ゴールは有限体らしい・・・
山の町の数学屋
1
ふらりと立ち寄った町で、変わった看板を掲げる建物を見つけた。
「数学屋」
建物自体はまだ新しい平屋で、そのままなら一般の家屋だろうと通り過ぎるところだが、イーゼルに載った黒板に書かれたその文字で、どうも何かの店らしい、と足を止めた。さて、数学屋とはいったい如何なる店か。
これまでのところ、私の人生に数学なるものが関わったのは中学の三年間だけだ。高校も大学も行くには行ったが、そこでは数学は学ばなかった・・・いや、放棄した、というのが正しいか。それでも一応まじめに働いて家族を養っている身だ、世の中には数学を愛好する人、仕事で必要とする人、さらには研究までする人がいるらしいことは聞いたことがある。
電気の技術を持ち、それが仕事の人が、自らを「電気屋」と呼んだりするのはよくあることだから、思うに、数学を使う仕事の人が自分のことを「数学屋」と呼ぶこともあるのだろう。
しかしだ、看板を掲げるのはどうにも奇妙に思えた。「お気軽にお立ち寄り下さい」ともある。まるで普通に何かを売っている店のようではないか。
考えてもわかるまい。お気軽に、というならお望みの通り、お気軽に立ち寄ろうではないか。
「こんにちは」
扉を開けて一言声をかけた。奥の壁に黒板があり、机と椅子が整然と並んでいる。ああ、学習塾なのかな、それも数学専門の。尋ねるまでもなく、ごく普通の答えにたどり着いて若干拍子抜けした。
黒板の横の事務机に男が一人。立ち上がりながらにこやかに挨拶を返してきた。
「こんにちは」
小柄な男である。四十を超えてはいないだろう。
「表の看板を見たのですが、なんだろうと思いまして・・・
こちらは学習塾、なんでしょうか。」
聞いたのは私である。地の文はぶっきらぼうに思われるかもしれないが、人と話すときはそれなりに丁寧に喋るようにしている。
「まあ、そうですね。生計は学習塾で立てている形です。」
「生計は、とおっしゃるからには、あまり儲からない仕事もなさっているわけですか。」
私は人の話を聞くのが好きなので、また、それが私の仕事の原動力にもなっているということもあり、できるだけ相手が話をしたがりそうな方向へ質問をする。
「そうなんです、看板にある通りで。」
「数学を売っている、のでしょうか。技術か何かを提供するような。」
「いえ、そういうわけではないのです。数学のちょっとした小話をするんですよ。」
小話。数学の。どんな話だろう、くらいには思うが、お金を払ってまで聞く人がいるのだろうか。
「看板が気になっていらしたのでしたら、多少は興味がおありですか。」
「ええと、残念ながら、まるで数学の素養がないものですから。まあ、どんな話かな、というくらいには思いますが、きっとお聞きしてもわからないだろうと思います。」
「どんな話か、と思うなら十分ですよ。数学の素養なんて必要のないお話をさせてもらいます。別にお金をいただくわけではないのです。私が話すのが好きなので・・・それに、数学に興味がある人が増えたら嬉しいんですよ。お時間があるなら是非いかがですか。」
無料なら特に文句はない。時間か。宿は決まっているし、夕食にはまだ大分早い。
「では、折角ですし、少し伺っていきましょう。」
「ありがとうございます。ええと、なんとお呼びすればよろしいでしょう。私は三月と書いて『みつき』と申します。」
「三月さん、ですか。私は漢数字の一と理由の由で一由です。ペンネームでして、これで呼ばれるのに慣れています。」
「ありがとうございます。一由さん。ではこれから数学の小話をさせていただきます。」
そう言うと三月は黒板の前へ移動し、そちらへお掛けください、と最前列の席を指し示した。
~~
数学の話ですから、まず数から始めるのがいいですよね。数にもいろいろとあるわけで、分類してみようかと思いますが、どんなことを想像しますか。
― 正直、特に何も・・・ 分類、というからには数にいろんな種類があるってことですか。
ああ、そうだ、奇数、偶数。そういう感じのことですか ―
それも一つの分類ですね。わからなくて結構ですが、2による剰余類です。
― 本当にわかりませんね ―
気にしないでください。今からお話したいのは、奇数、偶数のような整数の分類とは別の方向なのです。そうですね、何かを数えるとき1、2、3、と数えてゆくと思いますが、こういった数をまとめて何というか、ご存知ですか。
― あの、今整数の分類、とおっしゃいましたが・・・ 整数ではないのですか? ―
ああ、先走りましたが、整数というのはもう少し広くて、0、-1、-2、-3、なども含むのです。
マイナスのついた数を「負の数」と呼ぶのはご存知でしょう。マイナスのつかない数は「正の数」です。今お尋ねしたことは、「正の整数」のことを何と呼ぶか、ということでもあります。
― ふむ・・・ うん、何か聞いたことはありそうですが、出てきませんね ―
では、お答えしましょう。
「正の整数 を 自然数 と呼ぶ」
これは「自然数」の定義です。よろしかったらこのフレーズをそのまま覚えてください。
― 正の整数を自然数と呼ぶ、と。1、2、3、ですものね。確かに自然かな。それとも自然に生まれた数、というようなニュアンスでしょうか ―
どちらの意味で捉えても構いませんよ。ただ、あまりそのイメージに拘るのはよくありません。例えば、人によっては、0も十分に自然な気がするな、とか、0ぐらい自然に生まれてくるんじゃないか、なぜ0を自然数に入れない?なんて思うこともあるでしょうから。
― うーん、0ですか。自然といえばそうかな、という気もするし、0は自然数に入れないよ、というなら別にそれで結構です、という程度ですね ―
まあ、そんなものかもしれませんね。でも、実は自然数というのは、何か初めの数があって、そこから順番に数えていければなんだっていいのです。
だから始まりの数が1でも2でも、0だろうが、あるいは-1でも-2でも、-100だって、どこから始まっても構わないのです。
逆に100までしか入らない、というのは困るのですが。100で終わってしまいますから。
結局のところ、1から始めるのはただの好みですね。
― へえ、別に何から始めてもいいんですか ―
ええ、実際、0を自然数に入れる流派もあるようですよ。
― 流派!数学に流派なんてあるんですか?世界中で共通のようなイメージですが ―
本質的な違いはないですよ。ただ、都合によって定義の仕方や使う記号が違う、という程度です。やれることは同じです。
素数・約数
さて、せっかくなので、自然数についてもう少し踏み込みましょう。先ほど、何か始めの数があって、そこから順番に数えていければいい、と言いました。
このことをもう少し正確にお伝えしようと思います。
これから考えて生きたいことは「自然数が全体としてどのような性質を持っているのか」ということです。実際のところ、何か一つの自然数を持ってきて、例えば100としましょう、100について深く考えても、自然数ってなんだろうな、という問題にはなかなか答えられません。
― 100について深く考える、というのがそもそも想像できないですが ―
そうですね、例えば100には・・・約数が9個あるな、とか。
― 約数というと ―
100の場合なら、100を割り切れる数のことです。割り算をしないと確かめられませんが・・・
― まあ、100を何かで割る、くらいの計算は一応出来ますよ ―
不安があったら計算機を使って下さい。
さて、100は1では割り切れます。だから1は100の約数。そして割ったときの答えも約数です。1×100=100という式を考えるとわかります。
― では2と50、もそうか。学校でやったような気もしますね。3では割り切れなくて、4は・・・25か。5と20、あとは10ですね。確かに9個のようですが、三月さんは随分簡単にすらっと9個と言いましたね。やはり計算が速い? ―
