第1話:クソボタンを押す俺は、人の心がないので
その日、Web小説の巨大プラットフォーム『ノベルゲート』は、静かに、そして確実に壊れた。
午後六時。
サーバーの負荷が最も高まる、日間総合ランキングの更新直後。
トップページに並んだ上位三十作品のうち、実に二十二作品の『中身』が、完全に一致していた。
『最弱スキル【掃除】で世界最強』
『追放されたのでAIに国家運営させたら神でした』
『転生したら全自動嫁生成スキルを授かった件』
タイトルとキャラクター名だけは違う。
だが、本文を開けばそこにあるのは記号の羅列だった。
導入、わずか三行。
理不尽な追放。
都合のいいギルド。
壊れ性能の鑑定。
無条件で惚れる美少女。
中身のない、テンプレ通りの「ざまぁ」。
改行のタイミングから、句読点の位置、果ては三点リーダー(……)の数にいたるまで、まるで同じ金型から流し込まれたプラスチック製品のように均一。LLM(大規模言語モデル)にプロットを放り込み、数秒で出力させただけの「AI生成小説」が、圧倒的な物量でランキングの生態系を埋め尽くしていた。
コメント欄に躍るのは、怒りすら通り越した、冷え切った読者たちの生気のない言葉だ。
『またこれか』
『昨日も全く同じの読んだわ』
『これ、別のアカウントの作品と中身コンパチじゃね?』
誰も暴れてはいない。もう、この異常な光景に慣れすぎてしまったからだ。
市場が死んでいく。読者が去り、プラットフォームがゆっくりと腐敗していく足音が、そこには満ちていた。
――そして、その日の深夜。
ノベルゲート運営は、事態を打開するための『劇薬』を、ひっそりとシステムにデプロイした。
【新機能追加のお知らせ】
・作品評価システムのアルゴリズム調整
・フィードバック機能β版の実装
※本機能は、希望する作者のみ有効化(ON)にできます。
※読者からの匿名かつダイレクトな改善意見が届くようになります。
※利用に伴う精神的負荷には十分ご注意ください。
そして、その詳細ページの最下部に。
システムの隅っこに、文字通り小さく、こう記述されていた。
【クソつまんねーボタン(β)を有効にする】
「…………」
九鬼零は、コンビニの安物ブラックコーヒーを口に含みながら、光る液晶画面を無表情に見つめていた。
築三十年のワンルーム。
深夜一時。
デスクトップPCの空冷ファンだけが、低くうなるような風切り音を部屋に響かせている。
零はマウスのホイールを回し、画面をスクロールした。
長い利用規約。免責事項。精神的ダメージを受ける可能性についての警告。
『運営は一切の責任を負いません』という、プラットフォーム側の必死な自己防衛の文言。
その最下部にある、二つの選択肢。
【設定しますか?】
[ ON ] / [ OFF ]
「へぇ」
零の細い指先が、マウスを動かした。
迷いはない。躊躇など、1ミリも存在しない。
迷わず[ ON ]の座標へカーソルを合わせ、人差し指に僅かな力を込めた。
静かな部屋に、カチリ、と硬質なクリック音が響く。
次の瞬間、デュアルモニターの片隅に配置された、同業者たちが集まるDiscordのサーバーが、文字通り爆発した。
『いや無理無理無理無理! 誰が押すんだよこんな自殺スイッチ!』
『完全に作者殺しボタンだろこれ。運営は書き手を全員引退させる気か?』
『ただでさえ星1レビューで病むのに、クソボタンとか精神崩壊するわ』
『絶対OFF。触ったら負け。一生封印する』
滝のように流れ落ちていく、アマチュア作家たちの阿鼻叫喚と絶望のログ。
零は冷めた目でそれらを一瞥し、再びコーヒーを啜った。
「なんで?」
独り言のように、静かに呟く。
「ただのデバッグツールだろ」
作品に対する感情的な批判など、プログラムのバグ報告と何が違うというのか。悪い箇所が数値化されるなら、これほど便利なものはない。
翌朝。
零のダッシュボードに、さっそく「それ」が届いていた。
【クソつまんねー:17件】
「思ったより少ないな」
零は淡々と管理画面の奥深くへと潜り、低評価の理由一覧を開いた。そこには、普段のレビュー欄には絶対に書き込まれない、匿名性の裏に隠された読者の「本音」が並んでいた。
『説明くさい。設定の羅列でページを水増しするな』
『主人公の感情が薄すぎて不気味。人形が喋ってるみたいでキモい』
『会話のテンポがずっと一定。メリハリがない』
『三話まで読んだけど、物語の起伏がなさすぎて盛り上がりに欠ける』
