17 壁を維持するもの (ザナ)
たまに、船が左右に激しく揺さぶられるようになった。
ザナは、空艇の状態を確認しながら、フィルとロイの会話に耳を傾けていた。
「ロイ、手は操縦かんに軽く添えるようにして、船の足の感触を手のひらで感じ取るんだ。わずかの偏向を感じて先手を打って早めに修正すれば、こんなに尻を振ることはなくなる」
「はい、副長」
フィルはロイの背後に立って、ロイの前にある計器を細かく点検していた。
「副長、どうして通常走行で行くのですか? 空艇なんだから飛翔すればもっと早く着きますし、楽なんじゃないかと思いますけど」
「ロイ、今はまだ緊急事態ってわけじゃない。時間は十分にある。作用力はいざという時のために温存しておくものだ。現場に着いたら、いやでも飛び続けるからな。我々は最前線に向かってることを忘れるな」
「わかりました」
「もう一つ質問があるのですが、よろしいですか? ブロック隊も空艇を持っているはずですよね。どうして、現地から調査しないで、はるばる本部から行くのですか?」
「各ブロックに配備してある船は緊急時に必要だから、このような調査には使わない。もしもフィールドに何かあったときには即座に必要になるからさ。ここでは、常に臨戦態勢にしておくことになっている」
「そうなんですか。本国でそのようなことは聞いていませんでした。でも、確かにそうですね。何があるかわかりませんから」
「実はな、もう少し船が多くあるとそういう融通も利くんだが、ここで持っているこの限られた数じゃ、とてもそんな余裕はない。特に、我々は混成部隊だろ。いろいろ難しいことがあるんだよ」
ロイは何度もうなずいた。
それでも、この混成軍はかなりましだ。以前に比べればだが。少なくともローテーションを組む隊の他に、予備隊が一隊とはいえ一応はある。それだけでもかなり恵まれているほうだ。
フィルが別の話を始めた。
「それにしても、ロイ、なんでおまえさん、国の本隊じゃなくて、混成隊に配属されたんだ? おまえさんの配属書を見たが、普通なら本国の前線が赴任先だろ? それとも、オリエノールの方針はほかの国とは違うのか?」
「さあ、わたしにもわかりません。配属先は自分では選べませんですし」
ロイは肩をすくめた。
フィルは考え込むように頬をかいていたがぼそっと言った。
「そうか、おまえが煙たがられているか、もしくは、本当におまえのことを考えてあえて外に送り出したか? 果たしてどっちなのかな?」
ロイはまたも肩をすくめた。
ザナはふたりを眺めながら考えていた。
ロイは、確かに書類上は優秀だが、この若さで実戦があるとは思えない。
すべては机上の訓練だけだろう。訓練課程が終わるとすぐにここに送られてきたに違いない。
しばらく前にジリが帰国してからずっと欠けたままで、やっと代わりの者が送られてきたってわけだ。
これで変則的なローテーションを組む必要がなくなるし、マレも相手が固定されれば楽になるだろう。
若すぎるとしても文句は言えない。
実際、作用者として役に立つ期間は限られている。
通常、十三、四歳ころに初動してから訓練を重ね、完璧に使いこなせるようになるまでに、早くても二年、普通、三年はかかる。
最終認定から二十五歳までの八年、長ければもう少しの十年余りが作用者として前線で使える期間だ。
どんなに恵まれていても三十を過ぎる頃には力が尽きる。だから、若い人ほど長く使えることにはなる。
それに、混成隊に熟達者が配属されるのは、この先も決してないだろう。
前線に来ると、実際にトランサーと渡り合うときになって初めて、この世界の危うい状況を思い知らされ、絶望することになる。
どの国でもそうだが、今や、正軍は防御フィールドのための、精分供給要員でしかなく、毎日、運動して食べて寝るだけの繰り返しだ。
力軍もしかり。防御者はイグナイシャとメデイシャの助けで壁の維持にしゃかりきになっている。戦闘隊は壁の切り替え時に迷い込んできたトランサーを駆除して飛び回る、終わりなき単調な毎日だ。
みんな疲れ果てている。
今や、若者のほとんどが、まずは北に駆り出されて、毎日、トランサーの南下を食い止めることだけにこき使われる。
しかも、フィールドは隊が交替するために、一日に二回切り替えるから、そのたびに少しずつ南に後退していく。
いずれ大陸にわたしたちの住む場所はゼロになる。この話は前にも皆で議論したことがあったっけ。
そのときのセスの計算では確か二十年だった。もちろん現状の速度が続けばの話だし、期限よりずっと前にこの大陸から逃れる必要がある。
このままじゃだめなのは誰もがわかっているが、他にどうしようもない。ただ、毎日を頑張って生きながらえるだけ。
結局、わたしたちは、早晩この地から追い出されることになるのだろう。
そういえば、アレックスが、インペカールでは新しい防御フィールド発生機を開発中と言っていた。機械式ならたぶん連続運転ができるのだろう。それが解決策になるのだろうか?
でも、機械が作用者にとって変われるとはとても信じられない。
しばらく走ると、前方の左右に伸びる光のラインがうっすらと見えてきた。さらに近づくにつれて、その細い線は光のベルトへと変化する。
しまいには、自分の目の高さより上まで広がる巨大な壁として認識された。
強く光っているのは地面近くだけだが、上でも、時々光がちらちら見える。風が強い日はトランサーが高いところまで舞い上がるためだ。
上まで光るときは用心せよ、というのが前線に配属された者が最初に教えられること。
フィルが命令を下すのが聞こえた。
「センサをオンに」
高いフィールドのてっぺんを越えて、さらにこんな遠くまで、はぐれトランサーが飛んできたりはしないが、まあ、用心にこしたことはない。
前方に、ブロック7の非番隊の移動車両がぼんやりと見えてきた。遠くからでもわかるということは、どの車両も明かりをこうこうと灯しているに違いない。
カティアに叩き起こされたのだろう。本当は非番のはずなのに気の毒。
非番隊の脇を通り越すと、すぐ先に、次に壁を作る交番隊が現れる。さらにその向こうには、いま防御フィールドを展開している原隊が見えてきた。
巨大な車の上に展開された、二つの大きな投射板がぼんやりと光っている。
後ろに連結された車の中には、防御担当の正軍百人と作用者十人、その他三十人ばかりが詰めている。ほかの隊も同じ。
各ブロックは通常五隊で構成され、この混成軍は、18万メトレの壁を維持するために九ブロックも有している。
トランサーと戦う戦闘隊に空艇部隊も駐屯している。前線に配属される人々だけでも膨大な数だ。
これだけ投入しても、ひたすら後退あるのみ。
フィルが話しかけてきて思考が中断された。
「前方にブロック7原隊。72番隊と確認。とりあえず、隣に止めますか?」
「ああ。停止したら、力波内への進入準備を。十分後に中に入る。その前に本部と話をする」
送られてきた最新のデータを調べていたザナは、そう答えると、指令室への通信回線を開いた。