2話 「強者と弱者」
空には薄く、綺麗なオレンジがかかり始め、雲が少し出てきた。
大学後の講義も終わり、軽い足取りでアスファルトの上を歩く。
どこからか、人の感情が、空気を伝った『波』のように響いてくる。
その小さな『波』には、疲労感が混じっているのが分かる。
目を向けると、よくこの辺りを通るおばあちゃんが、一人で買い物袋を二つ持っていた。
すぐに駆け寄り、躊躇いなく手を伸ばす。
「あ、お荷物持ちますよ〜」
「え……? あぁ……いいの……? ありがとうね」
買い物袋のなかには、飲み物やパンなどがたくさん入っていて、おばあちゃん一人で運ぶのは大変そうだった。
おばあちゃんに歩幅を合わせ、ゆっくりと歩き出す。
「いえいえ、これくらい。お家ってあっちの方ですよね?」
公園のはずれの方にある、集合住宅を指差す。
おばあちゃんは驚いて、俺を見上げて聞いてくる。
「そうだけど……なんで知ってるの?」
「俺、めちゃくちゃ物覚え良いんで。一度覚えたら絶対忘れないんですよ!」
高らかに声を上げる。
だって、自信があることは自信を持って言える。
おばあちゃん相手にドヤ顔する大学生とは、ちょっと変な人に見えるかもしれないけど。
「それにしても……よく覚えてるのね」
やっぱり、いくら記憶力が良いとはいえ、ほぼ初対面の人の家まで知っている事に不安を覚えたのか、探るように質問してくる。
「俺、そういう『能力』なので」
「へぇ……?」
おばあちゃんの顔が、少し曇ったような気がした。
それを晴らすように、また声を上げ、親指を立ててみせる。
「だから、物覚えに関しては負けませんよ!」
─────
能力『残響』
人の感情の流れを『波』として知覚できて、さらに記憶を脳にメモリ―できるから、物忘れすることも無くなる。
さらにさらに、話を聞いたり接触する事で、人の記憶を追体験できたりもする、俺の能力。
─────
おばあちゃんは静かに、細い目で見つめていた。
公園に、しばらくの静寂が訪れる。
だが、静寂はすぐに轟音にかき消される。
「くらえ! 『岩落とし』!」
「なんの! 『レーザービーム』!」
「うわっ……」
子供の遊び……と言うにはあまりにも凄まじい威力の攻撃の応酬。
公園の地面は割れ、砂が大量に舞う。
(すごいな……俺も……)
無意識に、劣等感が脳内を過ぎる。
(…………いやいや、確かにあれもすごいけどさ、俺が持ってても使う機会が無い! その点だけで言えば俺の能力の方が実用性は高い! はず!)
心の中で微妙な負け惜しみを抱えながら、荷物を持ち、ゆっくりと夕焼けへと歩いていく。
─────
おばあちゃんの部屋の前まで着いた。
C団地の5階の7号室だ。
荷物を家の中まで持っていくと言ったが、流石に悪いからとその提案は断られた。
「ありがとうね。お礼にクリームパンあげる。おいしいか分からないけど、食べて?」
袋に入った少し大きめのクリームパンを手渡してくる。
「あ、いえいえそんな」
「いいのよ、もらっていって。感謝の気持ちだからさ」
「じゃあ……ありがとうございます」
両手でクリームパンを受け取った。
ふわふわで美味しそうだ。
ふと、おばあちゃんの表情が真剣になる。
『残響』が、少し申し訳なさを含んだ『波』を感じとる。
何か人が大事な話をする時の『波』は、ジンジンと重たく、張り詰めている。
なにか大事な話でもするのだろうか。
相談事はまぁまぁ得意分野だ。
「……最近、能力犯罪が増えてるから気をつけてね?」
予想とは違う言葉に少し驚く。
俺の事を心配してくれているが、どっちかと言うと心配なのはおばあちゃんの方だ。
最近は……というかずっと、老人宅を狙った空き巣や強盗は多い。
特に、『能力』を持つ人で溢れ、変なところで増長した現代ではだ。
「それはおばあちゃんもですよ。こういうご時世ですし、やっぱり戸締まりには気をつけないとですよね」
「私は大丈夫よ……一応、自衛できるから」
おばあちゃんの腕が「ジャキン……!」と鋭い音を立て鋼鉄に変化し、鋭い棘が何本も生える。
「えっ!? あ、それは……安心しました」
おばあちゃんからは、申し訳なさを含んだ『波』が消えなかった。
そして、遠慮がちに続けた。
「やっぱり……あなたの方が心配よ。だって……あなたの能力じゃ、戦えないでしょう……?」