いえ、約数の個数を計算する方法があります。素因数分解の結果から、すぐに約数の個数がわかるのです。特に100の場合は素因数分解が簡単ですから。
― 素因数分解・・・ これはおそらく、素数、が絡みますね。聞いたことはありますが、相変わらず覚えていません ―
素数は「1と自分以外で割り切れない自然数」です。1と自分で割り切れるのは当たり前なので、「自明でない約数を持たない自然数」という言い方でもいいですね。2、3、は素数で、4は2で割り切れるから素数ではない。
― 自明? ―
数学の業界用語です。わざわざ計算しなくても初めからわかっている、と言うような意味で使います。
― じゃあ、自明でない約数というのは、計算しないとわからない約数、ということですね ―
ええ、その通りです。素因数分解というのは「自然数を素数の積で表すこと」です。「積」は「掛け算」と言い換えても構いません。
― 積・・・そういう用語、足し算とかでもありましたよね ―
これから使うかもしれませんから、一応確認しましょうか。
足し算は加法とか、和とも言います。和というと計算した結果を言うことも多いですね。3と5の和は8である。みたいに。
― そんな足し算程度ならまだ余裕です ―
ただし、3+5という式そのものも3と5の和、といいます。以下、同様と思ってください。続いて引き算は減法、差。掛け算は乗法、積。割り算は除法、商です。
― 一気にきましたね。うーん、差、は漢字の意味からわかりますけど、和、積、商はよくわからないですね ―
確かに、漢字には足す、掛ける、割るという要素が見当たりませんね。語源は正直よくわかりません。使っているうちに馴染みますよ。あと、4つの計算をまとめて加減乗除とか四則演算なんていう言い方もします。
さて、素因数分解ですが。
素数はそのままで素因数分解されている、という扱いです。素数でないときは4=2×2のような感じですね。
― 5は素数か。6=2×3ですね。7は・・・素数。8=2×4 ―
4は素数ではないので、さらに分解してください。8=2×2×2です。指数を使えば便利ですね。同じ数を何個か掛けるとき、掛ける個数を右上に小さく書くのです。2×2×2なら23のように書いて、二の三乗と読みます。右上の数が「指数」で、指数が乗っている数は「底」といいます。
― ああ、これはわかります。32なら3×3=9ですね ―
今の8のように、一度積に分解しても出てきた数が素数ではない、という可能性はあります。しかし素数でないならもう一度分解できるわけで、繰り返せばいつかは素数だけの積に出来るでしょう。
― 12=2×6=2×2×3 のような感じですか。でもそもそも何が素数か知らないと、いつ終わっていいか分からないですよ ―
ええ、残念ながらその通りですね。素数にはお手軽で確実な判定法はありません。素数かどうか知らない数が出てきたら、最終的にはひたすら割り算をしていくしかない。
― 面倒ですね ―
まあ、素数表がありますから。それと、コンピューターを使えば遊びで数学をやる範囲では困難はありませんよ。
さて、100を素因数分解すると 100=22×52 となります。
― えーと・・・4×25だから確かに100ですが、なんの話だったか・・・
約数の個数か。これからどうやってわかるんですか? ―
まずやり方だけいうと、出てくる指数のそれぞれに1を足して、掛けるのです。100の場合は2の指数が2、5の指数も2です。それぞれに1を足して3と3、掛けて9。
― たしかに9個でしたね ―
なぜかというと、素因数分解したときの素数を適当に組み合わせて掛けることで約数を作れるからです。
100=2×2×5×5 ですから、例えば2と5で10、2と2と5で20、のように。
― ああ、確かに両方約数です ―
100=(2×2×5)×5 のようにカッコを使うとより明確でしょうか。この式から100を2×2×5=20で割れば商が5になるとわかります。
あとは素数の組み合わせ方が何通りあるか数えます。2は2個まで、5も2個まで使えます。使わなくてもいいのですが、そのときは0個使うという言い方をします。
― 0個使う・・・?0になりますか? ―
いえ、1になります。20=1と決められています。
― 0乗が1ですか?ちょっとよくわからないですね ―
お手軽な説明をしておきます。
23=8、22=4、21=2 という列を観察すると、指数が1減ると結果は半分になっていますよね。なので、21の次の20は2の半分で1にしておくのがいいのです。
― その例の場合はいいかもしれませんが・・・なんだかおかしな気がしますね。2を0個かけて1にはならないでしょう ―
それはその通りで、2を0個掛けるということ自体が既に意味がわからないのです。でも20に意味を持たせたい。そのために、累乗のもともとの意味、つまり3乗なら3個かける、という意味を忘れてしまって、他の側面から20に辿り着けないかを検討したのです。この他の側面というのが先ほどの指数が減る列です。
― じゃあ、2-1は1の半分で0.5ですか? ―
ああ、その通りですよ。まあ、そこから先へもいけますが、今は避けて進みましょう。約数の個数にもどります。
2の使い方は0個、1個、2個の3通りです。2を何個使うことにしても、それぞれの場合で5の使い方が0個、1個、2個の3通りであることは変わりません。だから全部で3×3=9通り、と計算できます。
― なんとなくわかりそうですが・・・ ―
実際に書き出してみるともっと良く分かるでしょう。
20×50=1、20×51= 5、20×52=25、
21×50=2、21×51=10、21×52=50、
22×50=4、22×51=20、22×52=100
2の指数は上から下へ増えて、5の指数は左から右に増えるように並べました。
― へぇ、これは文句無く3×3ではありますね ―
集合
自然数まで戻りましょう。
えーと・・・そう、とりあえず、自然数全体としての性質を考えよう、というところです。
こういう何かの全体を考えたい場合「集合」という言葉を使うと具合が良いので、ここでまた少し寄り道させて下さい。
― ええ、別に私は構いません ―
数学でいう「集合」は、日常的な感覚と決定的に違う点があります・・・まあそれは集合に限らず、どんな用語でも数学用語と日常用語には違いがあるのですが。
― さっきも業界用語を使いましたね。「自明」でしたか ―
まず、あるモノ―数でも図形でも、なんでもいいのです。まあ、数学で扱う何かだと思ってください―それが今考えている集合に入るかどうか。これが判定できなくてはいけません。
よくある例として、「大きい数の集合」というのは数学でいう集合ではありません。
100が大きいかどうか、10000なら入るかどうか?判定する基準がありませんからね。「100以下の自然数の集合」なら問題はありません。100は入るし、1000は入りません。
― ふうん、まあいいでしょう。きちんと決めないと困るだろうことは想像がつきます ―
次に、判定の基準がきちんと決まっているとき、基準をクリアする限り、すべてのモノがその集合に入ってしまうということが大切です。
例えば{1、5、7、10}はどれも10以下の自然数ですが、この集合を「10以下の自然数の集合」と呼ぶことはできません。基準をクリアする2や3などが入っていないからです。
― へぇ、それは確かに普通の感覚と少しずれてるかもしれませんね ―
ちなみに数学用語として、今のようなただの判断の基準のことを「条件」といいます。これも日常用語とは若干違う感覚かもしれません。
― 条件、なんていわれると、達成するのが難しい要求・・・というような気はしますね。『新しいゲームが欲しいよ、パパ』『うーん、買ってあげても良いが、今度のテストで90点以上をとることが条件だ』って感じでしょうか。
