6. 第4章 展示会と決意-2
展示会の会場は、まるで巨大な宝物庫のようだった。
装飾品、食品、織物、工芸品と、多種多様な商品が所狭しと並ぶ。
金箔のネックレスが光を反射し、香辛料の瓶がエキゾチックな香りを放つ。
会場は上流階級向けに一般開放されており、商人だけでなく子供連れの家族も多く参加していた。
とりわけ、着飾った貴婦人たちは上品なレースの手袋をはめ、細かな装飾がふんだんにほどこされたスカートを摘み上げながら、突撃兵のごとく化粧品やジュエリーに群がっていた。
彼女たちは少しでも商品に近づこうと扇で邪魔な相手を押し退け、まるで戦場の如く陣地の奪い合いを繰り広げていた。
商人たちはそんな熱心な客の反応を見極め、算盤を弾くように次の商機を狙う。
目の前にいるのは金を持った潜在顧客であり、彼女たちの目に叶う商品を用意すれば稼ぐことは容易いだろう。
そして、そんな彼女たちの財布である紳士たちは、休憩所で疲れ果てた心身を休めながらお茶を飲んでいた。
ネイトとラッセルが遠巻きにそんな光景を眺めていると、展示会のスタッフが音もなく寄ってくる。
「ここで認められた商品は世界各国で引く手あまたになります。文字通り戦場ですよ」
その目は怪しく輝いており、お前たちの出展品も同様の競争に晒されているんだぞと語っていた。
ネイトとラッセルは改めて自分たちの置かれた状況を理解し、割り当てられたブースへと向かった。
パーテションで囲われたブースには木製のテーブルが置かれ、犬と羊をモチーフにした試作品が並ぶ。
細かい接客は手配した者が対応してくれる。
彼らの仕事は顧客の生の反応を伺い、試作品の改善に繋がる何かを見つけ出すことだった。
ネイトはテーブルを睨み、「これで本当にいいのかよ」と呟く。
せっかく整えた赤い髪が乱れ、淡褐色の目に苛立ちが宿る。
ラッセルはブースの後ろに立ち、会場を見渡した。
「子供たちの反応は悪くない。気に入って欲しがる子もいる。最悪の事態は避けられそうだな」
彼の声は穏やかだが、安堵のせいか髭の下で唇がわずかに震えた。
確かに、試作品は子供たちの目を引いていた。
少女が犬のぬいぐるみを抱きしめ、「ママ、これ欲しい!」と叫ぶ。
少年が羊のぬいぐるみを手に取り、天高く持ち上げて目をキラキラさせていた。
だが、ネイトの心は晴れなかった。
ベアトリスと比べると、試作品には何か決定的なものが欠けている。
それが何なのか、彼にはまだ分からなかった。
とりあえず、ネイトは客の反応を見逃すまいと、睨むように凝視する。
だが、その視線の強さに客が怯えたせいで、接客しているスタッフから、「邪魔だから離れてて下さい」と言われてしまった。
ネイトが渋々ブースから離れようとすると、ちょうどブースに1人の老人が近づいてきた。
60歳くらいに見えるが、背筋は真っ直ぐ伸びて腰も曲がっていない。
痩せ型だが堂々としていて威厳があり、身長も170センチ半ばはありそうだ。
白い髪は濡れたようにウェーブし、右側だけかき上げられている。
琥珀色の目は知性と威厳を湛え、フレームがグレーのメガネが顔に溶け込む。
チャコールグレーのストライプダブルスーツは柔らかな生地で体に張り付くようなラインで、肩パッドも控えめだった。
その上品かつ威圧感が出ないようなデザインのスーツは、男性的な力強さや威圧感を出そうとしているネイトらのものとは対照的だった。
薄いグレーシャツと浅緋のネクタイが上品さを添え、焦げ茶色の革靴が静かな足音を響かせる。
白手袋を身に着けた手はステッキを握っているが、重心は偏っていない。
歩行の支えではなく、由緒正しい紳士がする装飾品の1つとしてのステッキなのだろう。
