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最終話 カラクルの夢

「ぼくは、ゆうにいと生きたこの一瞬がしあわせだったよ」――余命を知った妖精が見つけた命の答えと、宇宙の果てに響く最後の歌。

 ぼくはカラクル。変な名前? だって、ぼくがうまれたのはタジキスタンだもの。

 タジキスタンには色んなひとがいた! 市場にきれいな服を着たおんなのひと、しかくい帽子、おうまさん。のびのびとした歌と踊り。とてもきれいな山と湖。

 小さな頃だからあんまり覚えてないけど、温泉があって、あつーいお湯が翅をぴりぴりさせた。くすぐったかった! みんなでお湯をかけっこした。

 ぼくを育ててくれたのは、誰かって? 日本語を話す人たちで、特にゆうにいが、よく遊んでくれて、だーい好きだった。みんながよく言う、おとーさん、おかーさん、かぞくって、ゆうにいと、そのおじさんの、ひでにいと、日本の人たちみたいな感じなのかな? って思ってた。

 ひでにいは虫ってときどきぼくのこと、さけてたけど、楽しい思い出のほうがいっぱいある!

 みんなタジキスタンを何台もの車で旅していて、今思うと風変わりだった。あとでテレビっていうのの、撮影だって教えてもらった。テレビがなんなのか分からなくて、最近ほんもののテレビを見るまでピンとこなかった。

 村へ到着するたびに水を飲みにおりた。最初はゆうにいと手をつないで水路や市場を見て回った。

 だけど、なんだかある日、急に恥ずかしくなった。同い年くらいの子のほうが気が合うのが分かって、友達になれそうな子を見つけて、一人で飛んで行った。でも、翅をからかわれて、悲しくって、ひとが怖くなって、ゆうにいに会いたくなって、翅を使わずに走って帰った。

 ゆうにいはいつでも優しく撫でてくれた。小さな頃のぼくは、泣き虫で、ひとと違うってことが怖くて、毎日ゆうにいに甘えてばっかりだった。


「カラクル、最近なに書いてるんだ?」とゆうにいの声。

 ぼくの秘密ノート、見られるの恥ずかしい。絵も描いてるからやだ。

「こくごノートを買ってからはまっちゃって、勉強熱心でえらいなぁカラクル!」

 このノートはもっと、しさくにとんだものなの。

 ぼくの人生をつまびらかにするためのもの! むむむっ

「ゆうにいは、おべんきょう、しなくていいのー?」とぼくは反論した。

 ゆうにいは「僕は仕事の資格とろうと思ってるもーん」と、何週間か聞きつづけてるセリフを言って、ぼくの髪をくしゃくしゃした。だからぼくは天井まで宙返りして、ゆうにいの腕をひっぱった。おもたーい!

「わわっカラクル、ふらふらするよ、危ない」

 ぼくの背中にはチョウチョみたいな翅がはえてる。鳥ほどじゃないけど、浮かぶことができた。でも力がないから全然持ち上げられなかった。何歳になったら、ゆうにいに勝てるのかなぁー。

「そろそろ晩ごはんだ! さあ、カラクル、片付けして机あけてくれよ」

 ぼくが翅をパタパタさせたから、ちゃぶ台は鱗粉でいっぱいになってた。拭いてと布巾をもらった。

「ぼく、ふくのとくいだよ!」

 ぼくがリーリーと翅をこすらせると、ゆうにいが満面の笑顔になってくれるから嬉しかった。

 今、ゆうにいとぼくは日本に暮らしてる。二人暮し。海が近くて、山も近くて、島も沢山見える。もちろん星も! 空気がきれいで、中央アジアほど乾燥してないけど、雨がめったにふらなくて、とても好き。

 当たり前みたいにこうして過ごしていつつ、実はお金がぎりぎりの生活なのわかってた。毎日、二人でおじさんのテレビ局に行った。こまづかいみたいな感じだけど、一所懸命働いた。帰りに商店街でお買い物して、晩ごはん! おふろ! 寝る! 明日もお仕事! っていうの。

 おふろは狭いからひとりで入るよ。お化けが出そうで怖かったけど、やっと慣れてきた。

 今一番しあわせだなって思う。街の人たちはぼくの翅を見ても、もう慣れてくれたし、みんな仲良くしてくれる。仕事場の人たちも。翅が邪魔ってよく言われるけど、高いところに手が届くから重宝された。

 今日の晩ごはんは、なっとうごはん、お野菜一杯のいためもの、そうめんの入ったお吸い物、おとうふ! それから、ほうれん草のおひたし! ぼく、ほうれん草大好き!

 中央アジアはお肉が多くて、日本もお魚の料理が多いから、そこが難点だった。両方食べれないぼくに、ゆうにいはいつも本とにらめっこしてメニューを考えてくれる。

 昔、シャシリクっていうお肉を食べて、何日もお腹を壊したから……。キャビアも口が真っ赤にはれちゃった。みんな、何でもおいしそうに食べてるからうらやましい。食べられないものが多いって、ほんっとにそん!


「ゆうにい、ゆうにい、このほんよんで!」

 寝る前には難しい漢字のある本を、読んでもらうのが習慣だった。その日の本は、子供向けの笑い話と、北欧神話。

 ゆうにいの演技ったら、おもしろくて、カチカチ山の「オメェが食ってるのは、ババァのばばじるだどーっ」に大笑い! 何回聞いても楽しい!

