第65話 脱出劇
シレッと逃げ出します。
シンは街道を一人走っていた。フィアナとニナを予定通りガリアに届けたあと、ダンに「支配の錫杖」を渡すと休む間も無くマイセンへと旅立った。ダンには、皇帝がマイセンにいる事は伝わっておらず、それであればと二つ返事で了承をた。ただダンには、寄れるようであれば、帰りでいいので、ヘスティに寄って欲しいと言われている。なんでも家宝の引き渡しが難航しているらしい。ヘスティは!ガリアやアルナスの隠れ里のように魔力結界を張っていない。偽装されていない以上、見つかる可能性が高く、結界を張るなり、家宝を回収するなりした方がいいとのことだった。幸いマイセンにいるキリクはその辺りに精通しているので、マイセンの帰りがけに寄ればいいと、シンは思った。
マイセン周辺まで来るとシンは以前、キリクが言っていた隠し通路を利用すべく、下水道を目指す。そのまま正門から入っても良かったが、状況がわからないだけに、安全策を取ることにする。下水道はマイセンの街を網の目のように縦横無尽に広がっており、シンはそのままキリクが居住している塔まで真っ直ぐに向かう。下水道だけあって、周囲は薄暗く、慣れるまでは多少時間が掛かったものの、慣れてしまえば視覚強化もあって地上と変わらない速度でキリクの隠れ家まで到着する。
「キリク叔父さん、まだ捕まらずにいるかな?」
シンはキリクの身を案じると共に、その場に入るのに警戒を強くする。隠れ家自体はひっそりとして、静まりかえっている。
「上にいるのか?」
シンは塔の中に出るべく隠し扉に手を掛けた時、扉の外に人の気配がするのに気付く。
『塔の中に誰かいる、複数人数…』
本来、この場所は廃棄された場所であり、人の出入りは無い。加えて、入り口には魔法で認識阻害をしているので、魔法師でも無い限り、入っては来れないのだ。
『うーん、いいタイミングなんだか、悪いタイミングなんだか』
シンは心の中でそうぼやくと、意識を外へ集中する。幸い隠し扉の存在には気付くものはなく、どうやら全員上へと向かっている。シンは隠し扉の前で、じっと上りきるのを待っていた。
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キリクは塔の入り口の結界が破られたことを受けて、偽シン・アルナスを王城から呼び寄せる。
「ようやく正体がバレてしまったか。思ったよりも早かったのか、遅かったのか」
キリクはこのカラクリに気付くのはいい今はマイセンにいない宮廷魔法師のアロイスだと思っていた。逆にアロイス以外にバレるとは思っておらず、アロイスがいないわりには早かったが、名声を上げるには十分な時間を稼げたと考えていた。
とはいえ、差し当たり今の困難をどうするかが問題である。程なくすると塔の最上階に偽シン・アルナスが現れる。塔の外壁をよじ登らせたのだ。このまま一気に飛び降りるか、塔の中を進んでいくのか。できればキリクの存在自体は明るみにしたくない。
キリクが塔の真下を覗くとやはり多数の兵士が待ち構えている。しかも偽シン・アルナスが昇ってきたことで、目論見がずれたのかもしれない。何を言っているのかまでは聞き取れないが、怒鳴り声が上がっている。
「さて、選択肢は2つ。中を通って隠し通路に逃げ込むか、このまま外で立ち回って、逃げるか」
キリクはよりリスクの少ない方を考えて結論を下した。
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「あんなところを昇っていくなど、シン・アルナスとは人間か?」
キリクの聞いた怒声の一つはこの今回の討伐責任者であるアーネスト・カイゼル伯爵である。エリクに指示をして偽シン・アルナスを操っている箇所を特定させ、一軍を率いて今塔の下に集まっている。本来であれば、偽シン・アルナスを王城付近に留まらせる予定だったが、まさかあのような手段で塔の上に上がっていくとは、まさに予定外である。
「まああの様子を見る限り、人間ではなく傀儡人形でしょうね。幸いに転移はしなそうですから、塔には閉じ込めたと考えてよろしいのではないでしょうか?」
そう言って、エリクはアーネストに言って、宥める。アーネストはそれでも怒りが収まらないのか、エリクを睨みつけて言う。
「ふざけるな。それであの化け物を狭い塔の中どうやって捕まえろと言うのだ。このまま突っ込んで言っても無駄に兵を死なせるだけだぞ。それともエリク、お前に何か策でもあるのか?」
エリクはアーネストの恫喝にも恐れた風もなく、淡々と答える。
「そうですね。策があるかといわれると、ない事もないというのが正直なところでしょうか。どの道被害は出ますし、それでも五分五分といったところではありますから」
「被害は出ても構わん。確率は五分五分でもお前が指揮をとって引きあげろ。それで具体的にはどう言った方法なんだ?」
するとエリクがアーネストの耳元まで近づいてボソボソと耳打ちをする。アーネストはそれを聞いてニヤリとしたあと、エリクに言い放つ。
「エリク、それで構わん。今すぐ遂行しろ」
「承知しました」
エリクはそう言って礼をすると、そのままその場から立ち去った。
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一度人の気配が無くなったところで、シンは隠し扉を出て、塔の外の様子を窓から覗くと以外な顔が外にあるのに気付く。カストレイア王国で国王とアレク王子を実質殺害した人物、元王立学院魔法科講師エリクである。
そしてエリクの周囲にはいかにも一般人風の人間が周囲に十数名いる。全員が目が虚ろで、生気がない。シンは渋い表情で舌打ちをすると、急ぎ階段を上っていく。