ラッセルはその老人の姿を見て動揺し、灰色の目を見開いた。
スチュアートが用意した資料に、その老人は最初のページに記載されていたのだ。
彼はヘザーリン帝国のぬいぐるみ会社「ティムクラフト」の創業者であるティム・ネヴィル。
つまりネイトとラッセルの最大のライバルが目の前にいたのだった。
フレームがグレーのメガネ、白手袋、ステッキのセットを、ティムが常に身につけているという情報もあった。
老人の後ろには4人の体格の良い男性が控えており、護衛が必要な人間とくればまず間違いない。
老人はネイトに近寄る。
「手に取って拝見してもいいかな?」
「ん?ああ、好きにしてくれ」
穏やかな笑みを浮かべながら礼儀正しく尋ねるティムに対し、いつも通りの調子で返すネイト。
ラッセルはその様子を見て、声にならない悲鳴を上げた。
だが、ティムは気を悪くした様子もなく、「それでは...」と言って白手袋のズレを直した後、犬のぬいぐるみへと手を伸ばした。
「......おい、ネイト。失礼のないようにしろ!」
慌ててネイトに近寄って小声で囁くラッセルに対し、ネイトは不思議そうな様子で振り向く。
「...なんでだよ?」
「彼はベアトリスの制作者のティムだ。ヘザーリン帝国の侯爵でもある」
その瞬間、ネイトの目の色が変わった。
倒すべき敵が眼前にいると知り、先程までの居心地の悪さは消し飛び、ネイトの対抗心が燃え上がった。
ネイトは反応を見落とさないようにティムの後ろへと近づき、ラッセルも同じように隣りに立つ。
ティムはそんな2人を気にする素振りも見せず、犬のぬいぐるみをしげしげと眺める。
全体のフォルムに手足のライン、顔のパーツの配置、縫い目の細かさやほつれの有無。
果ては、ぬいぐるみの正面だけはなく、背面、ひっくり返して下からもじっくりと観察した。
そして、たっぷりと時間をかけた後、深い溜息をついて2人の方を振り返る。
「上っ面だけを真似た作品だ。これが君たちの考える『可愛い』ぬいぐるみなのかね?」
その言葉に、ネイトとラッセルは凍りついた。
ティムの琥珀色の目は、まるで2人の心を見透かすようだった。
ネイトは反論しようと口を開いたが、言葉が出てこない。
ラッセルは手を握りしめ、灰色の目を伏せる。
ティムの指摘は正しかった。
彼らはベアトリスの形を模倣しただけで、その本質を理解していなかったのだった。
ティムは犬のぬいぐるみをテーブルに戻し、穏やかに言った。
「私は怒っているわけではない。ただ、残念に思っているだけだ。君たちは職人でありながら、なぜ単なる模倣に留まるのかと」
ネイトの淡褐色の目が揺れ、赤い髪が陽光に燃える。
「模倣…? 俺はただ…」
ネイトは言葉に詰まり、作業台での試行錯誤を思い出した。
ベアトリスのデザインを参考にしたが、そこには尊敬も情熱もなかった。
与えられた命令をこなすための手段でしかなかった。
今にして思えば、何が足りないのか分からないという話ではなかった。
そもそも何も分かろうとしていなかったのだ。
ラッセルは意を決し、ティムに尋ねた。
「本当の『可愛い』とは何でしょうか。どうすれば子供たちの心を掴めるんですか?」
ティムはステッキで軽く床を叩き、琥珀色の目でラッセルを見た。
「子供たちに愛される理由は、単に見た目だけの話ではない。そこに込められた愛情と情熱が、そう感じさせるのだ」
ラッセルは戸惑い、灰色の目でティムを見つめた。
技術と経験を備えたティムから返ってきた答えが、素人の娘たちのように曖昧だったからだ。
「愛情と情熱…?」
ティムは微笑み、言葉を続けた。