「100以下の自然数であることが条件です」・・・これは達成できる、できないという条件じゃないですね。5なら初めからクリアしているし、107はどう足掻いてもクリアできません ―
そうですね、「条件」には数学用語としては「超えるべきハードル」というような意味は一切なくなります。単なる判定基準。
ということで、「自然数の集合」といえば{1,2,3,4,…}とすべての自然数が入っている集合のことを意味します。普通の言葉遣いでは{1,5,7,10}だって自然数だけから出来ているのだから、自然数の集合と言ってしまってもおかしくはない、となるところでしょう。
― まあ、それはそうです。『おかしなやつの集まりだな』といえば、集まっているのはおかしなやつばかりでしょうが、世界中のおかしなやつがいるわけではないですから ―
これには数学の基本的なルールがきいています。どんなルールかというと、「条件に合うものは全て答える」というものです。
例えば、次は中学生の問題です。あまりよくわからなくても構いませんよ。
問 4の平方根を求めよ。
― 平方根・・・ルートのことですよね。計算機にもボタンがあります ―
ある数aの平方根というのは、2乗するとaになるような数のことです。つまり2乗して4になるのはなーんだ、というクイズですね。
― 2でしょう。22=4ですからね ―
いえ、それだと不十分なのです。答えは2と-2 です。2も-2も、どちらも2乗すると4になりますので、両方問の答えになっているのです。
― マイナス同士をかけるとプラスになるというやつですね。まあ、数学で気に入らないことの一つですね ―
そうかもしれません。負の数の掛け算について説明するのはこういう風にお話をしていく中では一つの目標ではありますが、もう少し先のことですね。
さて、この問に対して、『2』とだけ答えるとそれは間違いだ、となるわけです。『え~、2を2乗したら4じゃないの?』と思ってしまいそうですね。2だけでは足りないよ、と
言う意味なので、間違いと言い切られると腑に落ちないものがあるかもしれませんが。
― 私もそういう間違いで理不尽に感じたことはあったかもしれません ―
多分、私にもあったでしょう。とにかく、数学での答え方に関してはこういうルールがある、ということをぜひ覚えておいてください。
さて、話がそれていますので、一度「集合」の話に戻りますね。自然数の集合というのは、普通の意味では{1,2,3,4,…}というものです。集合は波カッコでくくるのがお約束です。
― 波カッコ?その{ }ですか?中カッコでは?( )の外に付けるでしょう ―
順番は本質的ではないので、大・中・小という言い方はしないのがおススメです。別に( )の中に入れてもいいんですよ。
― え、そうなんですか。( )、{ }、[ ] の順では? ―
順序を決めるともっと沢山のカッコを使いたいときに困りますよ。それぞれ形から丸カッコ、波カッコ、角カッコといいます。英語だとparen、brace、bracket です。
さて、自然数の集合{1,2,3,4,…}ですが、これをNと一文字で表そうと思います。つまり
N={1,2,3,4,…}
です。このNは自然数が入った袋に貼り付けたラベルだと思っていてください。自然数は英語で natural number といいますので、その頭文字をとっています。
…の部分は、5以降の数も順番に全部入っていますよ、というつもりで省略しています。
― なんだかいい加減な気がします ―
この書き方があいまいで気に入らない場合、
N={n|nは自然数}
という書き方もあります。縦棒の右に書いた条件を満たすnに対して、左の式で表されたモノがその集合に入っている、というルールです。
― ちょっとよくわからない、というか、まわりくどいような。N={自然数}で十分では? ―
・・・なるほど。確かにこの場合はそれで十分かもしれません。ただ、この書き方にも便利なところがあるのです。例えば平方数という言葉があります。先ほども2乗に関する問題を一つ考えましたが、平方数とは「2乗された数」のことで、例えば
22=4、 32=9
などです。
― 42=16、52=25 ですね。92までは九九で覚えています。あ、102=100もわかります ―
202くらいまで覚えておくと数学を勉強する上では割りと便利ですよ。
― 112・・・121、122・・・・・・144、ちょっとこれ以上やる気がおきませんね ―
まあ、気が向いたら計算してみてください。
さて、同様に立方数というのもあります。これは「3乗された数」で
23=8、33=27
などですね。
― ええと、33なら3×3×3だから・・・ そうですね、27です ―
4乗、5乗も同様ですが、4以上では特別な名前はついておらず、4乗数、5乗数、と呼びます。
さて、先ほどの集合の書き方についてです。
まず、一つ目。{平方数}とだけ書いて、平方数の集合を表そうとした、とします。このときまずいこととして「どんな数が2乗されたか」がわからない、という点があります。自然数なのか、整数なのか。あるいは別に分数でもいいのか。
これをはっきりさせるために{自然数を平方した数}と表すことはできますが、もはやわかりやすいとはいいにくいと思いませんか?
しかしこれを
S={n2|nは自然数}
と書くことができます。右の条件をみたすモノ、nとしては自然数である1や2をとることができます。これらに対して左の式、n2を計算すると、1、4となり、こうして出来る全ての数が集合Sに入っているわけです。nとして3をとるなら9、4なら16・・・という具合です。
2乗するべきモノは自然数である、とはっきりわかる。これが第一の利点です。
― 確かにこれは平方数の集合になるようですね ―
ところで、立方数の集合はどのように書けるでしょうか。
― はあ、3乗された数、でしたか。これは平方数とほとんど同じでしょう。
{n3|nは自然数}
でよいのでは? ―
そう、正解です。では、平方数、立方数、さらに4乗数、5乗数・・・と、自然数の何乗かになっている数の集合はどうすればよいでしょう。
― ええと・・・ {nn|nは自然数}でどうですか ―
その書き方だと、底のnに対して、指数のnは同じ数になります。例えばnとして1、2、3をとったとき、11、22、33、が集合に入りますが、23のように、底と指数が異なるものは入りません。
正解の例としては {nm|n、mは自然数} などがあります。
― ああ、別に文字を二つ使っても構わないんですか。なんかずるいですね ―
さて、この集合を言葉で表現しようとすると、例えば{自然数の自然数乗}という表現があるでしょう。この場合{nm|n、mは自然数}を表します。
一方で、先ほどの{nn|nは自然数}を扱おうと思ったら、底と指数が同じだ、という注釈が必要なわけです。{自然数の自然数乗、ただし底と指数は同じ数}みたいな感じになります。
― ああ、面倒ですね。つまり、二つ目の利点、というのは、言葉で言うよりもかなり簡単に表現できる、というようなことですか ―
一つ目と重なる部分もありますけれどね。一言でいうとN={n|nは自然数}のような書き方は、簡単で正確だということです。
― 集合の書き方について割と長く話していたように思いますが、かなりさっくりまとまりましたね ―
ええ、ようやく話が進みます。
自然数N
さて、自然数の集合Nについて考察しますよ。Nは例えば整数の集合と比べて何が違うのか、あるいは特徴的なのか。
― 整数の集合には記号はないのですか?また話が逸れそうですが ―
はい、整数の集合はZで表すのです。由来に心当たりはありますか?