塔を中ほどまで登っていくと目の前には先ほど上に登っていった兵士達が既に偽シン・アルナスと交戦していた。先頭は盾を前面に押し出して、偽シン・アルナスの攻撃を耐えている。シンはその後方の兵士達を当身で昏倒させていく。
「うわ、お前は何だ、グァッ」
兵士達は後方からの乱入者に混乱する。偽シン・アルナスもその隙を見逃さず、前面の兵士達を切り伏せていく。程なくすると、兵士達は完全に沈黙し、偽シン・アルナスの背後から、ひょこりとキリクが現れる。
「なんだ、シンじゃないか?いつこっちにきたんだ」
キリクは呑気な口調でそうシンに聞いてくると、シンは切羽詰まった表情で、キリクに言う。
「キリク叔父さん、そんなに悠長にしている場合じゃない。早く階下に降りて逃げ出さないと、一般人に囲まれる」
キリクは焦るシンを見て、少し表情を引き締めるが、まだ合点がいかないのか、質問をしてくる。
「一般人に囲まれるとはどういう事だ?」
「下に洗脳された人たちが集まってきている。その人達が叔父さんを捕まえにきたら、応戦できないでしょう。なので先に行方をくらます必要があります」
シンはキリクにたして簡潔に説明をすると、急ぐように促す。
「まぁ、詳しい事情は後で聞くことにしよう。取りあえずは隠し部屋に行こう」
キリクは疑問を先延ばしにして、シンに同意すると、二人は急いで階下へと降りていく。一階につくと幸いなことにまだ、エリクは塔内に踏み込んできていない。シン達は隠し扉から急いで中に入りそっと、扉を閉じたと同時のタイミングで、塔の中に誰かが踏み込んできたような気配を感じる。
「さてさて、皆さん。そこの階段より上に登って下さい。そこで英雄を騙る傀儡と傀儡使いがいますので、皆さんが犠牲になってでもそれらを捕えるのです。いいですね」
その声に掛け声をあげるでもなく、人が動く気配を感じる。シンはキリクに目配せをすると、音も立てづに扉から離れていく。こうしてシンとキリクは辛うじて、その場から離れる事に成功した。
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エリクは塔の中ほどに付いたところで、既にシン・アルナスに逃げられた事に気付く。先に塔へと踏み込ませた兵士達が切られるなり昏倒させられるなりで完全に沈黙していたからだ。
「おやおや、私とした事が、出し抜かれましたか」
エリクは意外そうな表情を浮かべて、周囲を見渡すと、倒れたうちの一人が意識を取り戻し、エリクに向かって報告をする。
「すいません、突然後方から乱入者が現れて、半数がその乱入者に昏倒させられました」
まだ意識が混濁しているのか、息も絶え絶えに言ってくる。エリクはその言葉に目を細めると、すぐに踵を返し、周りの人間に指示を出す。
「どうやらこの塔のどこかに抜け道があるようです。急ぎ伯爵にその事を伝えて、追っ手をかけなさい。間に合うかは分かりませんが」
エリクはそう言うと、溜息をついて、自らもゆっくりと階下に降りていくのだった。
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その頃、シンとキリクは既に地下にある下水道までその歩を進めていた。時期にここにも追っ手はかかるだろう。であれば、早々にこのマイセンから離れる必要がある。シンとキリクはそう思って足早に移動していた。その道中、キリクはシンに先ほどの疑問を質問してくる。
「おいシン、先ほど言っていた洗脳ってのは、どういう事なんだ?」
シンは、相変わらず疑問もそのままにしておけないキリクの性格を思い出して、苦笑しながら回答する。
「そのままの意味ですよ、キリク叔父さん。敵兵士の中に俺の旧知でカストレイア国王暗殺に関与した人物がいました。その人物は魔法師で洗脳魔法を得意としています。窓から覗いた限りでは、一般人を洗脳で集めている最中でしたので、急げば間に合うと判断して、割り込ませてもらいました。実際にギリギリでしたが」
「お前、なんでそんな奴と知り合いなんだ?」
キリクはカストレイア国王暗殺と聞いて、目を丸くする。
「いや、一時期ギルドの依頼で王立学院の剣術の講師をしていた事がありまして、そこで偶々知り合ったのが、エリクという魔法師なのですよ。その時は学院に通う王女を攫おうとしていたのを阻止した事がありまして。別に知り合いたくて知り合ったわけではないのですが」
するとキリクは呆れ顔になって、シンに言う。
「王女誘拐に国王暗殺に関与している魔法師なんて、イカれているだろ。しかもお前、その両方で敵対していたんだろ。余所の国で何をしているんだか」
「いや、俺も全く同意します。元々は成り行きというか、乗りかかった船と言いますか。でも行為自体は後悔はしていないんですけどね。それにそのエリクがこのマイセンにいるという事は、今度はこの国でよからぬ事を考えているかもしれません。ちょっとばかり、注意が必要でしょうね」
シンはそう言って、意外にすがすがした表情を浮かべる。キリクはその表情を見て、それ以上の愚痴は言わず、この後の事を考え始める。
「まあ、その事はいい。俺もそろそろ偽シン・アルナスの事は潮時だと思っていたところだ。そんなに厄介な奴までいるのであれば、一旦は状況を見た方がいいだろう。それで、シンはこの後どうするつもりなんだ?」
「元々、キリク叔父さんが心配で様子を見に来ただけなので、叔父さんの無事を確保できたのであれば、マイセンの用は終了です。次はヘスティに行こうと思いますが、キリク叔父さんもついてきてくれませんか?」
シンはそう言って、キリクに同行をお願いする。キリクは不思議そうな顔をして、答える。
「同行自体は構わんが、てっきりガリアなり、アルナスなりに行くのかと思ったぞ。なんでへスティなんだ?」
「色々とお願いがありまして」
シンとキリクはその後、現状の事情を確認しあいながら、下水道を走り抜けて行った。




