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結局、リベリオに甘えたいという欲求を発散する方法をオルガは見つけられずにいた。このままでは、また無意識に彼に甘えてしまうかもしれない。
不安を残しつつオルガはいつものように魔物を倒しに森へ入った。沢山魔物を倒せば少しは欲求が抑えられるのではないかと考えた。
気配を殺し、魔物を見つけ、剣を振るい、攻撃を避け、再び剣で切りつける。
長い時間、オルガは無心になって魔物を殺し続けた。
日も落ちてきて、そろそろ引き上げようかと考えていた時だ。オルガはそれを見つけた。
スライムだ。ぷよんぷよんとした半透明の魔物。
スライムは魔物の中で唯一、無害とされている。意思がない、ただ存在するだけの魔物。
そして唯一、超音波の効果がない魔物でもある。
ぽよぽよ跳ねて移動する事もあるが、別に目的があるわけではない。意味もない。
人間を攻撃しないし、攻撃されても逃げない。
ぽよぽよ跳ねるだけの生き物。なので見つけても放置される。
そもそも掌サイズで小さいので存在に気づかれない事も多い。いる事に気づかれず、魔物にも人間にも踏みつけられて死んでいく。
だが、今オルガの目の前にいるスライムは形状こそスライムだが、大きさが違う。掌サイズではなく、一抱えほどに大きい。
オルガは近づいてみる。スライムはただぷよぷよしている。大きさが違うだけで、普通のスライムと変わらないように見える。
ぷるぷるのその体に触れてみる。ぽよんっと何とも言えない心地よい感触が掌に伝わってくる。
オルガはスライムを抱き上げた。蕩けるように柔らかく、けれどしっかりと弾力がある。すべすべで、しっとりとしていて、滑らかな肌触り。
こうして抱いていると眠くなってくるような、ずっと抱いていたくなるような、クセになる抱き心地。
オルガは暫く腕に抱いてスライムの感触を楽しんだ。
怯えられるから動物を可愛がる事ができない。けれど魔物であり意思のないスライムは、オルガに怯える事もない。抱き締めても逃げない。
ならば、スライムを飼えばいいのではないか。飼うと言ってもスライムはただぷよぷよしているだけの存在なので世話の必要はないのだが。
自分の部屋に置いておいて好きな時に抱き締められるようにしておけば、リベリオに甘えたい欲が抑えられる気がする。
オルガはスライムを連れて帰った。そしてリベリオにスライムを飼いたいのだと伝えてみる。
「えっ……す、スライムを……? 飼いたいのか……?」
「はい」
予想はしていたが、リベリオはやはり困惑している。無害とはいえ魔物だ。普通は飼おうだなんて思わない。
「私、怯えられてしまうので動物を飼う事はできないんです。でもスライムなら私を怖がらないし逃げないし吠えないので」
「……君が飼いたいのなら反対はしないが……。だが、随分大きいな。こんな大きさのスライムは俺もはじめて見る」
「危険でしょうか」
「いや……まあ、大丈夫だろう。何かあってもこの屋敷の人間なら対処できるだろうしな」
リベリオは飼いたいというオルガの気持ちを優先し、許可してくれた。
その日からオルガは部屋にスライムがいる生活を送った。部屋にいる時はほぼずっとスライムを抱き締めていた。
スライムは何もしない。ぷるぷると身を震わせてそこにいるだけだ。
だが、飼いはじめて五日が過ぎた頃だった。スライムに変化が起きたのは。
スライムが、屋敷の中を移動するオルガの後をついてくるのだ。
ぷよぷよ跳ねて移動する事はあるが、それは意味も目的もない、ただのスライムの性質だ。だがこのスライムは、明らかにオルガの後をついてきている。
これが動物だったら、懐いてくれたのだと思っただろう。だが、これは動物ではなく魔物だ。
