【番外編】アイーダ視点【ラスト】
どうやら私は、自分に都合よく物事を解釈する癖があるらしい。
最初は、そんなことはないと思っていた。
私は一度も嘘はついていない。皆だって同意してくれたし、同情もしてくれた。だから私は、そのことを何度も訴えた。
そのたびに、お母様は申し訳なさそうな顔をして言った。
「そうね。わたくしたちがきちんと教えてこなかったせいでもあるわ。アイーダだけが悪いのではないの。わたくしたちにも責任があるもの」
何度言っても同じように返されるうちに、私はだんだん言い返せなくなった。怒られたり、注意されたりするほうがまだよかった。お母様が本当に申し訳なさそうに言うものだから、そのほうがずっとつらかった。
そうして改めて自分のしたことを振り返ってみると、よくなかったことが少しずつ身に染みてきた。
お兄様やお母様に言われたことも大きかったと思う。
「もし、お父様がほかの女性と、わたくしやアイーダ以上に親しくしていたらどう思う?」
お母様にそう聞かれたとき、不思議なくらいすんなり理解できた。
それは嫌、すごく嫌だ。
「でも、愛のない相手でも?」
「それは人によるわ。アイーダが決めていいことではないのよ」
それでも正直、今の私にはまだ完全には想像できない。私なら、好きでもない婚約者がほかの女性と親しくしていたところで、たぶん何とも思わない。
でも、お母様の言うとおり、その婚約者がどう思っているのかなんて、私にはわからないのだ。
だから最近は、自分にはわからないことを、勝手に決めつけないようにしている。
家庭教師の先生にも、気になったことは聞くようになった。
ある日、勉強が一段落したところで、私は前から気になっていたことを尋ねてみた。
「先生。王太子妃になるには、何ができないといけないのですか?」
先生は少し驚いたようだったが、すぐに答えてくれた。
王家や有力貴族の関係を把握し、国外の事情や慣習を学び、夜会や茶会を主催する。王家の行事や慈善事業にも関わり、ときには王太子殿下の代わりに人前へ立つこともあるという。
聞いているだけで頭が痛くなりそうだった。
「王太子妃のお言葉は、アイーダ様お一人のお言葉として受け取られるとは限りません。王太子殿下や王家の意向と解釈されることもございます」
「……どういう意味ですか?」
「親しい方だからと特別扱いをすれば、その家を王家が優遇していると取られるかもしれません。反対に、少し冷たく接しただけでも、その家が王家から遠ざけられたと噂される可能性もございます」
「それは、本人にそんなつもりがなくても?」
「はい。知らなかった、そんなつもりではなかった、では済まない立場ですから」
私は黙り込んだ。
自分が王太子妃になったところを想像してみる。今まで自分がしてきたことも、いくつか思い出してみた。
……無理だ。
そもそも、想像すらつかなかった。
「先生……王太子殿下が、この人には任せられないと思ったら……王太子妃にはしませんよね」
「もちろん、そのような判断はなさるでしょう」
「……そうですよね」
机の上へ視線を落とした。
あのころの私は、好意を持つことと王太子妃に選ぶことが、どうして別なのかわからなかった。
レイナルド殿下が、私を王太子妃にするつもりはないと言った意味が、ようやく少しわかった気がした。
殿下が駄目だと言うのも当然だったのかもしれない。
ただ、もう少し言い方があったのではないかとも思う。
でも、あのときの私が丁寧に説明されたところで、素直に聞けただろうか。
考えてみたけれど、あまり自信はなかった。
私は机に突っ伏した。
顔を上げると、机の上には何枚もの紙とノートが広がっている。先生に勧められて始めたものだった。
自分が何を言ったのか。相手は何と答えたのか。そのとき、相手がどう感じていた可能性があるのか。
思い出せる限り細かく書いて、考える。
ノートには、レイナルド殿下についても書いてある。
殿下は、私に好意があると言った。
でも、王太子妃にするつもりはないと言った。
『レイと呼んでくれ』
『すまなかった』
そこまで読んだところで、胸が痛くなった。
いまだに思い出すだけで涙が出る。
お父様にも、二度と「レイナルド殿下から好意があると言われた」などと口外するなと言われた。
あのときのお父様は、見たこともないほど慎重な顔をしていた。それを見て、本当にまずいことをしたのだとわかって、震えた。
だけど、この気持ちはいつになったらなくなるのだろう。
早く忘れたいのに。
ノートの端に書かれた名前が目に入った。
――ジュリア様。
ジュリア様は、レイナルド殿下のことが好きだったのかもしれない。
そういえば、友達にも言われたことがあった。
『ジュリア様って、レイナルド殿下のことが好きだったんじゃない?』
あのときの私は、どう答えた?
