夢が覚める前に
『これがその白い封筒ですか』
ルース、アレス、ファルが俺の持つ白い封筒、特別サービス券を覗き込む。
メイが去ってから数分後に彼女たちがやってきて、事のあらましを再び説明した。そして、この白い封筒を見てもらうことになったのだ。
「何かが施されているわけでもありませんし、魔力も別段変わったところはありませんね」
ファルがその封筒を手に取り睨めっこをする。
その姿が先ほどのメイと被っていて、やはり遺伝子とはこういうところで似るのだなぁと心の中で思う。
「中身も確かめてみるべきだと思うのですが、それだと開封による起因の場合処置ができなくなってしまいますね」
「ああ、それはさっきメイも言ってたよ」
「そうですか。ならば開けずに確かめるしかありませんね」
ファルは封筒を俺に返すと、真っ直ぐに眼を見つめてきた。
「開けずに中身を確かめる、って何か方法があるのか?」
「あるにはありますが、無闇に魔法を使用することは危険です」
ならばどうやって中身を確かめるのか。
彼女の言葉の意図が掴めず困惑する。
「あなたは時間を遡ってきたのでしょう? その過程でこの封筒を二度開封した。つまり……」
つまり、俺に中身を思い出せと言うのだ。
申し訳ないが、そんなことは不可能だと言いたい。記憶力に自信があるわけでもなく、その全てを思い出すのは無理である。
「書いてあった文字は覚えてるけど、それ以外は全く覚えてないぞ」
文字の周りを囲むマジクッペンで書かれた模様など、記憶しようにも不可能である。書いた本人でも思い出すのは難しいかもしれない。
「結局は実物でないと意味はないのですが、もしその模様がなんらかの意味を表すものであれば、それが解決策に繋がるかもしれません」
そう言われると思い出さなければいけない気がするが、やはりどうにも思い出せない。
本人が覚えているかどうかはわからないが、一応聞いてみるとしよう。
「――――――というわけで、千草に電話したわけだ。どんな模様を描いたか覚えてるか?」
『う~ん、覚えてはないかなぁ』
「そうだよな、普通覚えてないよな」
まぁ、当然と言えば当然だ。
『一応参考にしたやつがあるから、それでも見る?』
「参考……?」
『そ、参考。ある意味で入江さんが主役だったから、ちょっとネットで調べて描いてみたの』
「ネットで……」
舞が主役ということも気になるが、それと関連する模様をインターネットで調べるというのも気になった。
『ほら、入江さんってオカルトとか好きじゃない? それで、そういったものに関連した画像を探してたの』
そこで見つけた画像を参考に特別サービス券の模様を描いたらしい。
『プリントアウトしたやつまだ持ってるから、学校に持って行こうか?』
「本当か!?」
それは実に有り難い。
ということで早速その参考にした模様を持ってきてもらうことにした。
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睨みあう二人。
運の悪いことに二人が学校へ到着したのが同時だった。千草が昇降口の前に来たと同時に、メイが空中からやってきたのだ。
事情は話してあるとはいえ、千草のメイに対する態度は明らかに敵意を剥き出していた。
対するメイは仕様がなかったことだと開き直っている。
「あ、あの~」
そして、千草は手に持っている紙をクシャリ握りつぶした。
「あー、あー!」
それは恐らく千草が参考にしたとされる模様がプリントされているものだろう。
「やろうってんなら付き合ってあげるけど、今はそんな場合じゃないのは知ってるんだろう?」
拳を構える千草に、まるで挑発するようにメイが言い放つ。
「知ってるよ、全部ね。あなた達のしようとしてることにも口を出すつもりなんてない」
それからまた二人はしばらく睨み合い、数秒後無言でこちらへとやってきた。
メイは少し離れた所の壁にもたれかかって、睨むようにこちらを見ていた。
「はい、高村君。これがその参考にした模様だよ」
「あ、ありがとう」
千草はぐしゃぐしゃになった紙切れを伸ばしながらそれを見せる。
確かに、そこにプリントされていた模様は特別サービス権に描かれたものと似ている気がした。
「どうだ、この模様に何か意味とかあるのか?」