一般的なスライムには表れない行動を示した。つまりこれは大きさが違うだけのスライムではない。
ならば、もう屋敷には置いておけない。
「リベリオ様、このスライムは明日、森にかえしてきます」
「だが、オルガの後をついてくるだけで、今のところ問題はないんだろう? それなら……」
「いえ、危険な魔物かもしれない可能性があるので傍には置いておけません。もしかしたら、気づかない間に毒を撒き散らしていたり、人間を洗脳したり、そういった攻撃をする魔物だったら屋敷の中の皆さんに危険を及ぼしかねません」
「いいのか、オルガ……。君が望むなら、このままここで飼っていても……」
「いいえ、ダメです。私はもうこのスライムが無害だとは思えません。何かあってからでは遅いので屋敷から出します」
「わかった……」
リベリオはオルガがスライムをペットのように可愛がっていると思っているのだろう。手放せばオルガが悲しむ。そんな風に考え、屋敷で飼っていてもいいのだと、そう言ってくれたのだろう。
だが別にオルガはスライムを可愛いとは思っていない。手触りがよくて抱き心地は気に入っている。ただそれだけだ。もし襲いかかってきたならば躊躇なく殺せる。
二度と触れ合う事ができないのは惜しいが、寂しいとか悲しいとかは感じない。
それなのにリベリオはとても申し訳なさそうだ。スライムを飼うなんて非常識な事を受け入れてくれただけで充分広い心を持っているのに、彼はオルガが悲しい思いをしないように気遣ってくれている。
本当に優しい人なのだと、改めて思った。
翌日。準備を済ませたオルガはすぐにスライムを連れて森へ入った。
周りに魔物のいない場所へ行き、スライムを地面に下ろした。
殺しておくべきだろうか。
だが、このスライムが危険な存在なのかどうかはまだわからない。無害なスライムなのか、人間を害するタイプのスライムなのか。
まだ攻撃されたわけではない。ならばとりあえず放置しても問題ないだろう。
オルガはそう判断し、スライムから離れた。スライムは後ろからぽよんぽよんと跳ねてついてくる。
スライムを撒くために、オルガは一気に距離を離すべく走り出そうとした。
その時、それを阻むように両手両足首に後ろから何かが絡み付き進めなくなった。
オルガは首だけ振り返り素早く後ろを確認する。
スライムの体の一部が触手のように伸ばされ、その四本の触手がオルガの両手両足首に絡みついている。
オルガの体が後ろへと引っ張られる。抵抗するが、体は徐々に後ろへと下がっていく。
この時、確かにオルガは背後のスライムから殺意を感じた。
やはりこのスライムは普通のスライムとは違う。人間に害を及ぼすスライムだったのだ。
両手首を後ろへ引っ張られていて、腰に提げた剣に手が届かない。
ずるずる、ずるずると体をスライムに引き寄せられる。懸命に足に力を入れて踏ん張るけれど、スライムとの距離は確実に縮まっていく。
逆にこちらから一気にスライムとの距離を詰め、触手が弛んだところで剣を手に取る。オルガは頭の中でイメージし、行動に移そうとした。
「オルガ……!!」
しかし聞こえてきた声に動きは止まる。
オルガの横を駆けていくリベリオ。彼は構えていた剣をオルガの後ろにいるスライムに向かって振り下ろす。
スライムの体は容易く真っ二つに切り裂かれた。そのまま形が崩れ水溜まりのような残骸となる。
オルガの手首と足首に絡み付いていた触手も溶けるように地面にぼたぼたと落ちた。
「オルガ、大丈夫か……!?」
振り返りこちらの身を案じるリベリオの顔は焦りと不安に満ちていた。
「大丈夫です」
触手に締め付けられた手首と足首に痛みは残っているが、それだけだ。だが、リベリオが来てくれなければどうなっていたかわからない。
「ありがとうございます、リベリオ様。助けてくださって」
