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2

 それから、彼は少しずつ変わっていった。

 私ではなく、よく、あの子の隣に立っていた。


 公爵令嬢として舞踏会の主役を務めるはずの夜。

 殿下の視線は、私をすり抜け、彼女へと向けられていた。


「男爵家のマリー嬢は、明るくて可愛らしいですね」

「あの子のように、素直に感情を表に出せる方も、貴族には珍しい」


 私は笑って頷いた。

 何も感じていないふりをして。


 ――でも、知っていた。

 あの子の笑顔の裏にある計算も、泣き落としの手管も。

 けれどそれを告げれば、「嫉妬しているのか」と言われるだろうことも、わかっていた。


「マリー嬢はとても繊細な方なのです」

「貴女の物言いは、彼女には少し……キツいのではありませんか?」


 殿下はいつしか、私の言葉に眉をひそめるようになった。


 それは、公の席でのやり取りだった。言葉選びに誤りはなかったと、自負している。

 むしろ私のほうが、マリーの礼節のなさを糾す立場だったはずなのに。


「……申し訳ございません、殿下」


 そう告げるしかなかった。

 弁解は、わたくしの矜持にそぐわなかったから。


 だけど心の奥で、冷たいひびがひとつ、確かに走った。


 それは、春の祝宴の夜だった。

 宮廷主催の小宴。王太子妃候補である私と、貴族令嬢たちを招いた和やかな場――のはずだった。


 華やかに飾られた舞踏室。銀の食器に並ぶ精緻な料理。

 けれど、マリーがグラスを取り落としたとき、空気は一変した。


「っ……く、るしい……!」


 白い肌が蒼く染まり、マリーは胸を押さえて膝から崩れ落ちた。

 一瞬、誰もが何が起きたのかわからず固まって――そして、ざわめきが走った。


「毒……?」

「まさか、毒が盛られていたのでは――」


 その言葉が出た瞬間、皆の視線が私に集まった。


 まるで、それが当然のように。


「マリー嬢を、医務官の元へ――!」

 王太子殿下の叫び声とともに、数人の従者が彼女の身体を抱え上げた。


 その声が震えていたのは、怒りか、恐怖か、それとも――愛情だったのか。


 誰よりも冷静を装う殿下の姿が、そのときはやけに人間味を帯びて見えた。

 その瞬間すら、私は蚊帳の外だった。


 ⸻


 さほど強い毒ではなかったのだろう。すぐに医師団が駆けつけ、数日の昏睡の末、命を取り留めたという。


 その間、王太子殿下は彼女の寝台の傍らを離れなかった。


 ――と、臣下たちは噂した。

 実際のところ、私がその場に立ち入れるはずもなく、真偽など知る由もない。


 けれど、マリーが回復した翌日、殿下がその手を優しく取り、静かに微笑んだと聞いたとき、私はなぜか、胸の奥が鈍く疼いた。


「……殿下はとてもお優しい方ね」


 侍女がそう口にしたとき、私は微笑むこともできなかった。


 ――あの微笑みは、私が一度も向けられたことのないものだった。


 それでも、私は彼のそばにいて、共に未来を築くはずだったのに。


 ⸻


「これは、王太子妃の座を脅かされた嫉妬ではないかしら」

「先日も、マリー嬢に厳しく当たっていたと聞いているわ」


 貴族令嬢たちの囁きが、壁に染みつくように拡がっていく。


 あれほど築いてきた人間関係も、気づけば脆く崩れていた。

 目が合えば逸らされ、口を開けば「ご機嫌よう」とだけ返される。


 私は何もしていない。堂々としていなければならない。そう思ってはいるものの、悪意のある言葉は、私の心を容赦なく疲弊させていった。


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