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転生したフルート吹きの少年が現代音楽で異世界に癒しをお届けします!  作者: ト音ソプラ


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12話 音楽講座と雨宿り

 密猟者騒動から数日が過ぎ、ルミナス川のほとりには、以前にも増して穏やかな空気が流れていた。


 表向きは変わらぬのどかな風景だが、茂みの奥や木の上には、非番の第三部隊の騎士たちが目を光らせている。


 彼らは「特別指定保護区の警備」という名目でここに入り浸り、動物たちと戯れたり、奏の音楽を聴きながら昼寝をしたりするのが日課となっていた。


 最強の警備員たちのおかげで、音瀬奏と動物たちは安心して過ごすことができている。


 そんな平和な午後の光の中、柳の木の下で小さな青空教室が開かれていた。


「なるほど……。音の重なりが『和音』となり、また相手の音を聴くことで『調和』が生まれる、ということか」


 真剣な表情で頷いているのは、騎士団長のライラ・フォン・ベルンシュタインだ。


 今日は非番らしく、いつもの銀色の鎧ではなく、動きやすいシャツとズボンというラフな格好をしている。とはいえ、その長身と鍛え抜かれたプロポーションは、シンプルな服の上からでも隠しきれない存在感を放っていた。


「そうだよ。自分だけが目立てばいいってもんじゃないんだ。相手の音に耳を傾けて、寄り添ったり、支えたりする。それがアンサンブル……合奏の楽しさだよ。人間関係と似てるかもしれないね」