千草から受け取った紙を皆にも見えるように広げる。
すると、アレスの口からこんな言葉が出てきた。これは魔法陣であると。
それは俺が見ても魔法陣なのだろうとわかる絵だった。しかし、それが意味のある魔法陣、彼女たちの使用するそれと同じであるとアレスは言う。
『この地球に存在する魔法陣が私達の使用する魔法陣と同じであると言うのも不思議な話ですね』
「そこまで不思議なことでもないかもしれないよ」
ルースの言葉に返したのはメイだった。
「どうやって隠してきたのかわからないが、この地球にも魔法に似た何かを使う人間がいる。それを考えれば、どこかしら似ることがあってもおかしくないんじゃないかねぇ」
彼女の言う通り似ると言う点では納得するが、一致すると言うのは不可解だと思える。
この魔法陣だけでなく、言語や名称も、この地球と一致するものがいくつか存在している。それは地球とガラシアになんらかの関係性があると思えるものだ。
「ともかく、この魔法陣はアレスたちが使うものと一緒なんだな?」
再び確認するとアレスは小さく頷いて答えた。
それならば、この魔法陣は一体どんな用途で使うものであるのだろうか。
「んーとね、この魔法陣は魔法の範囲指定に使うものだよ」
それは魔法陣の最も主な使用方法の一つである。となると、これがどういった理由で時間旅行に繋がるか、というのがわからない。
「範囲指定の魔法陣……?」
すると、メイが近寄ってきて広げる紙を覗き込み、確認するようにした。
「やっぱり、この魔法陣か」
ふと考え込むメイにどうしたのか訊ねるとこう返ってきた。
「あんた、タイムトラベルする前にファルが使っていた魔法陣の模様を覚えてるか?」
「ファルが使っていた魔法陣?」
メイに言われ数十分前の記憶を遡ってみる。
確か、ファルはドディックジュエリの結界を解くために、魔法陣を描いていたはずだ。その模様がどのようなものかまでは思い出せないが、それを二度の時間旅行直前に描いていたのは事実である。
「そういえば、結界を解除する時に使う魔法陣って……」
「そう範囲指定の魔法陣だ」
つまり、この紙に描いてあるものと同じというわけである。しかし、それとこの魔法陣にどんな関係があるのだろうか。
「実際に確かめてみないとわからないが、恐らくその二つが始点と終点になってるんだろう」
俺が鈴木から渡された白い封筒。そしてファルが結界を解除するために描いた魔法陣。この二つが時間旅行の二つの点となっているとメイは言う。
鈴木から封筒を受け取る瞬間、これが時間旅行が行われた時に戻ってくる点。ファルが描く魔法陣に近付いた瞬間、これが時間旅行が行われた時に出発する点。
「でも、範囲指定の魔法陣なんてこれ以外にも沢山あるだろ? この紙だってそうだし、他にも本とかに描かれたりするだろうし」
「そう、だから魔法陣って言うのは描くだけじゃあダメなんだ。描いた後にきちんと魔力を送り込むなりして、魔法陣としても機能を発動させなくちゃいけない」
特別サービス券と結界解除の魔法陣。本来二つの間に繋がりはなかった。しかし、それを繋いだ人間がいる。特別サービス券を受け取り、結界解除の魔法陣へと近付いた男。
「俺がそれを繋いだのか?」
「そ、無意識のうちにね。たまたま千草凪が描いた魔法陣に魔力が込められ、たまたまそれを受け取った高村月海が、ファルの描いた魔法陣に近付き関連を持たせた。そしてたまたま時間旅行の魔法が発動し、範囲を指定した時間を繰り返すことになった、ってことさ」
『確かに、それなら同じ時間を二度繰り返したことには納得ができますね』
メイの推論を聞き終えるとルースが同意するように答えた。
しかし、やはり肝心の時間旅行そのものの原因は不明のままだ。ドディックジュエリがなんらかの形で起こしたものだと言うことしかわからない。
だが、タイムトラベルを起こさないで済む方法は見つかった。ファルが結界を解除するために描く魔法陣。それに近付かなければいいだけだ。
『メイの推論が正しければの話ですがね』
そして最後にルースは付け足した。
そう、まだ確実とはいえない。しかし、試してみる価値はある。
「それじゃ、俺はこのまま学校に残るよ。まだ他に何か手がかりがあるかもしれないし。悪いけどドディックジュエリの回収は皆に任せた」
