22.子爵令嬢の兄は砦を訪う(3/14)
石積みの壁が見えてきた。北の門をぐるりと囲むように作られた砦は、まさに壁だ。分厚い壁の中に、兵士たちの居住区が設えられている。
フィグはその町側の門をくぐった。馬は門番に預けて、砦までは歩かなければならない。山の登り口にあるせいで、この門から砦まではちょっとした上り坂になっている。
後ろをちらりと振り向くと、マントと帽子を身に着けた小柄な従卒――に扮した妹と、護衛として二人、トミーとボビーだ。
二人とも妹とよく遊んでいた仲だ、知らぬ男よりはいいだろうと選んだのだが、従卒姿の妹に全く気が付かない。妹には二人の正体を明かしてあるが、今は砦の親分をだます方が先だ、と自制している。
砦の入口が見えたところで、青い訓練服を着た巨漢が立っているのが見えた。
「うわ……ヌシがいる」
後ろからぼそりと聞こえて、ユーマが思わず振り返ったのが見えた。
今日の訪問は先に知らせておいたとはいえ、時間まできっちり決めたわけじゃない。なのに前で待っているとか、悪い予感しかしない。
砦の親分――ダン・グレゴリは後ろに子分たち――兵士を従えて、腕組みをして立っていた。
その前に進み出ると、フィグは代表として帽子を取った。
「ご無沙汰しております、王国騎士団 北方国境警備隊 ダン・グレゴリ隊長」
「ふん。……久しぶりじゃな」
記憶ではまだ黒かったはずの髪も髭も、だいぶ白いものが混じっている。ヌシと言われるほど長くこの警備隊の隊長を務めている男だ。フィグもユーマも、いや、父すらも、この人の下で剣を習ったのではないだろうか。
裏を返せば、一人の隊長が代替わりもせずに務められる程度には、この国境は休戦状態が長く続いているということだ。
差し出された手を握ると、握りつぶそうとするかのように力を込めてくる。それを同じように力を込めて握りしめ、ようやく解放された。
「力は衰えておらんようじゃの」
「そりゃあ、現役ですから」
「ぬかせ、わしも現役じゃ」
快活に笑うと、隊長は後ろの三人に視線を移した。
「で、今日は何用じゃ? 詳しくは会って話すと言っておったが。……ん?」
フィグは横にずれて三人の横に立った。
「護衛と従卒ですが」
「見慣れぬ者がおるな」
「王都から連れ帰った者です」
「ほう。……お前が誰を連れて帰ってきたか、知らぬとでも思ったか?」
にやりと笑う隊長に、フィグは内心冷や汗をかきながら平然と微笑みを返した。
要らぬ一言でユーマの悪戯が不発どころか自爆してしまったかもしれない。後で殴られるのを覚悟しよう。
そう心に決めたところで、隊長はユーマの頭から帽子を取り上げた。
「隊長?」
「深くかぶりすぎじゃ。これぐらいが適当……」
取り上げた帽子を軽く乗せながら隊長は、言葉を切るとフィグの方を振り返った。その表情は苦り切っている。
「遠路はるばる王都からよう来られた。……おい、俺の部屋に二人を通せ」
「は……応接室ではないので?」
後ろに控えていた、副官らしい兵士が困惑したように問いかけると、隊長はじろりと兵士をにらみつけた。
「二度言わせるな。護衛はここで待機。あー、手の空いた者に稽古をつけてやってくれ」
そう告げると、さっさと砦に入ってしまった。
フィグは、護衛二人を砦の兵士たちに預けると、狼狽える副官の誘導に従って砦の中に足を踏み入れた。
◇◇◇◇
通されたのは、砦に向かって左側の三階奥にあるこじんまりとした部屋だった。
私室ではないらしく、机と応接用のソファとテーブルしかない。
茶を運んできた従卒を追い払い、人払いを言いつけて念入りに扉に鍵をかけると、隊長は立ち尽くすフィグたち二人を振り返った。
「悪いな、いきなりこんな場所に連れ込んで」
「いえ。……それなりに重要な話をしに来たので助かりました」
「……さすがにそれはまずかったな」
隊長は隣の妹を指さした。浅く乗せただけの帽子は再び目深にかぶり直されていて、顔は見えない。
「嬢ちゃん、もういいぜ。帽子とマントを取りな」
「……やっぱりお見通しでしたか。というか、兄様のせいですからね? あんな余計なこと言って……」
帽子を外した妹は、ちょっと拗ねたように唇をとがらせていた。
「いや、フィグが失言する前に気が付いてたぞ。人間、そう体のこなしは変わらないもんだな。……おかえり、嬢ちゃん」
「せっかく砦の親分をびっくりさせようと思って髪の毛まで切ったのに、残念です」
「いやいや、驚いたぞ? 戻ったとは聞いてたが、こんなに早くにここに来るとは思ってなかったしな。それに……その服」
