人間からすれば、狂っているとも思える試行錯誤。
ただ、それは確かに誰かに向けた思いに支えられていた。
ティムが言っていた、込められた愛情と情熱とはそういう意味だったわけだ。
リネットのようにシェヘラザードを抱えながらネイトは報告書を読み、納得した。
そして、作業台の上に置かれた灰色のベアトリスに目を向ける。
ネイトは余っていたベアトリスを少しだけ分解し、縫製などを分析した。
その結果、生地や縫製は軍服並みに頑丈なことが判明した。
生地が頑丈なのは理解していたが、使われている糸も軍服用で耐久性に優れ、しかも目立たないように何重にも縫い込まれていた。
子供が手足を引っ張ったり、ドアなどに引っ掛けても破損しにくい設計だった。
子供に注意しても限度はある。
ならば、最初から備えておけばいいと言わんばかり。
ネイトらは多少引っ張ってもほつれないようにはしたが、ベアトリスは振り回すことを前提にしていた。
耐久性の目標が全く違うのだ。
ラッセルはそれを見て、「行軍に連れていっても耐えられるレベルだな」と呟いた。
こうして、ネイトとラッセルは、ティムの考える「可愛い」ぬいぐるみが何を目指したものなのかを理解した。
そして、同時に自分たちには、確固たる指針が不足していたことに気がついた。
ベアトリスは明確なコンセプトがあったが、ネイトたちはモチーフすら決めかねていた。
決断できない理由は単純だった。
商業的な視点で選ぶのか、それとも制作者の思い入れで選ぶのか、それすら決まっていないからだ。
どちらを選んでもよい。
だが、指針がなくては上手くいくはずもない。
ベアトリスの真似をすること自体は問題なかった。
ただ、その先の最終的な目標が定まっていないことが問題だったのだ。
ぬいぐるみ作りに限らず、新しいものを生み出そうとするプロジェクトを進める時、必ず細かな分岐点が大量に出現する。
そういった分岐点では、どちらにするのかを決めなくてはプロジェクトは進まない。
ネイトたちが作ろうとするぬいぐるみのモチーフは、はっきり言えば犬でも猫でもどちらでも構わない。
『羊が好きだから』
『馬が世界で一番可愛い動物だから』
そんな理由で決めたとしても、明確な判断基準さえあればプロジェクトは前に進む。
もし、途中で失敗に気がついたのならやり直せばよい。
だが、プロジェクトが前に進まなくては失敗に気がつくことすらできない。
だからこそ、ネイトたちはベアトリスを真似する以前の段階として、ぬいぐるみ作りにおける一貫した判断基準を持たなくてはならなかったのだった。
ネイトは改めてデザイン違いの3体のベアトリスを眺めてみる。
誰にどんな商品を売るのか、その商品に求められる機能と品質は何かという点において、一貫して明確なコンセプトが見て取れた。
ただ闇雲に商品の種類を増やしたわけではない。
顧客が何を欲しがっているのか、それを正しく理解し実現しようという情熱を持ち続けたに違いない。
だからこそ、世界中の人々に愛されるブランドへと成長できたのだろう。
ネイトは腕を組みながら、皮肉げに口元を歪めた。
「なるほど。下手くそなモノマネ見せられたら、文句の1つも言いたくなるだろうな」
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その後、ラッセルは双子の世話があるので帰宅したが、日が落ちた後もネイトはハーディプールの工房で、ぬいぐるみの方向性を模索していた。
ただ、結果は芳しくない。
作業台に置かれたベアトリスを眺めながら、ひたすら唸っていただけとも言える。
上手くいかない理由は明確だった。
ティムと違いネイトには明確な顧客となるような対象がおらず、顧客と要件を絞り込めていないことが足を引っ張っていたのだ。
誰にでも愛される商品というコンセプトは、裏を返せば何も決まっていないという意味でもある。
「誰にでも売れる商品」という目標は多くの企業が掲げたがるが、そのほとんどは失敗に終わる。
100人中の100人が、金を払ってでも買いたいと思うような商品は非現実的だからだ。
良い商品なら売れるというのは幻想でしかなく、市場規模か潜在顧客がそれなりにある場所を探し、それに合わせた商品を出さなければ売上は伸びない。
客や職人から「尖ったデザイン」だと言われてきたネイトは、そのことを痛いほど理解していた。
(一番わかりやすい目標はベアトリスの客をそのまま奪うことだろうな)
ネイトはそう考え、そして即座にこの案を却下した。
