第1話 ジュリア視点
それは、殿下が庭園の散策を好まれると耳にして、私からお誘いしたときのことだった。
「……忘れられない人がいる」
その言葉を聞いた瞬間、鈍器で殴られたような衝撃を受けた。
いつも冷静沈着で、ほとんど感情を表に出さない方が、そんなことを口にするとは思ってもいなかった。
「数年前、地方の王領を視察した際、ひと月あまりその土地に滞在したことがあった」
周囲にいたのは大人ばかりで、どこへ行っても王太子として振る舞うことを求められる。そんな息苦しい日々の中で、一緒に遊んでくれたのが一人の少女だったという。
「平民の子だった。俺の身分も知らなかったから、王太子ではなく、ただの一人の人間として接してくれた。それが……嬉しかった」
「……初恋、だったのですか?」
殿下はしばらく考えてから答えた。
「分からない。そうだったのかもしれない」
そして、遠くを見るように目を細める。
「もう何年も前の話だ。向こうは俺のことなんて忘れているかもしれない」
そう話す横顔を見たとき、私は嫉妬するより先に胸が痛んだ。
だから、この方はいつもどこか寂しそうなのだろうか。
レイナルド殿下は、王太子として申し分のない方だと評されていた。
容姿端麗で学問にも秀で、歴史や法律にも明るい。剣術の腕も立ち、まだ若いながら、将来は立派な王になるだろうと誰もが口を揃えていた。
幼い頃から多くの令嬢の憧れで、私――ジュリア・アルバインも、彼との婚約が決まったときは心から嬉しかった。
ただ、婚約してからも殿下の表情はほとんど変わらなかった。
もともと感情を表に出さない方だとは知っていた。けれど、その奥にこんな思いを抱えていたとは知らなかった。
ならば私が、その寂しさを少しでも埋められないだろうか。
そう思ってからは、殿下の好きな音楽の演奏会へ誘い、興味を持ちそうな本を探して贈った。殿下が好みそうな話題を調べ、少しでも会話が続くよう心を砕いた。
王太子妃教育では睡眠時間を削って机に向かい、次の授業までに求められたものを身につけた。
社交を得意としない殿下を補えるよう礼儀作法を学び、外国語にも力を入れた。
将来、彼の隣に立ったとき、少しでも彼の心が私に向いてくれるように。
そんな願いを込めて続けてきた努力も、意味などなかったのかもしれない。
「殿下」
学園の廊下でレイナルド殿下を見つけ、私は声をかけた。
「この間もお伝えしましたが、本日、少しお時間をいただきたいのです」
「ああ……」
殿下は足を止めたものの、困ったような顔をした。
「ジュリア、すまない。今日はアイーダの誕生日なんだ」
「……」
「前から約束していたんだ。今日だけは外せなくて」
「大切なお話なので、できれば殿下にも同席していただきたいのですが……」
「俺もいなければならない話か?」
「……いいえ」
私がそう答えると、殿下はほっとしたように表情を緩めた。
「なら、また後で聞く。すまない」
「承知いたしました」
笑みを浮かべて頭を下げる。
殿下はそのまま、廊下の向こうへ歩いていった。
その背中を見送りながら、私は思った。
――どうぞ。
今を大切になさってください。
※15話頃までは、短編版をベースに加筆・視点変更しています。そのため、短編版と重複する部分があります。既読の方はすみません(汗)