 それから、北欧神話は、声に出してもらっても難しかった……なんにもイメージわかなかった……。ただ、アルフヘイムっていう言葉はどこか懐かしい感じがした。初めて聞いた言葉なのに、なんでだろう。泣きたい気持ちになった。

「そろそろ寝ようか、カラクル。明日も早いからね」

 ぼくは今のこの気持ちをノートに書きたくなって、ゆうにいにスタンドのライトを貸してもらった。

 北欧神話……ちょっとしか出てこないアルフヘイム……このあいだ読んでもらった『指輪物語』には、ぼくと似たエルフっていうひとたちの話が沢山あった。でもエルフには翅がなかった。もっと現実の、何か詳しい本はあるのかな。また、海の近くの図書館へ行ってみよう。そしたら、きっとぼくの起源がわかるはず……。

 たぶん、どこかには緑の翅の集団がいるんだ。ぼくは、はぐれたところ、ゆうにいにタジキスタンで拾われたに違いない。いつか行けたらいいな、緑の翅のひとたちのところ……。



 まーっ暗だった。よく見る光景だった。これは、夢だ。ぼくは今眠ってるんだ。

 真っ暗な空間にいるとき、たいてい一人じゃない。そのうち、あのひとがくる。

 唯一しってる、ぼくとおなじ緑の翅を持ってるひと。

 シャン、シャンと鈴の音が響いた。木の根が地面にはったままのような(でも移動するんだ)杖をついて、髪のぞろりと長い白いひとが姿を現した。

 夢の中でぼくは口を開かない。最初は喋ってみたけど、ぜんぜん通じなかった。だから困ってしまった。

 今日も、そのひとは口を開かないで、ただピリリ、ピリリと鈴虫みたいな音をたてた。ぼくもときどき、ゆうにいにそれをするからわかる。呼びかけているんだ。なんて言ってるのかまでは、わからない……。そのひとは、小さい頃から、ただぼくを見つめて立ってるだけだった。

 ゆうにいにくっつくと、同じ夢を見ることがある。そこでそのひとは、ゆうにいとだけは会話をして、不思議な光景をうつした。そして、度々ゆうにいに、死ぬように伝えた。ロシアでついにゆうにいが入院したとき、すごく怖くて、もうくっついて寝ないって決めた。

 このひとは、死神なのかもしれない。

 じゃあ、ぼくは?

 何ヶ月尋ねても、答えてくれなかった。

 ねえ、ぼくは何者なの? ぼくがいると、ゆうにい死んじゃうの? 

 教えて、あなたはみんなの夢に出てくるの? 夢の外では会えないの?

 そのひとは表情を髪で隠したまま、暗闇に去っていくのが常だった。いったい、何がしたいんだろう。何をぼくに伝えてるんだろう。

 だけど、この日こそは違った。そのひとは、翅をこすらせるんじゃない。言葉ではっきり話した。初めて、ぼくに。

「私はジェァーグァ。カラクル、きみのことは、産まれる前から知っている」

 ぼくの産まれる前!? を知ってるのと、そのひとの名前が意外に難しい発音なので、びっくりした。

「ジェアーガ……さん? あのう、いっつも、なにしてるの? ここで、さみしくないの?」

 そのひとは薄く笑ったように見えた。

「お前は今、幸せか」

 よくわからないけど、ぼくは迷わず答えた。

「うん!」

 続けて静かな質問が闇に響いた。

「好きな人はいるか」

 これにもぼくは即答した。

「うん! ゆうにいと、ひでにい! しってる……よね? 

 ぼくの、えーっと、かぞく……」

 ジャーガさんは口元をほころばせた。笑ってる。

「それをお前から聞けてよかった」

 ちょっと場がなごんだみたいだったので、ぼくは長年疑問だったことを尋ねてみた。翅をぱたぱた動かしてみた。

「あのう、ぼく、ほかのひととちがってるみたいなんだけど……。ジャーガさん、ゆめのそとにでれますか? ぼくひとりだと、せつめいできなくて……。むりならその、なんではねがあるのか、おしえてくれますか?」

 そのひとは、杖をシャン、と鳴らして一歩近づいた。鱗粉が暗闇に舞う。光源はないのに、きらきらと舞い落ちて、足元を光らせた。そうか、ひとのを見て初めて気付いた。翅はそれ自体が、ぼんやり光ってるんだ。

「真実はおのれで見つけよ。一つだけ教えよう、我々はクラという、人間とは別の種族だ。カラクル、クラはこの世でお前ただ一人になってしまった」

 ぼくは絶句した。みんぞくじゃなくて、しゅぞく? なんだか頭がくらくらした。ゆうにいや、ひでにいや、みんなと根本的に違うの? かぞくじゃないの!? 翅がはえてるだけじゃないの? いみわかんない。

「でも、ジャーガさんがいるよ? ひとりじゃないよ? ジャーガさん、ここからでられないの?」

 そのひとは、また杖を地につけて鈴を鳴らした。まるでぼくの質問を制するように。

「私は過去の幻影だ。お前の記憶の奥底に住んでいると言っていい。つまり表に出ることは不可能だ」

 ぼくは、ひとりぼっちなのかと思うと、胸が苦しくなった。

「どうしていま、そんなこというの? なんのためにいま、はなしてるの?」

 そのひとは、あくまで凛と厳かに立っていた。

「カラクル、お前は幸せだと言った。本当にそうなのか考えよ。心の底でおのれが何を感じ、何を思っているのか探求せよ。人間を信じるのは果たして正しいのか考えよ。考えたうえで、また答えを聞かせてほしい。いつでも待っている。ただし、2001年の九月まで」

 どういうことなの……? 頭が追いつかないまま、目が覚めてしまった。

 外は朝もやと冷気がただよっていた。ゆうにいを起こさないように、そっとベランダに出てみた。深呼吸する。朝の空気、いつもと変わらない、潮を含んだ瀬戸内海の風。

 でも、ぼくははっきりと変わってしまった気がした。漠然と抱いていた疑問が、ばっと大きくなって、破裂しそうだった。心臓のドキン、ドキンっていう音が聞こえる。

 ぼくは、なんのために、どうしてここにいるの? 

 なんでゆうにいと、ひでにいが好きってこと疑問に思われなきゃならないの?