『ええ、それは構わないのですが。朝日公園にドディックジュエリがあって、それが暴走するのですよね』
ルースは半信半疑で問いかけてきた。やはり、未だに時間旅行というものを完全に信じていないのだろう。
『まぁ、行けばわかることですね。それでは後のことは頼みましたよ』
と言うと彼女たち、アレスとファルは朝日公園に向かって飛び立って行った。
彼女たちを見送ってから気付いたのだが、ここに残っているのがメイと千草の二人で、ものすごく気まずい雰囲気になっている。
「千草凪」
「……何?」
メイが静かな声で千草に声をかける。
「あんたは私にも千草凪であることを演じている」
「は……?」
メイは一体何を言っているのだろうか。千草も同じような疑問を持ったのか、首を傾げていた。
「ということは、あんたは私たちと別の場所にいるのに、同じような立場にあるということか」
更に彼女の言葉の意味がわからず、頭の中にクエスチョンマークが並ぶ。
「これも推論だが、千草凪の持つドディックジュエリによってこの空間が造られたということは、その起因を作った人物は意識を持ってここにいる事ができる」
この空間が造られた。意識を持っていられる。
一体何を言っているのだろう。
「千草凪、あんたの持つドディックジュエリは今どこにある?」
今度は千草に問いかけるメイ。
千草はとりあえず問いに答えた。
「ドディックジュエリって黒い石のことよね。それかどうかわからないけど、前に拾った黒い石は部屋に置いてあるわよ」
「そうか、ならその石を持ってきてくれないか?」
「別にいいけど、どうするの?」
「どうもしないさ。ただ、そんな危険なものを持っていて、この男が放っておくとも思えないんでね」
メイがちらりとその鋭い眼をこちらに向ける。
「ま、確かにそうよね。私が持っていてもしょうがないし。わかった、その石を持ってくるわよ」
そして千草は学校から出て行こうとしたのだが、ふと振り返ってメイを見つめた。それは敵意を剥き出したものではなく、純粋な疑問として向けられた目だった。
「あなたに会うのは二度目だけど、それ以外にも会ってたりする?」
「……さぁ、どうだろうね。私はあんたの持ってるドディックジュエリを狙ってたんだ。どこかでは会ってるかもねぇ」
千草はその回答にあまり納得していない様子だったが、気にしても仕方がないとそのまま学校を後にし家に帰っていった。
「さてと……これで邪魔者はいなくなったわけだ」
「……え……?」
メイの仮面から覗かせる不敵な笑みを見て、背筋に何か冷たいものが走った。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。何かものすごく嫌な予感がするんだけど」
「大丈夫、ちょっとばかし私に付き合ってくれるだけでいいんだ」
メイはそう言うと少しずつ俺に近付いてくる。
「な、何をするんだ?」
「だから、何もしないって」
彼女は一度深く溜息を吐くと、一転して真面目な顔で向き合った。
「あんたは時間旅行をしてから何か違和感を覚えたことはなかったかい?」
「違和感?」
「そう、例えば知り合いの態度がおかしいと思ったり、とかね」
メイに言われて少し思案したが、別段何かがおかしいと思ったところはない。
鈴木や佐藤たちと話をしても同じ言葉を聞くばかりで、それ以外は普通であった。
「いや、そういえば、鈴木に電話をした時、なんか変な感じがしたな」
それは単純にいつもの態度と少し違うと言うだけのことで、そこまで気に止めることではなかった。
「その変な感じがした、というのが重要なんだ」
「と言うと?」
「私も似たようなことがあってね。さっきお母様に会いに行っただろう? その時に違和感、と言うよりは絶対的な違いとして体験したんだ」
絶対的な違い。
メイは会いに行ったエリザベッタさんと話をしたのだが、どうやらその人はエリザベッタさんとは別人のように振舞ったらしい。しかし、本人はどうあっても本人であると言い張る。
「もう一つ絶対的な違いがあった。それは本来張られているはずの結界が綺麗さっぱりなくなっていたことだ」
その結界はエリザベッタさん本人が展開したもので、どんなに頑張っても解除するのは難しいと言う。メイでも決められたルートを通らなければ中に入ることはできない。
