21.子爵令嬢は髪を切る
「本気でございますか、お嬢様」
「ええ、ばっさりやってちょうだい」
湯あみの後、アンナに来てもらってお願いしたのは、首の後ろでばっさり髪の毛を切ってもらうことだった。
明日は兄上と一緒に砦に行く。せっかく手に入れた兵士の服で、砦の親分をびっくりさせたいのよね。
でも、背中まで伸びたこの髪の毛じゃ、一目で女だと見破られちゃう。
「奥様がどうおっしゃるか……せめて奥様がお戻りになるまでお待ちいただけませんか」
「それじゃ間に合わないわ。それに、この髪では何もできないでしょ?」
「しかし……」
「お茶会や夜会には当分出ないつもりだし、必要なら切った髪でかつらを作っておけばいいでしょう? 領内に職人がいないのなら、王都まで遣いを出してもいいし」
それでもアンナは渡したナイフを手に渋る。
「……アンナにできないなら、自分でするわ」
アンナの手からナイフを取り上げると、背中に流した髪の毛を左手でつかんだ。
「わかりました! わたしがやります!」
よほど危ない手つきだったのか、アンナはわたしの手からナイフを奪い返した。
「悪いわね」
「……本当にそう思っておいでなら、思い付きで動くのはおやめください」
「思い付きではないわよ」
さらさらと髪の毛が頬に当たる。アンナは長く伸びた髪の毛を長さがそろうように丁寧にカットして行った。
切り落とした髪の毛は、鏡台の前に揃えて置かれている。
「……旦那様と奥様の落胆したお顔を見るのがつらいです」
「びっくりはするでしょうね。でも、ここで生活するのに長い髪は要らないもの」
「フィグ様もきっと怒ると思いますよ?」
「兄様はそんなこと、気にしないと思うわよ?」
鏡に映る自分の髪の毛がどんどん短くなる。首のあたりで切りそろえられた栗色の髪の毛は少し波打っていて、ふわふわと広がった。
「懐かしいわ、この髪型」
「ええ、本当に。それにずいぶん若返りましたね」
「……幼くなったってことね」
「いえ、そんなことは」
アンナは否定してくれたけれど、鏡に映る自分は確かに幼く見える。……でもまあ、ちょうどいいのかもしれないわ。
「ありがとう、アンナ」
「いえ。……こちらはかつらにするように手配しておきますね」
「ええ、お願い」
アンナが退出していくと、わたしはもう一度鏡の自分を見つめた。背中まであった髪の毛も嫌いじゃなかったけれど、夜会のたびに結い上げられるのは好きじゃなかった。重たくて頭も肩も痛くなるんだもの。
首を左右に振ってみると、なんと軽いことか。ふわふわと切ったばかりの髪の毛は揺れている。
昔はいつもこの髪型だったのよね。
社交界デビューの前にもう少し伸ばすように言われて、それ以来伸ばしっぱなしだから、七年ぶりかしら。
明日は、兵士の服を着て、この髪型で砦に行く。
悪戯が成功することを祈りながら、わたしは床に就いた。
◇◇◇◇
朝食の場に入ると、さすがに兄上とベルモントは目を剥いた。
「お前……」
「昔みたいにしたのよ」
「……自分で切ったんじゃないだろうな」
「さすがにそれは無理だったわ」
そう返事をすると、二人はそろって頭を抱えた。
「で、その恰好は」
「砦の兵士の服ですって。……いつもの古着屋に流れてましたの」
兄上は眉をひそめた。
「……本物だな。徽章が残ってる」
「そのようでございますな」
気が付けばベルモントがすぐ横にいてわたしの着ている兵士の服をじっと観察している。
少し居心地が悪くなってうつむく。ほんの軽い気持ちで求めた砦の兵士の服だったけれど、思ったより重大な事態なんだって今頃気が付いた。
そうよね……これがわが家で雇っている兵士の服なら、ここまで警戒はしない。兵舎には在庫があるし。
もちろん、その服を悪用して館に侵入されたりしたら困るから、古着屋さんにはすぐ連絡してもらうようにお願いしてある。
でも、今回は砦の兵士の服。砦の兵士は今も王国所属の北方騎士団……だったかな、一応名のある騎士団に所属する人たちだったはずで。そこで支給されるものを横流しするのは当然問題になる。
「よく気が付いたな」
「いえ……そういうつもりで買い求めたわけじゃないの」
兄上のほめ言葉に、わたしは首を横に振った。褒められることをしたわけじゃないのはもうわかっているもの。
「お前の思い付きが事を明るみに晒してくれたんだ。気にすることはない」
そうは言われても、やはり気になる。それに、兵士の服の悪用についてはちゃんと対策していたのに、砦の方を気にしたことがなかったのはわたしたちの落ち度だもの。
「調査はする。……ただの横流しならいいがな」
「ええ」
そのあと食事は黙々と進められ、食べ終わるとさっさと兄上は部屋に戻って行った。
食後の紅茶をいただいていると、兄上が戻ってきた。すでに騎士の平服に着替えていた。
「これをその上に羽織っていけ」
手渡されたのは帽子とマント。
兵士の服の上からマントをかぶると体がすっかり隠れた。……まあ、隠さなくてもあまり変わらないけど。そのうえで帽子を目深にかぶる。
「それでいい。砦の親方をだましに行くんだろう?」
「……着替えなくていいの?」
「せっかくそのために髪の毛まで切ったんだろ? きっちりだましてやれ」
さっきまでの難しい顔とは打って変わって、兄上はにやりと笑った。いたずらっ子の笑みだ。わたしも頬を緩ませる。
何も言わなくても兄上だけは分かってくれている。それが何よりうれしかった。
「馬は玄関に回してある。行くぞ」
さっさと出ていく兄上を追いかける。
マントと帽子は、服とわたしの正体を隠すためのものだ。
この服が本当に砦から流れたものだとしたら、見ただけで誰が着たものかが分かるかもしれない。徽章などもついたままだったしね。
そして、その人物や仲間がまだ砦にいるとしたら、それを着てやってきたわたしがどうなるか……そんな可能性、考えもしなかった。
まあ……古着屋に流した時点で、持ち主はもう領内にはいないんじゃないかなと思っているんだけれど。
ともかく、この服の存在を公には隠しておきたいのだろうということは理解した。
「ほかに在庫は」
「なかったと思うわ。一着だけって言ってたし」
「そうか。……古着屋への通達は俺の方から出しておく」
「その通達、わたしが持って行ってもいい?」
馬の手綱を受け取りながら言うと、兄上は頷いてくれた。
「俺が行くよりはいいだろうな。後で渡す」
「はい」
ついでに商品も見せてもらって、気に入りがあったら買っておこう。セリアが戻ってくるまでにはまだ何日もあるし、人の手を借りなくても着られる簡易ドレスは何枚あっても困らないしね。