「いや……。君が無事でよかった」
「でも、どうしてリベリオ様がここに?」
「オルガが心配で……。君の言う通り、このスライムが危険な魔物だったら……と不安になって後から追いかけてきたんだ」
「本当に助かりました。ありがとうございます。そして申し訳ありませんでした」
オルガはリベリオに向かって深く頭を下げる。
「オルガ……?」
「やはりこのスライムは人間を襲う魔物でした。私はそんな生き物を屋敷に連れ込み、下手をすればベル達皆を危険に晒してしまうところでした。その上自分で始末もつけられず、リベリオ様の手を煩わせてしまい本当に申し訳ありません」
自分の浅はかな行動で、リベリオや使用人達が危険に巻き込まれていたかもしれない。その事実にオルガは反省した。あまりにも不甲斐ない。
今思えば、スライムを飼おうとするなんて馬鹿だ。何故自分はそんな頭のおかしい事をしてしまったのだろう。
リベリオに無意識に甘えようとしたり、前世では考えられないような行動ばかりしてしまう。
両親に愛され、リベリオや周りの人達に優しくされ、思考がすっかり腑抜けてしまったのかもしれない。
「オルガ、いいんだ。そんなに自分を責めないでくれ」
「そういうわけにはいきません」
「君が言ったんだろう。俺達は夫婦だ。だから支え合おうと。どちらかに危険が迫れば守る。夫婦なのだから当然の事だろう」
リベリオはオルガをまっすぐに見つめながら言った。彼は責める事も呆れる事もなく、ただ真摯にオルガの事を思ってくれている。それが伝わってきた。
ダニロの一件を思い出す。あの時、オルガを危険に巻き込んでしまったと彼も自分を責めていた。リベリオはあの時、こんな気持ちだったのだろうか。
そしてそんな彼を見て、自分を責めるような事はしてほしくないとオルガは思った。彼は今、その時のオルガと同じ気持ちなのだろうか。
ならばいつまでも落ち込んでいてはいけない。
「ありがとうございます、リベリオ様」
オルガは心からの感謝を込めてリベリオの瞳をまっすぐに見つめ返した。
気持ちが伝わったのか、彼の表情が和らぐ。
「帰ろうか。それとも魔物を倒していくか?」
「帰りましょう」
二人並んで森の中を歩く。
「……一つ聞いてもいいか?」
「何ですか?」
「どうして、スライムを飼いたいと思ったんだ?」
「手触りがよくて、抱き心地が好みだったので。抱き締めていると、心が癒されるような感じがしたんです」
「そうか……」
質問の答えを聞き、リベリオは何か考えるような表情を浮かべる。
「どうかしましたか?」
「ああ、いや……何でもない」
そんな何気ない会話をしながら、オルガはリベリオと共に屋敷へと帰った。
その翌日。リベリオの帰宅に合わせてオルガはいつものように玄関へと出迎えに行った。
「おかえりなさいませ、リベリオ様」
「ただいま、オルガ……」
リベリオは何か大きなものを抱えている。躊躇いながら、彼はそれをこちらへ差し出した。
「その……これを、君に……」
「私に?」
それは大きなクマのぬいぐるみだった。愛らしいクマの顔を、オルガはきょとんと見つめる。
「スライムに比べたら、手触りも抱き心地もいまいちかもしれないが……少しでも君の癒しになればと思って……」
はにかむリベリオをまじまじと凝視する。
「あっ、や、その……迷惑だったらすまない……。必要なければ、受け取らなくて大丈夫だ……」
リベリオはぬいぐるみを引っ込めようとする。その前にオルガはぬいぐるみへと手を伸ばした。彼の手から受け取り、ぎゅっと両腕で抱き締める。
「ふわふわで、柔らかくて、優しい手触りです」
もふもふしたクマの頭に頬を寄せる。
「ありがとうございます、リベリオ様。大切にしますね」
「ああ……」
オルガの言葉に、リベリオは嬉しそうに口元を緩めた。