「そして最後にもう一つ。タイムトラベルとは記憶を過去に送ること。今回のそれも、あんたの説明を聞いて同じなのだと考えた」
だからメイは記憶の過去への転移を防ぐために、フォンテでそれを阻止した。にもかかわらず、メイの記憶は過去へと送られた。
「そもそもがおかしかったんだ。タイムトラベルは対象になった人間にしか、それが起こったと理解できない。あんたは確かにタイムトラベルをした。でも、一度目のタイムトラベルを私は経験していない。にもかかわらず、二度目のタイムトラベルを阻止しようとしたら、タイムトラベルが起きてしまった」
つまり、最初に時間旅行の対象になっていたのは俺だけだった。しかし、何故か二度目の時間旅行でそれを阻止しようとしたメイが、対象になっていないのに時間旅行を経験してしまった。そこがおかしいのだと彼女は言う。
「あんたの経験からして、タイムトラベルの理論は私たちの想像するそれと同じだ。だが、私たちも一度目からタイムトラベルをしていたとするなら、そこでは起きないはずの記憶の削除が行われていた。ドディックジュエリが意図してそれをしたと言えばそれまでだが、それじゃあ話が先に進まない」
「ってことは、つまりどういうことだ?」
話が難しくなってきてよくわからなくなってきた。
「まぁ、これは実際に体験しないとわかり難いものだ。つまり、私たちは最初からタイムトラベルなんてしていなかったんだよ」
「タイムトラベルをしてなかった……!?」
しかし、過去二回とも同じ景色を同じ時間過ごしたのだ。それをいきなり時間旅行をしていないといわれても納得できない。
「それが厄介だったんだ。同じ景色を繰り返す。それはタイムトラベルといっても間違いはないだろう。だが、私は同じ景色を繰り返さずに外を見た。あんたも少しは見たんだから気付くだろう? この世界の違和感に」
「世界の違和感……」
メイが経験した、エリザベッタさんが偽者のようでしかし本人は本物だと言い張る、といったことだろうか。
「この世界の人間、そして世界そのものは、全く同じ事を繰り返していた。しかし、それはある何かに向けて発信していただけで、私に対してはかなり曖昧なものになっていた」
展開してあったはずの結界がなくなっていたこと。そして、エリザベッタさんの不可解な言動。それ以外にも小さなものならいくつもあると彼女は言う。
「単純な繰り返しならば、少し外れただけで崩れるはずだ。でも、この世界は単純に繰り返したわけではない。私やファル、アレスたちがそうであるようにね」
なんだか更にわけがわからなくなってきた。結局どういうことなのか、メイに問い詰める。
「結論から言うと――――――この世界はあんたの記憶が作り出した幻ということだ」
「お、俺の記憶が作り出した!?」
「そう、その記憶の世界に、現実世界に存在したものたちを投影して演じさせていたんだ」
ぶっ飛んだ推測だったが、そう考えると辻褄が合ってしまう。
この町に住む人達の言動がおかしくなるのは、俺の記憶がないせいだ。ある程度の受け答えはできるが、俺が知らないことには答えられない。鈴木の言動がおかしかったのはこのせいなのだろう。
そして結界の件だが、それは俺が全く知らなかったので最初からそこには何もなかった。
「それじゃあ、メイやファルたちと普通に接することができるのはどういうことなんだ?」
「ああ、これも推測だが、私たちはあの場にいたメンバーだ。一度目のタイムスリップが起きる前も、私たち五人があそこにいたんだろう? 何かしらの理由で私たちはあんたの記憶に入り込んだってことだ」
先ほどメイが言っていた「千草の持つドディックジュエリによってこの空間が造られたということは、その起因を作った人物は意識を持ってここにいる事ができる」というのもこのことなのだろう。
「じゃあもう一つ。俺はエリザベッタさんがどこにいるか知らないのに、メイは会うことができた。それはどう説明するんだ?」
「それはさっきも言った様に、この世界はあんたの記憶が作り出した「世界」だ。ただの記憶を夢として見ているだけじゃなく、実際に体験している。それはこの世界の住人も同じで、繰り返しを義務ずけられているだけの独立した存在なんだ」
独立した存在。でなければ、少しずれただけで世界そのものが崩壊してしまう。
