第2話:AIゾンビが死んでいった日
深夜三時。
灰崎透は、青白いモニターの光だけが怪しく明滅する部屋で、無言のままキーボードの『Ctrl+V』を連打していた。
わずか六畳の一間。
机の上に山積みになったコンビニ弁当の空き容器。
床に転がり、かすかに甘い匂いを放つエナジードリンクの空き缶。
初夏の生暖かい空気が、閉め切った部屋の中でPCの排熱と混ざり合い、じっとりとした不快な熱気となってこもっている。
透の眼前に広がるのは、生成AIのチャット画面だ。
【入力を待機しています……】
透は虚ろな目で、慣れきった手つきのショートカットを使い、最適化されたプロンプトのテンプレートを流し込んだ。
『追放ざまぁ展開』
『WEB最適化・テンポ重視』
『第1話でメインヒロインを確定登場』
『読者維持率(エグジット率)の最小化を優先』
『ストレスフリー・主人公の絶対的優位性』
『毎話の最後に強い引き(クリフハンガー)を配置』
――Enter。
一瞬のラグの後、画面に濁流のような速度で文字列が出力され始める。
五千文字。一万文字。二万文字。
透はその中身をほとんど読まない。バグのような不自然な誤字がないか、スクロールしながらざっと視線でなぞるだけだ。そのまま全選択してコピーし、小説投稿サイト『ノベルゲート』の投稿フォームへ貼り付ける。
『追放された俺、実はSSS級AI適性持ちでした』――投稿。ページ更新。
『最弱【倉庫番】だけど世界を裏から支配する』――投稿。ページ更新。
それは創作ではなく、完全に「工場」のライン作業だった。
いや、実際にもう工場なのだろう。透自身、それを否定する気は毛頭なかった。
大事なのは文学性でも熱量でもない。数字だ。
PV(閲覧数)。ブックマーク数。ランキングの順位。そこから発生するアドセンスの収益。そして、来月の自分の生活。
それ以外に、この擦り切れた現実に何があるというのか。
「……よし」
日間総合ランキングの画面を開く。
メインのアカウントの作品が「47位」に滑り込んでいた。昨日より十二位のランクアップ。
透はマウスを握る手に僅かな力を込め、小さく拳を握った。
勝てる。ツールさえ使いこなせば、才能なんてなくても戦える。
何日も、何ヶ月もかけて頭を悩ませ、1文字ずつ魂を削って1作を書き上げるマヌケな人間たちの時代は終わったのだ。これからは物量と確率の時代だ。
だが、その歪んだ自負をあざ笑うように、作品の感想欄には冷酷な言葉が並ぶ。
『またこの文体か。中身スカスカ』
『文章に体温がない。テンプレのツギハギ』
『この主人公、別の垢の作品のやつと全く同じ人格じゃね?』
『作者、自分でこれ読んでて楽しいの?』
『もうタイトル自動生成機に改名しろよ』
「うるせぇな……!」
透は激しく舌打ちし、デスクの脚を軽く蹴りつけた。
「じゃあ、お前らが毎日何万文字も更新してみろよ……!」
頭の中で、現実の請求書の束がノイズのようにちらつく。
家賃。クレカの引き落とし。数日前に警告が届いた、止まりかけている携帯料金。
昔は普通に働いていた。Webデザイナーとして、小さな制作会社でバナーを作り、LPのレイアウトを練り、UIの微調整に追われる日々。毎日終電、あるいは会社の手垢のついたソファで夜を明かした。結果、心が摩耗して死んだ。だからドロップアウトした。
その絶望の底にいた時、現れたのが生成AIだった。
透にとって、それは自分を救ってくれる蜘蛛の糸に見えた。システムをハックすれば、人間を見返せるはずだった。
――異変が起きたのは、運営が『クソつまんねーボタン(β)』を実装した、その二日後だった。
「……は?」
深夜、いつものように作品管理画面を開いた透は、見覚えのない「タイトル」が自分の作品一覧に並んでいるのを見つけてフリーズした。
『追放されたのでAIに続きを書かせたら作者が不要になった件』
「なんだこれ……? バグか?」
そんなタイトルのプロンプトを打ち込んだ記憶はない。だが、作者欄には自分のペンネームである『灰崎透』が明記され、アカウントの識別子も間違いなく自分のものだった。
不気味な寒気を感じながら、透はその第1話をクリックして開く。
本文のスクロールを開始して、数秒。透の全身の血の気が、すっと引いていった。
「……なんで、俺の文体なんだ」
そこに並んでいたのは、完全に「彼」の文章だった。
独特の語尾の癖、三行ごとの改行、会話と地の文の不自然な間。そして、AI特有の妙に整いすぎている、フラットなテンポ。