― Z・・・ Zoo くらいしか Z で始まる単語を思いつきません。動物園。ああ、Zebraもありますね ―
実は英語ではないというオチです。ドイツ語で数を Zahl と言うそうで、それからとったということです。
― それはまたちょっとズルいですね。英語では何というのですか? ―
英語で整数はIntegerです。プログラムを書く方には結構なじみがあるかもしれません。
― 私はもちろん書かない方です。Integer ですか。整数の集合をIと書く流派はありますか? ―
それは・・・ない、と言い切っていい気がしますね。Iは・・・その、気にしなくて結構ですが、環論でイデアルを表すのによく使うのです。集合論でも添え字の集合にIを使うことがよくあります。
― ほう・・・さっぱりです ―
とりあえず、自然数はN、整数はZで、これらはおそらく世界中の数学界で共通ではないかと思いますよ。
さて、一応書いておきますと、Z={…,-3,-2,-1,0,1,2,3,…} です。NはZの一部になっていますね。こういう場合、NはZの部分集合である、といいます。記号ではN⊂Z と書きます。
― 部分集合、というのはわかりやすいですね。言葉通り。記号の方は・・・これは向きが関係ありますよね? ―
ええ、大きい集合の方に開いていないと駄目です。大小関係の不等号と同じですよ。
3 < 5 のように書きますよね。大きい方に開いています。
さて、NとZを並べてみると、とりあえず、見た目に大きな違いがあります。
N={1,2,3,…}
Z={…,-3,-2,-1,0,1,2,3,…}
― Zには負の数が入っていますね。それと … が二つ ―
そう、後者がより大切です。Zと比べると、Nには始まりがある。これは自然数の集合Nの特徴的なところです。
一方で、自然数の一部、例えば{3,4,5,6}という集合を考えると、始まりもありますが、終わりもある。自然数に終わりがあるのは若干困ります。
― 実際のところ、兆を超えるような数なんてそうそう使わないですが。もっと大きい数もありますよね。やっぱり必要ですか? ―
うーん、例えば、人間の体は細胞でできていますが、いくつくらいでしょう?
― さあ・・・たぶん、多いでしょうね。まあ思い切って、1兆くらい? ―
約60兆個、だそうです。さて、細胞はそれぞれ核を持っています。核の役目はご存知でしょうか。
― たしか、染色体があって・・・遺伝がどうこう、ですね ―
そうです、染色体はDNAとヒストンでできていて、DNAには遺伝情報が記録されている。記録には4つの、A、T、G、Cで表される塩基が使われています。
― DNAはさすがによく聞きますね。A、T、・・・というのも見たことはありそうですが ―
まあ、ヒストンとか塩基という言葉の意味は今気にしなくていいでしょう。とにかくそのA、T、G、Cが並ぶわけですが、DNA1本あたり、何個くらいならんでいるか。
― なるほど、それも随分大きな数になる、と。また1兆くらいいきます? ―
いえ、今度はそこまで大きくはありません。1億個くらいです。実際にはDNAは2本からみあっているとか、DNAごとに長さが違うとか、いろいろな事情はありますが、その辺は無視しました。そして細胞1個にはそんなDNAからできる染色体が23対、46本あるわけです。
― そうか、細胞一個に何十億もあって、その細胞が何十兆もある ―
そうですね。さらに言えば人間も何十億といますし、人間以外の生物みんな細胞から出来ているわけですから。もし世の中のA、T、G、Cを数えたらとんでもない数になります。
― 私は数えようとは思いませんね。三月さんにおまかせします ―
いや、私も今は遠慮します。話を進めないと・・・
― 協力しましょう。自然数には始まりがあって、終わりがない、のです ―
ああ、そうでした。ありがとうございます。
もう一つ、初めにも言いましたが、順番に進んでいける、ということもNの大切な特徴です。
― 1、2、3、・・・というように。でも、それって奇数だけとか偶数だけとかでもできますよ。1、3、5、・・・だとか、2、4、6、・・・とか ―
そうです、順番に進むということ自体はいくらでも例を作れます。整数だって、0、1、-1、2、-2、3、-3、・・・と進むことにすれば、始まりがあって終わりがなく、順番に進めるのです。
― 無理やりな感がありますね ―
それに、この並べ方はもともと自然数ありきです。自然数の順番が決まっているからこそ、それを利用して整数を並べた、という面があります。そしてそれは奇数、偶数にとっても同じことですよね。
別の言い方をしましょう。雑多なモノの集合Aがある。とりあえずモノをアルファベットで書くことにしてA={a,d,r,j,m,…}という状況です。アルファベットだと26個しかないのですが、この集合には無限にモノが入っているとします。必要なら大文字やギリシャ文字、ひらがな、カタカナ、漢字でも何でも使います。足りなければ自分でどんどん新しい記号を追加するのです。
― 想像力が問われますね。まあ、何とかしましょう ―
そしてこの集合の中で順序を決めます。a,b,c,d,e,… というように。こうすれば集合Aは見た目が違うだけで、今検討してきた自然数の集合Nと大した違いはない、と思いませんか。
― ・・・言われてみれば、そうかもしれない。始まりがあって、終わりはなく、順番に進む、という意味ですよね ―
その通りです。この観点から、集合Aに入っているモノも、数と呼んでしまうことにします。
さて、「順番に進む」という部分に少し踏み込みます。
『順に進んでいる、と思っていたのだが、実は途中から前の方に戻って、繰り返していたッ・・・』そんなことがあると困ります。
― えーと、 a,b,c,…h,i,j,k,i,j,k,i,j,k,… というような感じですか ―
はい。これはこれで一見終わりはないけれど、実質的には有限のモノしかないわけで、期待する自然数とは違うことになります。他にも、枝分かれするのも困りますよね。
― 自然数は枝分かれしませんね ―
そういうわけで、「順に進む」ことをより詳しく、厳密な言い方になおします。
「どの数にも次の数が一つだけある」こう言っておくとまず枝分かれを防げます。
― aの次に来るのは一つだけ、それなら確かに枝分かれはないですね ―
そして「始まりの数を除いて、どの数も、ただ一つの数の次の数である」というと、繰り返しも防げます。
― はあ、ちょっと何のことかわからないですね ―
具体的に考えましょう。集合Aだと、始まりの数はaです。まずaを除いた、他の数を考えてください。
― じゃあ、bで ―
このbは、ただ一つの数の次の数だ、と。aの次であって、cやd、kなどの次の数ではない。
― ああ、わかりますが、つまり「前の数は唯一つである」といいたいのでしょう。そういった方がわかりやすくないですか? ―
確かにそうなのですが、数学には、余計な定義は増やしたくない、という心意気のようなものがあるのです。えーと・・・実のところ、「次の数」とは何を意味するか、まだ定義していません。
― いや、別に必要ないでしょう。1の次は2ですよ ―
いえ、そこは難しいところで。
集合論的にやろうとするなら「集合AからAへの写像sがあり、数aに対してその像s(a)を、aの『次の数』とする」という定義をするのです。
― 何一つわからないですね ―
それで普通です。ですから、ちょっとお茶を濁そうと、あえて定義を避けたのです。
― それを私がほじくったのですね ―
ええ、まあ。もう少し補足しますが、こういうふうにきちんと定義していくことにしたなら「前の数」という言葉も気軽には使えないわけです。
「数bに対して、sによる逆像s-1(b)の元をbの『前の数』とする」などと定義しなくてはなりません。しかし実際には「次の数」という言葉だけで足りるのです。
― その定義も何のことやら、ですね ―
そうでしょう。ですので、回りくどいですが先ほどの「始まりの数を除いて、どの数も、ただ一つの数の次の数である」という言い方をします。
さて、繰り返しが起こったとき、このあたりの事情がどうなっていたのか。
― a,b,c,…h,i,j,k,i,j,k,i,j,k,…でしたね。ああ、iがだめってことですね。hとkの次の数になっていますから ―