(知名度でも生地の質でも負けてる相手に、真正面から挑んで勝てるわけがねえ)
格上の相手に勝ちたいなら、戦う場所を変えるしかない。
しかし、今回は高級品と指定されており、庶民向けの市場を奪っても大臣や元帥は納得しないだろう。
ベアトリスの商品コンセプトを紙に書き記し、それをどう変えれば勝てるのかを考え続ける。
「どうした、ネイト。行き詰まったか?」
作業台で悩むネイトの側に、いつの間にかスチュアートが立っていた。
ネイトは握っていたペンを作業台に投げ出し、スチュアートの方を振り返った。
「商品のコンセプトが絞り込めず、何をモチーフにすりゃいいか分からねえ。ティムは孫のために熊を選んだ。俺は誰のために何を作るんだ?」
まさかネイトに相談されるとは思っていなかったスチュアートは驚くが、ズレた丸メガネを直し穏やかに言った。
「ハーディプールに来るような客やその子供では駄目なのか?」
「もっと絞り込まなきゃ駄目だ。それなりには売れるだろうが、特別な理由か客がを見つけなけりゃ、ベアトリスには勝てねえ」
「なるほど。自分だけの原点が必要だということか...」
2人は無言のまま思案し続ける。
しばらく時間が経った後、ようやくスチュアートが口を開いた。
「初心に返ったらどうだ? お前は何がきっかけで服飾の道を選んだ?」
「は?なんで俺の話なんだよ?」
ネイトは両手を頭の後ろで組んで、椅子にもたれかかる。
椅子の前足を浮かせて安楽椅子のように揺らし、椅子がギシギシと音を立てた。
「自分だけの理由を探す助けになるかもしれないだろ?それに、ちゃんと聞いたことがなかったからな」
「そういうものか?」
「意外と新しいアイデアはそういうところから出てくるんだ。どうせ煮詰まってるんだろ。騙されたと思ってやってみろ」
スチュアートの真剣な表情に押され、ネイトは渋々目を閉じ、幼い頃を思い出そうとする。
両親に街に連れて行かれた時、小さな服飾店のショーウィンドウに飾られたスーツ。
美しいフォルムを描きながら、ネイビーの生地に水牛のボタンが輝き、まるで芸術品のようだった。
人々が足を止め、指を指して褒め、その出来にため息をつく姿。
あたかも美術館の一角のようだった。
あの光景が、自分を服作りの道に導いたことを思い出した。
「ショーケースの服…あれは美術館の絵画みたいだった。飾られて、眺められるために存在してた。あんな服を作りたい。そう思ったのがきっかけだ」
「ふむ、お前の特徴的なデザインは、その体験に起因しているのかもしれないな」
スチュアートはネイトの言葉に頷き、作業台の上に置かれた小さなマネキンへと目線を向ける。
ネイトの服はモード服に近いものが多く、似合う人間は限られるが、それ故に魅了される人間も存在する。
実際、「自分には着こなせないが、それでも欲しい」と言って来る客もいた。
「なら、それをぬいぐるみで実現できないか?」
「...ぬいぐるみでか」
スチュアートに言われたことを噛み砕くように、ネイトは腕を組んで思案する。
ベアトリスは常に子供に寄り添うために作られた。
ネイトの原点はその対極にある。
では、その原点に沿ったぬいぐるみはどういったものになるか。
「......棚や机に置いて、部屋を飾るためのぬいぐるみってのはどうだと思う?」
迷いながら尋ねるネイトの言葉を聞いて、スチュアートは顎に手を当てて思案する。
「.........発想は悪くない。部屋の飾りとして高級人形を置く人間も多い。もっと小さいもので言えば、屋敷や人形を再現したドールハウスは、上流階級の趣味の1つとして扱われている。ベアトリスは持ち運ぶことを前提としているから、違った客層を開拓できるだろう」
スチュアートの言葉を聞いた瞬間、ネイトの目が輝き始めた。
模索し続けてきた商品の方向性。
それに手が届きそうだと感じたからだ。
ネイトはハーディプールでも自分の好きなように服を作ってきた。
ぬいぐるみ作りではベアトリスという敵に勝つことばかり考えていたが、目の前にいない客のために商品を作るというのは性に合っていなかったのだろう。
だが、今は違う。
自分の原点に従って、自分の好みに合わせて好きにやっていいと言われたのだ。
ネイトはぬいぐるみ作りで感じていた窮屈さから、ようやく解放されたような気持ちになっていた。
「そういう場合、人形のサイズはどれくらいのものなんだ?」
「そうだな...」
ネイトは目を輝かせ、生地に手を伸ばした。
スチュアートも身を乗り出して、紙に大まかなサイズを書き始める。
その日、2人は明け方近くまで試作品作りに没頭した。