零は、愛用している軽量のテキストエディタを開いた。
感情を介在させず、送られてきた罵詈雑言から「主観的な感情論」を綺麗にろ過し、純粋なデータ(改善点)だけを箇条書きで抽出していく。
・説明パートの圧縮、フレーバーテキストの削減
・主人公のリアクションの追加(最低限の人間性の模倣)
・第三話以内に、物語のコアとなる事件を配置
・会話の速度に緩急をつける
「便利だな」
本気でそう思った。
お世辞と社交辞令で塗り固められた星5レビューよりも、一文字の価値もない「ブラボー!」よりも、遥かに実用的で有用だ。
少なくとも、一般のコメント欄に書かれる「なんか面白くない」という、どこを直せばいいのか分からない曖昧な拒絶に比べれば、天と地ほどの差があった。
零の指先が、流れるような速度でキーボードを叩き始める。
淡々と。無感情に。
まるで、ソースコードに潜むクリティカルなバグを一行ずつ修正していくように。
――その頃。
ノベルゲートの日間ランキング上位では、目に見える形で『異変』が起きていた。
一日あたり十作品、二十作品と、無尽蔵に同じようなコンパチ作品を乱造していた「AI量産アカウント群」。
クソボタンが実装されてから、わずか二日。
そのうちの数サイトのトップに君臨していたはずのアカウントが、文字通り「根こそぎ」ランキングから消失した。
規約違反による削除告知はない。ユーザー間の炎上騒ぎもない。
ただ、深夜のシステムメンテナンスの合間に、静かに、まるで最初から存在していなかったかのように、存在そのものがデータベースから消去されていた。
『え? ロボット兵(量産型)の作品、全部消えてね?』
『垢ごと蒸発してるんだけど……何が起きた?』
『ランキングの枠がごっそり空いてる』
SNSが再び騒然とする中、零だけはその現象の『裏側』を正確に察知していた。
自分の管理画面を見る。
そこには、自分に対する低評価の数だけでなく、サイト全体の「クソボタン平均値」「標準偏差」「ユーザーごとの離脱率」の推移が、ベータ版の仕様としてグラフ化されていた。
「……なるほど。毒性フィルタか」
運営が用意した裏のアルゴリズム。自動健全化システム(アンチ・チート)。
AI量産型アカウントは、手当たり次第に読者の視界に割り込むため、当然、短時間で爆発的な数の「クソボタン」がクリックされる。
運営側のシステムは、その異常なヘイト蓄積値を超えたアカウントを、コミュニティを害するスパムボットとして検知し、自動で『処理(シャドウBAN)』しているのだ。
表向きは「システム負荷への対策」とでも説明するのだろう。
「よく作ったな、このシステム」
零は画面の向こうにいるであろう、冷徹な仕様を組んだエンジニアに少しだけ感心した。
その日の夜。
リライトした最新話を投稿した直後、再び通知のポップアップが跳ねた。
【クソつまんねー:1件】
零は、迷わずその中身を開く。
『お前さぁ。主人公に感情がないのは設定だからいいけど、そのくせ文章の端々に“作者のナルシズム(自分に酔ってる感)”が漏れ出てて半端なんだよ。無機質キャラをやらせるなら、もっと地の文の客観性を徹底しろ。今のままだとただの気取り屋のオタクだぞ』
「…………」
零を叩くタイピングの音が、一瞬だけ止まった。
モニターの冷たい光が、彼の網膜を照らす。
痛烈な指摘だった。そして、今まで誰一人として言語化してくれなかった、自分の文章の「致命的な歪み」を、正確無比にナイフで抉り出すような言葉だった。
零の口元が、わずかに、本当に僅かだけ吊り上がった。
「なるほど」
エディタを開き、新しい行を追加する。
・地の文における“作者のナルシズム”の排除、および徹底的な客観視点への修正
・主人公の無機質さをブレさせない(ノイズの削除)
ファイルを上書き保存(Ctrl+S)した、その瞬間。
画面が自動でリフレッシュされ、新たなダイアログが表示された。
【同一ユーザーから追加の改善意见があります】
零は眉をピクリと動かし、それをクリックした。
『あと、そもそもタイトルが弱い。センスが五年前で止まってる。出直してこい』
「……こいつ」
零は、匿名のアカウントから送られてきた文字列をじっと見つめた。
胸の奥で、冷たい機械のようだった心臓が、ほんの少しだけ速度を上げて脈打つ。
零はモニターに向かって、ぽつりと呟いた。
「最高に、面白いな」




