和賀比氣伊那婆(あがひけいなば)
「…明日から三日、仕事でソトに出掛ける」
布団の中で仰向けに寝ながら、治一は、早佐にそう言った。
言いながら、我ながら、此れは何の報告だろうかと思った。
「そうですか」
同じ布団に仰向けに寝ている早佐の返事は、実にアッサリしたものだった。
明日から三日間は来ないと言っている自分に対して、此の反応である。
何と無く、治一は、情けなくなりながら、掛布団を自分の方に引っ張った。裸身に、じんわりとした暖かさが伝わる。
態々早佐に不在を報告した自分に、何だか腹が立った。
いけないと思いながらも、つい足が向いて、会って話せば、こういう事になってしまう。
此の、早佐から仄かに香る白梅の香りがいけないのだろうか。
一人になると、自己嫌悪で心が倦みそうになってしまうというのに、治一にはもう、自分という人間が、よく分からなかった。
自分が、早佐に、何か特別な気持ちを抱いている事は、治一も自覚していた。
でも、其れが如何いう気持ちか、というのは、複雑過ぎて、上手く表現出来なかった。
早佐は疾っくに、理佐の代わりではなくなっている。
では、自分は、早佐の事が好きなのだろうか。
其れにしては、時に、早佐はあまりにも小憎らしく、早佐に対しては、笑顔を見せられないでいる自分が居た。
誰に対しても、感じた事が無い、根深い感情だった。
窓の方から、ザァッと、強風が、竹の枝を揺らす音が聞こえた。
肌寒いのか、早佐が、心持ち、掛布団を自身の方に引いた。
「竹の花って、御覧になった事がありまして?」
「いや。無いけど、そんな物が有るのか?」
「ええ。竹って、普段は、筍で増えるでしょう?あれはですね、分身と申しますか、クローンの様なものだそうです。地下茎から筍が伸びてきて、其れが成長して竹になって、ああして増えるのですね」
「クローンって」
早佐から聞くには意外な単語だと、治一は思った。
「いえ、私、兄から、学校にも行く事を禁止されておりましたから。本を読んだりするのばかりが趣味になってしまいまして。そんな事ばかり、よく知っているのです」
早佐は、そう言って、自嘲気味に笑った。
初めて見る表情だ、と、治一は思った。
「其れが、六十年だか、百二十年だかに一回、竹に花が咲くのだそうです。本来、竹は、イネ科の植物だそうで、花粉で有性生殖を行う為に、花を咲かせるのだとか」
「へぇ。そんなに珍しい花なのか」
「其れでですね、竹は、花が咲くと、枯れてしまうのだそうですよ。」
早佐は、寂しそうに笑った。
「一生のうち一度くらい、竹の花を見られるかしら、と思っていた事も有ったのですけれど。子孫を増やす為に花を咲かせると、枯れてしまうなんてねぇ。何だか、其れを見るのも、切ない気分になりそうですね」
治一は、溜息が混じる様な、早佐の其の言い方に、どきりとした。
「一つの場所に留まって、自分の分身だけを増やしていれば、竹は、驚く程長生きなのに、何故、花を咲かせようなんて思うのでしょうか」
此の、自分より三つも年が若い、十六歳の人間が醸し出す諦観は、一体何だろうかと、治一は思った。
治一は、早佐の方に寝返った。
目が合った。
澄んだ、淡く光る瞳だった。
早佐は、治一に寄り添って、治一の頬に、そっと自分の唇を押し当てた。
早佐の方から、そんな事をしてくるのは初めてだった。
治一は、早佐を、そっと抱き締めた。
早佐は、治一の胸に顔を埋めた。
治一は、今更、たった其れだけの事を、泣き出しそうなくらいに嬉く思っている自分が、悔しかった。
早佐との関係を、治一には、何と言い表せそうも無かったが、自分の方から、早佐と距離を置く事は、もう出来ない事を悟った。
―如何するんだ、こんな事になって。
此の娘は、直に嫁に行くというのに。
胸が締め付けられそうだった。
「明日は、兄が戻ります。また、一日したら、一週間はソトに行く様ですけれど」
去り際、早佐は、また、身支度をしながら、治一の方を見もせずに、キッパリと、そう言った。
「ふぅん」
治一も、自分の返事が素っ気なくなるのが分かった。
でも、今日は別に、彼女を小憎らしいとは思わなかった。