「めいれいなんか、するな……っ」

 小声でおこった。外はとても寒かった。


 その日のお仕事が終わって、商店街で晩ごはんの買い物をした。いつもはゆうにいの周りを飛び回って荷物を持つけれど、今朝の夢を思い出して気後れがした。不思議そうに、ゆうにいはぼくを見ていた。一番大好きなほうれん草も、二番目に大好きなおからも、ぼくが食べないので、とうとうゆうにいが切り出した。

「カラクル、どうしたんだ、全然何も食べないじゃないか……。

 何か辛いことあったのか?」

 ぼくは夢のことを、ゆうにいに知られたら嫌われる気がして、言えなかった。

「んー……なんにもないよ?」

 うそがすぐにバレて、ゆうにいに髪をくしゃくしゃされてしまった。

「ぼく……にんげんじゃないんだって。ゆうにいしってた? タジキスタンで、どうしてぼくうまれたのかな?」

 なぜかゆうにいは口籠って、カラクルが何者だって関係ないよって言ってくれた。でもそれは誤魔化してる感じがした。ぼくはピリリ、ピリリと翅を鳴らした。

「ゆうにい、このおとわかる? わかんないでしょ? ぼくも、わかんない。きのう、はじめておしえてもらった。これ、クラのことばなんだって……。ぼく、ひとりぼっちなの」

 ゆうにいはひどく悲しそうな顔をして、ぼくの手をとった。

「カラクル……君が妖精だって、クラだって、なんだって、関係ないよ。僕の大事な大事なカラクルだよ! 家族だよ! 変な夢、見たのか。あの人に会ってるんだな。カラクル、そんなに思い詰めないで」

 ぼくは手の色が、ゆうにいと違うのが気になった。からだも違う。歳のとり方も、髪の毛の色も違う。なにより、将来どうなるのかわからない。ひどく不安……。

「ぼく……クラだもん! ゆうにい、さきにしぬの? ぼくがさきにしぬの? わかんないの! わかーんないのー!」

 勢いで窓から夜の街へ飛び立ってしまった。ゆうにいがベランダへ駆け寄って、こっちをずっと見てるのに気付きながら飛んだ。

 道路沿いをあてもなくフワフワしてると、突然なにか硬いものが足に当たった。

 いたい! あめ? ちがう……また、いたいっ! からからと落ちる音。石だ。一体誰が?

 明るいランプが近づいてきて、ぼくはまぶしくて目を細めた。何台もバイクがまわりをとりかこんだ。誰もヘルメットしてない。いひいひと変な笑い方してる。こいつら、きっと悪い人間だ。漫画によく出てくる人間だ。こどもや、おんなのひとをいじめるやつらだ!

 翅を捕まえられそうになったところ、ぼくはひゅっと宙返りした。ぼくはクラだ。だから、こんなに高く速く飛べる。ビルまではちょっと無理だけど、バイクの明かりが手のひらくらいになるまでは飛べるもん。みんな、きらきらしたぼくの翅を指差してる。

 みんな、みんな、この街全部、悪い人間なんだ! うそつきだー!

 それから、海の側にある図書館へ舞い降りた。さすがにもう閉館していた。クラのこと、知りたかったけど、無理みたい……。

 人間人間いいながら、結局人間にたよってるぼく……じあまり。

 突然、帰る家を自分でなくしたことに思い至って、辛い気持ちになった。テトラポットのある波打ち際で、一人で体育座りした。夜風がぴゅーぴゅー。冬の海が暗く広がってた。

 そこへ誰か、若いおんなのひと? が話しかけてきた。声がゆうにいと似てて、眼鏡とニット帽、ネックウォーマーの完全防備してたから一瞬分からなかった。

「ハロー、ボンジュール、ニイハオ。さむないん? ユーアー宇宙人? 着陸したて? めっちゃ薄着やん。地球初めてやろ」

 たしかにぼくの服装は薄かった。生まれたときから着てる一張羅だ。そのまんま飛び出してきたからマフラーもまいてないし、手袋もしてなかった。あと、ぱんつ洗ってて、ゆうにいのトランクス借りてた……夜で良かった。ほんとは寒いけど、翅だけはあったかいし、光を手にともせば暖を取れるから痩我慢してた。

 そう、ぼくは光を指先でえんぴつみたいに操れるんだ。小さい頃は遊びすぎて火傷しちゃったけど、今はもう自由自在。名付けて、カラクルふぁいやー。さっきバイクのひとたちへ使わなかったのは、火傷させるのが怖かったからだった。