そう、繰り返しが起こっているときには、2つ以上の数の「次の数」になっている数があります。
― ちょっと数、数とくどいですね ―
さすがにそれはしょうがないです。数学の話ですから・・・
えー、それと、今の「次の数」に関する設定二つで、集合Aに無限に数が入っていることにもなります。
始まりの数はとにかくある。始まりの数に対しては「次の数」がある。繰り返しを防いだから、「次の数」は必ず新しいモノでないといけないし、その新しいものに対しても別の「次の数」がある・・・
― まあ、なんとなくやりたいことはわかる気はします。これだけ設定すれば、集合Aは実質的に自然数の集合Nと変わらない、ということですよね ―
そうなんです!いい表現をしていただけました。無限にモノがあって、次々と進んでいける集合なら、それって実質的に自然数の集合と同じでしょう、と言いたい。
ところが、あと一つだけ、まずいパターンがあるのですが・・・
― ほう、まだありますか。ちょっと疲れてきました・・・ ―
私もそろそろ仕事の時間でして。
~~
「私はしばらくこの町にいる予定なんです。」
三月氏の話の途中から、これは私の仕事にも繋がりそうだ、と思い始めて、しばらく彼の話に付き合う気になった。
「折角ですからもう少しお話を伺いたいと思いました。明日も来てもよろしいでしょうか?」
「それはもちろん。続きをお話させていただきます。このままでは半端ですから。」
三月はにこやかに答え、続けて私への質問をした。
「一由さんはご旅行中ですか?」
「ええ、取材旅行でして。ライター、というやつなんです。今のお話で一本記事が書けるかな、と」
一応身分を明かす。
「ああ、なるほど。私は文章を書くのは不得手ですから、まあ記事に出来るならいくらでもどうぞ。」
幸いにして、取材許可を得た形になった。
「では、また明日」
宿は数学屋のすぐそばだった。あたりはもう暗い。もう少し町を散策するつもりだったのだが、それもまた明日。
さて、今日聞いた話を私なりに少し整理しておこう。
・集合は{ }でくくる。
・整数の集合はZで書く。Z={…-3,-2,-1,0,1,2,3…}
・自然数とは正の整数のことである。自然数の集合はNで書く。N={1,2,3…}
・集合はモノが入るか入らないか、きちんと判断できなくてはならない。
・条件で集合を定めるとき、
{入るモノを表す式(例えばn2)|式中の文字が求める条件(例えばnは自然数)}
という書き方ができる。このとき、条件を満たすモノは全てこの集合に入る。
・この集合は平方数の集合。
・素数とは1と自分以外で割り切れない自然数。
・素因数分解とは自然数を素数の積で表すこと。
・23は2の3乗。2は底、3は指数。2を3個かけることを表す。
・20=1 である。
・次の条件を満たす集合は実質的に自然数と同じである。
始まりの数があること
どの数にも次の数が一つだけあること
始まりの数を除いて、どの数も、ただ一つだけの数の次の数であること
最後がやはり回りくどいとは思うが、たしかにこれでa,b,c,d,…とずっと続いていく様子が思い浮かぶ。まだこれだけでは足りないらしいが・・・2番があるから枝分かれしない。3番があるから戻って繰り返したりしないし、いつまでも新しい数が出てくる。別にこれで十分そうなものだが。
まあ、私が考えて思いつくようなことではないだろう。もうビールも飲み始めたし、あとはまた明日だ。
2
朝は列車の音で起こされた。駅員のアナウンスさえ聞こえる。まだ6時半、私にとってはかなり早い目覚めだ。明日からはもう少し駅と離れた宿にした方が良いかもしれない。
少し周りを歩いてこよう。素泊まりでの予約だったので、何か食べ物を調達したい。店を探さなくては。
少し歩いただけで商店がいくつかと、スーパーを見つけた。喫茶店もある。まだどこも開店には早いようだが、食べ物の心配はしなくてよさそうだ。
数学屋もまだ開いてはいないだろう。昨日私が帰ってから仕事を始めたわけだから、きっと遅い時間までやっているはずだ。学校帰りの子供たちを集めるのだったら朝から開けても意味はない。
と思いなが数学屋の前を通りかかると、中から三月氏がイーゼルと看板を持って出てきた。
「おや、一由さん。おはようございます。」
「おはようございます。あの、随分早いですね。」
「ああ、今日は特別です。中学生が学校でテストがある日で、朝から来て勉強したいという子が何人かいるんですよ。」
確かに、おはようございます、と挨拶をして中に入っていく子供がいた。
「へえ・・・勉強熱心だ。」
「どうかな。普段熱心でない分、テスト直前に頑張っているだけかも。やらないよりはよっぽどいいですが。そうだ、今日はこのあとはずっといますから、いらっしゃるならいつでもいいですよ。普段は午前中いませんけど。」
「そうですか、じゃあ食事を済ませたら来ます。」
「ええ、お待ちしています。」
~~
ペアノの公理
さて、昨日はかなり半端なところで中断してしまいました。
― a,b,c,d,…と並んで、これってもう自然数でしょう、でもちょっとまった!という感じでした ―
あれ、一由さん、随分よく覚えていますね。
― 昨日、宿で復習したのです。仕事になるかも、と思えば復習もするものですね。学生のときはしなかったのに ―
そうですね、私も学生のときよりよく勉強しています。
えーと、一応、少し正確に言っておきます。集合Aがあり、次の条件をみたす。Aの中には初めの数がある。Aの中の数には、「次の数」がただ一つだけある。初めの数を除いて、どの数もただ一つの数の「次の数」である。
― そうすると、始まりがあって、終わりはなく、順に進んでいく。これでまだ何が足りないのか、昨日少しだけ考えましたが、私に思いつくようなことではなさそうです ―
自分で思いつくのはかなり難しいですよ。数学というのは多くの専門家が長い時間をかけて整備してきたものですから。
まず、この条件で足りないというのは、これだけだと集合Aはまだ自然数の集合Nとは違う構造の集合にもなり得る、という意味です。でも、Aはもう自然数の集合Nと同じ構造は持っています。
― うん?違うのか、同じなのか ―
Aは、Nより大きいかもしれないのです。Nと同じ部分を丸ごと持っていて、まだ他にも数があるかもしれない。
もちろんそれらの数も「次の数」の条件は満たさないといけないので、例えばこんな感じです。
a,b,c,d,… これとは別の列として …α,β,γ,…
二つの列はつながっていません。つまり、Nと同じ構造を持つa,b,c,d,… の部分、それとは独立した無限の列 …α,β,γ,…、この二つの列を両方持つ集合、それをAと考えます。
― 大胆なことをしますね ―
このAでは確かに初めの数はaだけですし、どの数も次の数があるし、a以外は別の数の次の数になっています。こういうはじまりのない無限の列が他に何本あっても、条件をみたすことになります。
― なんだかずるいようにも思いますが、確かにそうですね ―
さらにいうと、いくつかで繰り返す部分、例えば α,β,γ,α,β,…のようなループが独立してあってもO.K.です。
― へぇ、かなり自然数から遠ざかりましたよ。まあ、含んではいるのか ―
でも、このNと同じ部分プラス独立した無限列やループ、という構造は簡単に除外できます。「初めの数から進んでいくと、全ての数を数えられる」という条件を加えればよいのです。
― これはわかりました。独立した部分があったら、そこの数はいつまでたっても数えられませんから。独立した部分を持つ集合は自然数の集合Nではない、ということでしょう ―
はい、そういうことです。
さあ、これでついに自然数の集合が満たすべき条件がそろいました。厳密な言い方ではありませんが、ペアノの公理というものをかなり噛み砕いたものです。
初めの数があること。
どの数にも「次の数」が一つだけあること。
初めの数を除いて、どの数も、ただ一つの数の「次の数」であること。
始まりの数から次の数へと順に数えていけば、すべての数を数えられること。
これらは「自然数とはいかなる性質を持つべきか」を追求して辿り着いたもので、この四つが言えさえすれば、その数の集合は「自然数」と呼ぶに値するのです。
― ペアノというのは人名でしょうか。公理、ですか。あまり聞かない言葉ですね ―
