7. 世界の亀裂
――その瞬間、ケネス・ハリソン米大統領は胃にズキリと鋭い痛みを感じた。
「――タカモト、すまない。……聞き違いかな? 『〝抑制剤〟には効果がなかった』――今、そう聞こえた気がしたんだが……」
日本時間における8月β日20時は、ワシントンでは朝の7時だ。
ケネスは早朝に日本からホットラインでの要請を受けて、この時間からホワイトハウスの一室でビデオ会議による首脳会談に臨んでいた。
ケネス1人ではない。側にはアメリカ政府の首席科学顧問であるワイズマンの他に、大統領補佐官も控えている。
その席で画面の向こうの盟友――日本の首相である汐崎崇元が、またもや爆弾のような情報を投げつけて来たのだ。
ケネスは一縷の望みをかけて、上のように問い返した。
しかし――――
『ケネス、私も信じたくはなかった。……ですが、これは事実です』
汐崎の返答は、どこまでも残酷な現実を表していた。
「なんという――――……」
ケネスは二の句を継げなかった。
(――唯一の、唯一の対抗手段と考えられてきたものが、これか…………)
事実を認識したケネスの中で、人類滅亡のカウントダウンが一気に加速し始めた。
同時に、自身がこれまでの人生で積み上げてきたものがガラガラと音を立てて崩壊していた。
目の前は暗闇で閉ざされ、自分が今どこにいるのかさえわからなくなった。
『――――ケネス……?』
遠くから汐崎の呼ぶ声が聴こえた気がしたが、ケネスはすぐに応答できなかった。
†
「――なんと……。『GRIM』とは、そのような性質を持っていたのですね」
『その通りです』
ややあって、ケネスは自失状態から回復した。その眼前で今、アメリカ政府の首席科学顧問であるワイズマンが、日本の宇梶博士――慧から詳しい情報を引き出していたところだ。
『……ヤツらの脳への攻撃を防げない限り、たとえ死を免れたとしても人間としては終わりです』
「そういうことですね……」
科学者同士のやりとりは、速やかに見解の一致を見せていた。
――ひどい話だ、と改めてケネスは思う。
敵は、いったいどこまで人類に対して悪辣なのか――と。
「それで、次の手はあるのかね?」
ケネスが問い掛けると、会談の場にわずかな沈黙が訪れた。
その後、慧が深刻な表情で回答する。
『日本の科学対策統括室としては現状、他に有効な手立ては見つかっておりません』
それを聞いて、ケネスは内心で大きく落胆した。
(――――駄目か…………)
致し方ないところではある。
事態が発覚したのは数時間前という話だ。
その程度で次の対抗策が見つかるようなら、これだけの苦境には陥っていない。
ケネスがそのように自分を納得させていたところ、汐崎が話を続ける。
『……ケネス。日本はこれから、以前に共有した『例の計画』の発動に向けた準備を本格化させます』
「――!」
ケネスは、ハッとした。
「そうか……。もう、その段階か……」
それから、やや呆然と言葉を返した。
「例の計画」――それは、宇梶博士が「全球汚染シミュレーション」の結果を日本政府に示した後、日本の災害対策本部で立案された計画だ。
ケネスはこの災害に対する日米の協力体制の一環で、逸早くこの計画について共有を受けていた。
またその内容は3日前、G7+サミット閉会直後に『プレアデス協定』に属する他の5か国にも共有された。
――――他の全ての対策が尽きた際の、最終手段として。
ケネスも、他の『プレアデス協定』の首脳陣もそのときに理解した。
〝この計画は、各国がたどる運命の予想図でもある〟――と。
「――我が国も、覚悟を決める時か……」
呟くように言うケネスの表情は、今やはっきりと蒼白になっていた。
既に同じ覚悟を乗り越えた汐崎にとっては、ケネスの心中を察してあり余るものがあった。
『「協定」各国にも情報は共有しますが、詳細はこの後のGTRO会合の後となるでしょう。一方で、GTRO加盟国には中露を初め、この情報を知らないものもいる。――彼らに勘付かれないように動く必要があります』
『協定』とは、即ち『プレアデス協定』のことである。
〝計画〟の内容は、極秘にする必要があった。
〝西側〟に属する国々であればまだ、情報を共有できる可能性はある。――しかし、それは諸刃の剣にもなり得る。
