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Restaurant  作者: 夜月暁
友香の場合
9/16

4.

 今の時代、インターネットがあれば、だいたいは通販で物を買える時代だ。店の備品だって、今やインターネットサイトで注文する時代が主流になりつつあり、その業務は友香の仕事だ。しかし私生活の方では、アルバイトの身である友香にはクレジットカードを持っていない。特段、カードがなくても不自由はないと本人は思っているのだが、だからか、彼女は自分の買い物には足を使ってお店を回るタイプだった。


 今日も、週に2日ある公休日だ。朝、目が覚めると瞼が重たく感じ、溜息をついた。

(昨日の夜、泣いたからかな…)

 考え事をしながら窓の外を眺めながら流れるまま涙を流していたら、そのまま疲れて眠ってしまったようだった。

(今日、仕事じゃなくてよかった…)

 部屋にある鏡台の前に座り、瞼が大きく腫れていて、一重になっている。もう一度ため息が友香の口からこぼれ落ちた。新しい服と本を買いに出かけようと思っていたのに…と思いながら、彼女は部屋を出て一階に降りて行った。


 人の気配を感じられない家。リビングの時計を見ると、8時過ぎていた。共働きの両親は、ふたりとも出かけている。朝食はいつも、大抵自分で作り、済ませている友香は、休みの日は夕飯当番を母親から言いつけられていた。しかし今は、冷蔵庫の中身より、瞼の腫れの処置が優先だとリビングから洗面所によって、引き出しからタオルを取り出してからキッチンに向かった。

 水栓を傾けると、勢いよく水が流れ出す。その水に先ほど取ってきたタオルを濡らしてギュッと絞った。次に冷蔵庫から氷を取り出し、小さな透明のビニール袋に入れてから、今濡らしたタオルで包む。それを手に、彼女は自分の部屋に戻った。


 ベッドに横たわり、作ってきた氷枕を両目の上にそっと乗せると、ひんやりと瞼が冷やされていくのを感じていた。

 しばらくの間、その冷たさを楽しんでいたが、すぐに体も冷えてくる。ブルっと体が震え出し、急いで氷枕を外して、乾いたタオルで濡れた部分を拭き取った。溶けかけた氷枕を持って、一階の洗面所に向かうと、流し台にそれを置き、目の腫れ具合を確認する。

(まだ少し腫れてるけど、こんなもんか…)

 氷枕を処分してから、いくらか目元がスッキリしたことを実感すると、お腹が鳴った。

(朝ご飯食べてから、ゆっくりと支度して出かけよう)

 その足でキッチンに入ると、早速冷蔵庫を開けた。朝ごはんはだいたい、卵料理で目玉焼きかスクランブルエッグかオムレツが定番だ。今日の気分はどれなのか、自分で自分に問いかけてみる。


(チーズがある。オムレツにしちゃおうかな)

 冷蔵庫からスライスチーズを一枚、卵を二つ取り出すと、友香は慣れた手つきで調理を始めた。

 焼いたオムレツを上手に皿に盛り付け終わったのと同時に、トースターの焼き上がりの音がキッチンに鳴り響いた。

 出来上がった食事をダイニングテーブルに運ぶと、自分の席に着き、両手を合わせ、美味しそうな匂いのする食事に手をつけた。

 いつもと変わらない平和な朝だ。もう9時前だが、食べてから支度して出かけるにはちょうど良さそうだった。昼ごはんは、たまには外で食べようかな、など朝食を食べながら、友香は今日1日の予定を頭の中で組み立て始めていた。


 白の綿のシャツに、ハイウェストのデニムスタイルに着替えた友香は、お気に入りの白いスニーカーに足を入れると、軽快に歩き出す。いつでもひとりで出かける彼女には、気軽に誘える友達などもういない。24にもなると、もう友達と遊ぶような歳でもないことを嫌でも実感させられるのだ。高校の時の友人たちは皆、就職して普通に働いている。以前は時々飲みに誘われるものの、彼らと話が合わなくて次に参加する時に躊躇していたら、誘われなくなってしまった。すると、自然に疎遠になっていった。

 しかし、そんなことをいちいち嘆いていても仕方ない。今の自分は、自分が望んでいることだ。


(まずは本屋かな。早く新刊を手に入れたい…!)