「私は期待していたのだ。ロックミア共和国が国産の高級ぬいぐるみ作りを始めると聞いて、遂に競争相手が現れるかと。別種の感性を持ち、ベアトリスに新たな風を吹き込む存在を」
ティムは自分の作品の改善とぬいぐるみ業界の発展のため、互いに競い合える有力な競争相手が必要だと考えていた。
多忙な彼がわざわざ遠方の展示会に来たのも、期待の現れだった。
しかし、彼は深い溜め息をつく。
「だが、期待外れだった。ロックミア共和国は別の職人に依頼すべきだったな」
その言葉にネイトの胸に火が灯った。
淡褐色の目が怒りに燃え、赤い髪が振り乱れる。
「テメエ、何だと!? 俺の作品が期待外れだと!?」
ネイトは一歩踏み出しティムに迫った。
ネイトの動きに反応して、ティムの護衛が行く手を塞ぐように前に出る。
「事実を述べたまでだ」
ティムは表情も変えずに手を上げて護衛を制するが、前言を撤回する素振りは見せない。
嫌がらせや駆け引きなどではなく、純粋な感想だとティムは告げていた。
その言動が逆にネイトを冷静にさせた。
「...ああ、テメェの言う通りだよ。他人の真似しただけの作品なんてクソだよな」
ネイトは目線だけを動かし、テーブルに置かれたぬいぐるみたちをチラリと見る。
ベアトリスの模倣。
そして、作品に不満を抱えていながら、そのことから目を背けた自分の未熟さの象徴。
一度折れた意志と反骨心が再び湧き始める。
「俺だけの『可愛い』ぬいぐるみを作ってみせる! テメエの澄ました顔に一発食らわせてやるぜ!」
会場が一瞬静まり、子供たちの笑い声すら止まった。
ラッセルの顔が青ざめ、ゴードンが青筋を立てて「おい、貴様!」と怒鳴りかける。
身の程知らずな発言に、ティムの護衛たちの顔が怒りに染まる。
だが、その中で唯一ティムだけが拍手しながら楽しそうに笑っていた。
彼はメガネの位置を直し、初めて本物の笑みを浮かべた。
「悪くない口説き文句だ。楽しみにしているよ、若者」
彼はステッキを軽く振り、優雅にブースを去った。
チャコールグレーのスーツが人混みに溶け、革靴の音が遠ざかる。
護衛の男性たちも慌ててその後を追っていった。
ラッセルとゴードンは、呆然とティムの背中を見送ることしかできなかった。
ネイトはテーブルに拳を叩き、息を荒げた。
「クソが! 絶対にアイツに一泡吹かせてやる!」
彼の淡褐色の目は燃え、職人としてのプライドが再び燃え上がった。
ネイトの頭の中には、ティムの言葉が深く突き刺さっていた。
愛情と情熱。
それがベアトリスの本質であり、ネイトに欠けていたものだと言うなら、それを何としても得なければならない。
雲を掴むような話だが知ったことではない。
やると言ったからにはやる。
何を代償にしても構わないとネイトは決意した。
「おい、ラッセル!ボケっとしてんじゃねえぞ、お前も手を貸せ!」
ネイトに言われ、ラッセルは唐突に現実に引き戻された。
そして今度は驚きで思考が支配される。
(ネイトに協力を求められたのは初めてじゃないか...?)
あの独立独歩なネイトが誰かに手伝えと頼むなど、ハーディプールで働き始めてから1度も見たことがなかった。
それだけ本気だというなら、今度は違った結果を得られるかもしれない。
ラッセルはそう考え、ネイトの方を向いて目を合わせ、力強く頷いた。
「...ああ、分かってるよ。2人で協力して、また1からやり直そう」
会場は再び喧騒に包まれ、子供たちの笑い声が響く。
ネイトとラッセルはティムの言葉を胸に、未知の戦いに立ち向かう決意を新たにした。
会場の外では空が真っ赤な夕焼けに染まり、まるで2人の闘志を映して燃えているようだった。