 奏は譜面台に置いた紙に、簡単な音符を描きながら説明した。


 ライラが「音楽についてもっと知りたい」と言い出したのがきっかけだった。奏の奏でる音がなぜこれほど心に響くのか、その理屈を理解したいというのだ。


「人間関係、か。……私には少々難解だな」


 ライラは眉間に皺を寄せ、腕を組んだ。


 その動作で、シャツの胸元が窮屈そうに張り詰める。


「私は剣のことしか知らぬ無粋な女だ。ベルンシュタイン家は代々、剣で国に仕えてきた。誰かに合わせて手加減するなど、性分に合わない気がする」


「手加減とは違うよ。相手を尊重するんだ。ライラは協調性があるし、部下想いじゃないか。それも立派なハーモニーだよ」


「……お前はいつも、そうやって私を買いかぶる」


 ライラは顔を背けたが、その耳はほんのりと赤くなっていた。


 彼女は奏の横顔を盗み見た。


 譜面にペンを走らせる真剣な眼差し。長い睫毛。


 理屈などどうでもよかった。ただ、こうして彼の隣で同じものを見て、同じ時間を共有していることが、彼女にとっては心地よい和音そのものだった。


 しかし、その穏やかな時間は唐突に終わりを告げた。


 頬に、冷たいものが落ちてきた。


「ん? 雨か?」


 ライラが空を見上げると、先ほどまで晴れ渡っていた空が、急速に分厚いねずみ色の雲に覆われていくのが見えた。


 この季節の王都特有の、突発的な驟雨だ。


 遠くで雷鳴が轟いたかと思うと、次の瞬間にはバケツをひっくり返したような豪雨が降り注いできた。


「わあ! 降ってきた!」


「カナデ、木の下では防ぎきれん! あそこへ走るぞ!」


 ライラが指差したのは、少し離れた岩場にある窪み、小さな洞窟のような場所だった。


 普段は動物たちが雨宿りに使っているスペースだ。


 二人は楽器と荷物を抱え、泥濘む地面を走った。


 視界が白く染まるほどの激しい雨が、容赦なく二人の体を打ちつける。


「こっちだ、早く!」


 ライラが奏の手を引き、岩陰へと滑り込んだ。


 中は薄暗く、湿った土の匂いがした。


 大人が二人入ればいっぱいになるほどの狭さだ。


 外では滝のような雨が地面を叩きつけ、世界を白一色に染め上げている。


「ふう……危なかった。いきなり降ってくるなんて」


 奏は濡れた髪をかき上げ、息をついた。


 幸い、楽器ケースは防水布で包んでいたため無事だったが、服はずぶ濡れだ。


 奏はふと、洞窟の外、激しい雨のカーテンの向こうを心配そうに見つめた。


「待って、ライラ。……茂みにいた騎士の人たちは? 彼らも濡れちゃうんじゃ……」


 自分のことよりも先に、警備をしてくれていた彼らの身を案じる奏。


 ライラはその横顔を見て、安心させるように力強く頷いた。


「心配いらない。ここへ走ってくる最中に確認したが、彼らも手近な木陰や、近くの詰め所へ退避していた」


「本当? ちゃんと逃げられたかな」


「ああ。私の部下だぞ? 撤退の判断と逃げ足の速さは、私がみっちりと鍛え上げたからな」


 ライラが少し悪戯っぽく胸を張ると、奏はほっとしたように表情を緩めた。


「そっか、よかった……。みんな無事ならいいんだ」


 奏のその屈託のない優しさに、ライラの胸が温かくなる。


 だが、その直後だった。


 安心したのも束の間、彼女は自分の置かれた状況に気づいてしまった。


 ライラは全身びしょ濡れだった。


 雨に濡れた白いシャツは肌に張り付き、半透明になって肌の色を透かしている。


 普段は鎧や厚手の服で隠している豊満なバストのラインや、引き締まったウエストの曲線が、露骨なまでに浮き彫りになっていた。


 水滴が鎖骨から胸の谷間へと伝い落ちていく。


 その姿は、本人が意図せずとも、あまりに扇情的で艶かしかった。


「……見ないでくれ」


 ライラは自分の体を抱くようにして背を向け、小さく身を縮めた。


「こんな……はしたない姿を」


「え? あ、ご、ごめん!」


 奏もようやく状況に気づき、慌てて視線を逸らした。


 だが、狭い空間の中では、どこを見ても彼女の存在を感じてしまう。


 雨音にかき消されそうになりながらも、互いの心臓の音が聞こえてきそうな距離だ。


 気まずい沈黙が流れる。


 外の雨音だけが、やけに大きく響いていた。


 寒さのせいか、それとも緊張のせいか、ライラの肩が小刻みに震えているのが見えた。


 奏は迷わず自分の上着を脱ぎ、彼女の肩にかけた。


「着てて。風邪ひくよ」


「……お前が寒いだろう」


「僕は平気だよ。男だし」


 奏は優しく笑って、彼女の背中をポンと叩いた。


 その温かさに、ライラは強張っていた体の力が抜けるのを感じた。


 奏の上着からは、雨の匂いに混じって、彼特有のひだまりのような香りがした。


「……ありがとう」


 ライラは上着の前を合わせ、膝を抱えて座り込んだ。


 奏もその隣に腰を下ろす。


 肩と肩が触れ合う距離。


 体温が伝わってくる。


「……なあ、カナデ」


 雨音に紛れるように、ライラがぽつりと口を開いた。


「先ほどの話の続きだが」


「うん?」


「アンサンブル、だったか。……私のような、剣を持って戦うことしか能のない女でも、誰かと音を合わせることができると思うか?」


 彼女の声には、どこか弱気な色が滲んでいた。


 長身で、力が強くて、男勝りな自分。


 周囲からは「鉄の女」と恐れられ、頼られはするが、愛される対象ではないと思い込んでいる。


「私は、メロディにはなれない気がするのだ。せいぜい、リズムを刻む太鼓のようなものではないか」


 自嘲気味に笑う彼女を、奏は真っ直ぐに見つめた。


「そんなことないよ」


 奏の言葉は、雨音を切り裂くように明確だった。


「ライラは、とても綺麗で、優しいメロディを持ってるよ」


「……お世辞はいい」


「お世辞じゃない。僕には聞こえるんだ。ライラが動物たちに向ける眼差しや、部下を守ろうとする強さ。それに、今こうして恥じらっている姿も……全部、ライラという人間の魅力的な音楽だ」


 奏は少し照れくさそうに、でも真剣に続けた。


「僕のフルートだけじゃ、頼りなくて吹き飛ばされそうな時がある。でも、ライラというしっかりした音が隣にあれば、僕はもっと自由に、遠くまで音を響かせることができる気がするんだ」


 それは、音楽の話をしているようで、もっと深い部分での告白のようにも聞こえた。

 