「さむいのへーきだよー。うちゅーじんなんかしらないし! だあれ?」

 ぼくはすっかり人間不信だった。

「通じた。虫が日本語しゃべった。頭ええな。うちはただのガリ勉」

 振り向くと、セーラー服のひとが立ってた。こんな時間なのに、学生がいるなんて。ゆうにいが昔、ひでにいに叱られてたの思い出した。

「ガリベンさんは、なにしてるの? わるいこと?」

 ぼくが波の方を向いたまま尋ねたら、ぶっきらぼうな答えが返ってきた。

「ネコちゃん、拾った」

「ネコちゃんってなあに?」

 ガリベンさんの足音がきこえて、目の前におかしな小さな生き物がぶらさげられた。びっくり! その生き物は、顔中を口にして、にゃーって言った。

「宇宙人さんはまだ知らへんの? ネコちゃん」

 うーん、どこかで見たことがあるかもしれないけど、こんな手におさまるサイズの生き物、 初めてまじまじ見た。ちっちゃくて、でも生きてて不思議だなぁ。

「……触覚でネコちゃんなでまわすの、やめてくれん?」

 ぼくそんなことしてるかな。

「ごはん、食べさせたいねんけど、うちで飼えへんって言われてんねん」

 ガリベンさんがうつむいた。それから、聞いたことのある曲を鼻歌でうたった。よく、ゆうにいが、小さな頃のぼくに歌ってくれた歌だ。

「なあに? それ」

「ゆりかごの歌やで。地球で赤ちゃんに歌うやつ。

 えっと、産まれたてのんにきかせんねん。あ、歌ってわかる?」


 ゆーりかごのカーラクル

 とっても とっても 可愛いな

 ねーんねーこ ねーんねーこ

 ねーんねーこーよー 


「わかるよ。ぼく……いまからゴハンかってきてあげる! なにがたべれるかな?」

 ガリベンさんが顔を上げた。

「ネコちゃん用のミルクやで。牛乳似てるけどちゃうで、お腹壊すねん。でも、もうどこもお店開いてへんで」

 こんびにってあるもん。と言うと、よーしってんな? とまた。あーいえばこーいうなぁ。

 ぼくは構わず飛んでいった。山の裾野の駅の方に、一軒だけあるの知ってる。たどり着いて気付いた……おさいふ、ない。

 フワフワ商店街を浮いてたら、魚屋さんのひとに話しかけられた。

 あっネコちゃんだ!

 三十分くらいあと、海の方へ戻ると、ガリベンさんとネコちゃんはまだ同じところにいた。

 ぼくがネコちゃん用のミルクをひとふくろ持ってきたら、嬉しそうにしてくれた。

 ネコちゃんがペロペロなめる。ぼくらはそれを見てる。なんだか胸があったかいや。

「このこ、さわっていーい?」

「ゆっくりやったら、ええんちゃう?」

 ぼくはそっと背中をなでてみた。ネコちゃんはいじらしく、ぼくに這い上がってきて、手をグーパーして、服を掴んだりはなしたりした。それから、ぴーぴー言いながら眠り始めた。動けないや……。ゆうにいも、こんな気持ちだったのかな。

「名前、つけよ。なんにしよう」

 ガリベンさんもネコちゃんをなでながら、優しい目で言った。うーんとふりしぼってみた。

「フミちゃん」

 ぼくの服をフミフミするので、思いついた。

「かわいいな」

 可愛い、か……。そっか、こういう気持ちが、可愛いなんだ。大切にしたい。それは愛情っていうんじゃなかったっけ。

 波の音と、ぴーぴー寝息をたてるフミちゃんと、起こさないように静かに座るぼくら。

「明日、またくるわ。フミちゃんよろしく。『エイリアン』みたいに襲ったらあかんで。コンタクトできてよかったわ、ほなな」

 えっ? ぼくフミちゃんにヘンなことしないよ? ……取り残されてしまった。このまんま、寒空の下フミちゃんをほうっておけない……。人間と違う生き物……だからどうしたっていうんだろ。

 ガリ勉さん変わってるなぁー。初めてうちゅーじんって言われちゃった。えいりあんってなんのことだったのかな? だけどとにかく、みんな寝るし、食べるし、甘える。こんなにも同じだ。知らなかった。

 ひとまず、図書館の警備員さんにわけを話して、フミちゃんは預かってもらうことになった。看板猫の誕生だった。

 家に帰ると、まだ明かりがついてた。窓からなかをのぞくと、ゆうにいが机につっぷして寝てた。晩ごはんがラップをかけられて、出ていった時のまんま置いてあった。窓の開く音でゆうにいが目を覚まして、ぼくに微笑みかけてくれた。安心して、小さい頃みたいに泣きつきたい気持ちになった。

「ゆうにい、ごめんなさい……」

「いいよ、カラクル。さあご飯食べよう」


 それから、ぼくはよく仕事終わりの夜や、お休みの日にフミちゃんに会いに行った。ガリベンさんも頻繁に来てるみたいだった。だけど、勉強のほうが忙しいみたいで、ぼくみたいにフミちゃんと遊んだりしなかった。

「カラクルって背格好のわりに、子供みたいやな。まあ宇宙人やから、ええんやろうけど。

 あ、机から身ぃのりださんとってな。教科書汚れる。君の手、毛ぇと鱗粉だらけやもん」

 どういうことかな? ぼくの手、つるつるだよ? ちゃんと洗ってるもん。へんなこと言うなぁガリベンさん。そっか、二年だと人間はまだ赤ちゃんだもんね。ぼくがクラで、まだうまれてまもないのを話すと、うそみたいって仰天してた。そりゃ世間知らずだよねって言われた。ムッとした。

 ガリベンさんはズケズケものをいうので、ケンカをよくした。いつもぼくが、かんじょうてきになって、キャンキャンいう感じ。だけど、ケンカしたままじゃ苦しいから、すぐ謝って、仲直りした。そんなことを繰り返した。

 だんだん呼ばれるのもうちゅーじんから、妖精さんに変わった。ぼくの初めての友達だった。

 ガリベンさんは、偉そーに色んなことを教えてくれた。ネコちゃんのそだてかた。といれのおしえかた。日本がどこで、タジキスタンがどこか。せかいちず。地球のはじまりと未来。おほしさまの本当のすがた。宇宙のはじまり。動物の大百科。妖精さんについて書いてある本や漫画(でもどれも、ぼくのしってるクラじゃなかった)。

 特に、世界最古の完全に残ってる歌っていうのが印象深かった。「セイキロスの墓碑銘」っていうんだって。ガリベンさんは、リコーダーでそれを鳴らして聞かせてくれた。あと、翻訳までしてくれた。凄いや。

「生きている限りは輝いていなさい。決して嘆き悲しんでばかりではいけない。人生は束の間なのだから。時がその終わりを求めているよ」

 海の向こうまで響くような歌だった。

 ガリベンさんは、みんぞくがくに興味があって、しきりにぼくの見聞きしたことを尋ねた。せきじんのぬいぐるみを見せてあげると、日頃ムスッとしてるのにその時だけ目を輝かせてた。ちょっと嬉しかった。二人で海外旅行について話した。ガリベンさんは夢を書いたノートを見せてくれた。ぼくのノートより整然としてて、漢字がいっぱいで、カクカクした印象だった。