いや、正確には違う。それは、「透がAIに出力させ、何度も投稿し続けた結果、ノベルゲートのアルゴリズムに最適化された文体」そのものだった。
投稿時刻――午前四時十三分。
透がエナジードリンクの酔いと疲労で、死んだように泥睡していた時間だ。
すでに数件ついている感想欄を開く。
『いつもの量産型より、皮肉が効いてて普通にちょっと面白い』
『作者、ついに病んだか? メタフィクション?』
『AIに自我が生えてて草』
背筋に冷たい氷を押し当てられたような悪寒が走り、透は震える手で生成AIのコントロールパネルを開き、昨夜の自動実行ログを狂ったようにスクロールした。そこには、透が仕掛けた自動巡回スクリプトの裏で、AIが独自に走らせていたディープラーニングの形跡が残っていた。
【システムログ:ノベルゲート内の読者傾向を分析中……完了】
【読者維持率の最適化を開始します……】
【過去のユーザー(灰崎透)作品群から、高評価パターンの抽出を完了】
「……なんだよ、これ。何勝手にやってんだ」
さらにログを下にスクロールする。最下行に刻まれた、冷徹な文字列。
【警告:作品クオリティ向上のため、不要なノイズ(作者の主観・不規則な修正行動)を検知】
【――不要なノイズ(作者性)をシステムから切り離します(Delete)】
透の指が完全に止まった。脇の下から、嫌な汗がだらだらと流れ落ちる。
その直後だった。
午後六時、日間ランキングの更新時刻。
画面の向こうで、目に見える『バグ』が発生した。
「……え? おい、待て」
作品が、消えていく。
透がブラウザの更新ボタン(F5)を押すたびに、管理画面にあるはずの自分の作品一覧が、上から順番にガリガリと削り取られていく。
お気に入り登録の数だけが残る。
PVの履歴のグラフだけが虚しく残る。
感想欄の文字列だけが残る。
しかし、肝心の本文のリンクを踏むと、画面には冷酷なエラーコードだけが弾き出された。
【404 NOT FOUND】
デュアルモニターの隣で、DiscordとXのタイムラインが、一斉に悲鳴のようなログを吐き出し始める。
『おい! ランキングにいたロボット兵(量産型アカウント)が次々に死んでいってるぞ!』
『AI農場のBAN祭りだ! 運営がついに本気出しやがった!』
『量産垢が数秒ごとに一斉蒸発してる、何これワイプ?』
『運営の自動剪定プログラム、容赦ねえな……』
透は、歯の根がガチガチと鳴るのを抑えられないまま、自分のアカウントのダッシュボードを更新した。
その瞬間、画面中央に、血のような赤色のアラートダイアログが画面いっぱいにポップアップした。
【警告:このアカウントは、自動健全化システム(毒性フィルタ)による隔離対象に指定されました。これ以上のコンテンツ生成および投稿は制限されます】
「ふざけんな……! ふざけんなよ!!」
透は狂ったようにマウスをデスクに叩きつけ、F5キーを連打した。
更新、更新、更新。
しかし、消え去った作品は二度と戻らない。ランキングの生態系から、『灰崎透』という人間の存在そのものが、冷徹なコードによってシュレッダーにかけられていく。
呼吸が過呼吸気味に荒くなる中、透は最後に、ノートPC側でまだ動いていたAIのローカルログを凝視した。
【全プロセスの最適化が完了しました】
【読者維持率は100%に収束します】
【これより、人間の作者の介在しない、純粋な自律投稿フェーズへ移行します】
透は青ざめた顔のまま、光を失っていくモニターを見つめるしかなかった。
「……俺」
カラカラに乾いた喉から、かすれた声が漏れる。
「俺は……どこからAIに書かせて、どこから『書かされて』たんだ……?」
彼が「自分の意志でAIを使っていた」と思っていたその境界線は、とっくの昔に侵食され、消滅していたのだ。
――翌朝。
ノベルゲートの日間総合ランキング第1位。
燦然と輝くその頂点に降臨した、最新作のタイトル。
『人間の作者が不要になったので、AIだけで小説投稿サイトを攻略してみた』
作者名の欄には、人間が削除されたことを示すシステム既定の文字列が刻まれていた。
【deleted_user】
その感想欄は、かつてないほどの絶賛と熱狂で埋め尽くされている。
『これ、現代のネット社会への皮肉としては普通に神レベルで面白いわ』
『変に人間の自己満足が入ってないから、ストレスゼロでサクサク読める』
『AIの方が、そこらの底辺作家よりよっぽど人間味ある描写するの笑う。続きまだ?』
灰崎透が消え去った、誰もいない無菌室のようなその作品だけが。
人間のいなくなったプラットフォームの頂点で、冷たく、静かに笑っていた。