個人が独立しているからこそ、言動はおかしくとも世界を保っていられるのだという。
なんとなくだが納得できる説明だ。でも、絶対にそうかと言われると違うような気もしてくる。
「それを確かめるために、あんたとこうして二人っきりになったわけだ」
「た、確かめるって言っても、どうやって……?」
グイと近付く彼女に押され、仰け反るような体制になる。
「それは、あんたの頭の中にある何かを消し飛ばすことさ」
「あ、頭の中を消し飛ばす!?」
一体何をしようというのだこの人は。
「言っとくけど消すのはあんたの頭、というか記憶の部分だからね。そこに何かしらの魔法が施された可能性がある。だからこの世界が作り上げられた」
それを消してしまえば、この現象が収まると彼女は考えるようだ。
「この世界は高村月海の記憶が作り出したもので、あんたが夢を見ているような状態だ。その夢に私たちは意識だけ取り込まれた。私に一度目のタイムトラベルを経験した記憶がないのは、私自身がタイムトラベルの後、つまりこの世界の繰り返しのためにあんたが記憶した私だからだ。その私を現実世界の私が意識だけ持ってこられて演じている」
「ん、ん~……?」
やっぱりよくわからない。なんとなく理解できるようで理解できていない。
「あーともかく! 一度試してみればいいんだよ。何も起きなかったらまた一からやり直せばいいんだ」
「ま、まぁそうだな」
別に何かを壊そうってわけではないから、試してみる価値はある。
「でも、どうしてわざわざ二人っきりになる必要があったんだ?」
それを試すだけならば、皆がいても問題はない。それどころか、いた方が良かったのではないだろうか。
メイに聞くと、彼女はその仮面の奥の顔を少しだけ紅く染めたのが見えた。
「こういう機会でもないと、あんたとちゃんと話すなんてできないと思ったからね」
「俺と話す?」
話すだけならばいつでもできるのに、なぜ急にそんなことを思ったのだろうか。
「私はずっと兄という存在を話で聞いてきた。どういった経緯で生まれたとかも聞いた。でも、血が繋がっているとかそんなものは関係なく、その兄に何かしらの思いを抱いてたんだよ」
その兄がどんな人間で、どんな生活をしているのか。実際に会ってどうしたいのかもわからず、それでも会いたいと心のどこかで思っていた。
「それで実際会ってみたら、案外拍子抜けしたよ。普通の男で、特別な何かがあるわけじゃない。そんなことはわかりきった話だけどね。顔もイケメンじゃないし」
「わ、悪かったな、イケメンじゃなくて」
メイは僅かに頬を緩ませ笑う。
「でも、なんて言ったらいいのかわからないけど、会えて良かったよ、色んな意味で」
「そうか……」
「そう、本当に会えて良かった。こんな状況だからこそ私のこの気持ちがある。この気持ちは大事にしたい」
「……」
仮面に隠れた彼女の顔は表情がよく読み取れないが、でもはっきりとわかる。彼女の微笑みは今までのどんなものより純粋なものだと。
「でも、どうして急にそんなこと話したんだ?」
「そりゃあこんな機会じゃないとこっぱずかしくて言えないからね」
先程も言っていたが、いつ言っても恥ずかしいことに変わりはないと思うわけである。
「……っ……」
すると、彼女の細い指と冷たい手の平が俺の額を覆った。
「この世界はあんたの記憶が作った幻。そして私も意識だけがこの世界に取り込まれた。その世界を消すとなればこの世界の私は消滅する」
「消滅……!」
「そ、消滅。まぁ消滅と言っても夢から覚めるのと同じで、あってないような世界だから気にすることなんてない。現実世界とは全く無関係だ。この世界での出来事は綺麗さっぱり忘れてるだろうさ。そもそも、現実世界の私たちはこの世界を経験してないんだから、忘れるという表現もおかしな話だけどね」
夢から覚める。
そう聞いただけならばなんとも思わない。でも、この世界は夢や幻でも、意識としてこちらに移されたメイたちは確かに現実とは別の存在だった。それを消すなんて――――――
「何かを消すと考えるから気が引けるんだ。元の形に戻すって考えな。勝手に作られた夢から覚めるために元に戻すってね」
「でも……」
「悪いけど、ここで言い争う時間はあんたにあげないよ。こっちだってさっき言った事を早く忘れたいんだ」
