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オルガ・セヴェリーニは何故か幼い頃に前世の記憶を思い出した。きっかけも何もなく、理由はわからないが思い出した。
前世で自分は殺し屋だった。何人も殺した。何人殺したのか正確な人数など数えられないくらい殺した。
そんな殺伐とした前世を送っていた自分が、今は貴族の令嬢だ。
生きていた世界も性別も育ってきた環境も何もかもが違う。
前世では両親の顔も知らない、家族なんていない天涯孤独の身の上だった。けれど今は、自分を愛してくれる両親がいる。世話を焼いてくれる使用人もいる。前世では可愛がられた記憶などないのに、今は周りから可愛がられ大切にされている。
何とも不思議な感覚だった。
前世と一番違うのは、この世界には魔物という人間でも動物でもない異形の生物が存在しているという事だ。
魔物は様々な姿形をしていて、大きさもバラバラだ。大抵の魔物は凶悪な外見で、人間を見れば襲ってくる。言葉の通じない、人間に害をなす化け物。それが魔物だ。
人間の暮らす全ての街や村は、魔物が近づく事のできない超音波を発している。人間には察知する事のできないその超音波で、魔物から人間の暮らしを守っていた。
街や村を繋ぐ街道にも、超音波を発する機械が埋め込まれている。きちんと街道を通って移動すれば、基本的に魔物に襲われる事はない。
人々の生活はそうして守られている。安全ではあるが、けれど絶対ではない。確実に安全が保証されているわけではない。
だから、オルガはもしもの時に備えて魔物に対抗できる力を身につけておきたかった。
「お父様、お母様。私、剣術を習いたいです」
オルガは五歳の時に両親に頼んだ。二人は驚いていた。一般的な貴族の令嬢は、剣術を学びたいとは思わない。
「オルガ、どうして剣術を?」
前世で殺し屋だった自分は、人の命を狙う立場であったが、常に命を狙われる立場でもあった。人を殺せば恨みを買う事も多い。殺し屋を狙う殺し屋もいた。
そんな環境で長く生活していた。そのせいで、自分の身を守る術を身につけておかなければ落ち着かないのだ。相手が人間であろうと魔物であろうと、襲われた時に反撃できるようにしておきたい。
前世での殺しはナイフや銃、毒を使う事が多かった。だからナイフや銃の扱いには慣れている。自分の体の一部のように操る事ができる。
けれど、魔物相手に人間と同様にナイフや銃が通用する可能性は低い。
人間の弱点は熟知している。どこをナイフで切れば、どこを銃で撃てば死に至らしめる事ができるのか、知り尽くしている。
だが魔物は人間とは違う。姿形も大きさも個体によって違う。ならば弱点も様々だろう。
基本的に、魔物の討伐は剣で行われるらしい。ならばオルガも剣を扱えるようになっておきたい。
なんて、そんな事を正直に両親には言えない。
「剣を使えたらカッコいいからです」
オルガは適当な理由を口にした。
基本娘に甘い両親は、本人が望むなら、と特に反対もされず、すぐに剣術の先生を屋敷に呼んでくれるようになった。
前世で剣を使った事はない。だから剣の扱いは素人だ。
けれど、木剣を振り下ろされれば体が勝手にそれに反応してしまう。前世で染み付いた経験からの動きが、攻撃の避け方や足さばきに出てしまうのだ。
「素晴らしいです。オルガお嬢様はまだ幼いのにとても飲み込みが早いのですね」
剣術の先生に驚かれてしまった。
「剣術を習うのははじめてとの事でしたが、体の動かし方がはじめてとは思えません。一体いつどのようにその技術を身に付けたのですか?」
「そういうわけではなくて。ただ何となく、考えずに体を動かしているだけなんです」
「それは凄い……。オルガお嬢様は、天性の才能をお持ちなのかもしれませんね」
適当に誤魔化せば、感心したように納得してもらえた。
そうしてオルガは貴族の令嬢でありながらメキメキと剣の腕を磨いていった。
数年後には先生からは教える事はもうないと言われ、それからは一人で素振りや習った基礎を繰り返し行い徹底的に体に覚えさせた。意識しなくても体が動くようになるまで。
誕生日には長剣と短剣を買ってもらい、それを手に馴染ませ長さを自分に覚え込ませた。