はい、ペアノは人名で、19世紀の終わりころに自然数についての論文を書いたようです。公理は数学ではとても大切なもので、簡単にいうと、文句を言わずに認める前提、というような意味ですね。
― 文句を言わず。数学に対しては文句だらけです ―
そういう方は多いでしょうね。例えば、-1×(-1)=1が気に入らないとか。
― 昨日私が言った文句ですね ―
ペアノの公理の場合、例えば、自然数には次の数があるんだ、これは文句を言わず認めてくれ、と言っている。
― はあ、まあ1の次は2ですから・・・なんか、昨日も同じことを言ったような ―
元・和集合
さて、公理をみたすならなんでも自然数と呼んでいい、と言いました。今までNと言ってきた集合はもちろん公理を満たします。
― 満たさないのだったらここまでの話は何だったんだ、というところです ―
でも、他にもいくらでも例を作れる。そのために集合に関する記号をいくつか紹介します。
まず、
1∈N
という書き方で「1が自然数の集合Nに入っている」ということを表します。
2∈N、 3∈N、156∈N
などと書くことができます。この記号を使うと、集合の表現が簡単になります。昨日も出てきた平方数の集合 {n2|nは自然数} は、 {n2|n∈N} と書けばいい。
― おお、これはちょっと格好いいかも。立方数なら {n3|n∈N} ですか ―
数式は意味がわかって書けば便利で格好いいですね。意味がわからないと眺めるのも苦痛ですが。そういえば昨日は使いませんでしたが、集合に入っているモノを、その集合の元、とか、要素、と言ったりします。例えば、1はNの元、です。
― 元。要素の方が意味はわかります。元の方が書くのは楽ですね ―
英語ではelementといいます。化学の元素のこともelementなので、そこからとったのでしょうか。化学の元素ほど根本的な存在でもないかな、と思います。単に集合に入っているモノという意味ですから。
さて、次に和集合です。二つの集合をまとめてしまう、という意味で、
A∪B
と書きます。AとBはどちらも集合です。
具体例を一つ。
A={1,2,3}, B={3,4,5} のとき、A∪B={1,2,3,4,5} となります。
― 3は一つどこへ? ―
同じものは一つしか書かないのです。別に書いてもいいのですが、一つしか入っていない、という扱いになりますね。{3,3,3}={3} というような具合で。
― 別の3なんだけど・・・ということもありませんか?なんと言うか、3+3=6のとき、最初の3とあとの3って、うーん、同じだけどちがいません? ―
おっしゃりたいことは何となくわかりますが・・・。集合の元として扱うときは、3と言う記号で表される概念はただ一つ、というつもりで、3は一つしかない、と言います。
先ほどの集合A、Bについては、Aの中の3とBの中の3がある、ということではなく、3はAにもBにも入っている、と捉えるべきでしょう。例えば、たかしくんは1年3組で、美術部に入っています、というような。1年3組と美術部がみんな集まっても、たかしくんは二人にはなりませんよね。
― そりゃそうです。元が主役、ということですね ―
そんな感じです。あちこちで見かけていろいろなことをしてるけど、実は同じ人、という。スターシステムです。
― なんです、それは? ―
ご存じなければ気にしないでください。数学とは関係ないです。
さて、私たちは自然数の集合Nは1から始まるものとしました。先ほども言ったとおりこれは公理を満たす。
次にこのNに0も入れてみます。そうしてできる集合をN0と書くことにします。
― そんな自由に入れられるものですか? ―
実際にはNと集合{0}の和集合を作ります。
N0=N∪{0}
ということです。0を初めの数、0の次が1、ということにすれば、問題なく公理を満たします。
― 自然数に0を入れるかどうかは好みの問題ということでしたね ―
そうです。Nでも、N0でも、自然数の集合としての大事な性質はしっかり持っているので、どちらでもどうぞ。
― 別にどっちでもいいです。たいした違いはないでしょう? ―
いえ、結構大事な違いがないこともない・・・あるといえばある・・・
― 何かはあると ―
ペアノの公理的な話は終わりにして、0や1の代数的な性質を考えると、大きな違いが出て来るのです。
― 代数的とは? ―
計算関係の、と言う意味です。もともとは数の代わりに文字を使って考える、例えば方程式などを解くようなことを代数と言ったのだと思いますが。
― 方程式!そんなもの、もう無理ですね ―
今は方程式を解くようなことはしませんよ。ただ、多少の文字式は使わせてもらいたいですね。少し真面目にお勉強しましょうか。
― あまり気が進みませんが、多少なら我慢しましょう ―
文字式の約束
文字そのものはもう集合の話のときから使っていますね。平方数の集合は {n2|n∈N} のように。
― これはもうわかります。右の条件を満たすnに対して、左の式を計算する ―
この場合、n2はn×nのことです。
― はい、指数は底を何個掛け合わせるか書いたものです ―
同じ文字を掛ける場合は、同様に指数を使います。また、2種類以上の文字を掛ける時、×の記号は省略します。
― ああ、それくらいは覚えていますよ。割り算は分数にしますよね ―
はい、a÷b=a/b となります。基本的に、÷の後ろにあるまとまりは分母で掛かる、と覚えておけば便利でしょう。
例えば、a÷b÷c×d=ad/bc 、(x+y)÷(a+b)×c=((x+y)c)/(a+b) などです。「÷の後ろのまとまり」とは、別の計算記号の前まで、が原則ですね。カッコでくくられた部分も一まとまり。
― +は省略しないんでしたか ―
+、-まで省略してしまうと訳がわからなくなりますからね。足し算・引き算より掛け算・割り算が先、というルールがあるので、掛け算、割り算がまとまるように工夫したのでしょうね。
― そういえばそんなルールがありますね。何か理由が? ―
計算の順番を決めないと、結果が変わってしまうことがある、というのが主な理由ですね。例えば3+2×3だと、正しく計算すると9ですが、もし先に足し算をしたら15になりますよね。
― まあ、確かにそうですね。その程度の計算はまだ平気ですが・・・左から順番に計算する方が素直では? ―
実のところ、左から順に計算する、と決めるならそれはそれで別に構わないのです。あるいは足し算・引き算を先にする、と決めてもいい。自然数に0を入れるかどうかと同じで、好みの問題です。ただ、何らかのルールが決まっていないとまずい。今のところ掛け割りが先だ、と言うルールが採用されていますね。それがなぜか、と言われると・・・
― 言いたいですね・・・なんだか文句を言いたいだけかなって気もしては来ましたが ―
真実かどうかはわかりませんが、思い当たるのは、掛け算はもともと足し算だ、ということでしょうか。
2×3は、2を3個足す、つまり2+2+2ですよね。
掛け算は、すでに足し算をまとめて簡略化したものなのです。だから先ほどの式3+2×3なら、3+2+2+2をまとめた式だ、と見るほうが、3+2が3つあってそれを足す、3+2+3+2+3+2だ、と見るよりも素直な見方とは言えるかもしれません。
― ほう、足し算まで戻れば確かに掛け算が先のほうがシンプルかも ―
とはいえ、実践上は足し算と掛け算は独立して計算できますから、やはり形式的に順番を決めているだけ、と思うほうが楽です。
あ、ちなみに、順番を決めない、という逆方向へ突き抜けることもできますよ。
― どこから計算してもいい?わけではないですよね ―
はい、順番を決めないなら、常にカッコをつけなくてはいけないことになります。そうなるともはや 3+2×3という書き方自体が間違いということになります。(3+2)×3か、3+(2×3)と書かなくてはならない。
― あれ、むしろわかりやすいのでは? ―
計算が2回くらいだからまだ許せるのです。例えば、普通の意味で 3+4×2-7 と書くことは出来ます。初めに4×2で8、次は3+8で11、最後に11-7=4という順番です。足し算・引き算が並んでいるときは基本的に左からやりますので。