 世界って不思議やな。すごいな。ええな。こんなに絶景があるんやって。

 あんな凄い服の民族がおるんやって。行ってみたいな。交流してみたいな。

 世界中、一生に一回でええから。宇宙人も興味出てきたわ。調べ中。


 それがガリベンさんの夢だった。ぼくも秘密のノートを見せてあげた。それから、えんぴつを借りて新しいページにまねっこした。ガリベンさんは覗き込んで、おかしな顔した。


 ぼくのゆめわ くらのなぞをとくことです

 どおしてぼくひとりになつたのか

 どんなくらがいたのか どこにいたのか しりたいです

 それから しようらいわ 

 ゆうにいとずうとくらすの ゆめです

 かぞくだからです


 そんなの、かなうやろか? とガリベンさんは、苦笑いして、つっけんどんに言った。

「カラくん、どう見たって宇宙人やんか。いつか、そのお兄さんもケッコンするやろ。肩身狭くならん? お嫁さんや子供と仲良くする自信ある? 受け入れてもらえるかなー。うちやったら、外国はともかく他の星行ってそんなんすんの、無理やわ」

 ぼくは想像できなかった……。

「ケッコン? およめさん? こども? そういえば、こどもってどうやってできるの? ひろうのかな?」

 わかんないことだらけで混乱した。

 ガリベンさんは、悪い気がしたのか、気まずそうに話した。

「地球の家族なんか、余計なもんやで。カラくんのおった星は知らんけど。うちの両親がケンカばっかしてて、自分ともケンカばっかしとった。でも、お母さんが入院した……。お母さんが死にそうなとき、うちはなんでか眠くて眠くて、起きれへんかった……。お父さんが偶然帰ってきて、救急車で運ばれてったんや。それでもまだ眠くて、悲しくない自分がショックやった……。むしろ……いや、ええわ。言ってもしゃーない。人に自分の気持ち言うても意味ない。学校でむりやりカウンセリング行かされたけど、なんやシンソーシンリの話されて、よう役に立ったか分からんかったわ。

 カラくん、ゆうにいと仲良しでええな。不思議やわ。なんでうちは親に振り回されまくっとるんやろ。変やな。頭ん中整理したいから、ここきてる。うちには図書館と勉強しかないねん……。もうすぐ受験やしね」

「うーん、おかーさん、まだにゅういんしてるの?」

 ぼくの質問に、ガリベンさんは答えなかった。なんて声をかければいいんだろう。こんな時。ぼくは、ガリベンさんの言ってることの半分もわからないし、力になれない……。自分を責めることができるから優しいと思う、なんて言ったって、嘘に感じた。だから、二人でフミちゃんに会いに行った。

 人間と、ぼくの違いってなにかな。翅があることだけでいいの? 共感できないことも特徴? 上手くみんなみたいに考えられないのも特徴? それができないのは、単にぼくが二年しかいきてなくて、幼稚だから? ほかにクラがいないから、なんともいえないや。

 ジャーガさんは多分、色んなこと考えてて色々知ってるんだろうけど、なんだか認めたくない。

 本によると、イタズラや恐ろしいことをする妖精さんもいるんだって。悪いクラがいたかもしれないし、犯罪するクラがいたかもしれない。しればしるほど、わからなくなっていく……。

 ひとまず、ぼくの出会った人間はすてたもんじゃないよ。一部嫌なやつらもいたけど。良い人間が多いよ。ジャーガさんに言い返したかった。


 二月になって、ガリベンさんは引っ越すことになったと、ネックウォーマーの下からもごもご言った。ぼくは人と別れることには慣れっこだったけど、まだ教えもらってないこと一杯あるし、フミちゃんどうするのって思って、くいさがった。

「どこいくの?」

 ガリベンさんは、愛用の地図帳をかばんから取り出して、指差した。とおくの、新潟っていうところの、端っこだった。寒いってきくところだ。ぼくのまだ、じっさいに見たことのない、雪っていうのが積もる場所。

「おんなじにっぼんだよ? またあえるよ?」

 ガリベンさんは、諦めた顔で言った。

「もう会えへんで。カラくんの宇宙船でワープするならともかくな。

 ふつうはな、いっかい別れた人とは、生きてたって二度と会えへんのや」

「ぼく、うちゅーじんじゃないよう。なんでそんなかなしいこというの? おてがみは?」ときくと、「カラくん漢字書けへんからアカン」と反対された。もうぼくとの会話を拒んでるみたいだった。

「カラくん妖精さんやからな。わからんわな、まだ産まれて二年やもんな。とにかくお別れやっちゅーの。バイバイ」

 ぼくは痛いところをつかれて、胸がキュッとなった。ガリベンさんまでそんなこというの? 翅を思わずピリリ、ピリリと震わせた。ぼくは、とりあえずお別れだから怒らなかった。せきじんのぬいぐるみをガリベンさんにあげた。他にもバリエーションがあるから、いっ個あげても平気。今日もともと、あげるつもりで選りすぐりのせきじんを持って来てた。鱗粉を嫌がるから、つっかえされるかなって思ってた。ガリベンさんは黙って受け取って、はらはら涙をこぼした。

 どうして裏腹のことばっかりするの?