 今日は、待ちに待ったいつも読んでいるシリーズの新刊が出る日だった。幸雄と付き合っているときに、彼の本棚に入っていたのを読み始めたのがきっかけだった。それまでは、それほど活字を欲していなかった友香だったが、幸雄がいつもカバンに忍ばせているシリーズだと知り、彼に勧められたのだ。

「友香はミステリー、結構好きでしょ。ドラマとか結構見てるじゃない? だったら、ハマると思う」

 勧められるままに読み始めると、止まらない。彼の言う通り、友香はこの著者の小説に見事にハマってしまったのだ。彼が亡くなった後、彼の両親にお願いして、このシリーズで彼が持っていたものだけ譲ってもらった。形見として、今も彼女の本棚のいつでも手に取れるところに置いてある。

 駅までの道のりを歩きながら、ゆっくりと流れていく景色を眺めていた。時の流れが止まったかのような下町の商店街を抜けると、急に近代的な建物が現れる。それが駅だ。




(あ、これ可愛い!)

 行きつけの商業ビルのいつもの店を通りかかると、友香の目に飛び込んできたのは、彼女好みの可愛いワンピースだった。早速手に取り自分の体に当てて鏡を見てみる。濃紺で裾がレース仕立てになっていて、かなり大人っぽい印象のキャミワンピは、白いTシャツと合わせたら良さそうだ。機嫌よくそのワンピースを買い、他の店を回る。

(サンダルもほしいな…)

 程よく物欲を刺激され、靴屋を回り、いつも使っているスキンケアの店にも新作を見に行き、などしているうちに、手にはどんどん荷物が増えていく。5月のいい陽気の買い物は、喉が渇く。大荷物を持ったまま、フロアの端っこにあるカフェに入ると、迷わずに冷たいカフェラテを注文した。


(はぁ、生き返る…)

 ひんやりとした飲み物が喉を通り、それを堪能してついつい冷静になると、この荷物を持ったまま本屋には行けないな…と苦笑いを浮かべた。

(先に本屋に行く予定だったのに…)

 窓の外を眺めながらそう考えていると、「あれ?」という声が聞こえてきたのだ。不意に振り返ると、友香の席の前にいたのは、アイスコーヒーを片手に持った時田だった。

「偶然ですね、お買い物ですか」

 パッと明るい笑顔を浮かべた時田が、目の前にいることを理解できず言葉が出ないでいると、彼は立ったまま彼女に耳打ちする。

「もしかして、髙橋さんと一緒ですか?」

 急に彼が近づいて来て、さらにドキッとした。

「え、いや。さすがに休みの日まで一緒なんてことは…」

 なぜ和志? と思いながら友香はやっと時田の質問に答えることができた。

「では、ご一緒しても?」

 彼女の向かいの席が空いている。断る理由もない。彼女は「どうぞ」とにこやかに答えていた。


「時田さんは、今日はお仕事で?」

「えぇ。でも商談は午前中で終わって本屋に寄ってから会社に戻ろうかと思ってて。今日、好きな小説の新刊の出る日で」

 そう言って、彼が本屋の紙の包みを友香に見せた。

「お忙しそうなのに、小説をお読みになるんですね」

 意外、と思いながら彼女がそう尋ねると、彼は笑いながらうなずいた。目が細くなくなってしまうようにはにかむその笑顔には、どうしても既視感を覚えてしまう。思わず懐かしさが溢れてこぼれ落ちそうになり、慌てて彼女はカフェラテのグラスにささるストローに口を付けた。

「本、好きなんですよ。子どものころからよく読んでました。仕事の関係でもちろんビジネス誌も読みますけど、小説も好きです。休みの日、することがなかったらずっと本読んでて一日が終わってしまう日もあるくらい」

「…そうなんですね。それほどに」

 作り笑いを浮かべてそう答える彼女だったが、呪文のように頭の中では「幸雄とは別の人」を何度も繰り返していた。


「実は私も好きな著者の新刊が出るので、あとでその本屋さんに行こうと思ってたんですけど、今日は大荷物になってしまったので、今度にしようかなって思ってて」

「もしかして。いや、違うかもしれないけど」

 時田はアイスコーヒーを飲みながら買った本を紙袋から取り出したのだ。

(あ…)