隊長はおどけたように話していたが、不意にユーマの襟元に手を入れた。
「隊長、何を?」
「これ。……先日いなくなった兵士の徽章なんだよ。どうしてお前さんがそれを身に着けてるのか、じっくり聞きたいと思ってな」
途端にユーマの表情が曇った。
「やっぱりそうなんですね」
フィグはユーマから聞いたことをすべて語った。
聞き終わった隊長は、重々しくうなずいた。
王国騎士団に所属する騎士や兵士は、基本的には身元がはっきりした人間でなければ入れない。王都周辺は危険度が低いため、貴族の嫡子が配置されることが多いが、前線などは逆に人的消耗があり得るため、貴族の庶子や次男、三男など、爵位を継がない者や、平民、外国からの傭兵などが配置される。
ここ、北方国境警備隊は、まさに平民が主だ。領内の若者のうち、見込みのある者が配置されることも多く、その場合は身元ははっきりしているので特に問題にもならない。
いなくなった一兵卒は、王都から派遣されてきた、とある貴族の庶子という触れ込みだったという。
「とある貴族ですか」
「行方不明なのか、里心が付いて勝手に山を下りたのか、それとも諜報員だったのか判断が付かなくてな。庶子とはいえ貴族の身内を簡単には疑えんのよ」
苦々し気に言い放ち、隊長はソファにどっかと腰を下ろした。フィグとユーマも向かいの席に座る。
「だが、その制服が出たってことは、もう領内にはいないだろうな」
「そう考えるのが妥当でしょうね。……彼は何を探っていたんですか?」
「今のところは情報なしだ」
「では、いつ頃ここに配属された者ですか?」
「二年前の夏だな。……いなくなったのは今年、ご領主さまたちが街道封鎖を解いて降りた時に紛れて出たのだろう」
二年前。ユーマの成人からさほど経ってない頃だ。それにしても、二年もここで何をしていたのだろう。
「こっそりでかまいませんから、その『とある貴族』の名前を教えてもらえませんか」
「……書類を調べればわかるだろう。後で知らせる」
「承知しました」
ちらりと隊長が妹を見たということは、妹に配慮してここでは口に出せないということなのだろう、とフィグは解釈する。
「で、着替えは持ってきているのか?」
「あの……このまま着ていてはだめですか?」
「一応王国からの貸与品だからなあ……まあ、戻ったらこちらに送ってくれ。この徽章だけは外させてもらう」
隊長はユーマの服の襟元から徽章を取り外した。
「砦の備品でなくなったものなどありませんか?」
「今のところは聞いていない。が、ごまかしておってもわからんじゃろうの。わしもすべてに目が届くわけではない」
そう答えた隊長の顔は、悲しげで、年相応に老いて見えた。しばらく沈黙ののち、隊長が思い出したように顔を上げた。
「で、用事はそれだけか?」
「いえ、大門の扉修復の件で、現場を見ておきたかったのですが」
「ああ。わかった。今は応急措置で板で塞いであるが、いつまでもつか分からん」
「承知しました。ただ、王国の持ち物なので、父上から王国に稟議を上げなければなりません。父上が戻ってからになります」
「それはかまわん。冬までに直ればな」
フィグは軽く頭を下げた。
「門へは案内をつけよう。嬢ちゃんも見に行くのか?」
隊長の言葉に、妹は顔を上げて二人の顔を交互に見た。
「あの……訓練場を使わせてもらえませんか?」
「訓練場? 今はまだ兵士が使っておるが、何かするのか?」
「いえ、その、王宮暮らしでだいぶ体がなまってしまって、先日も兄様に剣の振り方がなってないと怒られてしまって……訓練に参加したいんです」
「嬢ちゃん……それは」
隊長の視線がフィグの方に向けられる。フィグが小さくうなずくと、隊長は眉根を寄せて顎に手を当て、ううむと唸り声を上げた。
「そりゃかまわんが……本当にいいのか?」
「ええ、お願いします」
妹が頭を下げると、隊長は再びフィグを見た。
「わかった。使えるように手配をしよう。ただ、砦の兵士たちは全員男だ。文官も含めてな。自分の身は自分で守れ。いいな」
「……はい」
「だが、今日いきなりは無理だ。準備が整ったら連絡する。それまでは、館の庭で走り込みでもしておけ」
「はい、ありがとうございます!」
頭を上げた妹は、奥歯をかみしめているのだろう、ぐっと言いたいことを堪えた時の表情をしていた。帰ったら愚痴を聞くつもりになっておいたほうがよさそうだ、とフィグはこっそりため息をついた。