「えっ……」
一瞬、何を言われたのか、分からなかった。
鳴りだした愛の鐘が、鈍く聞こえる。
『戦えない』という言葉が、ひどく突き刺さった。
面と向かって、しかも、おばあちゃんに『弱い』と言われるのは、相当こたえる。
察してくれたのか、おばあちゃんは咄嗟に続ける。
「あっ、ごめんね……でも、あなたの能力でいざとなった時に自分の身を守れるのか……」
『残響』からも、純粋な心配の気持ちが伝わってくる。
悪意があるわけじゃないのが、余計に心に突き刺さった。
「だ、大丈夫ですよ! コレでも身体は鍛えてるんで!」
取り繕った笑顔で筋肉に力を入れ、腕にコブを作ってみせる。
「そう……でも、気をつけてね。今日はありがとうね」
「こちらこそ、パンありがとうございます! また荷物持ちますから!」
おばあちゃんに軽くお辞儀をする。
おばあちゃんは優しく手を振っていたが、『波』は、まだ張り詰めていた。
─────
団地の階段をゆっくりと降りる。
「カン……カン……」と、軽い金属音が響く。
「弱い……か……確かに……」
意味のない考え事をしながら帰路につく。
俺は、力が溢れたこの世界で、圧倒的に『弱かった』
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家の鍵を回し、誰もいない家に、
「ただいま〜」と小さくつぶやく。
己の弱さに対する不安。それが、心の中に増幅していた。
目を逸らしたかった事実。
今まで目を逸らしてきた現実。
なぜ……俺の能力はこんな……
「……まぁ、考えてても意味ないか、ランニング行こ」
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シューズの紐を結び、ドアを開け、走り出す。
日はもう沈んで、暗くなっている。
ただ、向こうの空は地平線に沿って、オレンジ色をしていた。
紺色とオレンジ色の絵の具が、空で混ざっているようだ。
しばらく景色を見ながら走り続ける。
いつも見ている景色でも、走りながらだと爽やかに感じられる。
じんわりと汗が流れ、呼吸音が耳の中で響く。
─────
「はぁ……はぁ……ふぃ〜……走った走った」
それなりの距離を駆け抜け、道端の端で両手を膝に着け、呼吸を整える。
道に点々と置かれた、街灯の心許ない光が夜道を照らしている。
その少し先、街灯の灯りと夜の闇の狭間に人影が見える。
「…………、…、、……、、」
彼は、強張ったようなゆっくりとした足取りで、うつむきながら何かをブツブツと呟いていた。
彼の『波』は、ギザギザに歪んでいた。
(あっ……)
突然立ち止まったかと思うと、彼は、鞄の中から何かを取り出した。
ライフルのような、長い銃身をした武器。
街灯の淡い光の中に現れた、異様な光景に唖然とする。
ただ、身体は反射的に動いていた。
「ちょっ……!? 何してるんですか!?」
「……………」
彼は耳栓をしていて、俺の声は聞こえていないようだった。
「……人がいたのか」
気配に気づいたのか、彼が顔を上げ、一瞬目が合う。
灰色の髪に、青い目。
「あっ、君……」
その目は、ぼやけた灯りのせいか、酷く濁っていたように思う。
彼はその武器を抱えたまま、恨めしそうな目でこちらをちらっと見ると、彼は耳栓を取ることもなく武器を鞄にしまい、背中を向けた。
「ちょっ……待って! 話だけでも……」
「…………」
耳栓をしているからか、何も聞こえていない。
俺の声は彼には届いていなかった。
「待ってって!」
ここで彼を行かせてはいけない。
『波』には、人の深層心理まで流れ出る。
彼の『波』は、対話を、救いと変化を求めてる。
咄嗟に彼の腕を掴み、引き止める。
「何……?」
彼は訝しそうに俺を睨んだ後、片耳の耳栓を外した。
耳栓を外したのを確認し、再度話し出す。
「…………行かせられないよ」
「なんで」
冷めた目つきで俺を睨んでくる。
話しかけてくるなと訴えているようだが、それとは真逆に、『波』は少しだけ、期待が混じったように感じた。
「だって、放っておけるわけがないだろ……!!」
「……?」
何を言っているのか分からないと言った様子で、彼は見つめてくる。
