第43話 不殺の決意
シンとフィアナの北方漫遊記が始まります。
船での旅は順調にその行程を消化していく。シンとフィアナは、いつも一緒に行動し、船員達にも積極的に話しかけていく。情報収集が目的だ。船員達も協力的で、特にフィアナがにこやかに話しかけると、大抵の場合は、必要以上のことを話してくれる。シンもそんな船員達に酒を振舞ったりしているので、少し羨ましいそうな目線を送られる事もあるが、概ね良好な関係を気付けていた。
「やっぱり、北方諸国の状況は悪いみたいだね。船員の一人が命からがら逃げてきたって、いうくらいだから」
「はい、食べるものも着るものも、それこそ寝る場所すら確保できない方が大勢いらっしゃるとか」
「特に北方諸国で冬寝る所を確保できないと言うのは、死ねと言っているもんだからね」
そう、北方諸国の冬は、長くて過酷だ。日中、太陽の姿を見れる日は稀であり、殆どが厚い雲に覆われて、雪が舞っている。夜になるとそこから更に気温が下がり、凍死するものも少なくない。しかもそれは、家があってでも起こることで、もし家が無いのであれば、確実に凍死するだろう。シンが北方の住民に心を痛めているのがわかるフィアナは、シンの手をそっと握り、心配そうにその表情を見る。シンは、多少無理目ではあるが、笑顔を作るとフィアナに言う。
「大丈夫。そういうのも引っ括めて、全部自分の目で見たいんだ。そうすれば、自分のしたいこともわかるだろうから」
「忘れないで、私はシンの側にいる。シンの決めた事は全部受け入れる。だから自分の気持ちだけを信じて。そうすれば、きっといい決断になる」
「ありがとう。そうさせてもらうよ」
シンは笑顔でそう言って、北方諸国へ思いをはせるのだった。
船はその後も順調に進み、北方諸国の一つイルナ王国の港町バイスに到着する。シンとフィアナはバイスにある入国管理局に出頭し、そこで今回の旅の目的を説明する。
「ではそなたらは、この北方諸国で商品の買い付けで来たという事でよろしいかな?」
審議官は面倒くさそうに質問する。そもそもこのご時世、この北方を訪れるものは滅多にいない。いたとしても買いに来るのではなく、売りに来るものが大半である。それこそ昔は北方諸国の特産品を求めて、買い付けも多かったが、今は帝国の商人が幅を利かせているため、めっきり来なくなっていた。
「お前さん達も物好きだね。商業ギルドの紹介状は正規のものと確認できたから、許可はするが、下手したら、生きて帰って来れんよ」
「私もそう思うんですが、これまで放蕩三昧だったので、父に少しは役に立てと追い出されまして。妻も言ったら聞かない性格で、ついてくるの一点張りで」
「あら、私がついてくるのが、ご不満ですか?」
「いや、そうは言ってないじゃないか。ほら、この通りでして」
審議官は目の前で、夫婦喧嘩を始めようとする二人を見て、ますます興味が無くなったのか、手をひらひらさせて、退出を促す。
「ほら、通行許可証だ。まあ揉め事だけは起こさんでくれ」
「ありがとうございます。今日はこの街に宿を取るつもりなのですが、安全な宿屋はありますか?」
「この街だけでなく、北方諸国はどこに行っても、安全な宿屋などないよ。強いてあげれば、通りを出て左手にある宿屋に行くといい。近くに帝国軍の詰所があるから、まだましだ。その代わり、帝国軍兵と揉め事を起こさなければな」
シンとフィアナは審議官にお礼を言ったあと、そのままその宿に向かう。一応、その宿で一番いい部屋を選んで、部屋に入り、ようやく一息をつく。フィアナはシンの隣に腰を下ろすと、何を思い出したのか、楽しげにボソリという。
「フフフッ、私、あんな演技をするの初めて」
「ああ、なかなか怖い奥さんが板についてたよ」
シンは少しからかい気味に言葉を返す。フィアナも興に乗ったのか、少し冷たい口調になって、
「あら、私がついてくるのが、ご不満ですか」
「今は一緒にいてくれて、嬉しいよ、若奥さま」
そう言って、二人でひとしきり笑い合う。
「それでシン、この後はどうするの?しばらく町にいる?」
「いや明日には町を出ようとと思う。人の多いところは、問題も多そうだからね」
「わかった。行き先は決まっているの?」
