第56話 白雲村の朝
白雲村へ戻る頃には、空が夕焼けに染まり始めていた。
山から吹き下ろす風に、もう白い胞子は混じっていない。
腐った草のような臭いも消えていた。
「戻ってきたぞ!」
村の入口で見張りをしていた男が声を上げる。
その声を聞き、家の中で休んでいた村人たちが次々と外へ出てきた。
「森の白い煙が消えている」
「空気もきれいだ」
「本当に、原因を倒してくれたのか?」
俺たちのところへ、リネアが駆け寄ってきた。
「皆さん、ご無事だったのですね!」
「ああ」
俺は森の方角を振り返る。
「胞子を生み出していた魔物は倒した。もう森から流れてくることはない」
リネアは口元を両手で押さえた。
「ありがとうございます……」
目から涙がこぼれる。
「これで、父も村の皆も助かるのですね」
「原因は消えましたが、身体に残っている胞子は治療する必要があります」
ピーチが薬箱を抱え直す。
「重い症状の方から診せてください」
「はい。すぐに案内します!」
◇
村の広場へ、簡単な治療場所が作られた。
ピーチが村に残っていた薬草を確認し、一人ひとりの症状に合わせて薬を調合していく。
「こちらは熱を下げる薬です」
「次の方は、喉の炎症が強いですね」
技能を取り戻したピーチの手には、迷いがなかった。
薬草を刻み、量を測り、患者の状態に合わせて配合を変える。
ローズは家の中に残っていた胞子を風で外へ運び出した。
「窓を開けてください」
穏やかな風が家々を巡り、床や壁へ付着していた白い粉を集めていく。
村の外へ運ばれた胞子は、ピーチが作った薬液へ触れ、黒くなって崩れた。
ラベンダーは村人と一緒に井戸から水を運んでいる。
「次はどこの家?」
「あちらの家へお願いします」
「分かった!」
ラベンダーは大きな桶を両手で抱え、軽い足取りで走っていった。
ピクと妖精たちも、包帯や空き瓶を運び回っている。
「お薬、持ってきたよ!」
「こっちはお水!」
「勝手に飲んじゃ駄目ですよ」
「飲まないよ!」
そう答えた妖精が、薬瓶の匂いを嗅ごうとしてピーチに止められていた。
俺は動けない村人を広場まで運びながら、皆の様子を見る。
白蝕竜との戦いで傷つき、疲れているはずだ。
それでも、誰も休もうとはしなかった。
戦いが終わっても、村が元に戻るまでは終わりではない。
◇
「ミントさん」
クローバーが村の外から戻ってきた。
その後ろには、数頭の山羊と荷馬が並んでいる。
「森へ逃げていた家畜か?」
「はい。白い根に怯えて、村へ戻れなくなっていました」
村人たちが家畜へ駆け寄る。
「無事だったのか!」
「よかった……!」
山羊たちは飼い主の顔を見ると、安心したように鳴いた。
荷馬も長い首を伸ばし、村人の肩へ鼻先を押しつけている。
一人の老人がクローバーへ頭を下げた。
「ありがとうございます。あなたは、魔物使いなのですか?」
「いいえ」
クローバーは柔らかく笑う。
「この子たちへ、一緒に帰ろうとお願いしただけです」
「言葉が通じるのですか?」
クローバーは、そばにいた山羊の頭を撫でた。
「言葉とは少し違います」
山羊がクローバーの手へ頬を寄せる。
「私はこの子たちを信じています。この子たちも、私を信じてくれている。それだけです」
白蝕竜との戦いで覚醒した《心結び》。
命令して従わせる力ではない。
互いを信頼することで、気持ちを伝え合う力だった。
「クローバー!」
ピクが飛んでくる。
「森の子たちも元気?」
「はい。白い根が消えて、皆それぞれの住みかへ帰っていきました」
「よかった!」
ピクは嬉しそうにクローバーの周囲を飛び回った。
◇
夜まで治療は続いた。
重症だった村長も、ピーチの薬を飲んで熱が下がった。
「本当に……ありがとうございました」
まだ立ち上がることはできないが、顔色はかなり良くなっている。
「皆さんが来てくれなければ、この村はなくなっていたでしょう」
「助けを求める手紙が届いたから来られた」