欠かさず剣を振る。それを毎日続けた。
十七歳になったオルガは、遂に行動に移す事にした。
自分に魔物を倒せるのか。それを試すのだ。
魔物の強さも様々だ。自分に倒せる魔物がいるのか。どんな速さで動くのか、どんな攻撃をしてくるのか。いざというときの為に魔物の事を色々と知っておきたい。そして知る為には実際に対峙するのが一番確実だ。
魔物と遭遇するのは簡単だ。超音波の効果の届かないところまで行けばいい。
オルガは長い髪を邪魔にならないようにまとめ、汚れてもいいドレスに着替えた。長過ぎるスカートは動きにくいので短く切ってある。長剣と短剣を腰に提げ、真夜中に屋敷を抜け出した。
街を離れて街道の通っていない平原をひたすら進む。
やがて魔物の姿が見えた。
魔物だとすぐにわかる。人間とも動物とも違う、異形の存在だ。
息を殺し、剣を抜く。身を隠す場所もないので、素早くその背中に近づいた。
気づいた魔物が振り返る。その時にはオルガはもう剣の届く範囲まで近づいていた。
振り下ろした剣が魔物の体を切り裂く。けれど浅かった。ダメージは与えたが、命を奪う事はない。
魔物が腕を振り上げ、オルガは後ろに飛ぶ。魔物が腕を振り下ろし、オルガは魔物の後ろに回る。今度は魔物の背中を切り裂く。
魔物の攻撃を避けながら、魔物の腕を、脚を切り落としていった。
やがて魔物は地面に倒れピクリとも動かなくなった。
それを見下ろし、オルガは息をつく。
前世では数え切れないほどの命を奪ってきた。
そして今、今世に生まれはじめて生きているものの命を奪った。
殺し屋の仕事を嫌だと思った事はない。かといって、楽しんで殺しをしていたわけでもない。
ただ、仕事として淡々とターゲットを殺す。そこには喜びも悲しみもない。何の感情もなく、ただ殺す。それだけだった。
けれど、魔物を殺した時、人を殺した時には感じた事のない達成感のような高揚を感じた。
ゲームでモンスターを倒しレベルが上がるとこんな気持ちなのかもしれない。
こんな感情を抱くのははじめてだった。
前世でも趣味と呼べるようなものはなく、ただ殺しという仕事をこなすだけの日々。命を狙われ、心休まる事のない殺伐とした毎日。
こうして別の世界に生まれ全く別の生活を送ってきたが、特に感情を揺さぶられる事なく淡々とやるべき事をやるだけの日々は前世と変わっていない。
淑女の嗜みとしてピアノやバイオリン、刺繍にダンスなど色々と習ってきた。それらも楽しいとか
つまらないとか感じた事などない。無感情に、ただやるべき事としてこなしていた。
剣術も自分にとって必要だと思ったからやっていただけだ。自分の身の安全の為に。
そしてその学んできた剣術を使い、こうして思った通りの結果を出せた。
はじめての感覚なので自分でもよくわからないが、やりがいのようなものを感じているのかもしれない。
それからオルガは毎日のように屋敷を抜け出し、魔物を見つけては殺していった。
魔物の生態は本当に様々だ。
スピードに特化したものもいれば、力に特化したものもいる。
触手を生やしそれを使って攻撃をするものもいれば、何本も腕を生やしたものもいる。
二足歩行のものもいれば、四足で移動するものもいる。
全く違う動きを見せてくる魔物を、こちらもそれに合わせて攻撃し、倒していく。
決して無茶はしない。確実に倒せる魔物だけを倒す。危険だと判断した場合はすぐにその場を離れる。深追いもしない。命を懸けるような真似はしない。そんな事をする必要はない。
あくまで、不測の事態に備えて魔物と戦う術を身につけておく為にやっているのだ。どんな魔物が現れても、すぐに対処できるように。
しかし一年も続ければ、魔物を倒すのがオルガの趣味のようになっていた。別に手柄を立てたいわけでもなく、平和の為でもない。趣味でしかなかった。
生命の機能を停止した魔物は、例外なく数時間で塵となり跡形もなく消えてしまう。だから死に絶えた魔物を何体放置しても、翌日には何も残っていない。
ゲームだったら倒したモンスターからお金や素材を入手できるのだろうが、この世界の魔物は倒しても役立つアイテムは手に入らない。だが、死体の処理をしなくてもいいのは楽だった。