 ライラは顔を上げた


 薄暗い岩陰の中で、奏の黒い瞳が優しく光っている。


 その瞳に映っているのは、騎士団長としての自分ではなく、一人の女性としての自分だった。


「……ずるいな、お前は」


 ライラは瞳を潤ませ、唇を噛んだ。


「そうやって、無自覚に人の心の防壁を突破してくる。……最強の騎士団長も、お前の前では形無しだ」


「え? ご、ごめん。変なこと言ったかな」


「……いいや。最高の褒め言葉だ」


 ライラは小さく笑い、そっと奏の肩に頭を預けた。


 濡れた髪が奏の頬に触れる。


 心臓が破裂しそうだったが、今だけは、この雨の音のせいにして、甘えてもいい気がした。


 外の世界から切り離された、二人だけの狭い空間。


 雨は激しく降り続いているが、ここには確かな温もりと、言葉にしなくても通じ合う静かな和音が響いていた。


   §


 一方その頃。王宮に近い一等地にあるシュタインハイム公爵邸の音楽室では、一曲の演奏が終わったところだった。


 グランドピアノの前に座っているのは、公爵令嬢のミア。


 そしてその隣で、金色のフルートを構え、これ見よがしにポーズを決めているのはベン・フォン・ホフマンだ。


 今日は「一人で弾くのはつまらないから、誰かと合わせたい」というミアの要望を受け、父であるルドルフ公爵が、宮廷楽団の首席奏者であるベンを招いたのだ。


 ミアは貴族のたしなみとしてピアノを習得しているが、その腕前は年相応の、ごく普通のものだ。だからこそ、相手に合わせて弾くことを楽しみにしていたのだが。


「素晴らしい! ブラボー! いやあ、実に気持ちの良い演奏でした!」


 ベンは自身の額の汗を拭いながら、満足げに声を張り上げた。


「さすがはミア様。私の超絶技巧のテンポに、なんとか付いてこれましたな! 私の華麗なソロを引き立てる、実に奥ゆかしい伴奏でしたぞ!」


 ベンは上機嫌だった。


 彼の中では、今日の主役は完全に自分であり、ミアは自分の引き立て役に過ぎなかったのだ。


 彼はミアが主旋律を弾くべきパートでも大音量で割り込み、ミアが追いつけないほどの速度で勝手に先へ進み、最後はミアがまだ弾いている最中にジャーンと終わらせてしまったのだ。


 それはアンサンブルではなく、ただの暴走だった。


 ソファで聴いていたルドルフ公爵は、穏やかな笑みを浮かべつつ、内心では呆れ返っていた。

 

「……技術は素晴らしい。あれほど速く指が回る奏者はそうはおるまい」


「はっ! 恐縮です! いやあ、才能というものが怖ろしい!」


 ベンは嫌味を賛辞と受け取り、さらに胸を張った。


 しかし、ピアノの前に座るミアの表情は曇っていた。


 彼女は鍵盤から手を下ろし、不満げにベンを見上げた。


「……ねえ、ベンさん」


「なんでしょう、ミア様! アンコールのリクエストですかな?」


「私のピアノ、聞こえてた?」


「もちろんですとも! 背景でポロロンと、小川のせせらぎのように聞こえていましたぞ!」


 ミアは小さくため息をついた。


 ベンは悪気なく、ミアの音を「背景」と言い放ったのだ。


「……そう。ありがとう、もう十分だわ」


「おや、もう終わりですか? では、このベン・フォン・ホフマン、失礼いたします! またいつでもお呼びください!」


 ベンは最後まで自分の演奏に酔いしれたまま、意気揚々と退室していった。


 扉が閉まり、静寂が戻った音楽室で、ミアは鍵盤を乱暴に叩いた。


 ジャーン、と不協和音が響く。


「……最っ低」


「ミア、言葉が悪いぞ」


 ルドルフ公爵が苦笑しながらたしなめた。


「だって、お父様も聞いたでしょ? あのおじさま、全然私と合わせようとしないんだもん」


 ミアは頬を膨らませて足をぶらぶらさせた。


「私のソロのところなのに大きな音で入ってくるし、速すぎて全然指が追いつかなかったし……。合奏って、もっと仲良くやるものじゃないの? これじゃ一人で弾いてるのと変わらないわ」


 それは天才的な感性など必要ない、ごく当たり前の不満だった。


 自分の出番を奪われ、無視され、置いてけぼりにされた。子供でなくても面白くないに決まっている。


「期待外れだったわ。もっとこう、一緒に楽しくお話しするみたいに、演奏できると思ってたのに」


 ミアは窓の外を見た。


 激しい雨が窓ガラスを叩いている。


「つまんないの。……ねえ、お父様。この世界にはいないのかしら。私と本当の意味で『一緒に』遊んでくれる、素敵な音楽家は」


「そうだな。いつか出会えるといいな」


 ルドルフは娘の頭を優しく撫でた。


 公爵家の温室育ちの娘が、まさかその「最高の遊び相手」を求めて、自ら外の世界へ飛び出していくことになるとは、この時の彼はまだ想像もしていなかった。


   §


 やがて、雨が上がった。


 嘘のように晴れ渡った空には、大きな虹がかかっていた。


 岩陰から出てきた奏とライラは、眩しい光に目を細めた。


 服はまだ湿っているが、寒さはもう感じなかった。


「……止んだな」


「うん。綺麗な虹だ」


 二人は並んで空を見上げた。


 その距離は、雨宿りをする前よりも、ほんの少しだけ近くなっていた。


 触れそうで触れない手の甲が、互いの体温を覚えている。


「風邪を引くといけない。早く戻って着替えないと」


 ライラがいつもの口調に戻ろうと努力しながら言った。


 奏は笑顔で頷き、上着を受け取ろうとしたライラを制した。


「宿まで着てていいよ。その濡れたシャツだと……その、目のやり場に困るから」


 奏が照れくさそうに言うと、ライラは顔を真っ赤にして、上着の前をきつく合わせた。


「ば、バカ! 忘れてくれ!」


 彼女は早足で歩き出したが、その足取りは怒っているようには見えなかった。


 奏は苦笑しながら、その後ろ姿を追いかけた。


 雨上がりのルミナス川は、洗われたように美しく輝いていた。


 そこには、ベンとミアの間には生まれなかった、確かな「調和」が響いていた。


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