「カラくんって名前つける」

「ぼく、そんなかおしてないよ?」

「いんや、そっくり。カラくんにそっくりやで」

 ガリベンさんは、お返しと言ってぼくにあの地図帳をくれた。マーカーで線をたくさん引っ張ってある、二人でよく見たいつもの地図帳。

「うち、将来はクラの研究者目指すわ。ロシアに専門の人おるんやって。カラくん……ありがとうな」

「ぼく、なんにもしてないよ? あっそうだ、フミちゃんにもおわかれしようよ、つれてきてあげる!」

「カラくん、きぃつけえよ。世の中悪いやつばっかおるからな。カラくんみたいな産まれたばっかの優しい子は、疑うってこと知らんから、きぃつけや。嫌なことばっか言ってごめんな。うちはアホたれやな」

 図書館に行ってフミちゃんを抱いて戻ってくると、波打ち際からもうガリベンさんはいなくなってた。

 ミャーと寒そうに、フミちゃんがぼくの腕に顔をうずめた。

 人間って分からない……。

 地図帳に、メモ用紙がはさんであった。ぼくが読めるように、ひらがなだけの文章だった。

「からくんへ。

 ひっこすってうそやねん。

 ほんまは、おとうさんが、いっかしんじゅう、しようとしてるんや。

 おかあさん、ころしたんは、うちやていうから。まあそうなんやけど。

 うちをそだてたんは、おとうさんやから、せきにんとるってきかへん。

 これは、だれにもいうたあかんで。ひみつやで。

 うちには、ゆめもなんもない。かなわへん。しぬしかないんや。あほやろ。

 からくん、こんなんと、ともだちになってくれて、ありがとうな。

 ちいさいころから、おらんかったから、うれしかったわ。

 からくんは、げんきでくらしな。たのしくくらしな。

 たてがみと、みどりのはね、めっちゃきれいやで。うちはすきやな。

 さいしょへんやったけど、からくんいいこやったから。

 いっそのこと、ゆうにいとけっこんしたらええねん。

 なんかほかのひと、みんな、からくんのこと、にんげんにみえてるっぽいし。

 できるやろ。しあわせになりな」

 その時、最後の一行しか、ぼくにはわからなかった。ゆうにいに見せたら、いそいで電話をとって、警察と救急車に通報した。図書館の警備員さんが、ガリベンさんの住所を調べてくれて、事はすんだようだった。

「いったいどうしたの? なにが、かかれてたの……?」

 ゆうにいに尋ねると、よく見せてくれたね、とぼくを抱きしめてくれた。でもぼくは何だか悪いことしたみたいで、べたべたしたくなくって、ゆうにいを引きはがした。

「カラクルは友達を助けたんだよ」

「ひみつ、やぶっちゃったね。またガリベンさんにあったら、あやまらなきゃ」

「しばらくしてからね……」

 ガリベンさんは病気にかかってるんだよ、とゆうにいは教えてくれた。それから、少し離れて洗面台の鏡に向った。

「カラクルは、親って何か、知りたい?」

 ぼくはなんとも答えあぐねた。ゆうにいも目尻が赤かった。

「僕も知らないんだ。叔父さん一家が代わりだったから。その友達、やめちまえって言ったけど、僕とそっくりだな。また、元気になったら会えるよ」

 そう言って、また電話をとって、今度はひでにいにかけたみたいだった。ぼくは自分の部屋で、たいいくずわりしてた。なんだか、ゆうにいが別の人になった気がして不安だった。

 ゆうにいの涙ながらの声が、扉の向こうから聞こえてきた。

「本当の親を知らないのに、愛情を与えることなんて、僕にできるわけがないって、どうして気付かなかったのかな」

 それから、ガリベンさんとの一連のことを話した。

「みんな根本的に他人なんだ。それなのに! 僕はカラクルに同じことをしないか怖いよ。

 あの子、ほんとの姿は昆虫人間なんだ! どうしたらいいんだろう。写真を忘れられないんだ。

 見たとき一瞬怖いって思ったんだ。鱗粉の麻薬だって……。

 叔父さんは最初からそう見えてたの? だから忠告してくれてたの? 僕も最初からそう見えてたら良かったのに! そうしたら、今の気持ちが嘘かどうか迷うことなかったんだ。ほんとの愛情を与えられたんだ!

 僕は間違ってたのかな? あのとき、カラクルを他の人のもとへ預けるべきだったのかな。むりやり愛そうにも写真が頭から離れないんだ。どうしたらいいんだろう。カラクルもきっと薄々感づいてると思うんだ……」

 ぼくは、いたたまれなくなって、ピィーッと翅を鳴らして、ゆうにいの背中をたたいた。 

 ゆうにいはびっくりして受話器を落とした。

「カラクル……ごめん」

 ピリリ、ピリリとしか話せなかった。

「ごめんな、カラクル」

 やっと喉が動かせるようになった。ゆうにいの目をじっと見つめてやった。

「ぼく、ゆうにいとくらしてて、わるいことしてるの?  ぼくがいて、つらいならでていくからね! としょかんにすむもん! しんじてたのに。ばかばか、あほたれー!」

 ゆうにいはペチペチ叩かれながら、しきりに頷いていた。

「ごめん……」

 最初で最後の、おおげんかだった。


 夢で、またジャーガさんが現れた。そして、ぼくはジャーガさんが魔法で小さくなった姿だということと、ぼくは今年、2001年の九月に死ぬっていうことを告げられた。

 あいでんてぃてぃの崩壊だった。なーんてこと……。

 ジャーガさんが杖をつくと、真っ暗だった足元がひらけた。どこかの高層ビルが焼け落ちていく。ゆうにいが血を流しながら、放り出される。ぼくはそれを引っ張りあげようとする。でも、かなわなくて、翅がちぎれて落ちてしまう。ぞっとした。今自分の身に起こってるかのように、背中が痛む気がした。これは未来だって。変えられない、必然の出来事。

 酷いや。どうして死なないといけないの? ゆうにいまで。

 それなら、どうしてぼくは、うまれてきたの? ぼくの今までやってきたこと、見てきたこと、感じてきたこと、全部、ジャーガさんに予知されてたの? 恥ずかしいし、意味ないじゃん。あんたが小さくなった意味ないじゃーん。どうせ死ぬってわかってたんなら、ぼくの年月なんだったの?

 ジャーガさんは薄く笑って、呟いた。

「カラクル、束の間の私よ。生きる意味はおのれで見つけるものだ。それに、私の予見は外れるかもしれないぞ?」

 このひとは、ぼくを試していると思った。予想通りになってたまるか。こんな未来、うそっぱちだ! ただの夢だ! クラなんか、うそつきだーっ!