そんなふうには見えないから違う。
そう決めつけた。
私はノートの上に置いた手を止めた。
ジュリア様は、私のことをどう思っているのだろう。
考えようとした。
でも、怖かった。
以前、先生から貴族同士の揉め事について教わったことも思い出した。
当人同士の喧嘩だけでは済まないことがある。立場のある者を相手に問題を起こせば、本人だけではなく家にも話が及び、表立った処罰がなくても、その後の付き合いを見直されることがあるという。
もちろん、今回のことはレイナルド殿下にも原因がある。だからといって、私にも子爵家にも何のお咎めもなかったと、勝手に思っていいのだろうか。
もしかすると、私が知らないところでお父様が何か言われていたのかもしれない。子爵家が、何かを失っていたのかもしれない。
そう考えると急に怖くなって、余計にジュリア様のことを考えられなくなった。
しばらくして、お兄様が部屋を訪ねてきた。
あの日から、私はお兄様を避けていた。
お兄様が怖かったわけではない。お兄様に見放されることが怖かったのだ。
「勉強、はかどっているみたいだな」
「は、はい……。家庭教師の先生からは……作法は特に問題ないと……」
思わず背筋を伸ばすと、お兄様が困ったように眉を下げた。
「アイーダ、そんなに身構えなくていい。この間は俺も少し言い過ぎた」
「いえ……」
私は膝の上で手を握った。
「私……わたくしの考えが、あまりにも至らなさすぎて……」
それ以上、うまく言葉が出なかった。
ふと、机の上のノートを見る。
端には、ジュリア様の名前がある。
今、聞くべきなのだろうか。
怖い。もし、軽蔑されていたら。
それでも、もう知らないふりをしていられない。
私は息を吸った。
「お兄様……聞いてもいいですか?」
「何?」
「ジュリア様は……わたくしのことを、どう思っていたのでしょうか」
お兄様は、すぐには答えなかった。
「……正直、わからない」
「え?」
思わず顔を上げる。
「お兄様も……わからないのですか?」
「当たり前だろ。想像することはできる。でも、それが合っているかどうかまではわからない」
お兄様は少し考えてから続けた。
「特にジュリア様は、俺にもよくわからない」
「……そう、なのですか」
「ただ、父上から聞いた話だけど、ジュリア様はアイーダの退学を渋っていたらしい」
「……え?」
「アイーダと顔を合わせるのが気まずいのなら、自分が学園へ行かないとも申し出てくれたそうだ」
私は目を見開いた。
意味がわからなかった。
「な、なんで……」
「惜しいと思ってくれたんじゃないかな」
「……何を?」
「アイーダのことを」
そんなはずはない、と言いかけた。
でも、言えなかった。
「意味が……わからない……」
「俺もわからないよ」
お兄様は、それ以上の答えを出さなかった。
その瞬間、涙が落ちた。
ノートの端に書かれたジュリア様の名前の上に一粒落ちて、文字が少し滲んだ。
私には、わからない。
ジュリア様が何を思っていたのかも、今はわからない。
ただ、ひとつだけわかった。
ジュリア様がしたようなことは、私にはできない。自分を傷つけた相手の未来のことまで考えるなんて。
私は滲んだ名前を見ながら、しばらく泣いていた。
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