 彼の手にあったのは、友香が買おうとしていた小説そのものだった。

「新聞に大きく広告が載ってたし、結構派手にCMとかもやってましたよね。御剣かなえの待望の新作!って。楢橋さんもこの本を買いに行こうと思ってたとか?」

「そうです!」

 つい興奮して大きく返事をしてしまい、その反動で縮こまる。それを見た時田は愉快そうに笑っていた。

「じゃぁ、この本、お譲りしますよ」

「え、だって買ったばかりで。楽しみにされてたんですよね? とんでもない!」

「そしたら、先に読んでください。どうせまたお店に伺いますし、その時に返していただければ。発売日に買っては見たものの、明日から新しいプロジェクトが走り出す予定で、仕事が立て込んでしまうかもしれなくて。そうしたら、すぐには読めないし」

 本を差し出され、彼女はおずおずとその本に手を伸ばした。


「またあなたに会える口実ができた」

 時田は、柔らかく微笑みながら本からそっと手を離す。すると、友香は自分の顔に熱を帯びていることに気づいたのだ。

「あなたは、表情がくるくると変わって退屈しませんね」

「え…」

 目を大きくして驚く友香に、時田はまた楽しそうに笑った。

「可愛い人だなって」

 彼がそう口にすると、ふたりの耳にバイブの震える音を掠めた。時田はスーツの上着の内ポケットに手を入れると、スマホを取り出して慣れた手つきで確認する。その様子を友香は思わず見つめていた。 メールだったようで、文面を確認し終わると、時田はすっくと立ち上がった。

「本当なら、その大荷物ですから車で送って差し上げたいところなんですが、会社に戻らなくてはいけなくて」

「いえ、そんな、お気になさらず。お忙しいでしょうから」

「あ、そうだ」

 彼は立ち上がったのに、もう一度彼女と向かい合うように椅子に座り直した。


「僕の名刺、受け取ってもらえませんか? 髙橋さんがすごい怪しんでいらっしゃるから、念のためですけど」

 彼はふふふと笑いながらそう言って、上着の内ポケットから名刺入れを取り出すと、一枚だけ名刺を取り出した。そして、その裏にペンで番号を書き加えたのだ。

「これ、僕の私物のほうのスマホの番号です。本の感想とかぜひ聞かせてください」

 手書きの番号が書き加えられた名刺をテーブルに置いて、そっと友香の方に滑らせた。そして、もう一度立ち上がると、彼は店を後にしたのだった。


 ポカンとしていた友香だったが、彼が置いていった名刺を手に取り、まじまじと見つめていた。そして、先ほど言われた言葉が頭を過ぎる。

(表情がくるくると変わって退屈しませんね、って…)

 動揺しないわけにはいかなかった。胸の鼓動が早くなり、顔がまた熱くなっていくのがわかるくらいに体温が上がっている。

(同じことを言うのね…)

『友香は顔芸やってるのかってくらい、くるくると表情が変わるよね』

 生前、友香が本を読んでいるときにも幸雄がよく言っていたことだった。素直に自分を出せるのは、幼い時から自分のことを知っている彼しかいない。

 大きく息を吐いて気持ちを整えると、残りのカフェラテを一気に飲んでしまった。そして、借りた本と名刺を丁寧にカバンにしまうと、友香も席を立って店を後にした。




 せっかく借りたのだからと、その日の夕方から読み始めた本は、やはり期待を裏切らない内容で、買ってきたものを部屋の床に広げたまま、彼女は一気に読んでしまった。

 0時過ぎ、ベッドの上で最後の行を読み終わり、穏やかな気持ちで本を閉じた友香は、この今の気持ちを誰かに伝えたい衝動に駆られていた。いつもだったら、何時でも幸雄に電話して一方的に感想を伝えることができたのに、今はその相手がいない。

(時田さんに…って、こんな時間にダメだよね…)

 むくっと起き上がり、首を振る。

(って、間に受けたら、ダメでしょ…)

 彼が『感想を聞かせてください』と言っていた時のあの顔が、彼女の頭の中で消えては浮かび、それを繰り返していた。


(でもあれは、連絡ください、ってことよね…)

 名刺の裏に手書きで書き加えられた、時田の私物のスマートフォンの番号のことだ。

(あぁでも、読み終わったと連絡して、本を返さないと…)

 友香の頭の中でやりたいこと、やらないといけないこと、やってはいけないこと、などがごちゃごちゃと乱立し、パンクしかかっていた。

(そうだ。明日から、忙しいって言ってたっけ…)

 すぐに連絡をしなくていいということがすぐにわかると、残念のようなホッとしたような複雑な感情が彼女を覆った。読んだ本をテーブルに置き、友香は頭から布団を被って目を閉じていた。


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