情報の展開には、細心の注意が求められた。
汐崎もケネスも、それをよく理解していた。
「――その通りだ。あくまで〝計画〟の情報は伏せた上で、国家として最善を尽くしている姿勢を見せるべきだろう」
汐崎は頷き、言葉を続ける。
『……日本は、数日以内に国家非常事態に突入します。その後は――――』
「ああ」
ケネスには、彼の言葉の続きがわかっていた。
――だから、こう言う。
「……オリーブの枝の訪れを待ってくれ」
国家非常事態宣言の発動――――それは、日本がG7+サミットによって成就した国際協力の枠組みから、離脱せざるを得ない状況になることを意味していた…………。
G7+サミットを経て、奇跡的に1つにまとまった世界――。
そこには早くも、瓦解の糸口が見えていた……。
†††
――約1時間後。
GTRO――全球脅威対策機構のオンライン会合が始まった。
GTROの加盟国は着々と増えているが、今ここに集っているのは理事国となった11か国――3日前のG7+サミット参加国と同じ国々の首脳陣だ。
――そして、いま彼らの眼前で繰り広げられているやりとりは、まるで3日前の焼き直しのようだった。
『……それは、話が違うのではないかね』
『本日発覚したばかりのことです。日本としても、完全に予想外でした』
厳しい口調で詰問するロシアのゴルスキー大統領に対し、汐崎総理が硬い表情で回答した。
大画面の中で繰り広げられる議論の応酬を見つめながら、中国の劉昭宸国家首席は震撼していた。
〝――「抑制剤」に対して、人としての延命効果を期待することはできない〟
汐崎は会合の開会早々、その衝撃的な真実を明かした。
その直後、各国の首脳陣からは驚きや嘆きの声が次々に上がった。
――ある意味でゴルスキー大統領の言葉は、日本以外の首脳陣の総意に限りなく近かった。
『――誰も予想できなかったというのかね? ……貴国の抱える優秀な科学者が、誰一人として』
『……「GRIM」の脳に対する攻撃形態が明らかになったのが、昨日のことです。それから今日、事態が最悪の形で発覚するまでの間に、誰も政府に説明できるだけの仮説を根拠と共に示すことができなかった。――そういうことになります』
ゴルスキー大統領と汐崎の会話を聞きながら、劉昭宸の頭脳は高速で回転する。
サミット当時とは、前提が大きく変わってしまった。
〝――我々はGTROの傘下に、超国家的な科学タスクフォース(=GSTF)を設置する。……GSTFでは特に、日本が先行する「Acu-SHE」対症薬・治療薬の開発に優先して取り組む〟
その共同宣言の文言を、劉は一字一句違わず覚えていた。
だが、現実は裏腹だ。
――対症薬は、対症薬たり得なかった。
――治療薬は、まだ影も形もない。
日米が突貫工事で組み上げた船には、底に大きな穴が隠れていたのだ。
(なんとも、絶望的な状況じゃないか……)
国家主席として多くの難局を切り抜けてきた劉も、「これは悪い夢の中の出来事ではないか」と一瞬、思考が現実から逃避しそうになった。
『――日本を責めても仕方がない。敵は「Acu-SHE」であり、「GRIM」だ』
そこで助け舟を出したのは、ケネス・ハリソン米大統領だ。
劉も、理性ではその言葉を理解できた。
『――目下の課題は、この「抑制剤」の扱いをどうするか、ということだ。何のコントロールもしなければ、マスコミによって世界中で大炎上が起こるだろう。……それこそ、「話が違う」とね。――タカモト、日本のプランを聞かせてくれ』
『はい。国内では次のように発表する予定です。――――』
ここで汐崎総理は、数時間前に官房長官や内閣危機管理監と協議した発表の草案を語る。
(――なるほど)
劉昭宸は草案の内容を聞いて、内心で感心した。
――日本にしては、上手くまとまった発表内容だ。
改良薬の開発を含めるのは当然として、抑制剤の効果を虚偽にならない程度に示しつつ、リスクも明らかにしている。
……もっとも、改良薬の開発はこれからだが……。
ゴルスキー大統領は、内容を咀嚼した上で怒気を露わにする。
『――それは詭弁ではないか! 我々に、大衆を騙す片棒を担げと言うのか!』