俺は、その後に続ける言葉が、思いつかなかった。
彼の境遇も知らないのに、「心配」などという勝手な妄想で、話をするべきじゃないと思った。
色々な言葉が過っては、脳内で却下されていく。
全ての言葉を喉元で飲み込み、最後に残った
言葉を口にする。
「……鋼……さん……!」
彼は、驚愕と疑心の目を向ける。
「……なんで僕の名前を……?」
当然だ、夜の町中で突然知らない人に名前を当てられるなんて、恐怖でしかないだろう。
ゆっくりと息を吐き、呼吸を持ち直して、次の言葉を整理する。
「……少し……昔の話をしてもいいかな」
「…………」
「6歳の時にさ、公園で……いじめられてたところを、助けてくれたよね」
鋼は、少し考えた後に、はっとしたような顔をした。
「…………あっ…? あの時の……でもなんで……」
名前は教えていない。と言いたかったのだろう。
少しためらいがちに、続ける。
「……ランドセルに名札ついてたからさ」
「……えっ……?」
彼の表情が一気に強張る。
当然だ。そんな昔のこと、覚えられていては気味が悪い。
この何とも言えない変質者を見るような目が耐えられなかったので、咄嗟に話題を変える。
「これは……?」
鋼が鞄のなかに入れた、ライフルのようなものを指さし、恐る恐る聞く。
鋼は下を向いて俯き、自分の鞄をちらっと見る。
そして、深いため息をつき、話し出す。
「…………全部……ぶっ壊したくなったんだ」
ずんずんと重たく、怒りと悲しみを纏った『波』
その異質な『波』の正体を、少しずつ明かしていく。
「……どうして?」
「もう……うんざりなんだ……」
「何に……?」
「この……社会に。」
社会への絶望が、この異質な『波』の所以らしい。
「……話せる範囲で、話してほしい」
辛そうに俯く彼の様子を伺いながら、話すように促す。
鋼はしばらく迷っていたが、やがて少しづつ話し出した。
「面倒になったんだ……学校じゃあ何しても〈それはあんな『能力』持ってるんだから当然〉とか、〈優秀ぶってる〉とか好き勝手言って……親は今よりもっといい成績を、金を……求め続けてる。もう……どうしていいのか分からないんだ」
「…………」
相槌を打ちながらゆっくりと聞く。
鋼の辛さや、覚悟、悔しさなどがない混ぜになった『波』が、流れ出していく。
鋼が最後の言葉を話そうと口を開いた時、『波』が一変し、その変化に凄まじく嫌な予感が走った。
その予感は、当たることになる。
「僕は……落ちぶれて、失望されて、見放されたい」
「……ちょっ……!」
その言葉に、嫌な冷や汗が流れる。
「だって……そっちの方が……『楽』だろ?」
彼は、すべてを諦めたようにヘラっと笑った。
その目には、かつての透き通るような美しさはなく、まるで洗濯液を流され続け、汚染された川のように濁っていた。
「だからさ……止めないでほしい」
鋼は再度、鞄からライフルのようなものを取りだす。
「ダメだ……! だって……君は……!」
俺の言葉を遮るように、彼は否定する。
「悪いけど、僕はもう君が想像してるような人間じゃないんだ」
そこには、全てに対する拒絶と、覚悟があった。
鋼は、左手を低く掲げ、『フレミングの左手の法則』の形に構える。
「能力『磁界操作』……!」
パチチチチチチチチ…
バチッ……
「っ……」
周囲の街灯が全て消え、パチパチと小さな音が、鋼の持つ武器から鳴り出す。
(充電……されてる……? まさか……レールガンか!?)
充電時の音を抑える仕組みがあるのか、静かなプラズマ音だけが夜道に響く。
「逃げなよ、君じゃ僕は止められないから。巻き込まれたくはないだろ?」
鋼は再度、耳栓を手に取る。
そして、震える手で一気に耳に押し込んだ。
濁ったその目は、それでも救いを求めてると思った。
俺はそうだと信じたかった。
「っ……!!」
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(だって……あなたの能力じゃ、戦えないでしょ?)
(その強さ、忘れるなよ)
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走馬灯のように、2つの言葉が脳内を駆ける。
「止められない。で、終わらせられると思うなよ……!!」