俺が答えると、村長はリネアを見る。
「よく手紙を出してくれた」
「私だけの力ではありません」
リネアが首を横に振る。
「妖精たちが、手紙を運んでくれたからです」
「妖精のポストだな」
「はい」
村長は窓の外へ目を向けた。
月明かりの下に、雲綿草の畑が広がっている。
黒ずんでいた畑には、まだ傷んだ株が残っていた。
それでも、白蝕竜の根が消えたことで、茎には少しずつ緑色が戻っている。
「畑も、きっと元に戻ります」
ローズが言った。
「森へ奪われていた生命力が、戻り始めています」
村長は深く息を吐いた。
「それを聞いて安心しました」
◇
翌朝。
村人たちの声で目を覚ました。
「畑を見てくれ!」
「雲綿草が!」
俺たちは急いで外へ出る。
朝日を浴びた畑には、白い雲のような景色が広がっていた。
黒ずんでいた雲綿草の茎から、新しい綿が一斉に膨らんでいる。
「ふわふわ!」
ピクが真っ先に畑へ飛び込んだ。
「ピク、勝手に入るな!」
「大丈夫だよ!」
白い綿の中へ姿が消える。
しばらくして、頭から足まで綿だらけになったピクが飛び出してきた。
「見て! ピクも雲になった!」
「妖精というより、綿の塊だね」
ラベンダーが笑う。
ローズがピクの髪についた綿を取り、ピーチも肩についた綿を払ってやる。
「口に入れないでくださいね」
「食べないよ!」
「先ほど、少し口を開けていましたよ」
「開けただけ!」
村人たちの間にも笑いが広がった。
昨日まで咳と苦しむ声しか聞こえなかった村に、明るい声が戻っている。
◇
出発の準備をしていると、村長とリネアが大きな包みを持ってきた。
「こちらをお持ちください」
包みの中には、収穫されたばかりの雲綿草が三束入っていた。
「冬を越すために必要な物だろう」
俺は受け取らずに言う。
「村で使ってくれ」
「皆さんが来なければ、収穫することすらできませんでした」
村長は雲綿草を俺へ差し出す。
「畑を救ってくださった方に、最初の収穫を受け取っていただきたいのです」
「でも……」
「新しい家族の寝具に使うのでしょう?」
リネアがクローバーを見た。
クローバーは驚いたように自分を指さす。
「私のことをご存じなのですか?」
「昨日、ピクさんから聞きました」
「ピク?」
見ると、ピクはローズの髪の後ろへ隠れた。
「少しだけお話ししたよ」
「全部話したんじゃないのか?」
「少しだけ!」
リネアは笑いながら、もう一つの木箱を開けた。
中には、丈夫な木枠にはめられた透明な窓材が入っている。
「これは村の集会所を直すために保管していた物です」
「それまで受け取れない」
「集会所の窓は、まだ使えます」
リネアはクローバーへ窓材を差し出した。
「牧場がよく見える、大きな窓にしてください」
クローバーは窓材と雲綿草を見つめた。
「本当に、いただいてもよいのでしょうか」
「はい」
「ありがとうございます」
クローバーは両手で窓材を受け取り、深く頭を下げた。
「大切に使います」
これで、部屋を増築するための素材がすべてそろった。
【木材 十本】
【石材 五個】
【柔らかな布 二枚】
【窓材 一枚】
【寝具用の綿 三束】
「帰ったら、すぐに部屋を作れるな」
俺が言うと、クローバーは嬉しそうに頷いた。
「はい」
雲綿草を抱え、白雲村の向こうにある山道を見る。
「早く家へ帰りたいです」
以前のクローバーには、飼育小屋しか帰る場所がなかった。
今は違う。
妖精の家を、自分の家だと言っている。
「ああ。みんなで帰ろう」
白雲村の人々が、村の入口へ集まっていた。
「本当にありがとうございました!」
「また来てください!」
「今度は何も起きていない時に!」
俺たちは村人たちへ手を振り、山道を歩き始める。
先頭では、ピクが元気よく飛んでいた。
「みんなで帰ろう!」
ピクが大きな声で叫ぶ。
「妖精の家へ!」
俺たちは新しい家族の部屋を作るため、帰るべき場所へ向かった。




