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環はあの世を駆けめぐる  作者: 春原沙羅
第六章 ダクティリオス<輪>

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不老不死の隣で

 環と青年は、歩道に置かれたベンチに座った。川の方を向いたベンチで、夜のランタンもばっちり見えるはずだ。


「はあ」


 腰かけた青年の第一声はため息だった。透き通るような青い瞳をしているのに、不思議と闇をたたえている。暗い瞳が、肩を組んで陽気に歩く人々を射すくめる。しかし陽気な人たちは陰険《いんけん》なまなざしを華麗にスルーしていく。


「……取り乱していてすみません。僕の名前はアルベルト・シュタイン。好きに呼んでください。あなたは?」


 意外と礼儀は正しいのかもしれない。環は名前を名乗った。


「夜見さん、あなたは前世の記憶を持つ子供の話を、聞いたことはありませんか」


「あーうーん……。多分あります」

 学生の頃、その類の話で盛り上がったことがあった気がする。


「私が、まさにその子供なんです」


「へえ!すごいですね」


「厄介なだけです」


 間髪入れず吐き捨てる。


「僕の場合、前世だけじゃないんです。前々々々々々々々々々々々々々々々世のことも覚えているんです。多分魂が壊れていて、記憶が収納されないんですよ。あの世のことも覚えてますから、ここはこの世で生きてきたことがない国よりもずっと、見知った場所なんです」


 暗い碧眼《へきがん》に、川面《かわも》の光を映す。


「忘却は、人間が持つ最も優れた防衛機能だと思うんです。人間はあまりにも醜いですから、全部のことを覚えていたら到底生きていかれません。嫌になって、消えたくて、人を殺そうとしました。でも、どうしてもできない。直前になると怖くなって。じゃあ自分を殺す自殺はどうなんだって、試してみました。死ねましたが、自殺では消えられないそうです。」


 シュタインは顔を覆った。


「また来世が待ってる。それに、耐えきれない。手を叩くだけで消せるなら、やってくれればいいのに」


「そうもいかないんですよ。この町の神様も、お仕事でやっているんですから。違反があったら処分されてしますんです」


「……詳しいですね」


「詳しいわけではないんですけど……。そうだ、天使にしてもらうとか、いっそ神を目指すとかどうですか?」


「変な人ですね」

 シュタインが顔を上げ、環を見る。深い眼窩《がんか》で目を見開いていた。


「人間が神になれるわけないでしょう」

「それが、なれるんです。目の前で見ましたよ」


 青田は元気に神をやっているだろうか。


「……でも、嫌ですね。本当の不老不死になってしまいそうで」


「本当の不老不死?」


「私の、前世の記憶を覚え続ける体質は、ある意味不老不死のようでしょう?肉体は老いるし死にますけど、全部を覚えていますから」


 長い長い溜息をつく。まるで、自分の中の記憶を全て吐き出してしまおうとするかのように。


「ふぁああ~~~」


 千鳥足《ちどりあし》の男性が、二人の前を横切る。ふにゃふにゃとした笑顔を浮かべている。背丈から男性のように思えるが、もしかしたら女性かもしれない。顔がのっぺりとして、目と鼻と口がなんとなくのっかっている状態になっていた。


「わぁー」


 腑抜《ふぬ》けたかけ声と共に川へ飛び込む。すると、男性らしき人の形はふわふわと崩れ、湯引きした餅のようになった。顔は既にないのに、幸福そうに見えるのが不思議だった。


「うらやましい」


 遠ざかる餅のようなものを見ながら、シュタインは二度目のため息をつく。


「僕には、逃げ場がないんです。助けてくれる人もいない」


 その他責的な嘆きに、聞き覚えがあった。

 自分の中で聞いたものだった。


「……逃げれば誰かが助けてくれると思うのは、私も同じでした。自分の境遇に翻弄されてきたのも」


 環は組んだ手に目を落とす。親指同士を重ね合わせた。


「別に、それでもいいんです。でも、誰かをあてにしていたら、助けてもらえないことだって当然あるじゃないですか。自分で立ち向かう覚悟って、いつか必要になるんです。怖いけど。でも助けてくれる人だっています。それって、人間の醜さじゃなくて、美しさじゃないでしょうか」


 環の心に、ファッションショーの歓声やスタッフたちの言葉が蘇っていた。


「そうすると、孤独になったときも、思い出して頑張れる。一人で頑張っているようで、一人じゃない。分けてもらった優しさとか、強さとか、自分のものにして、苦しい夜を越えていける」


 環は顔を上げる。隣にいるシュタインに語っているようで、自分の言葉を浴びているような心地だった。


「記憶を全て覚えているのなら、それだけ、美しい人たちのことも覚えているはずです。普通の人の何百倍も。逃げ場がないなら、進み続けたらいいんです」


「まあ、夜見さんに、私の苦しみなんか分かるはずないですよね」


 シュタインが吐き捨てるように言う。


「そんなの理想論だ。僕には嫌な記憶が押し寄せてくる。四六時中。考えられます?」


「そりゃ、分かんないですけど。でも分からないから言えることってありますよ。それに、身近な人じゃないからこそ、話せることだってあるわけだし」


「……それは、そうかもしれません」


「答えは意外と、自分の中にあったりするじゃないですか。話しているうちに、なんとか前向きになれる何かが見つかるかも。そうだ、シュタインさんの前世のこと、教えてくださいよ。前前世も、前前前世も」


 シュタインは「まあどうだろう、いやそれなら、でもまだいけるかも」と独り言をぼそぼそ呟くと、前世のことを語り始めた。


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