 次の日、ぼくはゆうにいに抱きついて、泣いた。

 ゆうにいは、昨日のことがあったからか、ちゅうちょしてから、頭をなでてくれた。信じられるのは誰なの?


 2001年の夏、ぼくらはアメリカへたつことになった。テレビのお仕事だけど、クラのことを知る手がかりを探す旅でもあった。ゆうにいと、ひでにいが、ぼくの夢を信じてくれて、本腰を入れて計画してくれた。

 ジャーガさん、ガリベンさん、ふたりともかぞくなんかいらない、人間を信用しすぎちゃいけないって言ったけど、まだぼくには謎だ……。でも少しだけ、ゆうにいが今までと違うように見えた。ぼくはどこか距離を置くし、ゆうにいも。所詮他人って、そういうことなのかな。

 アメリカでクラのことを人づてに知ることは叶わなかった。けれど、荒野の景色がとても懐かしいものに感じられた。ネイティブアメリカンの博物館へ行って、神聖な場所を訪れて、グランドキャニオンを見た。あんなに地図帳で夢見てた場所のひとつ。だけどぼくは、ここへ来たことがあると思った。アメリカにいるあいだ、怒涛の勢いで記憶が頭の中を流れて、おかしくなりそうだった。ぼくは、たった二年の脆いぼくじゃなくて、ジャーガさんになっていく気がして怖くなった。戦争、虐殺、一万年、その繰り返し……。

 でも、ガリベンさんの言ってたことが分かった。ジャーガさんは、それを悲しいと思えない自分がショックだったんだ。友情を友情と思えないこと、愛情へ不信感を抱くことの辛さを感じたんだ。きっと。なんて虚しいのだろう。

 ゆうにいに声をかけられて、やっとぼくは、ぼくの本来の、心の奥底から湧く気持ちを思い出した。ゆうにいが、ケンカする前と同じように見えた。

 しばらくぼんやり見つめて、気付いた。はたと重要なことに脳みそが追いついた。ひとを信じる気持ち。沢山ゆうにいと過ごせて楽しかったこと。一時期わかんなくなってたけど確かに幸せだと思ってたこと。フミちゃんが可愛かったこと。図書館に通う日々は、ゆうにいと離れて、大人になれた気持ちになって、ちょっと自慢だったこと。世界旅行を夢見て本を眺めたこと。秘密のノートを書くときの恥ずかしさ。ガリベンさんとはケンカもしたけど、違うことって悪いことじゃないって分かって良かったこと。沢山描いた絵のこと。ぼくは、そういう体験を感じるためにうまれてきたんじゃないだろうか。

 生きるって、悩むから楽しさを噛みしめる、裏切られて悔しいことがあるから、愛情に癒やされる、そういうことの連続なんじゃないだろうか。ジャーガさんは、一万年も生きたから、このことを忘れてしまったんだ。だから、ぼくに夢を託したんだ。

 なんて身勝手なんだろう……。たった二年半という余命を知りながら、ぼくをうむなんて。でも、あのひとは感じていない。人間がこんなに優しくて、懸命でいてくれるのを。一緒に悩んで、一緒に泣いたり笑ったりした。

 今ぼくがこの目で見ている景色、太陽の光は、ぼくが一身に受けているんだ。生きるってそう、そうだ、そういうことなんだ。今年死ぬから分かった。余命を宣告されてるから、理解できた。

 この二年間のなんて濃密だったか。なんて一瞬一瞬、思いを傾けて、貴重な日々だったのか。

 目に映してきたものの、なんて綺麗なものだったか! 

 それは、ジャーガさんでは不可能な、ぼくにしか体験できないことだったんだ。

「ゆうにい、ありがと……」

 ようやく口に出せた言葉だった。


 信じられるのは、ぼくの五感と気持ちだけだ。

 ゆうにいが何を考えてるのか、本当のところはわからない。ガリベンさんがどうして泣いたのかも、ひでにいが何を不安に思っているのかも、別の個体のぼくにはわからない。クラだからじゃない、わからなくて当然なんだ。だから、自分のこと以外に何をはっきりと信じられるだろう。今から何をするのか、決めるのは自分なんだ。

 たった一分一秒の、一挙一投足を、ジャーガさんは予見できただろうか。いつも見せてくれた未来はボンヤリしたものだ。ほんの一瞬、今この時を生きていて、別のことを感じて、考えているのなら、ジャーガさんはもはやぼくと関係ない、別人じゃないか。

 確かなことは、ただ一つ、この先何があったって、ぼくは、しあわせだなって思う時があったこと、楽しいことが一杯あったってこと。

 エウレシウスっていう運命の神様がいるって、ジャーガさんは言っていた。そんなの、ぼく自身の人生とは何一つ関係ない。ジャーガさんに会わなければ、夢を見なければ、未来を予見されなければ、存在すら知らなかったものだ。会ってしまったもの、知ってしまったものは仕方ないけど、それを知らなければ自由だ。みんな、みんな、自由だ。

 運命っていうのは、後からそうだったと思う程度のものだって。全て偶然の積み重ねで、結果をそう呼んでるだけだって。可能性はいろんな方向に伸びてるってテレビでいってた。道は自分で選ぶことができるんだ。

 グランドキャニオンの太陽のもとで、真実があまりにも単純明快だったので、涙が湧いた。ぼくはゆうにいの手をとった。持ち上げられないけど、二人でくるくる回るだけで幸せだった。この二年半がジャーガさんから見て束の間だとしても、ぼくが人間じゃなくても、満足だった。

「わわっ危ない!」

 崖にまできて、ゆうにいが引っ張り寄せた。

「カラクル、翅の鱗粉が少なくなった?」

 そういえば、なんだか翅がいつもより上手く動かせないや。パタパタしてみた。鱗粉がほとんど落ちなかった。夜になっても、ぼくの翅は光らなくなった。夏になると暑くて蒸れちゃう背中も、まったく熱を感じなくなった。