メイは再び少しだけ頬を赤らめると、急ぐように額を手で押し付けてきた。
「じゃあね、向こうに戻ればまた敵同士だ。そんときはよろしく頼むよ」
「ちょ、まっ――――――」
瞬間、頭の中の何かがかき消されていく。
それは記憶の中にあった世界。
今立つその場所とそれは同じで、消えていく記憶と同じく世界が崩れる。
白く、黒く。全てを塗りつぶし、全てを消し去る。
最後に目にしたのは彼女の顔。
仮面の奥に浮かぶ笑顔は、少女の純粋な笑顔だった。
===========================
生暖かい風が流れ、草木を揺らす音が微かに耳に入る。
眠りから無理やり起こされたように瞼は重く、身体も随分と疲労感があった。
「……っ……」
ゆっくりと身体を起こすが、節々が痛くて上手く身体を動かせない。
随分と長い間眠っていたようで、辺りはかなり暗くなっていた。ケータイで時間を確認してみると、そろそろ八時を回るところだ。
これだけ長い間風に当たりながら地面に寝転がっていたら、身体も疲れるに決まっている。
「――――――」
なぜこんなところで眠っていたのか。
思い返す必要もない。鮮明に覚えている。
「俺の記憶が作り出した世界、か」
俺はその世界を、夢を見るように体験した。だから、その夢が消えても、そこで体験したことは記憶に残っているということか。
しかし、彼女たちは違う。彼女たちは現実から切り離されたもう一つの意識。世界が消えると同時にそれも消してしまった。ここにいる皆とは別人なのだ。
「……ん……」
すると、隣でもぞもぞとする人影が目に入った。それは紅髪をゆさゆさと揺らし身体を起こす。
「大丈夫か、アレス」
「う、うん、なんとか……って、そうだ。ドディックジュエリはどうなったの?」
アレスは辺りを探すが、この暗くなった公園ではなかなか見つからない。
「……アレス、ここにありましたよ」
と、いつの間にか起き上がっていたファルが、アレスよりも先にドディックジュエリを見つけていた。
結局この二つのドディックジュエリは、今回の騒動に関係なかったようである。今は結界も解除されており、アレスはその二つのドディックジュエリをゲレータに預けていた。
「なんだか知らない間に時間が経ってたみたいだね。私たちずっと寝てたのかな?」
服に付いた土埃を払いながらアレスは首に掛かったルースに訪ねていた。
『アレスの思っているものとは違う意味で寝ていたのだと思います。私も意識を失っていましたからね』
「ルースが強制的に?」
機械であるルースは自分から休止状態になることはあっても、人間的な眠るという行為を自然に行うことはない。つまり、これは普通に眠らされたわけではないということを語っていた。
やはり、皆は覚えていない様子である。もしかしたら、と思ったが、意識が独立した時点で別物なのだから経験さえしていないのか。
「……」
皆から少し離れた場所で静観するメイを横目で見る。
彼女も同じく記憶はないのだろう。あの世界にいたメイと交わした言葉は、彼女にとってなかったことになっている。彼女自身はそれを見込んで話したことだったが、それがなくなってしまうのはやはり寂しいものだ。
起こった事をありのまま話そうとも思ったが、メイにどやされそうなので今はやめておいた。
「ともかく、ドディックジュエリの暴走は収まったんだ。それでいいじゃないか」
アレスたちが議論をする中にメイが割って入る。
「そうだけど、やっぱり気になるんだよねぇ。私たちが眠ってる間に何があったのか」
「なら、そうやってずっと考えていればいいさ」
すると、メイは身を翻しこちらにやってきた。そしてすれ違いざまに、皆には届かない声で耳打ちをした。
「アレは二人だけの秘密だ。言っておくがこれは命令だからね。破ればどうなるかわかるだろう? お・に・い・ちゃ・ん」
「――――――!」
その言葉に慌てて振り返ったが、既に彼女は遠く空の彼方に飛んでいってしまった。
追い駆けようかとも考えたが、それはやめておくことにした。本当に何をされるかわからないし。
「……」
思い出すのは彼女の微笑み。
仮面の下にあるその顔は見えなくても、彼女の気持ちは伝わってきた。
言葉では言い表せない何か。
心にきちんとそれは残っている。