今日もまた、オルガは星空の下魔物を殺して回っていた。
数体倒し、そろそろ帰ろうかと思っていた時。背後に気配を感じた。魔物とは違う。
足音を立てず近づいてくるその気配に、オルガは盗賊の類いを疑った。
だからすぐ近くまでその気配が近づいた瞬間、振り向き様に迷わず剣を抜いた。
キィィンッ……と鋭い音が響く。
オルガが振り抜いた剣は、剣で止められていた。
その状態で、まず相手の着ているものが目に入った。騎士団の制服。それに魔物の討伐を主とする、魔物専門騎士団である証の腕章。
オルガは慌てて剣を引き、鞘におさめた。そして頭を下げる。
「申し訳ございません。騎士の方とは気づかず、剣を振るってしまいました」
「いや、こちらこそ驚かせてすまない。こんな時間にこんな場所で何をしているのか気になって……。それを確かめる為に声をかけずに近づいたこちらも悪い」
低く響くような落ち着いた声で話しながら、相手も剣をおさめた。
言われて納得した。端から見れば自分は不審者でしかないのだ。真夜中に人気のない場所をうろついていたら、よからぬ事をしていると思われてもおかしくない。
今まで人と遭遇した事がなかったので気づかなかったが、自分の行動は相当怪しいものだ。
「騎士様の言う事はもっともです。本当に申し訳ありません」
オルガは顔を上げ、目の前に立つ人物と顔を合わせた。
目付きが鋭く強面だが、男らしく精悍で整った顔立ちをしている。いかにも騎士らしい、逞しい体つきの短髪の男性だ。
「失礼だが、何をしていたのか聞いても?」
「魔物を殺していました」
適当に誤魔化せるような嘘は思い付かない。武器も所持しているのだ。下手な事は言えない。
だからオルガは正直に言った。
相手は面食らった様子だ。
「魔物を、殺していた……?」
「はい」
「………………何故?」
「趣味です」
「趣味……」
男は戸惑い、反応に困っている。
そこでオルガはふと、不安に駆られた。
「もしかして魔物は、一般人が勝手に倒してはいけないのでしょうか?」
そんな事考えもせず魔物を倒しまくってしまったが、ひょっとして国の許可とかがいるのだろうか。無許可で魔物を倒したら罰せられたりするのだろうか。
「私、犯罪を犯してしまったのでしょうか?」
「いや、それは別に問題はない。危険だから推奨はしていないが、特に禁止もされていない」
「そうですか」
オルガは胸を撫で下ろす。
「しかし、貴女のような女性がこんな夜中に街から離れ、一人で魔物を倒すなんて……。せめて昼間に行った方がいいのではないか?」
普通に考えて非常識だろう。それは自分でもわかっている。
「知られたら止められてしまうので、この趣味の事は両親には隠しているんです。だからこうして夜中にこっそり魔物を倒してるんです」
「……なる、ほど…………」
「両親に報告しますか?」
彼は騎士だ。年若い女性が夜中に家を抜け出して家族に内緒で魔物を倒しているなんて、知ってしまった以上放置はできないのではないか。
両親にバレてしまったら、もうこうして魔物を倒す事はできなくなってしまうかもしれない。
不安に思っていると、男は首を振った。
「いや……。俺に君の趣味を止める権利はない。危険が多いから控えてはほしいと思うが……。魔物が出なくても、真夜中に外を出歩くのは危ないしな」
そう言って、苦笑を浮かべる。
「だが、周囲に魔物の死体を見つけた。あれは君が倒したんだろう?」
「はい」
「君の剣の腕なら、危険だからと無理矢理止めさせる必要もないと、俺はそう判断する。それに趣味と言うくらいだから、昨日今日はじめたわけでもないのだろう」
「一年くらい続けてます」
「それならば、魔物が危険な存在だという事は充分にわかっているはずだ。勝てない相手に無謀に挑む事もしないと思っている。だから、決して君の趣味を肯定はできないが、否定もしない」
危険だからやめるべきだと諭されるのだろうかと思っていた。
けれど彼は無闇に反対する事はなく、真面目に考え真摯に対応してくれた。きっと心優しい人柄なのだろう。
「ありがとうございます」
オルガは深く頭を下げた。
男に感謝を告げ、オルガは屋敷へと帰った。