 そして、日に日に動かせなくなって、ついに飛べなくなった。どうしてだろう? このままだと、ビルから落ちて死んでしまう。飛べなきゃ。


 そのまま九月十一日になって、事件が起こった。未来の予測どおり、ゆうにいが吹き飛ばされて、ぼくはそれを追った。他にとれる行動なんてあるだろうか? どんどん落ちてゆく。必死で燃え盛るビルから離れようとぼくはゆうにいを引っ張る。破片で切られて、片方の翅がちぎれた。川にドボンと沈んだ。そのとき、ジャーガさんの声が聞こえた。

「生きる目的を持ったとき、クラは死ぬ」

 どうして? あんまりだ。ネコちゃんは平気なのに。

「エウレシウスがお決めになった」

 うそだ、生き物が操られてたまるもんか。

「クラが無垢さ、純粋さを失ったとき、翅の光を失う。人間に近づけば、光でできている我々は死ぬ。今翅を失い、人間になれて嬉しいか、カラクル」

 嬉しくない。ぼくは何者でも良かった。ずっと、生きていたかった。せめて、ぼくは無理でも、ゆうにいに死んでほしくない。

「お前の口から、その言葉が聞けて良かった。私のしたことは無駄ではなかった。

 エウレシウスよ、我々を守らない運命の神よ。我々は、お前に勝利した」

 あわれなジャーガさん、虚しいひと……。

 ぼくは、ゆうにいを助けられないことが悲しくて、身体が弾けそうだった。

 意識を失う寸前、ゆうにいの腕の中で、自分が光になるのを感じた。

 この世界がなにかに操られていても、ぼくらは確実にぼくらの意思で生きている。そうだと信じるしかない。でないと、虚しいじゃないか。

 ああ、死にたくない。もっと、ゆうにいと一緒にいたかった……。

「カラクル、もう一人の"私"。さようなら、さようなら」



 ぼくは、最期に夢を見た。未来の夢だ。

 ゆうにいと、ジャーガさんの意識がどんどん失われてゆく。死んでゆく……。でも、ぼくの光で、ふたりの意識はかろうじて保たれた。原子にのって、地球を離れて宇宙の果てへ向かって飛んでいった。何億年もかけて、果てまでたどりついた。

 地球のクラが、絶滅したあとも見た。人間はおかしな形に進化して、機械を使って悩みもなんにもなくなった。知能を失い(これって退化?)、延々とおんなじ生活を続けるようになった。

 そのうち、汚れきった地球を浄化する生き物があらわれて、人間を従えた。簡単だった。でも、人間が排出した成分を使い切ると滅んだ。次にはイカとクラゲが地上をはいまわった。アリが火を使い、かつての人間と同じようなことをする……。

 ぼくがフニャフニャのボールみたいな地球をさわると、ゆびさきで生物や町や自然を壊してしまう気がしてとてもさわれなかった。やがて、膨張した太陽に飲み込まれて地球自体が滅ぶ。

 ゆうにいは? ジャーガさんは無事? ぼくは意識を夢におとしこんだ。

 光に溶けて、溶けて、素粒子より小さくなる。この宇宙、はるか先……なんびゃく億光年も向こうで小さな小さな穴を見つけた。それは別の小さな宇宙に繋がっていて、穴の向こうには粒があった。エウレシウスだ、と不意になぜか"ぼく"は思った。ここで次の宇宙が作られるのを、時が満ちるのを待っている。

 さらに外は? 狭すぎる。早く出たい。ぼくはさらに意識を、無に限りなく近くした。

 宇宙……宇宙…………宇宙?

 あらゆるものは、平面だった。多次元から見る世界を、ぼんやり知った。何層にも重なるペラペラの板。そこに、球体だと思ってた宇宙があった。いくつも重なり、分岐し、ねじれ、それでもやっぱり紙みたいなの。

 宇宙を作ったものは、なに?

 ペラペラの宇宙たちは、ちぎれてるのもあったけど大体どこかへ吸収されていた。多次元に存在するなにか。胎児らしきものが見ている夢だった。

 このこが気付くと、宇宙は滅びるの? 消えて、なくなるの?

 ぼくがそのこに、ふれようとしたとき、そのこの目らしきものが開いた。

 あっ。

 ぽんっと全ての宇宙が消えた。

 "ぼく"……は無だから、そのこと同化することした。


 なんだか、夢を見ていた気が……。

 ぼんやりしている。忘れてしまったな。

 そろそろ起きよう。

 おや、誰だい?

 ごくごく小さなもの……確か夢で見た。

 "光"だったかな?

 なにか見せたがっている。

 きかせておくれ。きみの来た場所の話を。

 そうか、ナルホド。

 "私"もまた、錯覚なのだろうか。

 "私"とは不思議な価値観だ。

 "私"……なぜか、追悼を与えたい思いに駆られる。

 君たちの言葉で"歌"を。

 光さん、さあ、一緒に"歌"おう。



ここまでご覧くださり、誠にありがとうございました。

本作は、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの『輝くもの天より墜ち』への深い敬愛から始まりました。あの宙を舞う美しい異星人のイメージを、私なりの視点で再構築したいという願いが、クラ(エルフ)という存在の種となりました。また、佐々木淳子先生の抒情性、伊藤計劃先生の思索的な世界観からも多大な影響を受けています。

古代から現代までを駆け巡るこの物語を編むことは、私自身にとっても「生きるとは何か」を問い直す、ロマンに満ちた探求の旅でした。

翅を震わせ、刹那を生きるかれらの歌が、読み終えたあなたの中に、かすかな光として残り続けることを願って止みません。

ホームページでは、本作をさらに掘り下げたセルフコミカライズも公開しております。よろしければ、併せてお楽しみください。


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