さて、計算の順序が決まっていない場合、今の順番で計算することを示すにはどう書くかといえば、{3+(4×2)}-7 となります。
― いやな感じになりますね。そうか、計算がもっと増えたら・・・ ―
かなり煩わしいことになりますね。
― はい、まあ計算の順番と言うのは決めておくべきだ、ということで納得したことにします。話を戻しましょう ―
一由さんが流れを仕切るのですか・・・構いませんが・・・
何の話でしたかね。ええと、文字式、ですか。+、-は省略しません。
― お、びしっと戻りましたね ―
それと、数と文字を掛けるときも、×は省略します。割り算は数でも文字でも基本的に分数にしますよ。
例を挙げます。3×a×b=3ab、5×z÷6=5z/6 です。
― 3×4なら省略しませんよね。34になりますから ―
そうですね。数同士の掛け算は計算してしまうのが普通です。割り算も割り切れるときは計算してしまいます。割り切れなければ分数にしましょう。
― そうだ、割り算を分数にする理屈を聞きたい気がします ―
では、文字式に関してはもうこのくらいで十分ですので、次は分数の話をしましょう。
分数
まずは分数の意味を確認しなくてはなりません。どんな分数でもいいのですが、例えば 1/3 とはどのような意味でしょうか。
― 1/3 ・・・ 3つに分けたうちの一つ、かな ―
それだと少しあいまいですね。「何を」分けたのか。ここがとても大切。
― 何を・・・別に、何でもいいのでは?例えば、300円の 1/3 は100円ですよね ―
それは 1/3 を割合として捉えている言い方ですね。その場合でも同じことなのですが、 1/3 と言えば常に「1を3等分した量」だと考えていただきたい。「1を」というのが、繰り返しますが、とても大切です。
量と言う言葉を使ったことにも注意を向けて欲しいのですが、分数を使うのは基本的に量を計るときですね。 1/3 m と言ったら、1 mという量 を3等分した長さです。
― 300円の場合はどうなります? ―
割合というのは、基準にする量、あるいは全体を 1 として、という前提で使います。300円の 1/3 、と言ったら、本来は300円を1として、その 1/3 は・・・という文脈なのです。分数を、こうして「1を」等分した量だと認識しておくと、分数に対するあいまいさがなくなります。もしあいまいさを感じていたらですが。
― 感じています。なくなるでしょうか ―
では、割り算の前にもう少し分数の話を続けましょう。そうですね、数直線、というものはご存知でしょうか。
― ええ。なんと言えばわかりやすいですかね、そう、定規ですよね ―
いいですね。想像するしかないですが、左にも右にも無限に長い定規です。0から右に向かって1、2、3、と目盛りがついています。左に向かっては-1、-2、-3、と目盛りがついている。
― もしかして、左に向かって1、2、3、でも良かったりするでしょう ―
その通りです。何かがわかってきましたか?右でも左でも、上でも下でも、お好きにどうぞ。ただ、右に向かって増えていくのがスタンダードというだけです。
― とにかく、自由なんだな、ということはわかりました。数学そのものがわかったとは思いませんが ―
そう、本来数学は自由なものです。ただ、長く使ってきた慣例があり、その奥深くで多くの面白い結果が得られています。そこにたどり着くためには、今まで作られてきた数学を学ぶのが一番早い。
さて、数直線というものをもう少し詳しく説明します。数直線は、数学的な対象としては
直線として存在します。
― そりゃあ、数直線、というくらいですから。でも、別に曲がっていても良さそうですね ―
・・・実はそれは少し難しい問題にぶつかります。直線とは何か?
― まっすぐな線、でしょう ―
まっすぐ、とは?
― んー、曲がっていない?・・・曲がるとは?ですか? ―
そう、いつまで経っても終わらない押し問答が繰り広げられます。ここでも、本来は公理的な議論を進めるべきなのです。
無定義語、点、直線
自然数の公理のとき触れなかったことがあるので、ついでにここで話しておきます。
― お、脱線するんですね ―
できるだけ簡単に終わらせる心構えです。まずですね、自然数の公理では、1そのものを定義してはいないんです。
― 初めの数、では? ―
いえ、公理が言っているのは、自然数の集合の中には、初めの数がある、というだけだったはずです。だからこそ、始まりの数が1だろうと0だろうと、5でも-21でも構わない、という話です。
― ああ、そうだった。じゃあ、1って何なんですか?定義しないと ―
それを言いだすと、さっきの直線みたいな羽目に陥りますよ。
― ・・・たしかに、そうでしょうね ―
それで、思い切って1は定義しないことにします。無定義語、というのですが。
― それは本当に思い切りましたね ―
1は公理にある始まりの数に相当する記号、という扱いです。ですから今の場合、1を定義しない、というよりは「初めの数」は無定義語である、という方が本質的です。
同様に「次の数」も無定義とします。昨日集合論的な定義を一応挙げましたが、アレは忘れることにします。2つの数の間にただ「次」という名前の関係がある。
― わかりません ―
「始まり」とか「次」が持つ、日本語としての意味を考えない、と言ったらいいかもしれません。ここはヒルベルトにならって、言葉を置き換えるのが一番わかるはずですから、やってみましょう。
― ヒルベルト? ―
20世紀初めに活躍した数学者で、公理とか無定義語と言う考え方を完成させた人です。まずはペアノの公理を持ってきましょう。
初めの数があること。
どの数にも「次の数」が一つだけあること。
初めの数を除いて、どの数も、ただ一つの数の「次の数」であること。
初めの数から次の数へと順に数えていけば、すべての数を数えられること。
この公理の中で「初めの」という言葉を「メラの」に、「次の」を「ギラの」に置き換えます。「数」も元、といい直したほうがいいかもしれません。
― メラ、ギラ? ―
特に意味はありません。意味を気にせず、機械的に書き換えましょう。するとこうなります。
メラの元があること。
どの元にも「ギラの元」が一つだけあること。
メラの元を除いて、どの元も、ただ一つの元の「ギラの元」であること。
メラの元からギラの元へと順に数えていけば、すべての元を数えられること。
― まったく、わけがわからなくなりましたが・・・ ―
まあ、集合Aにこの条件を当てはめてみましょう。まず、メラですが、これはaでいいでしょう。で、aに対してギラがあるわけで、それはbにしますよ。
― はいはい、いいたいことはたぶんわかりましたよ。初め、次だろうと、メラ、ギラだろうと、結局 a,b,c,… と一列に並ぶ、ということですね ―
そう、言葉は何でもいいのです。条件を満たす集合があれば、それが自然数と呼ぶべき構造を持つことに変わりはない。この集合についてさらに探求すれば、自然数の理論が作れます。
周りの元との間でどのような役割を果たしているか、それが決まっていればいい。こういうやり方を、公理的というのです。
― うーん、理解できたか自信はないですが。進みましょう。直線は? ―
無定義です。点もそう。ただし、次のような条件を満たします。
1.2つの点を通る直線はただ1本ある
2.2本の直線は交わらないか、ただ1つの点で交わる
これは平面の場合で、簡略にはしていますが。通る、交わるという言葉もただ何らかの関係を表すだけで、日本語としての意味はない、というのが建前です。
― 交わらないか、ただ1つの点で交わる?どちらです? ―
どちらでも別にいいんです。どちらかなら。学校で習うような数学では、交わらない2本の直線は平行だといいますよね。適当に2本の直線を選んだ場合、平行であるか、そうでなければ1点だけで交わります。そのどちらかの状況にしかなりませんよね。
― そうですね、2箇所で交わるなら曲がっているでしょう。・・・ああ ―
そう、だからこそ点と直線の公理として、先ほどの二つが抽出されたのでしょう。この公理の条件さえ満たせばなんでも直線、点と言っていい、というのが要点です。例えば、普通の意味で球を考えてください。地球儀のような。
― 地球儀。はい ―
内部の中心を通るように平面でスパッと二つに切ります。切り口は円になるのがわかりますか?