その矢面に立った汐崎総理は、顔に脂汗を浮かべていた。
『……完全に嘘というわけではありません。――確かに、改良薬の開発については、まだ目処が立っておりませんが……』
劉昭宸は、汐崎の苦しげな回答を冷ややかな目で眺めた。
――ゴルスキー大統領の憤慨した態度、あれはポーズだ。
大統領も気づいているだろう。
……日本のプランに沿うのが最良だと。
中国でもロシアでも、既に「Acu-SHE」の被害は広がりつつあった。
あの不吉な「全球汚染シミュレーション」は、極めて確度の高い予報だと明らかになりつつある。
(――国家の生き残りのためには、〝抑制剤〟に少しでも希望を持たせておいた方が好都合だ……)
逆に、そうでなければ大衆はパニックを起こし、暴動に発展してもおかしくない。
それは、国家運営にとって大きなリスクだった。
……だがゴルスキー大統領は、この議論の場における自身の立場を既に明確にしていた。
――いわばこれは、各自に役が与えられた即興演劇だ。
その筋書きも、劉にはある程度透けて見えた。
『――英国は、シオザキ総理の意見を支持します。騙しているのではなく、伝え方の問題でしょう。混乱を避ける努力をすることは、為政者として当然のことです』
イギリスのパーカー首相に続き、西側諸国が次々に賛同の意思を示す。
……ほら、こうなった。
その流れは、劉には予定調和のように感じられた。
――――しかし、ここで劉はふと疑問を覚えた。
(――あまりにも、あっさりし過ぎていないか……?)
流れは自然だった。
絶望的な新事実の開示に対し、悲嘆があり、議論があり、それでも世界の舵取りを担う首脳たちは、前を向いて善後策を選び取る。
非の打ち所のない筋書きだ。
――しかし、これは現実だ。フィクションじゃない。
事は人類の存続に関わっている。
最早どの国も他人事ではない。
もっと怒号や悲鳴が飛び交っていてもおかしくはなかった。いや、むしろそちらの方が自然だ。
……だというのに、この議論の安定感は何だ?
劉昭宸は、次々に日本への支持を表明する理事国首脳の面々を注意深く観察する。
『――か、韓国も日本の提案に賛同する。……他に選択肢はない……』
韓国の鄭本赫大統領は、感情を押し殺すのに苦労していた。
……血の通った、生の人間の反応だ。
少なくとも、彼には裏はない。
――劉は、そう判断した。
一方で、腹に一物あると思われる首脳らがいる。
米英はもちろん、ドイツやフランスあたりも怪しい――劉はそう思い、画面を見る目を細めた。
――彼らの違いは何だ……?
劉の脳裏に、1つの推測が浮かぶ。
(――――もしや、限られたいくつかの国々の間で、より致命的な情報が共有されている…………?)
――その情報に基づき、水面下で何らかの思惑が進行しているのではないか……
その劉の推測は、この時点では想像の域を出なかった。
『――劉主席、中国の判断は?』
米大統領に問われ、劉は気持ちを切り替える。
『……そうですね』
ちらっとゴルスキーの表情を窺えば、相変わらず不機嫌そうに眉根を寄せていた。
(……彼が「狼」役を演じるのなら、私は「狐」の役を務めよう)
劉は明朗な声で応える。
『――日本の主張に賛同します。我が国としても、混乱は望ましくありませんから』
劉が柔軟な態度を見せたことで、日米の首脳陣がわずかに安堵したのを劉は見逃さなかった。
劉は表面上、温和な態度を見せながら、その裏で密かに決意を固める。
日米英仏独……彼が怪しいと睨んだ国家に対する今後の諜報活動を、最大限強化する――と。
――――ピシリ、と世界に見えない亀裂が走った…………。
直近で連載を開始した新作を2つ紹介します。
①『残月記 〜人喰い熊に転生した男の残酷な復讐劇〜』
https://ncode.syosetu.com/n3028mc/
中編のダークホラーです。テイストとしては、本作に通じるところがあると思います。
②『ダンジョン配信課の裏方エンジニアが実は最強だった件』
https://ncode.syosetu.com/n5330mc/
長編の現代ファンタジーです。打って変わって、明るく楽しい冒険バトル物となっております。
よろしければ、これらも是非お楽しみください。