「ああ、俺の母さんの故郷に行こうと思っている。メルストレイル公国の最北にあるガリア領ってところなんだけど」
「お母様の故郷ですか?」
「うん、そこに母さんの墓があるんだ。だから、冬になる前に、一度、墓参りをしようと思ってね。その後、アルナスに行く」
「私もシンのお母様にご挨拶したいです。お母様がどんな方だったのかも、教えてくださいね」
「ああ、そこへは馬を使っても、1週間以上かかるからね。話す時間はいっぱいあると思うよ」
「はい、楽しみにしてますね」
シンとフィアナは、その日は宿に篭りきる。無駄な外部との接触を避ける為である。そして翌日の朝早く、食堂で早々に朝食を取ると、バイスの町を後にする。
「ねえシン。町からずっと、ついてきている集団がいる見たい。後ろの方から悪い感じがする」
シンは溜息を吐くと、視力だけ強化して、後方を見る。
「ああ、いるね。人数は見えるだけで…五人かな」
「商人の人?」
「それっぽく見せているだけだね。襲う気だろう」
「あら、可哀そう。あまり強そうな感じがしないもの」
「なら、脅すだけで逃げてくれるかな」
「フフフッ、それはシンの腕次第ね。やさしい旦那様」
「ハハハッ、努力するよ。怖い奥様」
シンはそう言うと一人馬を降りて、後方からくるものを待ち構える。フィアナはのんびりとした表情で馬上で微笑んでいる。シン達の背後から近寄ってきた一団は、二人の姿を見て、面を食らう。
「おやおや、どうやらお待ちいただいた見たいで」
先頭で馬に乗っている男は、精一杯の虚勢を張って、余裕ぶる。シンはフィアナに習って笑顔を浮かべると、慇懃な態度で彼らに話しかける。
「おや、やはり私どもにご用でしたか。あいにくこちらの地方に知人はおりませんから、私どもではないと妻には言っていたのですが、妻は私どもだと言い張りまして、それで待たせていただきました」
「あらあなた、こんな何にもないところで、わざわざ追っていらっしゃるんですもの。何か用があるか、野盗くらいしかいませんわ、ですよね、野盗さん」
フィアナの挑発に野盗達は表情を険しくする。
「おやおや、野盗なんてチンケな事をおっしゃる。物盗り、殺しだけではありませんよ。奥様のような上玉なら、高く売って差し上げます。野郎共、やっちまえっ」
シンはその声を合図に剣を抜くと馬の首を根元から切り飛ばす。馬に乗っていた男は喚き声を上げて転げ落ちるとその喉元にシンの剣が光る。
「ヒィッ」
シンは感情の起伏のない冷淡な声で、その男を脅す。
「物盗りも殺しもまあいい。それで妻をどうするといった。なあ、教えてくれ」
シンは喉元の剣を少しだけ押すと、そこから赤い血が流れ出る。男も周りの連中も完全にシンの雰囲気に飲まれて、動けない。そんな中、フィアナだけは、最初から変わらない笑みを浮かべて、シンに話しかける。
「あらあら、あなた。あなたが側にいるのに私に何か出来る人がいるわけ無いじゃ無いですか。フフフッ、わかってて言ってるくせに、そんなに脅したら可哀想ですわ」
シンは感情のない目線で、その一団を眺めると一言言い放つ。
「次はない。お前達の顔は覚えたからな」
そう言うと、颯爽と馬に跨り、その場を離れる。すると後方で絶叫を上げながら、その一団は逃げ出した。
「ふう、フィー、これでいいかい」
「ええ、上出来ですわ、やさしい旦那様」
実はシンとフィアナは、こうやって野盗達に襲われたとしても、極力、殺さないでやり過ごそうと話をしていた。殺すのは簡単である。むしろ後腐れのない分、効率的ですらある。ただ、繰り返す事で無用の恨みを買う事もあるのだ。北方諸国に住む住民は、今貧困に喘いでいる。中には止むを得ず、悪事に手を染めるものもいるかもしれない。全ての人間がそうではないだろうが、いちいち判別も出来ない。なら全部を許そう、それがシン達の判断だった。
「でもこれから、町を出る度にこうかもしれないな」
シンは面倒くさそうにぼやく。フィアナは可笑しそうに笑ってシンをからかう。
「そのうちヤマトの名声が北方諸国に轟くかもしれませんね。シン・アルナスの名前より」
「それはどっちも御免被りたいね」
シンは心底そう思って、肩を竦めた。