― ええと、まあ、そうでしょうね ―
こういう切り口を大円といいます。球と、その中心を通る平面との交わりです。さて、想像上で今切った球はくっつけて戻しておいてください。大円の説明のために切っただけで、球を切り分けたいのではないのです。
― そうですか。・・・ちょっとずれそうです ―
想像上なんだから、きれいに戻せるでしょう。さて、大円をもう一つ引きましょう。さっきとは角度を変えて切るのです。2つの大円は、2点で交わると思いますが。どうですか?1点が日本あたり、東経135度、北緯40度あたりなら、もう1点はその真裏、西経45度、南緯40度のあたりにあるはずです。中心を通る平面で切るため、ちょうど真裏で交わるのです。
― たぶん、想像できていると思います ―
ここから難しいことを言いますよ。球上である点Aの真裏の点Bを対蹠点というのですが、このA、Bをひとまとめにして「点」と呼びます。2点セットで1点です。あるいは、地球の中心を通る直線のことを「点」と言っても同じですが。
― 2点セットで「点」・・・何か難しくなってきましたね ―
とりあえず話を進めてみましょう。さて、「点」を一つ考えると、その点を通る大円はいくらでもある。対蹠点同士を結ぶ直線を一本固定すれば、この直線を軸として平面をぐるぐる回せます。どの位置で止めても、大円ができる。
― まあ、わかります。うちわを持ち手を軸に回すような感じでしょう ―
ここでもう一つ別の「点」を考えます。ぐるぐるしている大円の中で、もう一つの「点」を通るものは一本だけです。今考えた新しい「点」に、釘を打ち込んだら回転を止められる。
― ああ、確かにそうですけど・・・勢いあまってはね返ります ―
あまり速く回さなくていいです。ゆっくり回して、ピタリと止める。さて、今何が起こっているのか、というと、二つの「点」を通る大円はただ一つだ、ということなんです。さらに既に言ったとおり、二つの大円の交点は対蹠点のペアですから、一つの「点」な訳です。これは先ほどの直線と点の公理とほとんど同じです。
1.2つの点を通る直線はただ1本ある
2.2本の直線は交わらないか、ただ1つの点で交わる
点を対蹠点のペアと言う意味での「点」、直線を大円に置き換えるのです。つまりこの世界では大円を直線と呼び、対蹠点のペアを点と呼ぶ。
― 曲がっているじゃないですか ―
見慣れた直線と点の間にある関係を、大円と対蹠点もみたすのだから、同じような理論ができるだろうというのです。ただ、この世界では二つの大円は必ず交わるので、平行線はないことになりますが。
― うーん、やはり難しいですが・・・帰ってからもう少し考えてみます。そろそろ話を戻しますか ―
その前に・・・もうお昼も近いですし、食事に出かけませんか?
~~
「ああ、いいですね。ぜひ安くておいしい店に連れて行ってください。」
まだいつもの昼食には早いのだが、朝食を軽く済ませたので程よく腹が減っている。しばらく滞在するつもりなので、安い定食屋でも教えてもらえるとありがたい。
「ええと・・この町、そばが名産です。なのでまずは比較的知られたそば屋へ行きましょう。ここから歩いてすぐですし。ああ、アレルギーでは?」
「いえ、問題ありません。」
道中、町の観光地や施設の話をした。スポーツが盛んなのか、体育館をはじめ、プール、スキー場、ゴルフ場、いろいろ揃っていて、やる気があるなら大抵の競技ができるという。私はといえば、近頃は遊びでバドミントンをするくらいがせいぜいで、そう魅力を感じないが、娘が陸上の選手だし、冬はスノーボードに連れて行けとうるさいから、冬にまた来るのも悪くないかもしれない。
三月氏にとっては、文化施設が不足気味らしい。図書館くらいはあるけれど、公民館の大ホールは小さくて音響が悪く、例えばオーケストラが来るなんてことは夢のまた夢、だそうだ。私は音楽方面への興味もほとんどないので聞き流していたけれど、ふと、郷土資料館のようなものは無いのか尋ねた。
「そういう類の施設もありませんね、そういえば。本当、行政は文化的な方面への関心が薄いようです。例えば個展を開きたいと思っても、公民館の廊下に飾ることになるでしょうね。」
博物館や郷土資料館の類があれば必ず訪ねる、というのが私の趣味の一つ、あるいは仕事のきっかけをつかむ儀式だったから、少し残念ではあった。まあ、三月氏に出会ったのだからこの町に来た意味は十分にある。
「ちなみに、あの山の裏がスキー場ですよ。」
「え、こんな近くに?」
昨日列車を降りて歩いたときは平坦な町並みに見えたが、今数学屋から駅に向かうとすぐ目の前が山だった。頂上には電波塔が立っているが、おおよそ木に覆われた、小さな山。
「歩いてもたいした距離ではないです。保育所の子供も登るし、マウンテンバイクで頂上を目指す人がいたり、親しまれているようですよ。桜も咲きます。」
もう桜の季節ではないが、見上げて満開の桜を思い浮かべる。
「午前中はいろいろ話題が変わりましたね。どんなことを話しましたっけ?」
そば屋で注文を済ませたあと、三月氏が切り出した。
「そうですね・・・私なりにまとめてみましょう。」
・a∈A でaが集合Aの元であることを表す。
・A∪BでAとBの和集合を表す。
・無定義語というものがある。公理によって語の間の関係を決めることで理論が作れる。
・ペアノの公理 これをみたす集合は自然数の特徴を持つ
初めの数があること。
どの数にも「次の数」が一つだけあること。
初めの数を除いて、どの数も、ただ一つの数の「次の数」であること。
初めの数から次の数へと順に数えていけば、すべての数を数えられること。
例えばN、N0=N∪{0}
・足し算、引き算より掛け算、割り算が先
・文字同士、数と文字の掛け算では×を省略する。例えば3×a×b=3ab
・割り算は分数にする。例えば4÷x=4/x
・分数の意味 例えば 1/3 とは、1を3等分した量である。
・点と直線の公理 これを満たすものは、点、直線、と呼んでよい
1.2つの点を通る直線はただ1本ある
2.2本の直線は交わらないか、ただ1つの点で交わる
例えば球上で、対蹠点同士を「点」、大円を「直線」
「大体こんなようなことを話していただきましたね。今の目標は、割り算が分数にできること、を説明してもらおうとしているはずです。」
「なるほど・・・それで数直線の話をしようと思ったんでした。」
「今まとめてみると、対蹠点と大円を、点と直線と呼んでいい、ということは何となくわかりつつあるような気がしてきました。自然数を何から始めても本質的な違いはない、ということと同じことなのだろうな、という程度ですが。」
「そうですね。球上でも平面上でも同じように幾何学ができる、その場合、直線にあたるのは大円で、点にあたるのは対蹠点だよ、というともっとわかりやすいですかね。公理を満たすことが確かめられれば「同じようにできること」が保証される、という捉え方もいいかもしれません。」
ここでそばが出てきたので話が中断した。
名産だけあって手堅く旨い。平日の昼間だと言うのに外に人が並びだした。有名な店なのかもしれない。




