不老不死の隣で
環と青年は、歩道に置かれたベンチに座った。川の方を向いたベンチで、夜のランタンもばっちり見えるはずだ。
「はあ」
腰かけた青年の第一声はため息だった。透き通るような青い瞳をしているのに、不思議と闇をたたえている。暗い瞳が、肩を組んで陽気に歩く人々を射すくめる。しかし陽気な人たちは陰険なまなざしを華麗にスルーしていく。
「……取り乱していてすみません。僕の名前はアルベルト・シュタイン。好きに呼んでください。あなたは?」
意外と礼儀は正しいのかもしれない。環は名前を名乗った。
「夜見さん、あなたは前世の記憶を持つ子供の話を、聞いたことはありませんか」
「あーうーん……。多分あります」
学生の頃、その類の話で盛り上がったことがあった気がする。
「私が、まさにその子供なんです」
「へえ!すごいですね」
「厄介なだけです」
間髪入れず吐き捨てる。
「僕の場合、前世だけじゃないんです。前々々々々々々々々々々々々々々々世のことも覚えているんです。多分魂が壊れていて、記憶が収納されないんですよ。あの世のことも覚えてますから、ここはこの世で生きてきたことがない国よりもずっと、見知った場所なんです」
暗い碧眼に、川面の光を映す。
「忘却は、人間が持つ最も優れた防衛機能だと思うんです。人間はあまりにも醜いですから、全部のことを覚えていたら到底生きていかれません。嫌になって、消えたくて、人を殺そうとしました。でも、どうしてもできない。直前になると怖くなって。じゃあ自分を殺す自殺はどうなんだって、試してみました。死ねましたが、自殺では消えられないそうです。」
シュタインは顔を覆った。
「また来世が待ってる。それに、耐えきれない。手を叩くだけで消せるなら、やってくれればいいのに」
「そうもいかないんですよ。この町の神様も、お仕事でやっているんですから。違反があったら処分されてしますんです」
「……詳しいですね」
「詳しいわけではないんですけど……。そうだ、天使にしてもらうとか、いっそ神を目指すとかどうですか?」
「変な人ですね」
シュタインが顔を上げ、環を見る。深い眼窩で目を見開いていた。
「人間が神になれるわけないでしょう」
「それが、なれるんです。目の前で見ましたよ」
青田は元気に神をやっているだろうか。
「……でも、嫌ですね。本当の不老不死になってしまいそうで」
「本当の不老不死?」
「私の、前世の記憶を覚え続ける体質は、ある意味不老不死のようでしょう?肉体は老いるし死にますけど、全部を覚えていますから」
長い長い溜息をつく。まるで、自分の中の記憶を全て吐き出してしまおうとするかのように。
「ふぁああ~~~」
千鳥足の男性が、二人の前を横切る。ふにゃふにゃとした笑顔を浮かべている。背丈から男性のように思えるが、もしかしたら女性かもしれない。顔がのっぺりとして、目と鼻と口がなんとなくのっかっている状態になっていた。
「わぁー」
腑抜けたかけ声と共に川へ飛び込む。すると、男性らしき人の形はふわふわと崩れ、湯引きした餅のようになった。顔は既にないのに、幸福そうに見えるのが不思議だった。
「うらやましい」
遠ざかる餅のようなものを見ながら、シュタインは二度目のため息をつく。
「僕には、逃げ場がないんです。助けてくれる人もいない」
その他責的な嘆きに、聞き覚えがあった。
自分の中で聞いたものだった。
「……逃げれば誰かが助けてくれると思うのは、私も同じでした。自分の境遇に翻弄されてきたのも」
環は組んだ手に目を落とす。親指同士を重ね合わせた。
「別に、それでもいいんです。でも、誰かをあてにしていたら、助けてもらえないことだって当然あるじゃないですか。自分で立ち向かう覚悟って、いつか必要になるんです。怖いけど。でも助けてくれる人だっています。それって、人間の醜さじゃなくて、美しさじゃないでしょうか」
環の心に、ファッションショーの歓声やスタッフたちの言葉が蘇っていた。
「そうすると、孤独になったときも、思い出して頑張れる。一人で頑張っているようで、一人じゃない。分けてもらった優しさとか、強さとか、自分のものにして、苦しい夜を越えていける」
環は顔を上げる。隣にいるシュタインに語っているようで、自分の言葉を浴びているような心地だった。
「記憶を全て覚えているのなら、それだけ、美しい人たちのことも覚えているはずです。普通の人の何百倍も。逃げ場がないなら、進み続けたらいいんです」
「まあ、夜見さんに、私の苦しみなんか分かるはずないですよね」
シュタインが吐き捨てるように言う。
「そんなの理想論だ。僕には嫌な記憶が押し寄せてくる。四六時中。考えられます?」
「そりゃ、分かんないですけど。でも分からないから言えることってありますよ。それに、身近な人じゃないからこそ、話せることだってあるわけだし」
「……それは、そうかもしれません」
「答えは意外と、自分の中にあったりするじゃないですか。話しているうちに、なんとか前向きになれる何かが見つかるかも。そうだ、シュタインさんの前世のこと、教えてくださいよ。前前世も、前前前世も」
シュタインは「まあどうだろう、いやそれなら、でもまだいけるかも」と独り言をぼそぼそ呟くと、前世のことを語り始めた。




